ラインズ和子さん
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8月8日、校長室で、校長に「子どもに社会科の授業は受けさせない」と宣言。8月31日、増田本人には知らせず、学年主任と担任に「社会科授業ボイコット」を通告。校長は、この「社会科授業のみボイコット」を増田には知らせず承認。(しかも、後にさおりさんが不登校・転校という事態になると、それを増田のせいにした。)増田は翌日担任から聞いた。本人に直接知らせないのはなぜ? |
校長 |
8月29日校長は増田に「職務命令だ。ラインズ和子さんに謝罪しろ」と命令。しかし増田は拒否。『区教委報告書』には、この『謝罪』の強要・強制拒否を『職務命令違反』とは書けなかった。 |
ラインズ和子さん
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子どもの授業ボイコットだけでは飽き足りず、11月28日、増田の紙上討論プリントではすべての生徒が堂々と自分の名前を出して討論しているのを「名前を出させるな」などと校長に要求。どこまでも執拗に増田の授業を妨害し続けた。 |
ラインズさおりさん |
和子さんの妨害をはねのけて授業を進める中で、増田と生徒たちとの信頼関係が深まっていった。その結果、和子さんの指示を守って「社会科授業ボイコット」を続けた娘のさおりさんは校内で孤立していき、不登校に陥った。しかし母親の和子さんの一連の行動は増田には一切秘密のまま裏でこそこそ続けられてきたため、増田はさおりさんへのケアも何もできなかった。 |
ラインズ和子さん |
ところが「権利としての授業ボイコット」を娘に選択させた母親の和子さんは、自分が起こした行動の結果の責任を自分でとらないどころか、何も知らされず何もできなかった増田を非難し「M教諭からこの間、一言のケアも謝罪もなく、傷ついた娘は不信感、恐怖感を一層募らせていきました」と『正論』に書いている。 |