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「ノ・ムヒョン大統領への手紙(「3・1演説」を読んで)」
「ガンジー」について、
「原爆」について、「戦争責任」について、
「紙上討論」について
旧2年B組(つづき)
10
ノ・ムヒョン大統領演説を読んで。増田先生の授業を受けて、日本が韓国・北朝鮮、中国の方々に、あんなにも残酷でひどいことをしていた、ということを初めて知りました。私は、この事実は率直に受止めて、日本もドイツのように、徹底的に自国の過ちと加害の歴史を学ぶべきだと思いました。今年は「韓国と日本の国交正常化40周年」という節目の年です。これを良い機会に、日本は本当に真心を持って謝罪して、韓国と理解しあえる関係を、そして、隣の国どうし、心から仲良くできるような関係を一刻も早く築けることを願っています。
11ノ・ムヒョン大統領へ。日本が過去に、あなたの国に対して行ってしまったことについては、同じ日本人ながら、とても恥ずかしく思います。歴史を習って、他の様々な国が行った戦争や差別に、とても怒りが込み上げましたが、日本人が中国・朝鮮の方々に行ったことについては、失望してしまいました。「なんで同じ人間同士で戦争をするのでしょう?」「なんで同じ平等な人を差別するのでしょう?」 今も昔も戦争や差別は絶対に行ってはいけないことなのです。今回、歴史を学び、大統領の演説を読んで、日本軍が過去に行ったことを知ることができて本当に良かったです。もし、この事実を知ることがなかったら、そのことを恥じることなく、一生を過ごしてしまうからです。だから、私は、過去の事実を踏まえて中国・朝鮮の方々に、心から謝りたいです。
12ノ・ムヒョン大統領へ。私は、このあいだ、初めて日本が中国・朝鮮の方々にしてしまったことについてのビデオを見ました。正直、とてもショックでした。激しい虐殺行為に対してはもちろんのこと、日本が、そんなことは忘れたかのように中国・韓国・北朝鮮の方々に平気な顔をしていられることにも、心からの謝罪をしていないことにも・・・ノ・ムヒョン大統領にわかっていただきたいことは、私と同じ考えを持つ人が、今の日本にはたくさんいる、ということです。ノ・ムヒョン大統領がおっしゃっていたように、日本もドイツのように、心からの反省をする必要があります。そして二度と同じ過ちを繰り返さないためにも隣の国どうし、助け合い、真の平和を求めていけるようになることを心から願っています。
 旧2年A組10の人の『ガンジーは、ひどい人だ。なぜなら「ガンジー」に賛成している人たちに「非暴力」とかいって、殴られっぱなしにしていたし・・・ガンジーは、意地を張ってるだけだ。一人でやってほしい』という意見に。人には、それぞれ違った意見があっていいから、全部を否定するつもりはありません。でも、外国に支配されている自分の国のために必死に行動している人に対して「意地を張っている」なんて言う資格はないと思います。「一人でやってほしい」とも書いてあるけど、たった一人で大勢の武器を持ったイギリスに立ち向かえると思いますか? おそらく、それでは何も変わらないでしょう。変わらなければ、ずっとインドはイギリスに支配されたままだったのです。ガンディーと一緒に闘った人だって、ガンディーの意見に心から賛成していたから、一緒に「非暴力・不服従」を行ったのだと思います。それだけガンディーは、インドのみんなから愛され、尊敬された人物だったのです。
13ノ・ムヒョン大統領演説を読んで。とてもすばらしい演説文だと思いました。特に「真実と誠意を持って、両国の国民間を塞いでいる心の障壁を崩し真の隣人として生まれかわらなければなりません。」というところが、グッときました。この演説文を読んで、僕は日本人として、韓国との真の友好関係を深めていきたいと思いました。
14前回の紙上討論で「先生から」の中に紹介されていた高校の先生のHPに書き込んであった文を読んで、「ドイツは、すごいな」と思いました。日本のように侵略の事実を隠さず、むしろ、そのことについて細かく教えているなんて、本当にすごいと思います。自分の罪を認めるのは、とても勇気のいることだと思います。日本もドイツのような国になってほしいものです。
 最後に、この一年間、紙上討論をして、いろいろな人の意見を聞いたことによって、自分の世界が広がった気がします。紙上討論は、そんなに嫌いじゃありませんでした。そして、毎回、こんなにたくさんプリントを作ってくれた先生、お疲れさまでした。3年生になっても、よろしく、お願いします。
15ノ・ムヒョン大統領演説を読んで。ノ・ムヒョン大統領が言われるとおり、日本が他国を侵略してしまったことは、ドイツのように潔く認めるべきだと思います。今から、急に、そんなふうにするのはやはり難しいかもしれないと思う。しかし、僕は日本に住んでるし、戦争で日本がしてしまったことを知ってしまったから、本当に両国の信頼関係を回復するためには、心から謝ってほしいです。
 戦争責任についてですが、A組の人は「国民に問題(責任)がある」と言っているが、やはり、そう断定するのは難しいと思う。の人が言うように「誰の責任でもない」とは言えないと思うけど、「昭和天皇が悪い」とか言うのも難しいと思う。なぜかと言うと、国民は「戦争が始まる」ということを全然知らなかったわけだし、昭和天皇は「戦争を始めた」のには責任はあったかもしれないと思うけど、終らせる時は、ひくにひけない状況だったのかな、と思うからです。
16ノ・ムヒョン大統領へ。私は増田先生から、戦争のビデオを見せていただくまでは、日本が中国や韓国にどんなことをしてきたのか、全く知りませんでした。だから、『南京大虐殺』や『第二次世界大戦』などのビデオを見て、正直、とてもショックでした。まさか、日本が、こんなことをしてきたなんて、思いもしなかったからです。
