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アジア・太平洋戦争の戦争責任を考える
ビデオ我が闘争(ヒトラーとアウシュビッツ)」
「侵略(日本軍はアジアで何をしたか)」を見て考える

旧2年C組
ヒトラーのやったことは、とても人間がやったこととは思えないが、学校に何度も落ちていたなんて、少しは人間らしいと思った。それからヒゲの形が個性的。
 日本軍が起こした南京事件は、異常なほど悲しいことだと思った。中国の人に反日感情が残っている理由も分かった。・・・でも、そろそろ仲良くしようよ。
 あの日本の戦争の責任は、天皇と軍部にあると思う。なんで、戦後の裁判で天皇が裁かれなかったのか不思議だ。
日本軍のやったことについては、気持ち悪い・・・としか言えない。こんなのやった日本人がイヤだ。まぁ、昔のことだし・・・過ぎたことはしかたないから、ちゃんと中国とかの人に謝ってほしいと思った。
ヒトラーの言っていることは、よく分からなかったけど、演説のしかたが上手く、みんながだまされるのも分かるなぁ〜、と思った。人がゴロゴロ死んでて、とても恐かった。
アドルフ・ヒトラーのみを「悪し」という考えは、どうかと思う。つまり、なぜヒトラーが実権を握れたか、ということだと思う。つまり、ヒトラーとドイツ国民には、つながる部分があったから、アドルフ・ヒトラーの演説がドイツ国民に認められたのだと思う。この原因は第一次世界大戦、世界恐慌によって、ドイツ経済のインフレがひどくなり国民生活が非常に苦しくなったからだと思う。そして、さらにその原因は、ベルサイユ条約で、ドイツが英・仏に巨額の賠償金を取られたからだと考える。これらのことがなければア「ベルサイユ条約の破棄」をとなえたアドルフ・ヒトラーは、頭角を現せなかっただろうし、ナチスの躍進もなかっただろう。
 そして、そうなっていれば、日本は米と開戦はしなかっただろう。つまり第二次世界大戦、アジア太平洋戦争の戦争責任は連合国の主要国にあると自分は考えている。つまり、現在も日独伊の同盟国を悪くしか言えない連合国こそが、この第二次大戦において日独に大量殺人をさせた原因を作った責任があると、自分は考え続けている。でも、開戦の責任は日本にないと思うけど、戦争の内容は日本に責任があるとは思うけど。
 今の日本の歴史教科書は、東条らの日本の軍人etc.を悪者にするが、なぜ、自分が考えるようま欧米の悪事を書かないのか。たとえば、パレスチィナ問題の原因も、もとはと言えば、独立したかったパレスチィナのアラブ人にも、イスラエルを作りたかったユダヤ人にも、それぞれは内緒に同じ土地を与えると約束した英外相であるし、独裁者としてはアドルフ・ヒトラー、ムッソリーニを書くが、なぜ、スターリンやスペインの独裁者フランコ将軍のことを、ちゃんと教えないのか? と自分は考える。現代についても、ルーマニアに独裁者がいた、ということを教えない。チェチェン独立のときについてもそうだ。
ここまで書いてきた中で、一番言いたかったのは、日本では、国(政府・文部科学省)が子どもに対して、戦前の「軍事国家・大日本帝国」であったときのことを隠し、都合の悪いことを教えていないと考えられる、ということだ。国会では「子どもによる犯罪」がどうのこうの、とか言っているが、自国の過去の都合の悪いことは、教えないから、子どもも「罪の意識」が薄れるのではないのだろうか? 確かに、本当のことを教えるには、まだ早すぎる年齢だと思う。しかし「子どもによる犯罪」は、中卒で遊びほうけている、一部の「社会のクズ」と言える子どもたちによって行われている。一つ言っておくが、自分は「中卒は、みんなオカシイ」とは思っていない。がんばって働いている人もいることを認めているから、誤解しないでほしい。
 要するに、中学で道徳などとともに、「過去の戦争犯罪」についても、教えていくべきだと考える。誰か、こんな日本の国を変える人が現代の日本に必要だと思う。


先生から
 「戦争責任」について、前半部と後半部の論点が違うような気がしますが、学校教育について現代のドイツを紹介すると、日本とは違い、非常にたくさんの時間を当てて、「ナチスの戦争犯罪」の問題を子どもたちに考えさせています。インターネットである掲示板を見ていたら、高校の先生から、以下のような書き込みが有りました。
