平成18年(行ウ)第478号 分限免職処分取消等請求事件
 原  告  増田都子
 被  告  東京都 外1名

2009年3月5日

東京地方裁判所民事第36部合議係  御 中

最 終 準 備 書 面

原告訴訟代理人            
弁護士  和久田 修

同  萱野一樹

同  萩尾健太

同  寒竹里江

目    次

はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
第1章 本件戒告処分の違憲違法性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
 第1 本件紙上討論プリントにおける古賀都議発言批判
                    及び扶桑社批判の正当性・・・・3
  1 古賀都議発言批判について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
  2 扶桑社とつくる会教科書批判について・・・・・・・・・・・・・・8
 第2 本件戒告処分の経過に見る古賀都議らの政治的圧力の存在・・・・10
  1 原告に対する古賀都議等の圧力・・・・・・・・・・・・・・・・10
  2 2005年のプリントについての
            古賀議員・中藤氏・被告らの動き・・・・・・・12
3 原告の処分、研修が決定した経緯について・・・・・・・・・・・17
4 小括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27
 第3 被告らの主張に対する反論・・・・・・・・・・・・・・・・・・28
1 公人や出版社の実名をあげて批判した点について・・・・・・・・28
2 「悪口」「誹謗中傷」と正当な批判の違いについて・・・・・・・29
 第4 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32

第2章 本件各研修命令発令の違法性、
       研修内容・研修期間中の原告に対する処遇の違憲違法性・・33
 第1 本件各研修命令発令自体の違法性・・・・・・・・・・・・・・・33
  1 本件2005年9月1日付研修命令(第1次研修命令)処分・同月16日付研修命令(第2次研修命令)処分発令に至る経緯・・・・・・・・33
  2 本件各研修命令発令の違法性・・・・・・・・・・・・・・・・・35
3 小括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43
 第2 本件各研修内容の違憲・違法性及び本件各研修中の原告に対する処遇の不   当性・違法性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43
1 本件各「研修」内容の非研修性・・・・・・・・・・・・・・・・43
2 本件各研修中の原告に対する処遇の不当・違法性・・・・・・・・48
3 原告に対する研修処分の「思想改造性」について・・・・・・・・50
4 小括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・52
 第3 本件各研修命令処分の違法・無効を確認する利益と必要性・・・・52
1 被告千代田区教委の主張・・・・・・・・・・・・・・・・・・・52
2 被告千代田区教委の主張の不当性・・・・・・・・・・・・・・・53
3 小括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・55
 第4 結論ー本件各研修命令の不利益処分
               に基づく原告の損害賠償請求権・・・・・56

第3章 本件分限免職処分の違憲・違法性・・・・・・・・・・・・・・・57
 第1 本件分限免職処分が地方公務員法28条1項3号
               に該当しない違法なものであること・・・58
1 地方公務員法28条1項3号の該当性に関する判断基準・・・・・58
2 原告の教師としての適格性について・・・・・・・・・・・・・・59
3 職務の円滑な遂行の支障ないしは
          その高度の蓋然性及び性格基因性について・・・72
4 特別に厳密・慎重な判断という要請について・・・・・・・・・・73
5 小括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・74
 第2 被告が主張する原告の不適格性に対する反論・・・・・・・・・・74
1 被告都教委の主張・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・74
2 被告が主張するところの原告の「独善的性格」
             と原告の教育的信念について・・・・・・75
3 原告の紙上討論授業が「独善的」なものではないことについて・・79
4 違憲違法な本件各研修における原告の言動
             を免職理由とすることの違法性・・・・・87
5 研修外の原告の集会参加等の言動
             を免職理由とすることの違法性・・・・・92
 第3 「比例原則違反」についてー裁量権濫用を基礎付ける事実・・・・94
  1 被告都教委の主張の誤り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・94
2 分限免職処分における比較・・・・・・・・・・・・・・・・・・94
3 懲戒処分との比較・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・97
 第4 分限免職処分への政治的圧力の存在
               ー裁量権濫用を基礎付ける事実・・・・107
1 本件分限免職処分への古賀都議による政治的圧力・・・・・・・107
2 本件だけにとどまらない古賀都議による教育への政治介入・・・108
3 小括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・112
 第5 本件分限免職処分の手続的違法性・・・・・・・・・・・・・・112
1 手続的違法性の総論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・112
2 手続的違法性の具体的検討・・・・・・・・・・・・・・・・・114
 第6 本件各処分の「二重処分性」について・・・・・・・・・・・・126
 第7 本件分限免職処分の違憲性及び
          教基法10条1項の不当支配にあたること・・・・128
1 憲法19条違反について・・・・・・・・・・・・・・・・・・128
2 憲法23、26条違反及び教基法10条1項違反・・・・・・・128
3 小括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・129
 第8 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・129
まとめに代えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・129

<はじめに>

 1 本件における審理において、原告の教え子である○○証人は、原告が教師として不適格であるとして分限免職処分とされたことに対する考えを問われ、「当時の先生の、本気で、本音でぶつかってくるというエネルギーというのはすごいと思うんです。みんな、そういう先生の姿を見て、ちょっとずつそういう姿を感じていたと思うんです。なので(紙上討論授業を)続けられたことだと思うので、別にやめたいとみんなが言えばやっていなかったと思うんですけれども、だんだんと意見とかが濃くなってきたりして、3年生なんかのときはみんなしっかりした意見を書いていると思うので、そういうのは先生のエネルギーとか情熱を持って続けてくれないとできなかったことだと思うので、今、社会人になってから、改めて先生の授業を受けたいなと思うことも一杯ありますし、先生は教壇にいるべき人なんだなということを強く思います。」と述べ、中学3年生という大事な時期の2学期になって突然、原告という教師を失った千代田区立九段中学校の当時の卒業生は、「・・・この前の休み明けテストも100点でした。これは本当に増田先生のおかげです。私は、社会があまり好きではなくて、歴史も興味を持てなかったのですが、増田先生の紙上討論をしている内に、みんなの意見をきいて自分もしっかりした意見が持ちたいと思うようになり、積極的に勉強するようになりました。・・・こうして考えて見ると増田先生の授業や紙上討論が、私のこれからの人生に大きな光を作り出してくれたのかも知れません。先生が九段中からいなくなってしまってから、ずっとずっと、いつ帰ってこられるのかなと、いつも待っていました。でも、結局最後まで先生のあの笑顔を見ることができないと知り、とても悲しくなりました。・・・」(甲21)、「・・・紙上討論は、文章が苦手な私にとって、とても辛いものでした。戦争や原爆のビデオを見たりして、涙した事もありました。でも、その時は大変でも、今振り返ってみると。紙上討論のお陰で、自分の意見が言えるようになり、友達の考えを知る事ができました。あれらのビデオを見たお陰で、教科書では学ぶことのできない真実を知る事ができました。先生の授業で無駄になった事は一つもありません。一年半という短い期間しか授業を受けられな(か)ったのはとても残念ですが、この貴重な体験を大切にし、将来、自分の子供にも真実を教えられる先生のような人間になりたいと思います。」(甲23)などと、原告への想いを綴っている。
 このような原告への教え子たちの想いを見るとき、原告が、まさに、教育の本質的要請である「子どもとの間の直接の人格的接触」(旭川学テ判決)を通じて、生徒たちにかけがえのないものを育てていったことは誰の目にも明らかであり、原告は教育の本質に適う真の意味での「教師」であると言うことができる。

 2 しかるに、被告東京都教育委員会は、かかる原告に対して「教師不適格」の烙印を押したあげく、原告を教壇から追放した。
 被告都教委が、その理由としたのは、結局のところ、原告の11枚にわたる教材プリント中のわずか1,2行にすぎない表現のみであり、これを捉えて、原告を戒告処分にした上、長期研修を強制して教壇から外したあげく、ついには免職処分として、原告から教壇を奪い去ってしまったのである。
 何故なのか?この疑問は、本件審理を通じて明らかとなった。
 それは、石原都知事を頂点とする一部右翼都議(古賀都議ら)と彼らに阿るだけの都教委が、原告の教育実践を快く思っておらず、原告を公教育の場から追放する機会を狙っていたから、という一言に尽きる。
 そこには、1947年教育基本法前文が掲げる「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」という崇高な理想の一片も存在しない。
 あるのは、教育基本法が厳に禁ずる、「政治」が「教育」を支配しようとする「不当支配」だけである。
 このようなことがまかり通れば、子ども達に信頼される教師、おかしいことをおかしいと言える教師は公教育の場から追放され、残るのは国家意思を伝達するだけの教師か、「もの言わぬ」教師だけとなるであろう。
 それは、まさに、天皇崇拝、軍国主義という国家意思を子ども達に注入するだけの場であった戦前の「教育」の姿にほかならない。
 私たちは、このような理不尽を許してはならない。
 原告を教壇に復帰させることは、日本国憲法下における司法の責務である。

 3 このことをまず強く訴えた上で、本書面において、まず、本件戒告処分の違憲違法性(第1章)を検討し、さらに、第2章において本件各研修処分の、第3章において本件分限免職処分の各違憲違法性を検討する。

第1章 本件戒告処分の違憲違法性

   本件戒告処分の違憲違法性については、準備書面(3)の第三の第1、準備書面(4)の第1、準備書面(7)、準備書面(10)第1において詳論したとおりである。本書面においては、これらの従前の主張を前提としたうえで、証拠調べの結果に踏まえてさらに主張を整理・補充する。

第1 本件紙上討論プリントにおける古賀都議発言批判及び扶桑社批判の正当性
   古賀都議の本件発言及びそれと同根の扶桑社とつくる会の歴史教科書を批判した原告の本件プリントの内容は、正鵠を射たものであり何ら非難されるべき点はない。前者は、都議会議員の文教委員会での公的発言であり、後者は教科書を発行している出版社である。教室において、それらを批判的観点から取り上げ、子ども達に多面的なものの考え方を提示することは、いかなる意味においても処分の理由となるものではない。
この点は、上記各準備書面で詳述してきたので、以下では念のためその要旨を再論しておく。

