Home ■誰が、ラインズさおりを『不登校』『転校』『中退』に追い詰めたのか?


(2)ラインズさおりさんは、増田の授業において、とても冷静だったのであり、土屋主張の、「(プリントを)校長先生が配らないように制止したのに、それを振り切って(増田は配った)」などという7月1日、北千住駅頭街頭宣伝が、全くの虚偽事実による誹謗中傷活動であること(つづき)
B7月5日(土)、ラインズ和子さんは、他の保護者3名とともに校長室に来て、原告の授業を『改善』させるよう教頭に要求したらしく、『区教委報告書』によれば『教頭は・・・改善を進めていく』と約束しています。それでありながら、ラインズ和子さんは前記天下公開の法廷において「教育委員会が教師に対して圧力をかけるなんてことは保護者は考えておりません」(『速記録』)などと公言しています。ところが『掲示板』によると「教頭・・・(増田の授業の)改善を進めていくことを(ラインズ和子さんに)伝える」と載っており、これを読んで出したラインズ和子さんの、右翼サイト『掲示板』への手紙において、彼女は、これを否定していません。
即ち、ラインズ和子さんが、この時の法廷で自ら行った「真実を述べる」という宣誓を、守っているなら、『区教委報告書』は、公文書において虚偽事実を書いたことになります。もし、この『区教委報告書』が事実を書いているなら、ラインズ和子さんは、『真実を述べる』という宣誓に違背し、天下公開の法廷において、偽証をしたことになります。そしてラインズ和子さんは、自ら、インターネット右翼『掲示板』で、全国に自分が天下公開の法廷において偽証したことを暴露したのです。彼女は「教育委員会(校長・教頭)が圧力をかけるなんてことを保護者は考えておりません」どころか、よく知っていたからこそ、教頭に、「増田の授業を『改善させよ』」と要求し、そして教頭は『圧力をかけ』られて唯々諾々と『改善』を『約束』したのです。

C7月8日(火)、原告・増田は、ラインズ和子さんの電話内容が、通常の『親』というには、あまりにも異様なので、公表しておいた方がいいと考え、学校の職員朝会で、報告しておきました。教頭は、全てを知っていながら何くわぬ顔をして、原告・増田を校長室に呼び「詳しく教えてください」と、メモを取りました。

D7月8日(火)夜から、9日(水)にかけて「社会科の授業で配られた資料に疑問質問のある父兄」のみ(ラインズ和子さんが地裁に提出した文書)を集めるPTA連絡網が、原告・増田には全く知らされぬまま、PTA会長の指示で回るという、通常では考えられない特異な『PTA活動』が行われていました。なお、PTA会長の子どもは、この学年にいません。

E7月10日(木)、当事者である原告・増田には秘密に、ラインズ和子さん以下20名弱がPTAとして理科室に集まり、原告の授業について非難集会を開いたそうです。校長、教頭が出席していましたが、原告・増田には何一つ、情報を伝えませんでした。これも、また、通常では考えられない、極めて特異な事です。

F7月11日(金)、親の騒ぎを知った生徒達から「あの電話連絡網は何?」と質問された原告・増田は、上記ラインズ和子さんや校長・教頭も加わった、極めて特異なPTA活動を全く知らず、通常は有り得ない、このような活動について、全く想像もできず、上記7月4日の電話で、ラインズ和子さんが「PTA会長や、他のお母さん達にプリントを読むように言うから」と言っていたことを『電話連絡網』を使って実行したものと思い、授業において、きちんと、この騒ぎの意味を教えなければならないと考えました。授業・教育内容への、父母による不当な干渉は、必然的に正常な教育を歪めてしまうため、ILO・ユネスコ『教員の地位に関する勧告』第67項は『教員は本来教員の専門職上の責任である問題について、父母による不公正または不当な干渉から保護されなければならない』としています。また、我が国が日本国憲法の原理たる民主主義社会なら、力で(自分に力が無ければ権力あるものの力を借りて)自分に気に入らない意見を押しつぶそう、という言動は当然、批判されねばなりません。