 ドイツでは、どこの学校でも先の大戦における自国の過ちと加害性を、学校で徹底的に教えますが、中3ぐらいの段階では、第2次世界大戦でのことだけで、一冊の厚い教科書があり、さらにそれ以上の厚さのある残虐な加害行為の写真集まで副教材に使い、丸一年間をかけて徹底的に自国の過ちと加害の歴史を教えます。これはほんの一端にしか過ぎず、自国の罪を暴く多くの博物館等の建設・徹底した被害者の探求と補償、こうしたきわめて道徳性の高い政策を戦後一貫して行い続けることによって、周辺諸国から高い信頼と尊敬を勝ち得、ユーロの指導的立場を任されるに至っているわけです。

今年の3月1日のノ・ムヒョン演説全文も紹介しておきます。
 尊敬する国民の皆さん、独立有功者と内外貴賓の皆さん。
 86周年3.1節記念式を、ここ柳寛順(ユ・ガンスン)記念館において持つことになったことをうれしく思います。あの日の感動が、より生々しく感じられるようです。3.1運動は、まさに誇らしい歴史であります。人間の自由と平等、国の自主と独立の権利を闡明(せんめい)した3.1精神は、今も人類社会と国際秩序の普遍的な原理として尊重されています。また、上海臨時政府から今日の参与政府に至る大韓民国の正当性の根となりました。
 このような3.1運動の偉大な精神を受け継ぎ、二度と再び100年前のような過ちを繰り返さないことが、愛国先烈に対する道理であり、3.1節に思い起こす私たちの誓いであります。国のために犠牲となり、民主主義と繁栄の礎石を据えてくださった愛国先烈の皆さんに頭をたれて敬意を表します。独立有功者と家族の皆さんに深い尊敬と感謝の言葉を贈ります。 国民の皆さん。 私は去る日曜日、独立記念館を訪れました。旧韓国末期に開化を取り巻き、意見の差が論争を超えて分裂に至り、ついには指導者たちが国と国民を裏切った歴史を見ながら、今日、私たちが何をすべきかを深く考えてみました。併せて、わが国土で日本と清国、ロシアが戦争をおこなった状況の中で、力無き私たちがどちらかの側に立ったとしても、何が変わったのかを考え、国力の意味を再び思い起こしてみました。そして、今日の大韓民国が本当に誇らしく思われました。もう私たちは、100年前列強の狭間で何ら変数にもなれなかった、そんな国ではありません。世界に遜色の無い民主主義と経済発展を成し、自らが守り得る豊かな力を持っています。東北アジアの均衡者としての役割を担うことのできる国防力を育てています。先烈の皆さんも今、私たちの姿に感心されていることでしょう。国民の皆さん。
 今年は韓国と日本の国交正常化40周年となる特別な年であります。一方では、韓日協定文書が公開され、未だ解決されていない過去問題が蘇り、また違った難しさが提起されています。この間、韓日関係は法的にも政治的にも相当な進展を成してきました。95年に村山日本総理は、《痛切な反省と謝罪》をおこなったし、98年には金大中大統領と小渕総理が新韓日関係パートナーシップを宣言しました。2003年には私と小泉総理が、《平和と繁栄の東北アジア時代のための共同声明》を発表しました。韓日両国は、東北アジアの未来を共に切り開く共同運命体であります。互いに協力しながら、平和定着と共同繁栄の道を歩まなければ国民の安全と幸福を保障することのできない条件の上に立っています。法的、政治的関係の進展だけでは両国の未来を保障することはできないでしょう。もしそうであるならば、やるべきことをすべてやったとは言うことはできません。それ以上の実質的な和解と協力の努力が必要であります。真実と誠意を持って、両国の国民間を塞いでいる心の障壁を崩し真の隣人として生まれかわらなければなりません。
 フランスは反国家行為をおこなった自国民に対しては、峻厳な審判を下しましたが、ドイツに対しては寛大に手を繋ぎヨーロッパ連合の秩序を創ってきました。昨年シラク大統領は、ノルマンディ上陸作戦60周年記念式に初めてドイツの総理を招待して、《フランス人は貴方を親友として歓迎する》とし、友情を表しました。
