第5回 『日本の産業革命と近代文化』感想 07/11/19

●A 豊田義信さんからの感想
●B 高橋友美さんからの感想
●C 参加者の感想から(一部)

 我孫子平和ネット・スタッフの高橋さんが、すばらしい感想意見をメールしてくださいました。3回に分けて送信されましたので、私がそれをまとめましたものを添付します。長いのですが、本当に良く考えられていますので、時間がありましたら、お読みください。


増田都子先生の社会科授業「近現代史の真実を知ろう」1〜5回
●明治時代を学んでの感想と意見 (1)

1.国民意識の注入
 5回の授業を通じて明治時代とは何だったんだろうと考えていましたが、近代的な中央集権国家の荒っぽい生成過程と理解しました。
これを庶民の側から言えば、わけもわからぬままひたすら国民意識を注入されて、国民の鋳型にはめ込まれていった時代といえそうです。

教育の義務を課した「学制」はもちろんのこと、軍隊もまた一種の教育機関であり、「徴兵制」が洋服洋食共通語等々の均質化を促進したことを、吉田裕氏が「日本の軍隊」(岩波新書)で指摘しています。
確かにわらじしか履いたことがなければ軍靴で靴擦れもできるだろうし、軍服(というか洋服)の着方から始まるんじゃ、初期の軍隊ってさぞかしてんやわんやだったろうとある意味笑えましたが、粒を揃える必要を感じていたのはあくまで軍隊であり、あるいは産業界であり、国家の支配者であったと思うのです(その具体的な顔と名前を見れば全てが渾然一体のものだと思いますが)。

その中でもお前らは「国民」であり、「国家のおかげ」で生きていられるのだという意識を漏れなく注入することが、国家の支配者である彼らにとって急務だったのだと思います。
戦前はそれが「臣民」であり「天子さまのおかげ」であったわけですが、それって国家という抽象概念をわかりやすく植えつけるための名策だったのでは?とそんなことをふと思いました。

2.「君死にたまうことなかれ」に思うこと
 こんなことを考えたのは、授業で紹介された「君死にたまふことなかれ」を読んでからです。この詩のクライマックスは3連目の「すめらみことは、戦ひに おほみづからはいでまさね、かたみに人の血を流し、獣の道に死ねよとは、死ぬるを 人のほまれとは…」あたりかと思うのですが、私は2連目の「旅順の城はほろぶとも、ほろびずとても、何事ぞ」のフレーズがやけに好きで、胸がスカッとするような小気味よい快感を覚えるのです。
なぜだろうと考えていて、戦に勝とうが負けようが国がどうこうしようが私の知ったこっちゃないよ…というこの感じが好きなのだと思い当たりました。
晶子は女性すなわち二流国民として国家の縁辺にあり、因習を超えて激情にも生きた人であったからこそ、こんなセリフが吐けたのではないでしょうか。

そして上記フレーズを「君は知らじな、あきびとの、家のおきてに なかりけり」と受けているところに、私としては作者の緻密な計算を感じてしまうのです。
国家に対峙するに個を持ち出したらさすがにヤバすぎるので、家にことよせて女の私は家のことより他は存じませんと逃げたのかなと…まあ深読みしすぎかもしれませんが。その晶子にして後に戦意高揚的な作品を作ったことについては、国家の威力を思い知るというか、ため息が出る思いです。そもそも国民の大半は戦勝の報せに提灯行列をなして酔いしれ、国家賠償金の多寡に不平をならしたわけだから、国民意識の注入はまんまと大成功というべきでしょう。
(なおこの作品を(元?)扶桑社の「新しい歴史教科書」が賞揚していることには仰天させられますが、何をどうととでもこじつけてしまう同書の体質を表しているのかもしれませんね。)

3.ひるがえって…
 現代に生きる私たちも、(右派左派を問わずに)国民意識の虜であることに変りがないような気がします。国家財政という錦の御旗を持ち出せば、郵貯という何百兆円の資産を私(わたくし)させることさえ世論の多数に持ち込むことができるのですから。財政破綻させたのは俺じゃねえ、そんなこと知ったことか…とあっけらかんと言い放つ無知蒙昧の輩をとんと見かけなくなりました。もしもマイクを向けられれば、賛成も反対もとりあえず国民の立場で良識的な発言をしてしまう私たち。
その時点ですでに国家、正確にいえば国家を騙る権力者の術中に一歩はまっているのかも…と思わないでもありません。

均質化という意味では、この国の津々浦々から世界の都市にまたがる驚くべき均質化が進が進行しました。同じ間取りの家に住み、あてがいぶちの工業製品にかこまれて、季節も土地柄も関係なしの加工食品を食べ、地上を瞬時にかけまわる媒体に目を奪われていたら、自ずと思考も均質化してくることでしょう。
私たちは間違いなく明治時代の兵隊より各段に扱いやすい国民に仕立てあがっていると思うのです。準備は万端、さて何が起こされようとしているのだろうか?ともかくも危険水域にますます近づきつつあるとの思いを深くするものです。

