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「ノ・ムヒョン大統領への手紙(「3・1演説」を読んで)」
「ガンジー」について、
「原爆」について、「戦争責任」について、
「紙上討論」について

旧2年A組
日本はアメリカに原爆を落とされたのに、反アメリカ感情が、あまりないのが不思議でした。それと同じように、中国の反日感情(韓国の人の反日感情は、つい、最近、歴史を学んで知りました)が、なぜ、あそこまですごいのかも不思議でした。でも、歴史を学んでいくうち、アメリカ(GHQ)が、連合国と日本の講和条約の時に、日本に巨額の賠償金を課させないようにしたことなどが、日本人がアメリカを受け入れるのにつながったこと、また、中国・韓国の人たちには、謝りきれないようなことをしてきたことが分かってきました。
そして、歴史の教科書には、中国・韓国の人たちに日本がしたことが軽く触れる程度にしか書かれていないこと、先生が教えてくれなければ、自分で書店に行って本や資料を買わない限り、侵略の内容が分からないことに驚きます。同時に、私は日本政府の人たちは、頭、悪いんじゃないか? と思いました。なぜなら、本当に賢い人は『真実を、きちんと徹底的に教える』と私は考えるからです。皆さんは、どう思いますか?
紙上討論をして、本当におもしろかったです。「普天間基地問題」「イラク戦争」「北朝鮮問題」「ガンディー(植民地支配)」「原爆」などについて賛否両論さまざまな意見が出ていて、「あ、こういう考え方もあるんだな」という新しい発見がたくさんありました。ぜひ、3年生になっても、紙上討論をたくさんやってほしいと思います。
旧2年A組10の人の『ガンジーは、ひどい人だ。なぜなら「ガンジー」に賛成している人たちに「非暴力」とかいって、殴られっぱなしにしていたし・・・ガンジーは、意地を張ってるだけだ』という意見に。思うことは人それぞれだけど、これは間違っていると思います。確かに、インドの人たちはイギリスの支配者によって「殴られっぱなし」だったかもしれないけれど、それには大きな意味があるのではないでしょうか? ガンジーは、きっと、暴力では何も解決しないことを、ちゃんと分かっていたのでしょう。そして、これは人間として正しい行動であったと、私は思います。ガンジーは、インドの国民のために自分の命をかけて、非暴力で立ち向かっていったのです。そんな姿を見て、あなたは「意地を張ってるだけ」としか受け取れないのですか? イギリスの暴力に、インドの人たちが暴力で立ち向かったら、どうなっていたと思いますか? もう少し、悪いことに対して立ち向かう人間としてあるべき姿を、ちゃんと考えて欲しいです。
被爆者の谷口稜 さんの九段中生への手紙を読んで、改めて戦争の悲惨さを感じました。たった一発の原爆は、たくさんの人々の命を奪いました。そして、60年たった今もなお、谷口さんのように治療を続けている方もいます。戦争は決してあってはいけません。私が今、できること、それは、この広島・長崎の原爆投下を重く心に受止め、このような核兵器をなくす環境をつくること、そして、この歴史を、きちんと次の世代に伝えることだと思います。原爆投下から60年が経った今も、何百年たったこの先も、この歴史の事実は変わることはありません。この歴史が再び繰り返されぬように、誰もが人間として生きていけるように、私たちが、これから少しずつ自覚していくことが大切だと思います。


先生から
『ガンジー』の非暴力運動について、法政大学の佐貫浩先生が『「自由主義史観」批判と平和教育の方法』という著書(新日本出版社)の中で、まさにあなたと同様の指摘をしていますので、紹介します。
『(ガンジーの場合)権力や敵対している多数者の暴力が行使されれば、一方的に弾圧され抑圧されてしまう危険性を伴っていた。非暴力というものが持つ高い倫理性、道徳性にかけて、民衆の広範な結集を目指し、また暴力に対する批判を高め、世論を統一していくのだというギリギリの選択として非暴力が選ばれていった。』
 ついでに、同書の中から、「民主主義」と「暴力」「表現の自由」の関係について紹介しておきます。
『表現の自由は民主主義の大原則である。 民主主義は暴力を許さない、そして自分の考えていることが自由に表現でき、その討論を通して合意を形成して行くことができる状況があって、初めて実現される。表現の自由の保障なくして、民主主義は成立しない。
 ナチズムが広がっていた時期に、その攻撃にさらされた一番中心にユダヤ人がおかれた。そしてそのユダヤ人に暴力的な攻撃を加えるナチズムの先頭に、ヒットラー・ユーゲント、青年突撃隊があった。その周りには、民族的偏見を持ったドイツの民衆が存在し、その周りにユダヤ人たちとも親交を持っていた地域の住民がいた。しかし次第に突撃隊の暴力が強まり、それに異議を差し挟むと自分たちに攻撃が向かってくるという状況の中で、表現の自由は奪われ、やがてナチズムの民族拝外主義、ユダヤ人攻撃を誰も阻止できなくなっていった。この歴史の教訓からしても表現の自由が保障されているかどうかが、民主主義の試金石であるといえる。』