 1 古賀都議発言批判について
 (1)原告は、中学2,3年の「歴史」「公民」の授業で、日本の侵略戦争の歴史的事実や平和と民主主義のあり方を課題として取り上げ、「紙上討論」という方法を導入し、それらの課題について論議し、思考を深め、定着をはかることを実践してきた。紙上討論が、侵略戦争の歴史事実や平和と民主主義のあり方について、例えば、朝鮮植民地支配、日中戦争、戦争責任問題や原爆問題、沖縄の基地問題などのテーマを設けて、生徒たちに、口頭ではなく意見・感想を文章に書かせてそれをもとに議論を深めるものであることは、すでに詳論したとおりである。
 (2)2005月3月中旬頃、原告は、当時2年生であった学年の歴史の授業において、日本によるアジアへの侵略戦争と植民地支配について考えさせるために、韓国で盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が行った「三・一独立運動記念演説」を生徒たちと読み、この感想を生徒たちが同大統領に手紙を書くという教育実践を行った。
 この「三・一独立運動記念演説」は、日本植民地支配から10年が経過した1919年3月1日、日本からの独立を求めて朝鮮全土で巻き起こった「3・1独立運動」を記念して、毎年官民一体で行われる記念式典での演説である。盧武鉉大統領はこの年、この3・1独立運動に決起し日本の官憲に捕らえられ拷問、陵辱されたうえ殺害され少女・柳寛順(ユ・ガンスン)を記念する「ユ・ガンスン記念館」内で、この演説を行った。
 演説は、以下一部紹介するように“反日”演説などでは決してなく、『日本の知性に訴える』と副題が付けられており、日本国家ならびに日本人民に対して向けられた極めて格調高い普遍性をもったメッセージでもあった。
    「・・・私はこれまでの両国関係の進展を尊重し、過去の歴史問題を外交的な争点にはしない、と公言したことがあります。そして今もその考えは変わっていません。・・・しかし、我々の一方的な努力だけで解決されることではありません。過去の真実を究明して心から謝罪し、賠償することがあれば賠償し、そして和解しなければなりません。それが世界に広がっている過去の歴史清算の普遍的なやりかたです。
・・・私は拉致問題による日本国民の憤怒を十分に理解できます。同様に日本も立場を変え考えてみなければなりません。日帝36年間、強制徴用から従軍慰安婦問題にいたるまで、数千数万倍の苦痛を受けた我々国民の憤怒を理解しなければなりません。
 日本の知性にもう一度訴えます。真実なる自己反省の土台の上に韓日の感情的なしこりをとりのけ、傷口が癒えるようにするため、先立ってくれなければなりません。いくら経済力が強く、軍備を強化したとしても、隣人の信頼を得て国際社会の指導的国家となることは難しいことです・・・」 
    原告は、この演説を月刊誌『世界』2005年4月号で知り、植民地支配という歴史事実と、今それを隣国・韓国の人たちがどう認識しているのかを知り、隣国の人々との真の友好・信頼をどうつくるべきかを考える絶好の教材であると考えた。そこで、この「演説」を取り上げたのである。
 前述したように、原告は、2005年3月中旬頃、当時2年生であった学年の生徒たちに、ノ・ムヒョン大統領への手紙を書くという教育実践を行ったが、その時、生徒から、「本当に僕らが書いた手紙をノ・ムヒョン大統領に出すんですか?」と聞かれ、「出します。」と約束した。原告は、ノ大統領に手紙を出す以上、生徒たちの手紙だけを出してもよく分からないだろうと考え、自らも事情を説明した手紙を書き、これを添えて、韓国総領事館に郵送したのである。
 そして、この学年が3年生になった2005年6月末から7月初めにかけての公民の授業の中で、日本国憲法が侵略と植民地支配への深刻な反省から生まれたものであることと関連させて、紙上討論授業として、生徒たちのノ大統領への手紙の末尾に原告が作成した上記の手紙を添えて教材プリントを配布したのである。
 (3)原告は、自らが作成したノ大統領への手紙の中で、2004年10月26日の都議会・文教委員会において古賀都議が行った「(わが国の)侵略戦争というのは、私まったく当たらないと思います。じゃ、日本はいったい、いつ、どこを侵略したのかということを具体的に一度聞いてみたい」という本件発言(個人的発言ではなく、都議としての公的立場での発言)を行ったことを議事録から引用し批判した。都民を代表する立場にある都議会議員の公的発言であるためその影響も大きい上、上記教材を取り上げて学ぶ姿勢と真っ向から対立する考えであり、身近にもこうした誤った考えが流布されていることの例示としてこれを取り上げたのである(甲6)。
 (4)古賀都議の本件発言を批判した原告の歴史認識とその実践は、以下に述べるように、日本政府がことあるごとに公に表明してきた立場に基づいており、懲戒処分の理由とされるいわれは何もない。
 近くは、2005年4月22日、折からの激しい対日批判が浴びせられる中、バンドンで開かれた「アジア・アフリカ首脳会議」における当時の小泉首相の演説である。
    「・・・我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。今後とも、世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に員献していく決意であることを、改めて表明します。」
    そして、少し遡れば戦後50年にあたっての村山首相談話がある。
    「いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。」
    国を代表する両首相の演説に表された歴史認識は、1995年=戦後50年と2005年=戦後60年に行われた次の国会決議に準拠していることがわかる。
    「・・・世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民特にアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する。我々は過去の戦争についての歴史観の相違を超え、歴史の教訓を謙虚に学び、平和な国際社会を築いていかなければならない。本院は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念の下、世界の国々と手を携えて、人類共生の未来を切り開く決意をここに表明する。」
   (戦後50年・歴史を教訓に平和への決意を新たにする国会決議)
    「・・・われわれは、ここに十年前の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」を想起し、我が国の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、改めて全ての犠牲者に追悼の誠を捧げるものである。政府は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念の下、唯一の被爆国として世界の全ての人々と手を携え、核兵器などの廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦実現への道の探求など、持続可能な共生の未来を切り開くための最大限の努力をすべきである。」
                      (戦後60年国会決議)
 (5)このように、日本政府のみならず国権の最高機関たる国会においても日本の植民地支配と侵略戦争について、それを事実として認定し、それに対する真摯な反省を表明している。原告の教育実践は、この日本政府(国)の公の見解と歴史認識をそのまま具現化したものであって、なんら非難されるべきところはない。
 逆に、この目本政府(国)の公式見解と歴史認識から大きく逸脱し、むしろこれと対極にあるものが、古賀都議の「(わが国の)侵略戦争というのは、私まったく当たらないと思います。じゃ、日本はいったい、いつ、どこを侵略したのかということを具体的に一度聞いてみたい」という前記の公的発言であり、古賀都議らが絶賛推奨してやまない「新しい歴史教科書をつくる会」著作の中学校歴史・公民教科書(扶桑社刊)である。
 2 扶桑社とつくる会教科書批判について
 (1)被告らは、原告が批判した扶桑社の中学校歴史教科書(以下「つくる会」教科書という)について、文部科学省の検定に合格したものであり、誤った特定の歴史観に書かれたものではないと主張し、本件プリントが都議会議員と扶桑社を誹謗し、原告の歴史観を生徒に一方的に押し付けている点が問題である旨主張する。確かに「つくる会」教科書は検定に合格しているとはいえ、検定自体に問題があるうえ、検定によっても同教科書の根本的問題は何ら改善されておらず、原告の批判は全く正当である。
 (2)137カ所もの修正意見
    2001年4月3日,「つくる会」教科書も検定に合格した。「つくる会」教科書には137カ所の検定意見がついた。近年の歴史教科書やその年の他の7社の歴史教科書への検定意見数と比べても異例の多さであった。
 137カ所の検定意見を時代別に分類してみると、近世史までは29カ所しかなく,実に8割近くが近代史に関してであった。「つくる会」教科書の近代史部分は,文部科学省によっても問題が多いと判断されたことの証左である。
 近代史への検定意見108カ所をさらに内容別にみると、中国・朝鮮・韓国・アメリカを中心にして「対外関係」に関するものが圧倒的に多かった。このうち,中国・朝鮮・韓国に関するものには,「眠り続けた中国・朝鮮」などのように両国に関係するもの,韓国併合や日中戦争などのように韓国・中国に個別に関係するものもあるが,これらを合わせると38カ所もあった。さらにアジア全体に関する6カ所を加えれば,40%を超えた。さらにアメリカ関係が12カ所もあった。これはこの教科書の基本構想に関連している。対米関係は「戦争」や「東京裁判」,さらには「人種」に分類されるものも深くかかわっており,これらの合計29カ所は全体の27%を占めている。これに対して国内の問題は22カ所,昭和天皇に関するものを加えても23カ所で21%であった。
 これらの数字の示すものは,「つくる会」教科書に対する検定が,主に中国・韓国への配慮・対応に終始したということである。「つくる会」教科書は,「つくる会」西尾幹二会長が,検定申請直後にテレビでその内容を宣伝したことなどもあって,早くからその内容が注目され,新聞報道などに依拠して,日本国内ばかりでなく,中国や韓国からも批判の声があがった。検定ではこれらの批判への対応が考慮されたのである。しかし,近代史だけで108カ所もの検定意見がつき,その大多数が中国・韓国・アジアに関するものであるということは,教科書検定基準の「近隣諸国条項」を適用すれば,文部科学省の基準でも「不合格」になってもおかしくない内容であったというべきである。
 現に、「つくる会」にとって、2回目の採択にあたる2005年には、各教育委員会のみならず、首長や地方議会にまで採択するよう働きかけたにもかかわらず、歴史教科書は0.43%、公民教科書は0.21%の採択率にとどまった。
「つくる会」の関係者は、「シェア10%を目指した2005年の教科書採択で惨敗。戦犯探しが始まり、つくる会はガタガタになった」と述べた。さらに、ほかならぬ扶桑社自身が、2007年5月、「各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎて採択が取れない」と認め、既にこの教科書をもう発行しないと決定したことを社会的に公表していることからも明らかである(甲47・AERA「新しい教科書」最終章)。
 (3)扶桑社と「つくる会」教科書のもつ右翼反動的本質は明らかである。「つくる会」の歴史教科書の内容の具体的批判は原告準備書面(3)の第三の第1で述べたとおりであり、これを「歴史偽造」であると批判した原告の主張の正当性は明らかである。

