Home ■誰が、ラインズさおりを『不登校』『転校』『中退』に追い詰めたのか?


(3)ラインズ和子さんが、子どものさおりさんに『権利とし増田の社会科授業のみボイコット』させたのであり、さおりさんの『不登校』の主因は、母親であるラインズ和子さんの勧めによる、さおりさんの『権利』行使と、ラインズ和子さんに同調して、さおりさんの『権利』行使を肯定した校長・教委にあり、これを原告・増田のせいにする被告・土屋らの言動は虚偽事実に基づく誹謗中傷活動であること
@8月8日(金)、校長室で、ラインズ和子さんは原告・土屋、及び校長に「子どもは教師を選ぶ権利があるから社会科の授業は受けさせない」と宣言しました。それに対して、校長は何も述べませんでした。

A8月29日(金)、校長が『職務命令』としてラインズ和子さんに「謝罪を」と、謝罪を強要しましたが、原告・増田には、未だ、なぜ、良識・識見・教養があるはずの校長・教頭が、ラインズ和子さんのような教育に関し責任を全く持たない保護者の教育内容・授業方法への干渉・介入に同調するのか、なぜ、「この親」というだけで、『誰にも』即ち、『生徒・保護者のすべてに』それがラインズ和子さんだと特定できるのか、真相が分からないのに、このような理不尽に屈する謂れはなく、拒否しました。さすがに、校長は、この時は、「職務命令だ。謝罪しろ」と明言したのに、原告・増田への処分を要請した『区教委報告書』には、このラインズ和子さんへの『謝罪』の強要・強制拒否を『職務命令違反』とは書き込めませんでした。

B8月31日(日)、ラインズ和子さんが学年主任と担任に、子どものさおりさんの『社会科授業のみボイコット』を宣言していましたが、原告・増田は、全く与り知らないことでした。

C9月1日(月)、私は、ラインズさおりさんの担任から、「ラインズさんは社会科の授業だけ受けないそうです」と通告されました。

@、B、Cの結果、ラインズさおりさんは、担任からの通告通り9月2日から、原告・増田の社会科の授業のときだけ、原告・増田が教室に着く前に、週4時間その教室を一人出ていて、姿は見えませんでした。

D9月3日(水)、校長は、ラインズ和子さんが私を提訴するにあたり弁護士が8日に来校することを区教委指導室に伝え、指示を受けていました(『教頭メモ』)が、もちろん原告・増田には素知らぬ振りをしていました。

E9月8日(月)、ラインズ和子さんの弁護士が来校し、校長は『最大限の協力』を約束していました(『教頭メモ』)が、もちろん原告・増田には素知らぬ振りをしていました。

F10月13日(月)、ラインズ和子さんが原告・増田を『名誉毀損』で東京地裁に提訴。

G11月28日(金)、ラインズ和子さんが来校し、自分の娘には『権利として社会科授業のみボイコット』させながら、校長に「増田の授業の『紙上討論』の生徒名は、イニシャルでやらせろ」と要求していました。即ち、他の生徒の授業にまで干渉・介入を行ったのです。校長は、彼女の要求を易易諾々と受け入れ、そのまま原告に要求しました(『教頭メモ』)。校長は原告・増田には「保護者から手紙が来て『実名を載せてくれるな』ということだから」と述べていました。