 わが国民もフランスのように寛大な隣人として、日本と共になりたいという願いがあります。この間わが政府は、国民の怒りと憎しみを煽らないように節制し、日本との和解協力のために積極的な努力をおこなってきました。実際にわが国民は、よく自制して事理をわきまえ分別を持って対応していると思います。私は、この間の両国関係進展を尊重し、過去史問題を外交的争点として捉えないと公言したことがあります。そして、この考えは今も変わりはありません。過去史問題が提起される度に、交流と協力の関係が再び止まり、両国間で葛藤が高まることが未来のためによくないと思ったからであります。しかし、私たちの一方的な努力だけでは解決できることではありません。両国関係の発展には日本政府と国民の真摯な努力が必要です。過去の真実を糾明し、真心を持って謝罪して、賠償することがあれば賠償し、そして和解しなければなりません。これが、全世界がおこなっている過去史清算の普遍的な方式であります。
 私は、拉致問題に因る日本国民の怒りを充分に理解しています。同じように、日本も立場を代えて考えて見るべきです。強制徴用から日本軍慰安婦問題に至るまで、日帝36年の間に数千、数万倍の苦痛を受けたわが国民の怒りを理解すべきであります。日本の知性に再び呼びかけます。真の自己反省の土台の上で、韓日間の感情的わだかまりを取り除き、傷を癒すことを進んでおこなうべきであります。これこそが、先進国であることを自負する日本の知性らしき姿であります。そうしなければ、過去のくびきから逃れることはできません。いくら経済力があり軍備を強化しても、隣人の信頼を得て国際社会の指導的国家となるには難しいでしょう。ドイツはそうしました。そして、ふさわしい待遇を受けています。彼らは自ら真実を明らかにし、謝罪して補償する道徳的決断を通じてヨーロッパ連合の主役となることができました。尊敬する国民の皆さん。
 韓日協定と被害補償問題に関しては、政府も不足な点があったと思います。国交正常化自体は、やむを得ないことだったと思います。いつまでも国交を断絶しているわけにもいかず、私たちの要求をすべて貫徹できない事情もあったでしょう。しかし、被害者としては国家が国民個々人の請求権を一方的に処分したことを納得するのは難しいと思います。遅くなりましたが、今からでも政府はこの問題を解決することに積極的な努力をするでしょう。国民皆さんの意見を集め、国会と協議して適当な解決策を模索していくでしょう。すでに、総理室に民官共同委員会を構成して、いくつかの法案を検討しており、より包括的な解決のために国民諮問委員会の構成を準備しています。併せて、請求権問題の他にも未だ埋もれている真実を明らかにして、遺骸を奉還することなどを積極的におこなうでしょう。日本も、法的問題以前に人類社会の普遍的倫理、そして隣人間の信頼の問題という認識を持って積極的な姿勢を見せるべきであります。 国民の皆さん。
 3.1運動の精神を思い起こして、先烈たちが夢見た先進韓国の未来に向かい力強く進んでいきましょう。日帝の銃剣に立ち向かい立ち上がった先烈たちの勇気と、すべてを乗り越え一つとなった大同団結の精神が私たちの前途を導いてくれるでしょう。(蔡鴻哲訳)


A組
19
日本軍の『侵略』のビデオを見て。今、自分が住んでいる日本が、南京大虐殺のように罪のない人々をたくさん殺した、という事実を知り、これを見たときは、正直、複雑な気持ちでした。しかし、いけないことはいけないのだ、と思います。きちんと事実を受け入れて、これをきっかけに、このようなことが二度と起こらないようにすることが大切だと思います。
 戦争の責任については、「この人にある」という特定の人物はいないけど、「アメリカにはもう勝てない」と分かった時に、なぜ、日本の指導者たちが戦争をやめなかったのか、私には理解できません。天皇制を守りたかった気持ちも分かるけれど、まずは、国民のことを第一に考えるべきだったと思います。また、国民には、きちんと真実を伝えなければならなかったのではないでしょうか? 真実を述べた上で、国民の意見も聞くべきだったと思います。
B組
17
天皇の戦争責任について言うと、確かに、天皇が「戦争はしない」と言っていれば戦争は起こらなかっただろうけど、軍部がクーデターを起こすのではないかという恐怖心が 天皇にあったことを考えると、しかたないのではないか、と思った。