第2 本件戒告処分の経過に見る古賀都議らの政治的圧力の存在
 1 原告に対する古賀都議等の圧力
   2005年8月31日付の原告に対する戒告処分に先立ち、その前年から、原告に対して圧力をかけようとする古賀都議等の動きがあった。
2004年4月から2006年3月まで千代田区立九段中学校の校長であった○○氏(以下「○○校長」と言う)は、その点について以下のとおり証言した。
 (1)まず、○○校長が九段中学校に赴任した2004年4月か5月のPTAの歓迎会の2次会の席上、○○PTA副会長(以下「○○氏」という)が○○校長の隣の席に座り、「一時間ほど増田さんのことをずっと話しをして、・・・非常に今での印象に残ってるのは、俺は増田さん、増田と呼び捨てにしたかわからないんですけど、刺すというような」話をし、○○校長は、強いショックを受けた(○○証人尋問調書7頁ー以下、「○○●●頁」と記する。)。
    さらに、同年、神奈川県平塚市の中学校の音楽の教員野牧氏から○○校長に電話がかかってきた。「電話のあいさつもなしに、最初から、増田教員が遣っているビデオを提出しろというような内容でした」(○○3頁)。この野牧氏とは統一協会・勝共連合系の新聞である世界日報にしばしば登場する人物である。
 (2)その後、九段中学校の副校長に対して、都議会議員から「何かよろしくというような、協力してやってくれというような電話があった」(○○4頁)。
さらに、同年11月1日付で、古賀俊昭都議会議員から、九段中学校に対して、原告の授業内容、授業に使っている資料等についての情報公開請求があった(甲42)。
 これに対して、○○校長は、千代田区の情報公開条例に基づいて検討し、古賀氏が「現実は係争中の被告側であり」「開示請求は、都議会議員の議員活動の資料としてとあるけれども」「一度、学校外、千代田区外に出れば開示請求に理由と異なる活用をされることも大いにある」ということで、開示できない等の回答をし、○○校長の判断で提出しても問題はないと思われるものについて提出した(甲74〜甲76、根深5頁)。
 2 2005年のプリントについての古賀議員・○○氏・被告らの動き
 本件戒告処分のきっかけとなった原告の授業について、○○校長のもとに○○氏が話に来たり、区教委から問い合わせがあったが、その経緯は次のとおりである。
 (1)2005年5月、PTA副会長の○○氏から、○○校長に対し、原告が足立16中時代のことを教材に使っていると訴えがあった。「足立16中時代のことが書かれてることと、国旗、国家のことが1枚になっているプリントを持ってきて、示されました」(○○6頁)。
 (2)同年7月7日、PTA実行委員会後、○○氏より、○○校長に対して「増田教諭が授業で配ったプリント類について、中に古賀議員の名前が出てくるところがあり、古賀議員とは友人関係にあるから資料(上記プリント)を渡すと約束してしまったので、事前にそのことを報告に来た」との話があった(○○6頁)。
 ○○氏は、古賀議員と「連絡を取っている」ことを明言していた(○○7頁)。
 (3)さらに、7月の初旬から中旬頃、古賀議員が都教育庁大江指導課長らを呼び出して、「増田先生の授業に問題がある、調査しなさい」と述べ、原告の教材プリントを示した(大江2、4頁)。この点について、大江は、都議会議員は「都民の意見を代表する代表者である」「都議会議員から呼ばれたらそれなりの調査をするのが普通だ」と証言したが(大江4頁)、古賀は自分の名前が原告の教材プリントに出されたのが気に入らなかったのであって、都民を代表して意見を述べたのではなく、私怨に過ぎない。
 そして、○○校長に対し、同月「11日 午前、都教育長(庁の誤り)主任指導主事上原より電話あり。土屋議員より『どういうことなのか』という問い合わせがあった」(甲73・○○校長メモ1頁)。
 区教委酒井指導課長、教育庁大江指導課長は、この事実を否定したが(大江5頁)、それは、大江が証言したとおり、服務監督権は区市町村教委が持っており、上原の行為は権限逸脱行為だからである。そうした利害関係のない○○校長のメモが正確であることは言うまでもない。
 同日午後には、千代田区酒井指導課長から○○校長に対して電話があり、「都の上原指導主事より連絡があった。区として資料がほしいが学校からの資料では過去の経験からまずい。」とのことであった(甲73・1頁、酒井1、10頁、大江6頁)。
 なお、「過去の経験」とは、都教育庁から土屋、古賀議員らに原告についての情報を提供したことが情報プライバシー権の侵害として断罪された判決が出されたことを意味するものと思われる。
 さらに、同日4時30分頃、千代田区酒井指導課長が九段中学校に来訪し(酒井10頁)、原告が「授業中使用したプリントについて問題があるという情報が入ったので事実関係を調査するようにとの指示」を○○校長にした(丙6)。
 そのとき、酒井指導課長は「プリントの最後のほうのページに都議会議員さんの名前が出てるところについて、これは問題になるんじゃないかなということ」は言っていたが、すぐに処分を急ぐという雰囲気ではなかった(○○9頁)。なお、この点については、上記酒井指導課長が、「増田さんの授業についてはすばらしいという話し」をしていたことからも優に認められる(○○9頁)。
 (3)翌12日には、酒井指導課長から、「都より呼び出され、土屋議員が何を要求しているのか確認しにいく」との連絡が○○校長のもとに入った(甲73)。  
 (4)同月14日午前10時に、○○氏が来校し、「プリントの内容について増田教諭への質問事項(乙ロ29の2)を示すので答えてほしい。」と要望し、内容を説明していった。中藤氏が下校した後、○○校長は原告にこのことを伝えた。原告は、直接○○氏と会って説明したいという意向であったので、○○氏にこのことを伝え、その旨の了解を得た。
 同日午後6時30分、区教委酒井指導課長を通じて、都教育庁大江指導課長より「○○、増田が会って話すことをやめるように」との連絡があった(甲73、○○11頁、酒井13頁)。なお、大江指導課長は、自分がそう述べたことを「記憶にない」と証言したが(大江42頁)、酒井も認めている事実であるから、この点についての大江指導課長の証言はおよそ信用できない。
 これに対して、○○校長は「保護者との信頼関係を失うことになるので、これはもうやめることは出来ない、もうひとつは、港区のほうの事件の判例があって、直接指導に係ることなので、教員と親の話が第一になるということで、進める方向で考え」いた(○○調書11頁)。
 このように、現場の校長の経験と知識に裏打ちされた方針に反するような指導が都からなされた点に、本件の異常性がある。
 (5)同月15日午後2時より1時間40分、○○氏、原告、○○校長、副校長で質問事項をもとに話し合った。副校長が記録、○○校長が立ち会いという形であった。
 話の内容は、「非常に社会科の内容について高度な内容が話されました。」(○○11頁)。すなわち、原告の授業の資料について「偏っているのではないか」「資料の中で増田教諭の発言がいかがなものか」等と歴史教育の専門的な内容であったが、○○氏が問題にした資料の内容のほとんどは原告のコメント部分ではなく生徒の発言や生徒の文章であった(甲77、原告本人22、23頁)。
 ○○氏は、「天皇・天皇制」に対する尊重と敬意の念が強く、同日の話し合いの際にも、超国家主義者・皇国史観論者である(甲100)「平泉澄の学習会を月1で行っている」旨供述していた(原告本人24頁)。
○○氏は、その自らの天皇崇拝や皇国史観の故にか、中藤氏自身の息子である生徒が書いた意見「国のために死ぬのは右翼だけでいいと思う」(原告本人22、23頁)という意見まで、「原告の私見」と勘違いしていたのである。
 「○○さんから、私も誤解してましたと、いくつかの部分ですね、かなりの部分だと思うんですが、その誤解が解けましたということになりました」(○○12頁)。
 もちろん、原告のコメント部分も若干あったが、生徒の文章はいろいろなものがあり、どの文章にも原告の「否定的な」コメントはなかった。歴史についての専門の大学教授や専門家の意見や研究グループ等の名前や概略が語られ、○○校長にとっては高度な内容を○○氏と原告が話していたと感じた。
「ただし、雰囲気としては非常に穏やかに、双方とも言葉を選びながら、何か大変なことになるかということもなしで終わりました」(○○12頁)。
 なお、このとき、中藤氏は、古賀議員や扶桑社の教科書が歴史偽造主義であるとの記載については、一切取り上げなかった(原告本人24頁)。○○氏から見ても、その点は特に問題ではなかったことが認められる。
 この話合いの直後に○○校長が区教委に報告するために作成したメモ(甲77)によると、最後に○○校長は「双方で誤解が解けたものと、異なる面がはっきりしたところ、双方とももっと学習して対話すべきところなどがあったようです。また、機会を捉えてこのような会又はもっと気楽に今回のようにまとめてではなく会って話すことは必須です」と述べており、冷静かつ有意義な話合いができたことを示している(○○12頁)。
 それに対して、○○氏は「お忙しいところ時間を取っていただいて有難うございます。また、機会を作っていただきたいと思っています。今度はまとめてではなくその時その時でも」とお礼を述べた(甲77)。
 次回の話し合いの日程も、夏季休業中の校長、副校長、原告の予定から8月8日以降にしよう、ということになり、その後、8月4日に○○氏と、同月8日に原告と調整した結果、8月16日の予定となったが、後述のように原告と○○校長が都教委に呼ばれたため、実現はしなかった。
 (6)7月17日以降、19日、20日、22日と、酒井指導課長から○○校長や副校長に対して、原告の使用した資料を出すようにとか、韓国大統領への手紙はいつ出したか、授業で使用したビデオについて、など、細かいことについての連絡があった(酒井15頁)。
 ○○校長のメモ(甲73 3頁)によれば、19日には、酒井課長は「具体的な日時まで要求、・・・9月の都議会がひとつの目安か」と語ったのである。酒井課長は原告代理人の質問に対してもこの事実を否定していない(酒井16頁)。都議会が目安として挙げられていることは、都議会議員による圧力が背後にあることを窺わせる。
 また、7月20日には、都教育庁は○○氏から、原告の紙上討論プリントのコピーと手紙が送りつけられた。その手紙には、原告の紙上討論プリントは「かなり内容が偏っていると思います。また、友人の古賀都議への攻撃があり、都議へ送附してあります」と、都議との関係を誇示する文言が記載されていた(乙ロ29の1)。区教委がしつこく○○校長に連絡を繰り返したのは、その影響もあると考えられる。