 ノ・ムヒョン大統領のおっしゃることも分かります。当然、日本の侵略による植民地支配の傷を負った側は、現在の日本の拉致問題で言われている数に比べると、何十倍も苦しんで生きてきたと思います。しかし、その人たちの気持ちも分かりますが、その過去は、1965年の国交正常化の時に、「経済支援をするかわりに、もう、過去のことは言わない」という条件で支援をした、と新聞に書いてありました。なので、私は、過去は全部水に流して、韓国や中国と日本とが、助け合い、今より、もっと仲良くなってほしいです。

先生から
 そうですね。ここで、問題の本質を考えやすくするために5人の人物を例にしてみましょう。ここにA,B,CそしてE,Uという5人の人物がいたとします。Aは、Bという腕力の強い隣人から、いわれなき暴力を振るわれ、財産を奪われ、抵抗すればさらなる暴力を振るわれ、心も体もボロボロに傷つきました。そこに、Bよりさらに腕力の強いCが現れてBを暴力で屈服させ、Bは死刑になりました。CはBの子どもに謝罪させました。しかし、CはBの子どを子分としたために、Aに、そう高い賠償を請求しないように圧力をかけました。Aは、治療のためにも生活のためにも、泣く泣く、それで我慢をしなければなりませんでした。立ち直るためには、どうしても、Bの子どもから、もらうお金が必要だったのです。それから、60年が経ち、Aの身体的傷は癒え、立派に立ち直りました。でもまだ、何かあると、その、表面的には直っているはずの傷がズキズキと痛むことがあります。Bの子どもは、真面目に働いたことと、その後、Aの家や他の家が火事になったことで、その消火や後の復興に必要な品物がどんどん売れるというようなことが重なり、Aよりも、さらに経済的にも豊かです。そしてBの子どもは、自分の家の子どもたちには言っています。「Aには『痛切な謝罪と反省』なんて言っといたけどね、本当はBは、ちっとも悪くなかったんだよ。それどころか、Bが進む路にAがグータラ寝てたから、Aを蹴飛ばして目を覚まさせてやったんだよ。そのおかげでAは、今のようになったんだから、Bは正しいことをしたんだよ」と教えています。そして、Aをボコボコにしていた時代に誇らしく掲げた旗、歌った歌を今も使い、その歌を歌わない人たちはBの子どもから殴られる時があります。そしてBの子どもは、Bを神様とする祭壇を庭に作り、今もそれを拝んでいます。Aが、それに対して「やめてほしい」というと「人の家のことに口を出すなよ」と言います。
 ところで、EとUも隣人どうしでした。腕力の強いEはUにいわれなき暴力を振るい、財産を奪い、抵抗すればさらなる暴力を振るい、Uは心も体もボロボロに傷つきました。そこに、Eよりさらに腕力の強いCが現れてEを暴力で屈服させました。Eは自殺しました。そこで、CはEの子どもに謝罪させました。Eの子どもは、Uに心から謝罪し、その家族一人ひとりに賠償金を支払い、Uに、ひざまづいて詫びました。そして、Eがいかに人間として許してはならない罪を犯したか、なぜ、そんな罪を犯すことを止められなかったかについて、その後、何十年も、その子どもたちに教え続け、Eの時代の旗や歌は使わないことにしました。Eを神様として拝もうなんて夢にも考えたことはありません。UはEの子どもたちを心から許し、E家とU家は和解しました。今、彼らは隣同士の境にあった高い壁も取り払い、EU共同の大きな家を建て、仲良く暮らし、共に、より繁栄していこうと協力し合っています。
 さてBの子どもは、Aに「過去は全部水に流して、助け合い、今より、もっと仲良くなっていこうよ」とAに言います。Aは、Bの子どもに「本当に、そうですね。過去は全部水に流して、助け合い、今より、もっと仲良くなっていきましょうね」と言うことができるでしょうか?
 確かに『1965年の国交正常化の時に、「経済支援をするかわりに、もう、過去のことは言わない」という条件で支援をした』のは事実であり、ノ・ムヒョン大統領の3・1演説の中の『法的、政治的関係の進展』という言葉は、そのことを指すと思います。『法的、政治的』には決着はついていることを、もちろん、ノ大統領(韓国政府)も認めているのです。彼は弁護士出身ですから法的問題については誰よりも良く知っています。しかし、ノ大統領は、さらにその先を日本に問い掛けているのではないでしょうか? 「法的、政治的進展だけでは両国の未来を保障することはできないでしょう。」と。「もしそうであるならば、やるべきことをすべてやったとは言うことはできません。それ以上の実質的な和解と協力の努力が必要であります」と。
 Bの子どもは「Bの行動は正しかった」と自分の子どもたちには言いながら、Aには「痛切な謝罪と反省をしています」と言い、Bを神様として拝みながら、Aには「法的決着はついているんだから、過去は全部水に流して、助け合い、今より、もっと仲良くなっていきましょう」という時、それを、Aは『実質的な和解』として受け入れることができるでしょうか?
 ノ大統領は演説の結びの部分近くで「日本も、法的問題以前に人類社会の普遍的倫理、そして隣人間の信頼の問題という認識を持って積極的な姿勢を見せるべきであります」と、日本に呼びかけています。日本が、あなたの言うように「『法的問題』は決着がついてるんだよ。過去は全部水に流して、助け合い、今より、もっと仲良くなっていこうよ」という回答を韓国の人々に与えることは正当なことでしょうか? 「日本も・・・人類社会の普遍的倫理、そして隣人間の信頼の問題という認識を持って積極的な姿勢を見せるべき」だというノ大統領の日本への呼びかけに、誠実に答えていくにはどうしたらいいか、『真の和解』が、一番近い隣国との間に成り立つためにはどうしたらいいか、もっと考えてみませんか?