Home 九段中を卒業する生徒へのてがみ(06年3月)
3年生の皆さんへ

06年3月の卒業式前に九段中校長に託した増田から生徒への手紙  

3年生の皆さんへ
こんにちは。皆さんの進路も「全員決まった」と聞きました。本当に、おめでとう! 実は、卒業式か、それでなければ式練習のときにでも、九段中に行き、直接皆さんの顔を見ながら心からのおめでとうを言いたいと、強い希望を持っていたのです。でも、校長先生とご相談して、もし、何かあって後味の悪いことになってはいけませんので、悔しくはありますが、断念し、校長先生に私の手紙を読み上げてもらうことにしました。

さて、9月1日から、いきなり皆さんと授業をできなくなって、もう半年近くが過ぎました。この、自由と民主主義の日本国憲法を持つ国で、未来の主権者である子どもたちに歴史と社会の真実を伝えることをやめさせようとする人たちがいることは、本当に残念です。現代は「悪代官と越後屋さん」の時代ではないはずなんですけどねえ。

中学校の歴史教育では時間に限りがあるため、『川井訓導事件(『訓導』とは戦前の名前で、今は『教諭』といいますが、先生のことね)』とか『生活つづり方教育事件』とかは扱えないんですが、実は歴史を振り返ると、あのビデオ『侵略』『予言』の時代に向かう前、自由と真実・平和・民主主義を求める教育をしようとする先生たちは、『悪い先生』として、やめさせられていった事実があります。

『川井訓導事件』について、ちょっと説明しますね。戦前の道徳の授業を『修身』といい、天皇のために戦争で死ぬことが日本人として一番正しいことと教える、国が定めた国定教科書を使うことになっていました。川井先生は正面きって、そういう教育に反対したのではなく、ただ大正デモクラシ−の風潮の中で、生徒に自由な教育をしたくて、その修身の時間に国定教科書を使わず、森鴎外の文学作品を使って、人間の生き方を考えさせようとしただけなんです。でも、「悪い先生」として、やめさせられました。「生活つづり方教育」というのも、生徒に自分の生活を作文に書かせて、しっかりと現実の生活を見つめさせ、精神の成長を支援しようとしたものなのです。でも、現実の生活をよく考えていけばどうしても社会批判・政治批判に結び付いていきますから、権力者たちには気に食わなかったんですね。そして、自由にものを考え、間違っていると思うことを批判することは「悪いこと」として、ひどい拷問・弾圧が待っていました。だから、普通の人は侵略戦争に反対することができなくなり、あの無残なビデオ『侵略』『予言』の世界が、この世に出現してしまったのです。

歴史を学ぶのは、過去の過ちを教訓として未来に生かし、自分も歴史を作る主体として、より良い社会を作ることに参加し、自分も他人もともに充実した人生が送れるようにするためであると私は考えます。そのためには事実をきちんと知り、自由に考え、自由に自分の意見を発表し、討論することによって批判しあい、他人の考えも知り、自分の考え・意見をより豊かにしていくことが必要です。そのために紙上討論授業は、とても有効な方法だったのです。
残念ながら「それが気に入らない。生徒に自由な政治批判能力をつけさせることが気に入らない」という人々が権力を握っている現実があると私は思います。しかし、いずれ、そう遠くない時期に歴史の審判が下ると私は確信しています。地動説を唱えたガリレオ・ガリレイを『悪いやつ』ということにしたバチカンが、自分の誤りを認めてガリレオの名誉を回復させるのには、なんと、400年もかかりましたけど、いくらなんでも、日本国憲法を持つ現代の日本では、そこまではかからないだろうと思っているんですけどねえ。

私は、どういう場合も「逃げない。隠さない。ごまかさない」で生きてきました。なぜなら、私は逃げることも、隠すことも、ごまかすことも必要のない真っ正直な人生を生きてきたと自信を持って言えるからです。もちろん、自分が間違ったときには相手が子どもであれ、大人であれ、誰であれ、心からきちんと謝ってきました。ですから、私は相手が子どもであれ、大人であれ、誰であれ「それは人間として、間違っている」と思うことに対しては、ハッキリと「それは間違っています」と言えるのです。そのために、こういう目にあっているのですが、全く後悔したことはありません。
民主主義社会では、これは、全く人間として当然のことだと思うからです。その意見が間違っていると思うなら暴力や権力を使って相手の口をふさごうとするのではなく、言論で、その過ちを指摘するべきなのです。相手の意見に対して、それが間違っていることを言論で証明できないので、暴力や権力を使って口をふさごうとするのは、人間としてあまりにも卑しく、下劣なことだと思います。皆さんは、そういう卑怯な人間にはならないでくれるだろうと信じています。

あなたたちと過ごした1年半は、とても短かったですけれど、とても充実していました。紙上討論を通じて、どんどん成長していった皆さんを心から大切に、また、誇りに思っています。それで一つだけ、皆さんにお願いがあります。私はいつも3年生の最後の3月に「紙上討論を通して学んだこと」というテーマで意見・感想を書いてもらっていました。その頃になると一人でプリント1枚ぐらいの意見・感想を書く人がいっぱい出てくるので、私はそれを打ち込むのに死にそうになり、いつも嬉しい悲鳴を上げたものです。残念ながら、皆さんには3年生では1回やっただけで紙上討論は断ち切られてしまいましたけれど、できましたら、今の皆さんの意見・感想を手紙にして書いてくれたら嬉しいです。

最後に、あなたたちのこれからの人生が、健やかで幸多からんものであることを心から祈っています!

2006年3月14日   増田都子