 他方、22日には、○○校長は、原告の教材提出を求める区教委に対し、「提出理由と、責任所在の明記をお願い」した(甲73 3頁、○○14頁)。それは、提出理由が理解できなかったからである。
 そうしたやり取りの結果、同月27日付で、酒井指導課長名で、○○校長宛に(原告が)「授業で使用した資料について」という文書(丙4)が来た。「資料の提出について御協力方願います」というものであった。その2枚目には、都教育庁大江指導課長から酒井指導課長宛てに出した照会書(丙3)が添付されていた(根深14頁、酒井2頁)。そこでは、原告が使用した教材ビデオまで問題にしていた。これが都教委の指示であることは教育庁大江指導課長も認めている(大江10頁)。
 そして、教員に対する服務監督権のない都教委が、教員の教育内容に係る教材を提出するように求めることは、「極めてまれです」と大江指導課長自身が証言した(大江42頁)。
 この文書に対して、○○校長は、同月29日付で回答の文書を出した(丙32)。 千代田区情報公開条例に照らして判断するという回答であった(酒井2頁)。 
 3 原告の処分、研修が決定した経緯について
 (1)○○校長に高原学校からの離脱を求める区教委の異常な態度
    同年7月31日から8月3日まで、○○校長は、九段中学校の行事として軽井沢高原学校(3泊4日 第2学年 軽井沢)に生徒を引率して行った。同年5月に、九段中学校2年生の生徒指導上大変な事件が起き、その加害者の生徒も参加するため、高原学校に際しても、○○校長も特別な配慮をしていた(○○15頁)。
 その最中の8月2日午後3時半頃、○○校長が宿舎に帰着し、宿舎で生徒の借りていたレンタル自転車を整理していた時に、区教委酒井指導課長から連絡があった(酒井16頁)。その内容は、「指導課長が増田教諭と直接話し会ってよいか」「前後の事情をよく整頓して欲しい。」「増田教諭に連絡すること。」「増田教諭に教材ビデオを見せて欲しいと伝えること。」「明日8月3日午後1時から30分超を予定している。」というような内容であった。
 その後、都教委の指示ということで、区教委酒井指導課長から、8月3日の原告からの事情聴取に、校長または副校長に立ち会うように、という連絡が入った。○○校長は、「高原学校引率中で不可能でしょう、どうしてもというなら文書で回答したい、今、高原学校を離脱したりはできないでしょう」と指導課長に伝えた(根深16頁)。また、この時、副校長も、全国教頭会(宮崎)へ8月2日から参加することになっており、物理的に都教委の指示に従うことはできない状態であった。根深校長としては、宿泊行事で生徒の安全確保、安全確認が必要であり、都教委には目の前にいる生徒指導を優先して欲しいという気持ちであった。
 (2)8月2日夜の午後10時27分頃 軽井沢高原学校の職員打ち合わせ中の○○校長の元へ、区教委指導課長より「都教委の大江課長に怒鳴られて、どういうことなんだ、校長、副校長、管理職が学校にいないとは何事だと言われた、何とか戻ってきてほしい」と電話があった(○○16頁)。大江課長が指示したということは、酒井課長も認めている(酒井18頁)。さらに、酒井課長から「校長が高原学校引率中なら副校長に出席するように」との指示があった。
 この経緯からすれば、8月3日の区教委による原告に対する事情聴取も都教委の主導であり、都教委は区教委の対応を全て把握していたのである。そ のことは、酒井課長も否定できず、回答不能に陥っている(酒井18頁)。
 この時、○○校長は、指導課長とおよそ30分弱話をしたため、宿泊行事の引率者打ち合わせ(高原学校の生徒の安全を守るためのミーティング)に、校長という立場にありながら事実上欠席せざるを得なかった。この時、○○校長は、千代田区教委から都教委に、「宿泊行事での生徒の安全確保上、校長は戻れない。」とお願いした、と聞いている。
 しかし、千代田区教委は、九段中学校の生徒の事件を知っており(酒井16頁)、都教委にも伝えていたはずである。この点について、○○校長は「都教委から、高原学校の子どもたちの安全、安心と言うことから言って、とても無理なこと、それでもなおかつ出してきたということについては、大変失望しております」と証言している(○○17頁)。
 なお、甲73には「生徒の授業が混乱しないことが第一で、都庁や都議会議員のために地球が回っているのではなく、九段中は生徒のことで地球が回っていることを大切に」と記載されている。このことはまさに、○○校長もこの区教委、都教委の異常な対応の背景には、都議会議員の圧力があることを直感していたことが優に認められる。
 (3)結局、指導課長との電話では、副校長を立ち会わせることが指示されたため、同日の午後11時前、副校長に連絡して、「明日午後1時に東京に戻るように」と連絡し、飛行機の便等、酒井課長宅に連絡するようにとも伝えた(8月2日は羽田の管制塔の乱れから発便の遅れがあり、副校長は宮崎について間もないところであった。副校長は、やむを得ず、宮崎からとんぼ返りとなり、全国副校長会には欠席となってしまったので、後日、全国副校長会宛に校長名で謝罪文を送付した。このことにかかった旅費は全額は支給されず、一部私費負担となっている。
 酒井は、原告の事情聴取については○○校長の了解を取ったと証言したが(酒井3頁)、実際は上記のように以上に強引なやり方であった。
 (4)区教委からの職務命令発出の圧力
    翌8月3日午前11時頃、○○校長達は、高原学校の飯ごう炊さん中であったが、引率教諭の携帯電話に酒井指導課長から連絡があり、○○校長が電話に出た。酒井指導課長は、「ビデオ提出について、職務命令を出して欲しい。」と言ってきた。
 ○○校長は「要請文書がない限り、出せません。校長の職務命令は職務権限なので了解できません。」と言った。すると、酒井指導課長は「校長の職務命令も、依頼文書も当方で作成したい。」と言った。そのことは、酒井課長も尋問で認めた(酒井調書19頁)。○○校長としては、それはできない、と話した。原告が授業で使用した教材を全国著作権講習会等で問題点の有無を確実に調査するように考えていたので、その時点で問題があるとは認められないと判断した。この日以前にも区教委にこのことは伝えており、特に区教委からは指示、示唆はなかった。したがって、○○校長は、職務命令を出してまで上記教材を区教委に提出する必要はない、と判断したのである。
 さらに、昼12時過ぎ、飯ごう炊さんによる食事中、副校長から引率教諭の携帯に電話が入り、「今、指導室で目の前に酒井課長がいます。校長の職務命令を出していいのですか。」とのことだった。そして、酒井指導課長が電話に出て、「このような文面です。(ビデオを提出せよ、という趣旨のものだった。)」と読み上げ、○○校長はそこまで指導課長が言うのであればやむを得ない、と思い、「それでやってください」と言った(○○18頁)。
 ○○校長は自分の名で発出するはずの職務命令書の文面(甲8)を見ていなかったが、そこまで区教委が指示してきたことについては従わざるを得なかった。しかし、このように無理やり職務命令を出させられたことについては、「明らかに(区教委の)職権濫用というふうに感じてます」と証言した(甲73 5頁、○○18頁)。
電話の向こう側にいた副校長も、この職務命令書の出され方には納得していなかった(根深19頁)。
このようなやり方について、酒井課長は、尋問に際し「都教委のほうからの回答の期限」との関係だと平然と答えた(酒井調書19頁)。
 (5)○○校長の会議の予定も変更させられた
    同日午後6時半過ぎ、軽井沢高原学校より学校へ生徒を引率して帰着した後、○○校長は区教委を訪ね酒井指導課長と話した。○○校長は、翌日から長野で行われる日本数学教育学会(日数教)の助言者として参加予定であることを伝えたが、酒井指導課長は、「参加については控えて欲しい」と言ってきた。○○校長は、都県代表ということと助言者という立場なので参加をやめることは迷惑をかけることになるから、こちら(区教委)と連絡の取れる状態で上記日数教の学会には参加する旨を伝えた。また、明日(8月4日)は出発ぎりぎりまで自宅にいるが、日数教の会議予定の午後4時10分の30分前までに着く新幹線で出発する予定である旨も合わせて伝えた(甲73 6頁)。
    8月4日、○○校長から区教委へ連絡し、応対した指導主事に「12時くらいまでは自宅にいる旨」伝えたところ、その後、早急に区教委に来るように連絡指示されたので、○○校長は日数教への参加を断念せざるを得なかった。
 ○○校長は、すぐに日数教に、欠席の旨を伝えたが、「直ちに東京として代理を立てるように」と言われ、困惑したが、何とか代理の先生をお願いすることができ、何とかことなきを得ることができた(○○校長は、後日、日数教の事務局に対して日数教を欠席したことについての謝罪文も送付している。)。
 ○○校長は、区教委に午後12時20分頃に到着した。そこで、指導課長から、原告への事情聴取をし、事故報告書を作成して提出するように指示を受けた。
    また、翌5日には、区教委としての原告への事情聴取を行う予定であり、終わらなければ次の週8月8日以降の原告の夏休等の時季変更もやむを得ないということも伝えられた。
 (6)○○校長による原告に対する事情聴取と事故報告書作成
    4日午後2時から1時間ほど、○○校長は原告に対して事情聴取を行った(原告本人26頁)。○○校長が聞き取り、記録を副校長が担当した。そして、翌8月5日10時〜10時半の間に区教委からの聞き取りがあるということも伝えた(なお、これは、後で、午後4時から変更になっている。)。
 前述のように、○○校長は、区教委から原告についての事故報告書の作成を求められていたが、「書式は送るからということで、作れるようなことはあったと思います」と○○校長は証言した(根深19頁)。甲78が、区教委から送られてきた雛形であるが、すでに中学校校長としての見解「都民の公教育に対する信頼を著しく失わせるものであり、教育の公正中立を損なうものである」とまで書かれていた(根深20頁)。そのことは、酒井課長も尋問で認めた(酒井20頁)。
 しかし、○○校長は、そこまでは書かなかった。むしろ、当初、その文書の名称を「本校教員の服務に関する事項について」とした(甲79)。それは、区教委の原告本人への事情聴取の際、「増田先生の授業はすばらしい」との区教委の言葉があり、○○校長としては、これまで服務事故との断定は誰もしていないし、区教委のそれまでの対応からしても「服務事故である」との判断がつかなかったからである。そのことは、酒井課長も尋問で認めた(酒井調書20頁)。