なお余談ながら、「君死にたまふことなかれ」の暗唱につき増田先生から過分のお褒めをいただき赤面の思いでしたが、私は演劇の素養などかけらも持ち合わせず、素人であることに居直って(プロなら当然計算するはずの抑制もなく)、感じたことを感じたまま好き放題に語っていますので、お聞き苦しく思われた方もおられると思います。本当に失礼をいたしました。

●明治時代を学んでの感想と意見 (2)

1.学校教育の出発点と本質
 学制の公布が当初国民(=農民)にとっては迷惑千万な押し付けでしかなかったことを学んで、学校教育の本質と限界はここにあると感じました。公教育はあくまでもお上の要請を担う国家の人材養成機関であり、民衆の必要とはむしろ乖離していたということです。
今私たちは相当の疑念を抱きつつも、教育に期待すればこその議論をくりかえしていますが、教育が個を豊かにする可能性を認めつつ、どこかに醒めた目を持ち、公教育の限界性を認識することが必要だと思いました。

2.「学問のすすめ」と仕組まれた競争社会
 ところで一家の働き手を奪われたうえに学費負担も強いられるとして低迷していた就学率が、明治半ばを境に急上昇していくことを授業で知りました。その理由を当時のベストセラー「学問のすすめ」が解き明かしているようです。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり。…されど今広く此人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、其有様雲と泥の相違あるに似たるは何ぞや。其次第甚だ明らかなり。…賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由りて出来るものなり。又世の中にむづかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。其むづかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人と云ふ。すべて心を用ひ心配する仕事はむづかしくして、手足を用いる力役はやすし。故に医者、学者、政府の役人、又は大なる商売をする町人、あまたの奉公人を使う大百姓などは、身分重くして尊き者と云ふべし。…人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。唯学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。」

福沢諭吉という人は「脱亜論」も含めて明治の精神を極めて率直に語ってくれるので思わず長文を引用してしまいましたが、勉強したやつはえらくなる、しなけりゃっ…て、あまりにもわかりやすい説明ですね。わかりやすすぎる…。

事実小熊英二氏は「日本という国」(理論社)で、1円50銭でひとり一月の暮らしが成り立つ時代に、小学校教員の初任給が6円、中学校で15円〜30円、校長60円、県令(知事?)250円というほどの「月給」格差が存在し、そもそも月ぎめの給料が貰えること自体多数庶民の羨望の的であったと書いています。
一方授業の資料にみた製糸工女の「年間」平均賃金は43円、そこから相当額の貸し付け金を引かれた挙句の十数円さえも泣いて喜ぶ両親のために、命を削る仕事に耐えた乙女たちがいたのです。
 このような社会状況の中、身分制度のくびきから解き放たれたはいいけれど、自分なりの人生を考える暇さえもなく出世競争へとなだれ込んでいったご先祖たちの姿が見えるような気がします。けれどもこれは仕掛けられた競争だったことを覚えるべきではないでしょうか。権力闘争をいち早く勝ちぬいた明治政府の権力者たちは、そのおこぼれをほんの少々分け与える形で「自由競争」社会へと人々を駆りたてたのです。仕掛けの餌は金、金、金…。餌に群がるがごとき庶民の右往左往にほくそえむ彼らの顔も見えるようです。
ちなみに今日の最高額紙幣に福沢諭吉が描かれているのは、現代もまた弱肉強食競争社会であることの証でしょうか。

3.受験界における「学問のすすめ」と自由主義史観
 ところで現代の某カリスマ予備校講師は、次のように学問のすすめを語っています(もっともこのような言説は受験界の本音で珍しくもなんともないのですが)。受験は我慢暗記大会であるからして、頭の良し悪しは関係なく、ただ我慢暗記ができるか否かにかかるものである。企業だって有名大学の卒業生は頭がいいと思って採っているわけじゃない、企業は我慢して出世するところだから。君たちもこの1年間我慢して栄光を勝ち取ってみないか…。
と見てきたようなことを書いていますが、実はネット上で見たのです。

なぜそんなものを見たかというと、彼の手になる人気沸騰の大学受験日本史参考書を(たぶん生協で買ってあったので)読んでみたら、実に司馬史観や新しい歴史教科書と同じ文脈で語っていて驚いたという次第です。しかもそれは彼の若き日に人生を学んだ英雄たちの物語でもあり、確かに読んで面白く若者にうけるかっこよさがあると感じました。受験生にとっても、受験のために必死で学んだ予備校の授業は、悪いけど学校の授業どころではないインパクトがあるに違いありません。彼に学んで栄光の門をくぐった若者は延べ何千何万人ほどになるのでしょうか。