H12月11日(木)、ラインズさおりさんが不登校になりました。

 ラインズ和子さんは『正論』に「M教諭からこの間、一言のケアも謝罪もなく、傷ついた娘は不信感、恐怖感を一層募らせていきました」と書いています。しかしラインズ和子さんは、母親として『権利として社会科授業のみボイコット』を自分の子ども・さおりさんにさせながら、『自己決定権』を行使した結果は自分が負わなくてはならない、ということの覚悟も、母親として、させることをしなかったのです。あくまでも、親の自分のエゴイスティックな授業干渉が通らず、母親の彼女の騒ぎの結果、他の子ども達が巻き込まれたために、原告・増田が授業で、その経緯について説明・批判したことを逆恨みして、自分の子ども・さおりさんを武器として『社会科の授業のみボイコット』させて、振り回し、友達関係も破壊(他の子どもたちは、着実に成長し、原告・増田との信頼関係を深めていったのに、心痛むことに彼女の娘さおりさんのみは一人成長から取り残されたのです)し、娘を傷つけながら、それをあくまでも、『増田のせいだ』と、被告・土屋などと結託し、更に騒ぎまわり続けている母親が、ラインズ和子さんです。さおりさんに対しては、誠に「痛ましい」としか言い得ません。
 しかし原告・増田は、母親の言いなりに『社会科授業のみボイコット』を『権利』として実行する、その子ども・さおりさんに、心からの痛ましさを感じながらも『ケア』などする由もありませんでした。なぜなら母親であるラインズ和子さん自身が娘のさおりさんの教科担任である原告・増田に裁判を挑んでいる最中です。しかも、ラインズ和子さんは、新聞、雑誌に一方的に、自分の独善的な見方のみを情報提供し(それをそのまま載せる産経新聞社、『正論』発行雑誌社のジャーナリストとしての無見識は言うまでもありませんが)、さおりさんを晒し者にしたのです。原告・増田がもしこの時『ケア』として、さおりさんに対して何らかのアクションを起そうものなら、直ちにラインズ和子さんの干渉が入ることは火を見るより明らかです。当時、あれ以上に事態を複雑にすることが、さおりさんのためには決してならないことも明らかでしょう。
 しかし何より、原告・増田自身が『薮の中』に置かれており、『事態の真相』の情報をまるで得られず、状況証拠しかなかったのです。この状況の中ではラインズ和子さんが仕掛けた裁判の進行の中で、「事態の真相・・・なぜ『この親』というだけで特定できる生徒・保護者がいるのか」が明らかになるまでは、さおりさんに説明する確固とした情報を原告・増田は持ちませんでした。ラインズ和子さん相手の訴訟が終わって、やっと今、殆ど全ての真相・・・原告・増田に秘密のラインズ和子さんの活動、原告・増田に秘密の校長・教頭の活動、原告・増田に秘密の一部PTAの活動、原告・増田に秘密の足立区教委指導室の活動・・・が明らかになり、ラインズさおりさんの悲劇の真の原因について説明できる情報を得ました。
 『教育』が、教師と子どもとの『直接的な人格的接触』(最高裁学テ判決)である以上、そこに教育に対し責任を持たない第三者の干渉が入るならば、『正常な教育』の下の『成長』は疎外され『歪み』が生じることは火を見るより明らかです。俗にあることですが母親が子どもの躾をしようとしているときに姑が横から口を出すことが、子どもの成長にとってよいことかどうかは常識的に考えても明らかでしょう。ラインズ和子さんが『横から口を出した』のならば、原告・増田は教師として、きちんと説明できたので、さおりさんの悲劇もなかったのですが、ラインズ和子さんは、あくまで教師である原告・増田には秘密のうちに、校長・教頭・教育委員会の力を借りて、教育内容に干渉してきたのです。正当な授業に対するこのような干渉に対して、『教育をつかさどる』(学校教育法第28条)教諭は、相手が誰であれ『不当な支配に服することなく』(教育基本法)、『不当な干渉』(ILO・ユネスコ『教師の地位に関する勧告』)を排さねばばりません。憲法・教育基本法下の教育者の、これは当然の責務です。『教育に対する、第三者による介入・干渉の排除』、『教育に対する不当な支配に服することなく』ということなしに、子どもの人間的成長を保障する『教育』はできません。だからこそ、ラインズ和子さんという母親が、己が子どもに『権利として社会科授業のみボイコット』する道を選択させたことは、さおりさんの人間的成長を歪め、閉ざす道への選択をさせたのでしかなかったのです。