 それに対して、区教委から、「これを服務事故と思わないのか、なぜ服務事故と思わないのか」という連絡が入り、「本校教員の服務事故に関する事項について」(甲80)の名称に変更した。しかし、服務事故とは断定しておらず、「服務事故の可能性があるので下記のとおり報告いたします。」と冒頭に記載している。
 さらに、○○校長は、内容についても、区教委から6,7回訂正を求められ、その都度、訂正せざるを得なくなった。
 その結果、8月5日午後3時45分頃、○○校長は、「本校教員の服務事故」と題する報告書(丙6)を区教委に提出しに行った。そこでも更に訂正を求められ、電話で副校長や学校の指導主事に指示をするなどのどたばたがあった。
 同書面の「九段中学校長としての見解」の欄には、「本件については全て同区教育委員会の指示を受けながら、対応を行っている」として、言外に、自分がこれを事故であり対処が必要だと考えて対応しているのではなく、区教委の指示であるということを滲ませていた(○○21頁)。
 酒井は、「事故報告として書類を頂きたいというお願いをいたしました」と証言したが(酒井3頁)、実態は強要であった。
 同日、区教委で、原告の事情聴取が予定されていたが、午後4時になっても、原告が来ないので、階下の玄関へ行ったら、他の女性と一緒に原告が来庁した。その女性は伊沢けい子都議会議員と紹介され、3人で区教委の部屋に行った。そこで、伊沢都議会議員が立ち会うかどうか、指導課長とやりとりがなされた後、伊沢都議会議員が一切コメントを言わない約束で同議員の同席の下で、事情聴取が行われた。また、事情聴取が始まる前に、原告がテープレコーダーを置くかどうかで指導課長とやりとりがあった。途中で伊沢都議会議員が発言した場面があった。また、立会人としての校長に意見を求めることもあったが、事前に立会人は発言しないようにと聞いていたので、○○校長は発言しなかった。
 なお、この8月5日から、産経新聞紙上で、原告に対するバッシングキャンペーンが始められていた(原告調書20頁)。
 (7)○○校長への都教育庁の異常な事情聴取
    その後、8月8日、酒井指導課長から、「8月11日(木)9時15分から校長に、13時15分から副校長に、学校としての話をうかがいたいので都教育庁にお越し頂きたい。」という連絡が入った。
 ○○校長は、「副校長は身内の分骨のために大阪にいるので日程を来週にできないか」と区教委に連絡したが、区教委は、「遅くとも8月12日までに行いたい。」という回答であった。その上で、副校長に連絡したが、結局、最初の予定通り「8月11日」となった。これも、学校の都合も省みない強引な都教委の対応であった。また、区教委ではなく都教委が「話を伺う」というのも異例であった。
 8月11日9時15分から都教委より校長としての○○校長への事情聴取が始まった。終わりは午後1時40分ごろであった。
 ○○校長は、始めにこの趣旨を尋ねたが、回答は「学校からの服務事故報告書、区からの服務事故報告書に基づいて事情聴取を行う」とのことであった。○○校長としては、このとき初めて「事情聴取」という文言を聞いたのだが、最初の連絡の「学校から話しを聞く」ということとは趣旨が異なる感じを持った。○○校長は、まず、担当の管理主事から訊かれたことに対して、質問の手順や内容の法的な正しさを確認した。「今、質問されている内容や手順は法的な手続き上認められているものか、要綱等用意されているものなのか」という問いに対して、管理主事は「確かにある」という答えだった。しかし、終了時点に根不か校長が「要綱を見せてください」とお願いしたところ、他の管理主事が「それはありません」と答えた。○○校長からは「最初にあると言って、今終わりの時になかったというのは詐欺じゃないですか」と言ったのだが、管理主事は返答をしなかった。
 (8)原告に対する都教委による事情聴取
    8月11日午後5時半頃、酒井指導課長より○○校長に電話があり、「8月16日午後2時に、都庁の第二庁舎27階人事部で、増田教諭本人への事情聴取を行うということで連絡をして下さい。校長も立ち会うように。」とのことであった。酒井課長は、8月16日に原告と中藤氏が再度の話合いを行うことを知っていたのであり、尋問でも否定できなかった(酒井18頁)。16日に事情聴取をぶつけたのは、この話合いを妨害する意図があったものと考えられる。
 ○○校長は、翌12日朝9時過ぎに、千代田区教育研究所入口でパソコン研修に来た原告に連絡した。原告本人は「拒否しますと伝えてください」と述べた。
 また、○○校長は、前述の中藤氏に対しても、8月16日に増田さんとの話し合いはできそうにないことを伝えた。この時の原告と○○氏とのやりとりは、次のようなものであった。
 「私のほうから、予想外のことですよねと、そんなかたちのことを話したんですが、○○さんからは、想定内であるという言葉がありました。」。
 この言葉を聴いて、○○校長は「もうこれは、学校が何かかかわっていくものよりも、もっと背後に大きな力が動いているんじゃないかなという感じはありました。」と述べ、さらに、足立十六中の事件「のことがずっと尾を引いているのかなと、どういう団体か分かりませんけれども、そういう動きがここに形を変えて出てきてるのかなという感じがありました。」(○○13頁)。そして、○○校長は「断定はできませんが」としつつ、古賀議員や土屋議員の圧力であると証言した(根深14頁)。
 8月16日午前11時55分、○○校長は自宅から学校にいた原告に、午後2時からの聴取について確認した。原告は、「人事部課長に何度か電話している。行かないことを伝えようと。いつも不在で電話に出ない。」とのことであった。
 午後2時過ぎ、○○校長は、都庁の都教委人事部に行き、そこから学校へ電話した。そして、原告が生徒指導(生徒の質問教室)で校内にいることを副校長に確認した。しかし、原告に電話すると「拒否します、と伝えてください」と言われた。それは、原告に対して、事情聴取の理由も目的も明示されず、形を取り繕うためだけのものだと考えられたからである。
 翌8月17日、都教育庁大江指導課長は、さらに都教委に対して、原告の週案(週の指導計画)やビデオについて調査をするよう照会文を送付した(大江11頁)。これは教育内容への介入というべきものであった。
 (9)都教委とのやり取り
    8月26日(金)11時千代田区教育委員会指導課長より九段中学校副校長へ電話で「校長と増田教諭の日程の確認」があった。午後、○○校長に対して再度電話があり「30日午前中早い時間に校長と原告の二人で第二庁舎27階へ来るよう、校長は印鑑を持ってくるように。」と連絡があった。また、「29日の朝の早い時間に増田教諭に連絡するように。」と指示があった。
 8月29日、午前8時、○○校長は休暇中の原告宅へ電話、上記の内容を伝えたが、原告は人事部へ行くことは「拒否する」とのことだったので、酒井課長へ電話でこのことを連絡した。
 8月30日午前9時10分ころ、○○校長は都教委人事部へ行ったが、区教委担当者も同行した。人事部の者が電話をし、原告が学校にいることを確かめ、○○校長も直接電話に出て、原告に確かめた。原告は「拒否します」と述べた。理由も目的も全く明らかにされていないからであった。原告は、まさか当日、戒告処分が発令されるとは思っていなかった(原告調書28頁)。○○校長は、人事部では「もう用がないので校長には帰ってもらう。」と言われ、書類のコピーは区教委で持って帰るように指示された。人事部藤森職員課長から、「もう、ここからは校長の仕事ではない。後は都教育委員会が全部やる。校長は知らないことでいい。」と言われた(○○調書22頁)。そこで渡されるはずだった文書の内容は校長である○○校長は見ていないし、内容についても知らされていない。
 午前10時過ぎ、○○校長が学校に戻ると、東京都教育庁の指導主事が学校にいた。「増田さん側の団体が押しかけるといけないから。」という理由であった。午後は別の指導主事が九段中に駐在した。
○○校長は、同日の九段中の運営委員会でこれまでの原告に関する経過を報告した。
 (10)処分のマスコミへの特異なプレス発表
    このような中、午後6時30分過ぎ 読売新聞石川氏より2度電話あった。
そのやり取りは以下のようなものであった。
 石川「増田教諭の戒告処分が発表されているので今後どうするのか」
 校長「知らない」
 石川「知らないはずはない、立ち会ったはずだ」
 校長「立ち会っていない」
 石川「そんなはずはない」
 校長「都教育庁では立ち会っていないし、何のために呼んだのかも言われていない」
 石川「記事に教員名と学校名を入れればもっとちがった、・・・冗談ですよ」などと言っていた。
 このように、校長さえ都教委から教えられなかった処分の内容が新聞記者に事前にプレス発表されていたということは極めて異例であり、極めて重大な問題である。
 翌31日、○○校長は原告に「『増田教諭が処分された』という不可解な内容の電話が読売新聞石川という記者からあった。『記事に教員名と学校名を入れればもっとちがった、・・・冗談ですよ』などと脅かすようなことも言われました。」と伝えた。原告は「朝日新聞記者から自宅に電話があって処分されたことを知った。」と言っていた。
 この日、4社の新聞に原告戒告処分の記事が載った。職員会議で原告のこれまでの経過を説明した後、区教委へ行った。そこで、○○校長は自分への口頭注意と、9月1日から2週間、千代田区教育研究所での原告への研修発令のことを言い渡された。「明日、校長が立ち会いで増田教諭への研修発令を行う」とのことであった。
 学校へ戻り、原告への連絡と善後策を学年主任と教務主幹と副校長と練り、とりあえず次の日のことだけ決めた。夕方、毎日新聞記者が事務室に長時間張り付いたが、副校長が対応し、お引き取り願ったのである。
 4 小括
これまで述べてきたように、当時、九段中学校には、原告に関する件よりもはるかに重大な事件が起きていたにもかかわらず、それを無視し、現場の校長、副校長らの認識に反して都教委が職権濫用を犯してまで原告の戒告処分にむけて突き進むという極めて異例・異常な対応が都教委によって取られた。そして、当初から、古賀や土屋などの都議会議員が動き、古賀議員の友人である中藤氏が動いていた。これらの点を総合すると、○○校長自身が直感したように、都議会議員の圧力によって本件戒告処分がなされたことは明らかである。