G7月16日(水)、この日の3クラスの授業で(ラインズさおりさんのクラスはありませんでした)、最初の感想文・(ラインズ和子さんが「反米攻撃がすごくて震えた」というものですが、ラインズさおりさん自身は、特に何も感じていず「楽だった」もの)に対して、子どもたちが書いていた意見のプリント4枚に、ラインズ和子さんを匿名で批判し、民主主義社会におけるルールは『先ず、きちんと話し合うことである』ということを中心にした『先生から生徒へ』というプリントをNO.1として加えて、NO.5までの教材プリントを使って授業をしました。
 上記@〜Fのラインズ和子さんの活動を知っていた親たちと、その子どもたちは『この親』と匿名であっても、それをラインズ和子さんと特定することは容易であることを知っていたラインズ和子さんは、引っ込みがつかなかったらしく、この直後から「プリントの『この親』は私だ、私だ。増田は、『この親』というだけで、誰にでも直ぐ特定できることを知った上で、私を攻撃するために、教材の体裁を借りて、私を誹謗中傷するためにプリントを配ったのだ。どうしてくれる。いざとなったら裁判だ」(『区教委報告書』『正論』)と、校長、教頭、教委、PTA、自分の子ども・さおりさんを相手に騒ぎまわっていたようですが、原告・増田には全く知る由もなかったことでした。
 なお、ラインズ和子さんや被告・土屋等は、このプリント中の片言隻句を以って、ラインズ和子さんを誹謗中傷したものと、捉え、吹聴していますが、子どもたちの教育に責任を負うものとして、原告・増田がこの機会を捉え、このようなラインズ和子さんの言動の本質である『反民主主義性』と『教育内容への干渉は許さない』ことを表明することは当然の責務です。被告等は言葉尻を捉えて原告を論難しますが、中学生ともなると知的理解力に大きな差が出ていますから、全ての子どもに理解させるために分かりやすいようにと、教師がたまに子どものスラングなども使うことは良くあることです。これは、家庭内で赤ちゃんに赤ちゃん言葉で話し掛けたことを聞きつけて、それを公の場に持ち出して論難することがおかしいのと同様の言いがかりというものです。もし原告・増田が、原告・増田には秘密の上記ラインズ和子さんや校長等の活動を知っていたなら、絶対に、このような付け込まれやすい表現を使うことは有り得なかったものです。原告・増田は、あくまでも『この親』という匿名では特定され得ないことを前提に、教材プリントを作成したのですから。