これは意外な盲点というべきですね。
公教育にいくら潔癖を求めたところで、それに付随する受験産業の中に思わぬ伏兵が潜んでいるのならば、その意味でも学校に対する過度の期待を廃し、自分たちの必要に応じて学ぶことを考えるべきではないかと思うものです。
増田先生の戦いの意義を認めて支援すると同時に、自分は何のために何を学びたいのかを自問したいと思います。
●増田より
ひとつお願いです。「闘い」と筆記していただけないでしょうか? 増田の「たたかい」は武器を持たぬ「非暴力」の「たたかい」ですので!? もっとも、漢字の元々の「戦」の意味って、「イクサを止める」って意味で平和にすることなのだ、と最近、中国人女性と結婚した友人から聞きました。だって、彼女の名前、「戦」さんなんです。そうすると「戦い」でもいいような気もするのですが、ここは日本ですので、郷に入っては郷に従って!?

●明治時代を学んでの感想と意見 (3)
「戦う」と「闘う」…確かに戦の字の右側は戈(ほこ)という字だから、武器をもって戦うことを意味しているのでしょう。それに較べて闘の方は素手で(実力で)取っ組み合っている感じがします。感想と意見(2)の末尾を「増田先生の闘いの意義を認めて…」と修整します。

1.エンパワーメントさせる授業
 私にとって増田先生の授業の最大の魅力は、自分の力に気づかされて元気が出てくること、はやり?の言葉でいえばエンパワーメントという点にあります。
 明治を境に支配者層の大幅入れ替えがあり、封建制身分社会の墨守から立身出世金儲け自由競争へと、支配の巧妙化が進んで今日に至りました。彼らが民衆を煽るのは、馬車馬のようにわき目もふらず走らせること、下見て優越感上見て劣等感を持たせること、そうやって分断することが支配のツボだからでしょう。
権力(=金力)を志向させれば、いやがおうにもその頂点に立つ自分たちの権威が高まり、支配構造を維持しやすいからでしょう。

彼らの罠から脱け出さなければなりません。私たちが持てる内なる力、「権力」でも「暴力」でも「支配する力」でもない、人生を生き生きと生きていく力を再発見しなければなりません。まさにエンパワーメント。本来ならそのためにこそ学びの場が役立つべきではないのでしょうか(偏差値ラベルを貼って分断支配に与するのではなしに)。

だから私は、学校をよくするための努力と同等以上の情熱をもって、自分の住む街に自分たちの学びの場を作っていきたいと願います。学び合い、語り合い、助け合える関係を広げていきたいと願います。増田都子先生の社会科授業「近現代史の真実を知ろう」は、まさにそのはじめの一歩だと思っています。

2.私の場合
 そこには確かに、権力のおこぼれにあずかるための勉強とは異質の学びあります。例えば自由民権運動では板垣退助らだけではなく、これに呼応して国会開設を求めた請願署名や結社の数を、千葉県を例として学びました。3万2千筆と全国2位を誇ったその数字を見ていると、不平士族や豪農にとどまらない運動の広がりが伺われ、数百年来封建社会の中にあった人々が急速に目覚めていく覚醒の息吹を、私は確かに感じることができました。

社会と人間への問いを抱いて村々の家に集い、頬を紅潮させて必死に学んだろう当時の人々。誰が系統立てて教えてくれるわけでもない困難な学びの中で自由平等概念を獲得し、数々の憲法草案にまで結実させた名もなき人々。請願権をはるかに超える抵抗権や革命権まで謳った(植木枝盛憲法案の)その驚くべき革新性。初めて読む若き自由党員たち(その齢20歳、22歳、24歳、刑死者もあり)の演説や檄文。

そして増田先生は、そのような彼らの自主的な学びに連なるものとして、私たちのこの学習会もあると言われたのです。その言葉を聞いたとき、私だって(気持ちだけでも)はるかな抵抗者の隊列に連なることができるのだということを「発見」しました。よく日本人の誇りとかいうけれど、な〜んだ、誇れる先達を自分で選んで、誰の後継となるかも自分で決めればいいんじゃないかと気づいたのです(もちろん侵略者の末裔であることを否認するものではなく)。これは本当に嬉しかった。最高にエンパワーメントされた授業の瞬間でした。

3.進行する無力化プロセス
 すると今度は、今まで疑問も持たなかったことが、ひどく不思議に思えてきたのです。歴史はなぜ常に為政者を中心として「権力」「暴力」「支配する力」の作用結果として語られるのでしょうか。それが歴史学の常識だとすれば、そもそも統治者の自己正当化から歴史が始まったことの証拠なのではないでしょうか。そういう歴史を学んでいると、民衆は基本的に社会を動かす力をもたない受身の存在、せいぜいが反応し抵抗するのが関の山の脇役なんだと、知らず知らずに刷り込まれるような気がします。こっそりとあるいは強圧的に民衆に無力感を植え込むこと、それこそが支配の策動ではなかったかと思えてなりません。