第3 被告らの主張に対する反論
1 公人や出版社の実名をあげて批判した点について
   被告らは、原告が本件プリントにおいて古賀都議と扶桑社の実名をあげて批判したことを問題としている。しかし、中学校の社会科の授業において、政治家や会社の実名をあげて批判的題材として生徒の前に提示すること自体は何ら問題はない。たとえば、ロッキード事件の被告人として田中角栄元首相を取り上げたり、水俣病の原因企業のチッソを社会科の授業で取り上げることが懲戒処分の対象となるはずがない。
 また、本件プリントにおいても、古賀都議と扶桑社以外にも実名をあげて題材として取り上げている箇所は多数ある。たとえば、本件プリントの宸Rから宸SにかけてNGOのIACがブッシュ政権に対して「大ばか者が、何の意味もない話を、こわ高く大仰に語っていることよ」というマクベスの言葉を引用して批判したコメントがそのまま引用されている。また、本件プリントの宸Vから宸Wにかけて、当時の小泉首相と野中官房長官の実名をあげて、小泉首相が靖国神社参拝をしたことに関して、野中官房長官が「一国の総理として我が国の歴史に汚点を残した」「信頼すべきパートナーとしてアジア全体と信頼感を持っていかなければ、日本は衰退国として歴史から疎んじられるのではないか」と極めて激しく批判したことを報じた毎日新聞の記事をそのまま引用している。この野中官房長官の小泉批判の言葉は、原告の古賀都議と扶桑社批判の言葉よりはるかに激しいものである。これらの引用箇所は原告の言葉そのものではなく、他から引用したものではあるが、生徒たちの前に題材として提示することでは同じである。しかし、これらの箇所は戒告処分の理由にはされていない。
 勝部証人も、「特定の公人あるいは企業を授業の中で批判的に取り上げること、批判の材料として生徒さんに提示すること、このこと自体問題はないですね」という質問に対して「授業ですから、学術研究を目的としたり、紹介するといった趣旨からそういうものが資料の中に載せられることはあろうかと思います」と答えている(勝部尋問調書19頁ー以下、「勝部19頁」と記する。)。また、「侵略戦争じゃないといった、自衛戦争だといった都議の考え方は、国際的な常識からも日本政府の公式見解からもおかしいんじゃないの、みなさんどう思うという内容的な投げかけ、これ自体は何か問題がありますかと聞いたんです」という質問に対して、勝部証人は、「判断するのは生徒ですから、投げかけること自体は問題ありませんが」と答えている(勝部21頁)。
 2 「悪口」「誹謗中傷」と正当な批判の違いについて
 (1)上記のとおり、中学校の社会科の授業で政治家や会社の実名をあげて批判的に取り上げること自体はおよそ懲戒処分の理由とはなりえないことは明白である。このことは被告らもしぶしぶ認めざるを得ない。そこで、被告らの主張をつきつめると、要するに本件プリントにおける古賀都議及び扶桑社に対する原告のコメントは「悪口」(大江21頁)、「誹謗中傷」(勝部28頁)にあたるので許されないということになる。では、「悪口」「誹謗中傷」と正当な批判との違いはどこにあるのか、その両者の区別はどのようにしてつけるのかが次に問題となる。
 (2)たとえば、大辞林(甲88)によれば、「誹謗」とは「他人の悪口を言うこと」とあり、「中傷」とは「根拠のない悪口を言い、他人の名誉を傷つけること」とされている。これらの説明を踏まえれば、「悪口」「誹謗中傷」とは根拠のない、あるいは、事実に反する悪意に基づく言説であり、また、いたずらに人格等を傷つける表現を使用したものと言うことができよう。この観点から本件プリントにおける古賀都議と扶桑社に対する原告のコメントをみると、これまで詳述してきたように、 原告は今日の歴史学の多数意見と政府の公式見解にのっとって古賀都議と扶桑社を批判したのであり十分な根拠を有する。また、「歴史偽造」という表現も、歴史学における論争で使用されることは珍しいことではない。
 たとえば、中塚明は、「歴史の偽造をただす」(甲86)の244頁において、「日本では、最近、藤岡信勝東京大学教授(「つくる会」の代表である)らが旗ふりをして、歴史の事実を逆さまに書く動きを強めているが、歴史の偽造は日本が帝国主義国家として登場するきっかけになった日清戦争のときからそうであったことを、この『日清戦史』草案の記述はわれわれに改めて教えた。」と批判している。
 また、同時代社から出版されつつある徹底検証「新しい教科書」シリーズ(全5巻の予定で現在第3巻まで刊行されている)は、扶桑社の「つくる会」教科書を徹底的に批判しようとする試みであるが、その第1巻古代編(甲52号証)のあとがきにつぎのような記載がある。
 「また一つ疑問なのは、なぜ「つくる会」教科書の全面的な批判が、研究者の総力をあげてなされないのかということである。「つくる会」教科書の記述は論ずるほどの価値もないほど、むちゃくちゃなものだというのだろうか。たしかにこの教科書の記述はひどい。雑と言っても良い。だがこの教科書がなした意図的な歴史改変を多くの人が受け入れてしまう危険が、今の日本には存在する。一つには、グローバリゼーションの進展の中で閉塞してしまった日本の状況。ここからの出口を求めて、日本ナショナリズムに走ろうという傾向が強く存在する。そしてこれは日本の歴史を美化しようという衝動を伴う。そしてもう一つは、日本における歴史教育の貧困により、「つくる会」のような意図的な歴史改変を見抜けない、国民レベルでの歴史の知識不足。このような状況を背景にして「つくる会」教科書市販本がかなり売れ、この教科書が実際に教育現場で使用されていく。
 この状況を座視するわけには行かないと思う。間違ったものはきちんと科学的に批判されるべきである。」
    この著者の指摘はまさに正鵠を射ている。上記の記述にある「意図的な歴史改変」という表現と原告の「歴史偽造」という表現は同趣旨である。
 上記著作のほかにも「つくる会」教科書を批判するものは、「歴史家が読む「つくる会」教科書」(甲53)、「こんな教科書子どもにわたせますか」(甲54)、「あぶない教科書」(甲55)、「ここが問題「つくる会」教科書」(甲56)など多数ある。これらを通読すれば、原告が扶桑社や「つくる会」を歴史偽造主義として批判的に取り上げたことは、歴史認識をめぐる論争として正当、かつ、必要なことであってなんら「悪口」「誹謗中傷」にはあたらない。
 (3)さらに、「悪口」「誹謗中傷」にあたるのか、それとも正当な批判にあたるのかの区別の基準について被告側証人は納得のいく説明ができなかった。大江証人は、「どういう違いを込めて、あなたは誹謗するとか悪口言うというふうにおっしゃってるの」という質問に対して、「主観ではございますが、誹謗はやはり悪口でございまして、批判というのは意見が違うということだと思います」などと答え(大江25頁)、「この法廷では悪口と言ったけれども、それは批判するというのとは明確に違う意味を込めて言っているわけでしょう。だからその違う意味とは何ですかと聞いているんです。」という質問に対して、「特に深い意味はございません。言葉のとおりです。悪口です。」(同26頁)。また、勝部証人は、授業で子ども達に投げかける批判として許されるものと許されない誹謗というものをどうやって区別するのかその基準を明らかにされたいという趣旨の質問に対して、「それは基準があるというよりも、それこそ教師の専門的な判断にゆだねていますので、それが誤りがあれば誤りだという指摘をいたします。」(勝部26頁)、「それはあえて言えば、常識ということだろうと思います。」(同27頁)と答えている。
 たとえば、本件プリントにおける古賀都議と扶桑社に対する「歴史偽造主義」という原告の批判と原告が本件プリントにおいて引用した前述の野中官房長官が小泉首相を批判した「一国の総理として我が国の歴史に汚点を残した」「日本は衰退国として歴史から疎んじられる」という表現とを比較した場合、前者は「悪口」「誹謗中傷」にあたり後者はそれにあたらないなどと截然と区別できるのであろうか。
 また、原告の「国際的には恥を晒すことでしかない歴史認識」という批判は「悪口」「誹謗中傷」にあたり、古賀都議らの「こんな偏向教師を許せるか」(甲40)という表現は「悪口」「誹謗中傷」にあたらないというのが「常識」といえるであろうか。被告側証人の説明は曖昧不明確であって、およそ区別の基準たりえない。これでは、処分者側の主観的恣意的判断に流れる危険性が大きく、懲戒処分を科すにあたっての判断基準の明確性客観性におよそ反するものと言わざるを得ない。