 前記産経記事で、ラインズさおりさんは次のように書いていました。「私が授業を受けていない理由を知らない人は数多くいると思う」と。事実は、そのとおりだったのです。それが事実だったのです。「数多くの人」は、「『この親』とはラインズ和子さんである」と特定など、していなかったのです。「『この親』は私だ、私だ。増田相手に裁判だ」とラインズ和子さんが騒ぎまわったその後12月でさえ、さおりさんの周囲の『数多く』の人は特定などしていず、『(彼女の娘である)私が授業を受けていない理由を知らない人は数多くい』たのでした。ラインズ和子さんが言うように、あの教材プリントで、直ちに「『十六中関係者』の誰にも『この親』はラインズ和子さん」と特定できていたのが事実だったなら、さおりさんが『授業を受けていない理由』を『数多くの人』は、知っていたでしょう。そして、彼女の子ども・さおりさんに同情し、原告・増田に一斉に非難の目を向け、さおりさんは傷つかなくてすんでいたでしょう。しかし、それは事実ではなかったのです。あれだけラインズ和子さんが、「『この親』は私だ、私だ、裁判だ」と騒ぎまわった後でさえ、『数多くの人』は『この親』がラインズ和子さんとは知らず、従って、さおりさんが社会科の授業のみ『受けていない理由』を知らなかったのです。他の子どもたちは、きちんと原告・増田の社会科の授業を受けて、ぐんぐん成長していったのに、さおりさん一人、『ボイコット』を自己決定権として行使したことによって『学習権放棄』、即ち『自己を人間として成長させる権利』を放棄して(実際は、その母親・ラインズ和子さんによって放棄させられ)、友達関係も壊れていき、深く傷ついていったのです。この上なく、痛ましい限りです。一つの選択を自己決定し、その結果が思わしくなかった時は、その「選択」が誤っていたのであり、そこまでターンして、やり直すことが必要ですが、さおりさんに、その機会は与えられませんでした。痛ましい、と言う以外、ありません。
 それにもかかわらず、ラインズ和子さんは、「増田のせいだ」と、さおりさんに教え続けるのですから、彼女の、自分の子どもに対する行為は、これこそ何重にも犯罪的ではないのでしょうか。自らの子ども・さおりさんの首を絞めながら「うちの子、可哀相よ、可哀相よ。これは増田のせいなのよ」と、いつまでも、いつまでも言い続けるのです。人生に都合の悪いことは「すべて、これは増田のせいなのよ」と、いつまでもいつまでも、その子ども・さおりさんに言い続けるのです。そして更に「『泣く子と地頭』には、みんな負けるからね」とばかりに、『地頭=権力を持つもの』と結び、産経新聞(『正論』)、被告・土屋等と結び、いつまでも、いつまでも我が子・さおりさんの首を絞め続け『泣』かせ続けているのです。これこそ、母親による過干渉、『ソフトな虐待』の典型的サンプルでしょう。正に我意の強すぎる母親が、我が子を飲み込み、母子分離をいつまでもさせず、その結果の理不尽さを原告のせいにし続けているのであり、これでは、この子の、人間的成長が極めて難しくなることは、有能なカウンセラーなら直ぐ見抜けるはずです。
 ラインズ和子さんが、真に、己が子を愛している、と言うのなら、その手を放し、さおりさんを解放すべきなのです。またラインズ和子さんが子ども・さおりさんの首を絞める手に、その手を重ね、さおりさんの不幸をさらに強化している被告・土屋等は、自分たちがしていることの意味に、もはや気付くべき時なのです。
 『問題』がある時、その原因に対して正しく正対しなければ、その克服の道はありません。誤った原因説からは、正しい処方箋、正しい解決法が生み出されるはずありません。先ず、ラインズ和子さんは、自分が『正当な授業』への『不当な干渉』を行って『事件』を起した事実を認識すべきなのです。自分こそが、『沖縄米軍基地の事実』を教えたごく正当な社会科授業を、『反米教育、思想教育、行き過ぎ、アメリカを糾弾する内容の学習』などと一方的、独善的に断定し、足立区教委指導室、校長、教頭の圧力を利用して、教育内容・方法に『不当な干渉』を行い、『事件』を起したのであること、自分こそが一方的に産経新聞、『正論』に情報提供し、さおりさんを晒し者にしたのであることを、ラインズ和子さんは自覚すべき時です。
 結局、ラインズ和子さんは、我が子・さおりさんのみならず、子どもたちの『学習権』=『真実を知り、成長していく権利』を侵害しようとし、現に我が子・さおりさんの学習権を侵害したのです。彼女は、その事実をもう認識すべき時です。彼女は訴状にも『正論』にも「ただ教委の見解を聞いただけ」という虚偽の文章を発表していた、という事実を認識すべきです。ラインズ和子さんは、それに失敗したことを逆恨みして、我が子を武器にして振り回し、別人格である我が子に『権利として社会科授業のみボイコット』させ、我が子の『学習権』を奪い、我が子を不登校、転校に追い詰めていった事実を認識すべき時です。