けれども民衆は本来、自分たちに必要な知恵を自分たちで伝承し、蓄積し続けてきたはずなのです。民衆は決して無力ではなかったし、年貢をとられても根本的な価値観までは蹂躙させないしたたかさを持っていた、と思います。江戸時代から存在した民主的な決定装置としての「寄り合い」は昭和初期にも残っていて、その目撃談を民俗学者宮本常一氏が「忘れられた日本人」(岩波文庫)に書いていますが、その知恵の深さにこうべを垂れる思いです。親が子に伝えたものについては、やはり同氏の「家郷の訓」(岩波文庫)に詳しいけれど、翻って現代の私たちは伝えるべきどんな知恵を持っていると言えるでしょうか。

与謝野晶子が「君は知らじな、あきびとの 家のおきてに なかりけり」と歌ったときも、その「家」はまだ、国家の価値観に侵略され尽くさない民衆の価値観を体現していたように思います(だからこそ「旅順の城はほろぶとも、ほろびずとても、何ごとぞ」と言い切ることができたのだから)。けれども天皇を頂点とする国家の価値体系が、「家」をそっくり飲み込んでしまいました(晶子の変節をこの観点から説明することも可能でしょう)。
それだけではない、あらゆるてだてで民衆の心までもとことん収奪しはじめたのが明治政府の支配者たちであったと思います。

それでもなお戦前までの地方には、宮本氏の観察にあるような民衆の暮らしと知恵が残っていたのです。それが徹底破壊されたのが戦後の高度経済成長以降。21世紀初頭の今日は、民衆無力化の策動も総仕上げ段階に到達したといえるのではないでしょうか。かつて村を歩けば家ごとに様々な物音が聞こえたのに、今では同じラジオの音しか聞こえないと嘆じた宮本氏が、もしも行く先々にコンビニを発見し、個性化すなわちブランドのチョイスと思い込んでる現代人を見たら、声も出ないのでは?

改めて明治維新とは何だったのでしょうか。近代化とは何だったのでしょうか。

4.無力化に抗する「あたらしい学問」
 ともあれ今日この情けない状況下にある私たちは、やはりエンパワーメントが不可欠でしょう。当たり前だけどそれを助けてくれるのは国家でもなく、学校でもなく、ただ民衆自らの学びと実践の中にだけ可能性が残されていると感じます。けれども庶民がアカデミックな学問をなぞる必要なんてさらさらないはず。奪われた自分たちの力を取り戻すために学ぶのだから、奪った者の正体と彼らが隠していることをこそ知りたいものです。
・疑う余地もないほど自明に思われる枠組そのものを疑ってみること。
・誰がどんなことをしたのかを具体的継続的に追いつめていくこと。

そんな学びの形を広瀬隆氏の「腐食の連鎖 薬害と原発にひそむ人脈」(集英社)に見出しました。「読者に最後に確信していただきたいのは、本書で筆者がこれからくわしく説明する科学そのものではない。科学を超えた、読者自身の人生哲学を発見し、確信していただきたいのである。『むずかしいことを勉強する必要はない。電力会社が大金をばらまいているのを見ただけで、危険だと判断するのに十分だ』という漁民の言葉は、まったく正鵠を射た、人間のするどい眼力から生まれた哲学だ。」
そんな素敵な人々が今も全国の闘いの現場にいっぱいいて、広瀬氏は何よりも多くをそこで学んできたということです。

「これからの本当の勉強はねえ テニスをしながら商売の先生から 義理で教わることでないんだ きみのようにさ 吹雪やわずかの仕事のひまで 泣きながら からだに刻んでいく勉強が まもなくぐんぐん強い芽を噴いて どこまでのびるかわからない それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ」(宮沢賢治「あすこの田はねえ」)
 5回分の授業で溜めこんだものを書いたのでとても長くなってしまいました。まだまだまとめきれないこともいっぱいあります。覚えることを強制されない授業は、様々な疑問をもったりあれこれ考えたり自分で調べたりすることができて、とても楽しいです。
私からの「あたらしい学問」のすすめです。


●今後の予定●
第6回 11月25日(日)14時〜湖北台近隣センター、「第一次世界大戦と日本」
第7回 12月15日(土)14時〜我孫子栄光教会、「民族独立運動と大正デモクラシー」

皆様ぜひ、いらして下さい。

増田都子先生の社会科授業 「近現代史の真実を知ろう」
全15回シリーズ(一ヶ月1回)

対 象:中高生〜大人まで
参加費:500円(中高生無料)
主 催:あびこ平和ネット