第4 結論
   本件戒告処分は、それまで都教委に原告の個人情報を違法に漏洩させるなど手段を選ばず原告を攻撃し続けてきた古賀都議が友人から本件プリントを見せられて激怒し都教委に怒鳴り込んできたことをきっかけにしたものであり、都教委が古賀都議ら右翼政治家の政治的圧力に屈して大慌てで行ったものである。野中官房長官の激越な小泉首相批判の引用箇所やブッシュ政権に対するそれこそ罵倒とも言いうる批判の引用箇所などには目もくれず、古賀都議と古賀都議らが後押しする扶桑社に対する批判だけを取り上げて、それが今日の歴史学の水準からみて極めて正当な批判であるにもかかわらず、しかも、明確な基準もないままに「悪口」「誹謗中傷」にあたるなどとして処分の理由としたのである。
 以上のとおり、本件戒告処分は、古賀都議らの政治的圧力に屈して行われたものであって、改正前の教育基本法(以下、単に「教育基本法」ないしは「教基法」という。)第10条1項において禁止された不当支配にあたり違法である上、さきの侵略戦争を決して正当化してはならないという原告の教師としての信条・信念に基づいた言動を理由として戒告という不利益処分を科した点において憲法19条に、また、教育者としての正当な教育活動を懲戒処分の対象として原告の「教授の自由」を侵害した点において憲法23条に抵触するものであって、取消を免れない。 