今回の紙上討論では『ガンジー』のこととか、『予言』のこととか、いろいろな意見を読んだけど、どうしても気になることがあります。それは日本の過去の歴史のことです。今の日本の偉い人たちは、B組Mの人が『政府は「ゆとり教育」とか言って教科の授業の時間を減らしたけど、それは見せかけで、社会科で、日本に都合の悪い歴史の事実を教えたくないんだと思う。つまり、他の教科の内容も減らすことで、社会科の内容を減らすことも自然に見せているのではないだろうか? この「ゆとり教育」は政府の陰謀では?』と言ってるように、社会の教科書の内容も時間も減らしているのが事実だと思う。なんで、真実を子どもたちに教えないのですか? 日本が過去に行ったアジア侵略という悪いことは、まぎれもない真実ですよね? それを隠してどうなるんですか? 私は歴史は好きだけど、時々「なんで昔のことなんか分かんなくちゃいけないの? 『今』生きてるんだから、『今』のことが大事じゃん?」って思ってました。でも、増田先生の授業で、昔、日本がアジアでしたことをビデオで見て、最初は「気持ち悪い。なんで、こんなの見なくちゃいけないの?」って思ってました。けど、日本が過去にやったことをきちんと認めて、私たち子どもに教えてくれることで、少しは、「あんなことはもう二度と起こしてはいけない」と子どもたちが思うようになるのでは? と思います。その気持ちを持つだけでも大切だと思うので、やっぱり、日本に都合の悪いことでも真実を教えるべきだと、私は思います。
ノ・ムヒョン大統領へ。私は、今まで、日本の、本当の歴史を知りませんでした。しかし、この一年間、増田先生の授業を受け、本当に、日本がアジアでしたことを知り、初めはショックでした。しかし、これらの事実は、これからの日本の未来を作ってゆく中学生の責任として、きちんと見つめ合っていかなければいけない問題なのだと思います。
そして、もっと教科書には載っていない本当のことを、きちんと調べ、日本は何をしたのか知った上で反省をし、日韓両国が、一日でも早く本当の和解ができるよう、一人の力だけではどうにもなりませんが、こうした、日本がアジアでしたことの真実を他の人にも伝えていけば、真の和解ができるのではないと思います。だから、私たち中学生はこれからも、もっと日本の過去の歴史の真実を学んでいきたいと思っています。
ノ・ムヒョン大統領へ。確かに、ノ・ムヒョン大統領が3月1日の演説で言っていることは、「言えてる」と思います。日本は、過去、アジアで悪いことをしてきたのに、その事実を国民(子ども)に教えないということは、とても恥ずかしいことだと思います。ノ・ムヒョン大統領、日本の過去の事実を教えてくださって、ありがとうございました。
C組15の『僕は、愛国心がありまくりの人じゃない方がいいだろうと思う。「愛国心な さ過ぎもいけないと、少しは思うけど、右翼の「愛国者」よりかマシだと思うよ。「国 のために死ね」って言われたって、死ねるかっ、ての・・・』と言う人へ。私も、最後 のところに賛成です。「国のために死ぬ」のは右翼の人だけでいいと思う。
ノ・ムヒョン大統領演説を読んで。今の僕たちが生まれる前の話だけど、朝鮮の人々が起こした三・一運動の原因を作ったのは我が日本人だった。自国の人間ではない他国の日本人が、自己の利益のみの目的で勝手に他国を侵略してしまったことを、すごく残念に思う。とても悲しいわが国の歴史の一つである。さらに悲しいことは、日本人が何年十年たった今でも、過去の過ちを認めず、『本当の謝罪』をしていないこと。これは一番いさぎ悪く、とても失礼なことだと思う。現在、日本では、日本が朝鮮の人々にした拉致などに比べれば少数の日本人を拉致され、大きな問題として受止めるのも大切だけど、何十年も前に日本人が、殺したり、精神的に傷を負わせた朝鮮の人たちへのざんげを今一番必要としていて、日韓両国の関係、『真の和解』を回復することが大切だと思う。隠し事はよくないと思う。
10ノ・ムヒョン大統領演説を読んで。「拉致問題による日本国民の怒りを十分に理解しています」とあったけど、やっぱり、まだ拉致されて帰ってこれない日本人がいるのだから、その人たちが帰ってこないと、『真の和解』はできないような気がする。日本も昔に、朝鮮の人々にひどいことをしていたみたいだけど、今、苦しんでいる日本人だっているわけだから、その人たちが帰ってこそ、「お互いさま」だと言えるのではないか。(日本にいるから、そう思うのかも)
11戦争責任について、A組Dの人は「日本の国民に問題がある、と思う」と言ってたけど、 そんなに簡単に天皇の言うことに、国民が逆らうことができていたら、戦争は起きなか ったと思う。
12今回の紙上討論は、とても考えさせられる問題ばかりでした。戦争責任は「昭和天皇に」「国のリーダーに」・・・ウーン・・・確かにそうかもしれない。だって、天皇が「イヤだな、戦争は」って言ってたら、戦争は止められたかも、だし・・・けど、天皇に「戦争しましょう」とそそのかしたのは、おエライさんたち・・・ウーン、何とも言えない。
でも、分かることは一つある。それは「国民には全く罪がない」ってこと。だってそうでしょ? 「『アジアの国々のために』ってことで戦争した」って信じ込んでいたわけだし。それに当時の法律の治安維持法で「戦争なんてやめよう!」って言ったら殺されちゃったわけでしょ? 今から考えれば「『戦争を良いことだ』と考えるなんて、オカシイ」って思えるようなことが、その当時は「オカシイ」って思ってないんでしょ? というより、思えなかったわけだし。ね?・・・