 しかし、ラインズ和子さんが、自分の子どもの首を絞める、その手の上に、更に手を重ねるという、教育者にはあるまじき『反教育的行為』を行った足立区教委指導室、足立十六中校長・教頭の責任は、もっと大きいと言わなくてはなりません。産経新聞によると「同中の元井保校長は『学校として生徒には最大限、努力したつもりではあったが、こんな結果になって本当に残念だ』と話している」とありますが、厚顔無恥も極まれり、というべきではないでしょうか。足立区教委指導室も、この校長も、教頭も、沖縄米軍基地による人権侵害の事実を教え、考えさせることを『反米攻撃のすさまじさに震える』という感覚を持つ一母親に、即座に同調するくらい、沖縄米軍基地による沖縄県民の日常的な人権侵害について認識できないほど『人権感覚』が希薄でありました。彼らは、敗戦後、今日まで半世紀以上も米軍基地の重圧を沖縄県民に押し付けていることに、痛みを感じない本土人達であったのです。ラインズさおりさんの悲劇は、ここに、根本原因があります。更に足立十六中校長の『ウソにウソを重ねる保身体質』と、真の『教育者』なら、教育に対する外部からの干渉を、絶対に許すものではない、という姿勢の欠落、子どもの『教育』にとって真に大切なものは何か、ということに対する無理解は、決定的でした。
 しかし、このような通常は考えられない、『教育者』にはあるまじき、足立区教委・校長・教頭による、ラインズ和子さんという一母親への同調の、更に深い原因は、原告の社会科教員として当たり前の憲法擁護教育・民主教育・平和教育によって、前任校の足立十二中の生徒の一部が、97年3月卒業式の『国歌斉唱』時に不起立したことから、教委・校長等が、このような、生徒たちに憲法を血肉化させる原告の教育つぶしを図っていた、ことです。
 ラインズさおりさんの悲劇は、直接的原因は、その母親の過干渉、『ソフトな虐待』及び、校長の『教育者』としての資質の欠落を確信させるに足る対応にあります。しかし、より深い根本的原因は、日本も『アメリカが起こす戦争への参加』が実行できるように、日本国憲法・教育基本法の改悪、即ち憲法教育・民主教育・平和教育を狙う、現在の政治権力=教育行政による憲法教育・平和教育・民主教育つぶし、その担い手の教師つぶしにあるのです。
ラインズさおりさんを追い詰めた者達・・・その母親、その母親に同調・迎合した校長、足立区教委指導室こそは、先ず第一にラインズさおりさんに、その罪を謝すべきなのです。被告・土屋のように、事実に対して無知である者が、その上に事実を歪め、捏造し、ラインズさおりさんの不幸の原因を、原告・増田のプリントのみにあるとして、原告・増田に対し『子どもを不登校、転校、高校中退させた人権侵害教師』などと、名誉毀損する誹謗中傷活動を公然と行っている限り、さらにさおりさんは首を絞め続けられることになり、ラインズ和子さんとさおりさんの母子分離は有り得ず、さおりさんの一個の人間としての自立した成長は難しいでしょう。即ち、被告は、嬉々として、ラインズさおりさんの不幸にさらに手を重ねていることを自覚すべき時なのです。