H7月17日(木)、ラインズ和子さんは、さおりさんに「『辛いのなら教室を出なさい』といって送り出し・・・生徒が先生を選んでも良い」と思い「学校にも即座に『今、こう言って学校へ送り出したので』と伝えました」(『正論』)ということですが、もちろん、原告・増田は全く知りません。
 さて、授業がなかった1校時目、校長室に呼ばれて行くと、校長・教頭が非常に深刻そうな顔で、この「プリントは個人攻撃だ、問題だ、問題だ。これからはプリントは配る前に見せろ」と述べました。
 原告・増田が、この校長・教頭の対応に感じたのは以下のことです。『彼らは、本来ならば、校長・教頭という良識・識見・教養のあるはずの人たちであるが、なぜか、沖縄米軍基地による人権侵害という事実を教えることを「反米攻撃だ」などと言い掛かりを付けてきたラインズ和子さんという人物に即座に同調するくらい「人権尊重意識」が欠落しているようだし、「教育」の本質は、外部の干渉を排する事を要求し、真に教育者なら、その責務があることを理解できるはずなのだが、なぜか彼らは理解できないようだ。それだからこそ、信じがたいことだが、教育内容に干渉してくる親に対して、その間違いを諭すのではなく、同調したのだろう。民主主義社会における「批判」の大切さも、まるで分からず「批判」することは「個人攻撃で、悪いことなのだ」と信じ込んでいるらしい。これだから、社会科教師は、「民主主義社会における批判の大切さ」をしっかり教えなければならない。』
 そこで原告は述べました。「どうして『この親』ってだけで、ラインズ和子さんだって、分かるんですか」。校長・教頭の答えは「そりゃ、分かりますよ」でした。彼らは上記@〜Fの張本人だったのですから「そりゃ分かりますよ」だったのですが、通常の校長・教頭・PTA活動であれば、有り得ない、それらの特異な活動を全く知らない原告・増田は、ラインズ和子さんが電話連絡網の匿名性を利用して、顔も名前も出さずに「社会科のプリントは極めて反米的である」と伝達したもの、と思い込んでいるのですから、『この親』というだけでは、『ご本人には分かるだろうが、それ以外に分かるはずないのに』と思い込み、校長・教頭は『なんとも大袈裟に取り越し苦労をしているものだ』としか、考えなかったのは当然でしょう。
 彼らは、原告・増田に秘密の@〜Fの活動を、正直に原告・増田に述べるべきでしたが、通常は有り得ない、そんな特異な活動については、さすがに正直に述べることができなかったものと今では分かります。しかし、通常の学校においては有り得ない@〜Fの活動など、通常の人たる原告・増田には、予測・予想できることではなく、「『この親』というプリントの記述だけで、教材プリントの読者たる生徒達に、それがラインズ和子さんと特定できるはずがない」と考えることは当然であって、@〜Fの活動を知っていた一部の保護者・生徒が特定したことに、原告・増田には何ら責任はありません。
 また、校長は原告・増田に「これから配るプリントは、私に見せてからにしてください」と述べので、「検閲ではない」ということを確認して「見せるのは、ちっとも構いませんよ」と原告・増田は述べました。そして2校時は、もう校長も『見た』『先生から生徒へ』を含むNO.1〜5のプリントを使って、ラインズさおりさんのクラスもある、残り2クラスで授業をしたのです。
 ラインズさおりさんは、たいへん、素晴らしい意見を書いていました。「W君の米軍全滅作戦に。最初に戦争を仕掛けたのは日本だ。アメリカと日本はお互い様のような気がする。だから、これからは、一人一人が米軍基地をどうするか、真剣に考え(特に、日本政府は)、どうしたら、お互いに平和になるかを考えていくべきだ」
 さおりさんが、前日から母親のラインズ和子さんの騒ぎを見聞きし、当日の朝は、『正論』にあるようなことを言われていた事など、当然ながら原告・増田は全然、知りません。この『正論』を読んで、このような事をラインズさおりさんが、その母親から言われていた事を初めて知った原告・増田は、彼女への痛ましさとともに、にもかかわらず、これだけ冷静に、立派な意見が書けたことに感心するほかありませんでした。このような立派な、冷静な対応をできるだけの判断力を持っていた、この子ども・さおりさんが、その母親によって『権利として社会科授業のみボイコット』を言われ、それを『自己決定権』として実行し、『学習権=真実を知り、成長していく権利』を、自ら『ボイコット=放棄』し、3ヶ月間、この不毛の選択を続けた結果、登校拒否に陥っていったことに、限りない痛ましさを感じざるをえません。前述ラインズ和子さん本人尋問速記録において、彼女は、このさおりさんの意見について「さすがに子どもは公正に見ているもの」と述べましたが、本当に、母親の干渉・介入が無かった時、子ども・さおりさんは『さすがに公正に見ている』ことができていたのです。
 ところが、前記産経新聞では、この授業のときのことを、さおりさんは「頭の中が真っ白という感じでした。怒りと恐ろしさが入り交じった状態で言葉が出ませんでした」と、書いています。ラインズ和子さんによれば、この7月17日の授業についての手記は、さおりさんが、5ヶ月後の12月17日に書いたとのことです。この立派な意見は「頭の中が真っ白で・・・言葉が出せません」時に書けるものではありません。これは7月17日には、さおりさんは、その母親の影響力にもかかわらず、まだ立派な冷静な『公正な』判断力を持っていたことを証明しています。
 ところで、校長は、またもやラインズ和子さんにも虚偽を述べたようです。『正論』によると「学校では即座にM教諭に『学校で配るプリントの責任は学校長にある。今後、配るプリントはすべて管理職の目を通してからでなければならない』と指導し、まだ配られてないクラスに配るのをやめるよう伝えたそうですが、M教諭はそれも無視して」となっています。
 校長が、プリントを「まだ配られてないクラスに配るのをやめるように伝えた」という事実は、全くありません。『区教委報告書』においても、さすがに、これは書き込んでいません。『校長が、プリントを「まだ配られてないクラスに配るのをやめるように伝えた」』という事実は、全くないからです。ところで、『掲示板』によっても「まだ配られてないクラスに配るのをやめるように伝えた」という記載はないのですから、ラインズ和子さんは、もし、自分が『正論』に『書いた』ことは「事実」である、というなら、その『掲示板』への『手紙』において、『訂正』を申し込むべきなのですが、彼女は全くそれをしていません。

 以上から、被告・土屋主張の、「(プリントを)校長先生が配らないように制止したのに、それを振り切って(原告は配った)」などという7月1日、北千住駅頭街頭宣伝が、全くの虚偽事実であること、即ち公衆の面前で、彼が虚言を弄したことも、また明らかでしょう。