第2章 本件各研修命令発令の違法性、研修内容・研修期間中の原告に対する処遇の違憲違法性及び研修期間中の原告の言動等を免職理由とすることの違法性

第1 本件各研修命令発令自体の違法性
 1 本件2005年9月1日付研修命令(第1次研修命令)処分・同月16日付研修命令(第2次研修命令)処分発令に至る経緯
 (1)原告は、2005年(平成17年)当時、千代田区立九段中学校において勤務していたが、前述のとおり、同年8月30日午後になって、原告は、マスコミの記者から、本件教材プリントの件で、本件戒告処分を受けたことを知らされた(甲66の8、9頁、原告本人28頁)。
 翌同月31日午後4時頃、原告は、九段中学校○○校長から、千代田区立教育研究所において、9月1日から同月16日まで、「学習指導の改善」等を目的とする研修命令を受けたことを知った(以下、「本件第1次研修命令」という。)(甲83、原告本人28乃至30頁、甲66の9頁、根深22頁)。
 なお、○○校長も、同年8月31日の午後、被告千代田区教育委員会(以下、「被告千代田区教委」という。)に呼ばれ、そこで、初めて原告に対する本件第1次研修命令の発令を知らされたものである(甲83、原告本人28乃至30頁、甲66の9頁、根深22頁)。
 それ以前には、○○校長すら、原告に対する研修命令の発令とそのために原告が学校現場を離れる事実も知らされなかったばかりか、同年9月以降原告が学校現場を離れた際の社会科授業の継続、年間授業計画の変更、それによってもたらされるかもしれない生徒達の動揺や混乱、原告が分掌していた授業以外の校務等の引き継ぎ等につき、被告千代田区教委からは、全く何の指示や相談、協議等は行われなかった。
 この点、当時の被告千代田区教委教育指導課長であった酒井寛昭証人は、原告が学校を離れた後の学校現場の授業等に支障が出ないかどうか、本件第1次研修命令発令以前に根深校長と相談・協議したか否かにつき、「私の大事な仕事ですから、学校の教育活動に支障を来さないというのは、これは必ずやることですから、間違いなく電話でやり取りを致しました。」(酒井29頁)と証言している。
 しかし、○○校長の陳述書・証言(甲98、根深22、23頁)、及び、原告の本人尋問における供述(原告本人29頁 なお、後段から6行上に「8月30日」とあるのは、「8月31日」の誤記、または、言い間違いと考えられる。)からして、酒井証言は虚偽であって、被告千代田区教委が、事前に九段中学校の学校現場における授業等に支障や混乱が起きぬよう、生徒達を動揺させぬよう配慮した事実は認められない。
 しかも、呆れたことには、本件第1次研修命令発令について、事前に、原告はおろか○○校長にさえ、何の情報も相談も寄せられていなかったにも拘わらず、同年8月31日の産経新聞の朝刊(甲15)には「(原告に対し)都教委が研修を命ずる方針」との記事が掲載されている。
 すなわち、被告らは、原告が学校現場を離れることによる授業等の支障や生徒達に及ぼす影響など全く配慮していない一方で、本件でも問題とされている「扶桑社」と出版局が一体である産経新聞に対しては、わざわざ「原告に対する本件各研修命令発令」の情報を事前にリークしていたものであり、この1点を捉えても、被告らの「政治的偏頗性」は、明らかであろう。
 また、このことが意味するのは、被告らはここでも、またしても、地公法の守秘義務・東京都個人情報保護条例等に違反して、個人情報を漏洩するという違法行為を行っていた、ということである。
 このような経緯で、同日付で発令された本件第1次研修命令は、同年9月1日から同月16日まで、被告千代田区教委によって、原告に対し研修を命ずるものであった。
 (2)その後、更に、被告千代田区教委は、同月14日頃には、被告都教委に対して、原告を同委員会において、研修を行うよう依頼した。その結果、同月16日、被告は、原告に対して、期間を本年9月20日から翌2006年(平成18年)3月31日まで、実施者を被告都教委、実施場所を東京都教職員研修センター、実施内容を学習指導の改善について他、とする研修命令を発した(以下、「本件第2次研修命令」と言う。)。
 なお、被告千代田区教委による本件第1次研修命令期間が、わずか約2週間と短期間であった事実、2週間後には、そそくさと被告都教委による本件第2次研修命令に切り替えられている事実からして、本件第1次研修命令は本件第2次研修命令発令までの「つなぎ」に過ぎず、そもそも、本件各研修命令処分は、被告千代田区教委というより、本件で問題となった古賀俊昭都議や扶桑社等による政治的圧力下にあった被告都教委の主導により行われていたことが強く推測される。
 2 本件各研修命令発令の違法性
 (1)本件各研修の内容・目的と被告千代田区教委の「期待」の矛盾
    本件各研修は、被告千代田区教委の主張によれば(甲28の5頁)、「東京都教職員研修センター事業概要」(甲27)のうち、「その他の研修」に位置づけられるものであり、「指導力ステップアップ研修及び服務事故再発防止研修」のいずれにも該当しないとのことである(甲27、28)。
 この点、被告千代田区教委の言を借りるならば、本件各研修の内容・目的は、「『学習指導の改善について』、『教育公務員としての資質向上について』及び『生徒、保護者等の個人情報保護に係わる配慮事項』という、3つの項目に関するものであった」というのである。そうであれば、そもそも、被告千代田区教委が主張する「(戒告処分を受けて)原告の自主的な反省がなされること」を「期待」するということと大きく矛盾するものとなる。蓋し、前者の本件各研修の内容・目的は、「改善」「指導」であるはずであり、後者の「自主的な反省」を「期待」するという目的とは全く相容れないものだからである。
 このような矛盾が生じているのは、まさしく、本件各研修が、上記事業概要(甲27)に記載されている「その他の研修」のいずれの類型にも該当しない趣旨不明(あえて言えば、本件各研修が、後述する懲罰目的の研修であり、原告を教育現場から外すことだけを目的とした研修であった)のものであったからに他ならない。このことだけでも、本件各研修の違法性は優に認められるところである。
 付言すれば、前述したように、本件各研修、とりわけ第1次研修が、千代田区教委の主体的な判断からなされたものではなく、古賀都議などの右翼政治家などの圧力下にあった被告都教委の主導により急遽なされたものであったからこそ、上記のような矛盾が生じたのであって、被告千代田区教委の主張する本件各研修の内容・目的が、その場しのぎの後付に過ぎないことを端的に示しているのである。
(2)二重の不利益処分性
    本件第1次・第2次研修命令は、前述の戒告処分を内容とする本件懲戒処分の対象とされている原告の授業内容に対する、二重の不利益処分として発せられたものにほかならない。
 被告千代田区教委は、被告千代田区教委準備書面(1)の21頁において、「本件第1次研修命令は、原告が、平成17年8月30日付けで戒告処分を受け、また、九段中の保護者からも原告が授業で用いた資料につき、不安がある旨の問い合わせがあったことから、不適切な文言を記載した資料を今後授業で用いることのないよう、原告の指導方法の改善、教育公務員としての資質向上を図ることを目的として発令されたものである」と本件戒告処分と同じ基礎事実が研修命令発令理由であることを明確に主張するのみならず、本件第1次研修命令発令に係る「教員に対する研修の実施について」等の書面(丙8)において、「2研修を必要とする理由」の中に、「社会科公民の授業において、特定の公人名や出版社名を挙げて、歴史偽造主義者達等と誹謗する不適切な文書記載した資料を作成、配布し、授業を行ったため」と記載されている。
 これらの被告千代田区教委の主張・書証から、本件第1次・第2次研修命令の理由が、本件戒告処分という懲戒処分の処分理由と同じ基礎事実に基づく処分であることは明らかである。
 さらに、後に詳述するとおり、本件各研修命令が原告の「教育現場外し」を伴うものであること、及び本件各研修の内容、本件各研修期間中の原告に対する処遇、更には、本件各研修期間における原告の言動等を本件分限免職処分の理由としている事実を踏まえれば、本件各研修命令処分は、被告らの主張する「懲戒処分ではなく、職務命令」(同準備書面4頁)に過ぎないものでは断じてあり得ず、明確に原告に対する「不利益処分」の性格を有するものである。
 そして、前述のとおり本件戒告処分は、そもそも、本件当時、既に「原告に対する名誉毀損、プライバシー侵害の不法行為」の被告として原告から損害賠償請求され係争中であり、且つ、後に東京地裁において不法行為を行った事実が認定され賠償責任を問われることになる古賀俊昭都議会議員(甲40、41)が、中藤PTA副会長の「御注進」により、原告と生徒ら作成の「ノ・ムヒョン大統領への手紙」の存在を知り、「原告憎し」の私怨をはらさんと、ここぞとばかりに、当時被告都教委の教育指導課長の地位にあった大江近を呼びつけ、調査及び処分を求めたことに端を発していることが認められる(乙ロ23大江陳述書1頁、大江4頁、乙ロ29の1中藤書簡1頁)。
 かかる事実からすれば、その本件戒告処分理由と同じ基礎事実に基づき発令された本件各研修命令処分が、本件以前から出版物やHP、街宣活動等で原告を標的にして誹謗・中傷活動を行っていた古賀俊昭都議会議員・土屋敬之ら右翼政治家(甲31乃至33、40、41,49)や中藤PTA副会長ら右翼傾向の強い保護者、右翼メディア(甲15等)らの政治的圧力に呼応して出された命令であることは容易に推察され、本件各研修命令処分が、不当な政治的意図・圧力に基づく、違法な二重の不利益処分であることは明らかと言うべきである。
 (3)「年度途中の教諭交代」の裁量権逸脱性
  ア そもそも、原告の授業は、毎年4月から3月までの1年度を単位とし、学習指導要領に従い、綿密な年間指導計画に基づいて系統的かつ継続的に実施されていたものであった(甲85、原告本人11、12頁)。
 また、原告の授業は、正常に、且つ、生徒との信頼関係の下で行われていた(甲20乃至24、甲67、河野2頁)。原告は、教科書に基づく通常授業も予定どおり行いつつ、前述のとおり「生徒に正しい歴史や真実を知らせ、生徒に自ら考えさせ、意見を書かせる。」といった趣旨の下、本件「紙上討論授業」という授業方法を取り入れていたものであるが、この「紙上討論授業」は、とりわけ、原告が足立第12中学校に勤務していた当時の生徒らにも強い感銘を与えていたものであり(甲5、甲67、○○3乃至7頁)、九段中学校においても、本件「ノ・ムヒョン大統領への手紙」を含め紙上討論は生徒達に好評を博し、且つ、生徒達自身の認識や意見、考えを深めることに大きく貢献していたことが認められる(甲6,甲20乃至24、甲51)。
 かかる原告の授業は、生徒らの成長に資する授業方法・内容で行われており、生徒らに表れた成果に鑑みても、これを敢えて年度途中で断絶させる必要性は微塵もなかったことは明らかである。
 さらに、原告は、教職員として九段中学校内の校務分掌に従って、学年便りの作成発行等に携わっており(甲97の1乃至14)、教諭・教職員として生徒に対する授業を滞りなく順調に行っていたのみならず、その他の校務分掌等にも一切の懈怠等もなく、週案の提出も指示どおり行い、千代田区内の教育研究会において学校の窓口を務め、遅刻・欠勤等もないのみならず、出勤簿の取扱いや休暇証明処理簿の処理関係では職員の中で一番きちんとして優秀であり(甲66○○陳述書1、2頁、○○1乃至3頁)、もちろん職務命令違反等もなく、○○校長及び同校の他の教職員ら同僚との間にも強い信頼関係を築き、「九段中学校に不可欠の教職員」であった(甲18の1乃至7、甲66の2頁、○○1乃至3頁)。
 にも拘わらず、被告らは、原告に対する本件各研修命令発令、研修内容の企画等に関し、本件教育現場である九段中学校の○○校長から「意見聴取」することすら行わず(守屋25頁)、況や、同校の他の教職員らの意見・抗議・嘆願に耳を傾けることすらしないまま(甲18の1乃至7)、原告に対する本件各研修命令発令及び各研修内容を決定したものである。
 また、原告は、保護者の殆どから信頼されていたことも明らかである(甲25参照)。
 他方で、被告らは、本件各研修命令発令当時、被告都教委による本件第2次研修を企画した企画部長守屋証人でさえ、九段中学校の原告が担当する学年に、何名の保護者がいたかすら把握しておらず(守屋35頁)、況や、甲25にある如く、原告が「保護者一同」から、殊に、「紙上討論授業」について感謝の意思を表明されるほど信頼され支持されていた事実や、原告に対する本件各研修命令による「現場外し」に対して、抗議の意思を表明した保護者がいた事実(根深23頁)すら知ろうともせず(守屋証言35、36頁)、原告が「保護者や地域社会の理解を得られていたか否か」について、何らの根拠もないまま(守屋証言35頁)、あたかも、「原告の授業は、保護者達の理解を得られないから、研修を受ける必要がある」と言わんばかりに、本件各研修命令を発令し、且つ、そのような趣旨の「研修課題」を原告に対して課するなどしている。
 かかる原告が、年度途中、しかも、中学3年生という最も大事な時期の授業を担当していたのにもかかわらず、何の予告もなしに教育現場からいなくなることの弊害の大きさは計り知れないものがあったにもかかわらず、さしたる必要性もないまま、本件各研修命令処分が発令され、原告は、強引に教育現場から外されたのである。
  イ しかるに、被告千代田区教委は、「原告が本件各研修を受講していた当時の九段中3学年の社会科担当教員は、定員2名のところ、原告を含めて3名いたので、原告が本件各研修を受講していた間は、他の2名の担当教員が授業に当たっており、生徒の学習に支障は生じていなかった。」(被告千代田区教委準備書面(1)25頁)と主張している。
 しかしながら、この被告千代田区教委の主張は、「教育現場としての学校とそこで学ぶ生徒、教える教職員、支える保護者」の存在ー教育に不可欠な教師と生徒・保護者との信頼関係ーを全く無視したものであり、「数は足りていたから支障はない」という、およそ公教育に携わる機関としてあるまじき主張であるという外はない。
 「教育現場としての学校とそこで学ぶ生徒、教える教職員、支える保護者」らからすれば、それまで信頼関係を築いてきた担当教諭がいきなりいなくなれば、授業等の教育現場で動揺や混乱が起こるのは必至であろう。
 現に、九段中学校3学年の生徒達の中には、「もっと先生の紙上討論授業を受け続けたかった。」旨の思いを卒業時に手紙に託している生徒もおり(甲20乃至24)、また、同九段中学校の教職員らは、本件各研修命令によって原告が九段中学校の教壇を追われてしまってことに対し、「学校も非常に困り、生徒も迷惑します。是非、この研修命令の取り消しをお願いします。」「現場の混乱、教育活動のしくみ上、生徒にも、我々教師にも多大なダメージを与えることを考慮していない」と抗議と嘆願を行っており(甲18の1乃至7)、さらに、保護者からも、原告に対する本件各研修命令により原告がいなくなったことについて、「増田先生の授業はいい授業なのにどうして」という声が上げられていたのである(○○23頁)。
 被告ら、とりわけ都教委は、かかる生徒、同僚教師、保護者の思いを無視する一方で、本件以前から原告を目の敵にしていた「○○PTA副会長」という「特定の保護者」、あるいは、その友人である「古賀俊昭都議」「土屋敬之都議」といった特定の政治家に対し、異常なまでに気を遣い、その意見を尊重し(乙59)、あまつさえ、彼らの指示に従って違法に原告のプライバシー情報を漏洩することまでも行っている(甲72、甲27、41判決書)。
 付言すれば、被告都教委側証人の種村明頼は、本件の原告に対する一連の処分後の2006年4月13日には、杉並区教育委員会の指導室長として、「扶桑社の教科書を批判しない」よう校長達を「指導」までして、「扶桑社の教科書の普及」にこれ努めている者である(種村49頁)。
 このような被告ら、とりわけ都教委の「政治的偏向・偏頗」ぶりはきわめて著しいものがある。
  ウ 以上のように、本件各研修命令は、被告ら、とりわけ都教委の政治的に偏った立場から、原告が社会科の授業を担当していた学年全体に及ぼす教育上の影響、特に、年間の授業の系統性、継続性の断絶という悪影響や、社会科担当教諭としての原告の立場に対する配慮、教職員としての校務分掌の引き継ぎや、現場の生徒らや教職員らの被る迷惑等に対する配慮を一切欠いた状態で一方的に発令されたものであって、被告らの本件各研修命令は、その裁量権を濫用した違法な研修命令に他ならない。
 (4)手続的違法
    原告は、本件各研修命令の発令を受けた当時、自己が本件第1次研修に出
される理由を全く知らされないままであった。
 また、前述のとおり、本件各研修命令は、後の本件分限免職処分発令と併せ考えれば、実質的には転任ないし免職処分にも相当する不利益処分であり、原告には、生徒らに対する挨拶の機会も、同僚教諭らに対する説明の機会も、後任担当教諭に対する授業、学年文書、校務文書等の引継の機会も与えられていないなど、手続的に極めて異常なものであり、教育的手続の適正を完全に無視したものであった。
 このようにして出された本件各研修命令は、憲法第31条による適正手続の保障並びに告知・聴聞の機会の保障に反する違憲かつ違法なものにほかならない。
 (5)教育基本法第10条1項、学校教育法第28,51条違反
    本件各研修命令は、原告の行った「紙上討論授業」に対して、学習指導の「改善」を目的としていることは、上記の経緯から明白である。
 しかしながら、原告の「紙上討論授業」は、前述のとおり、高い教育的効果を上げているのであり、何ら学習指導改善の要はないことは明らかである。また、原告の「紙上討論授業」は、日本国憲法の基本精神に則った形で、平和主義・基本的人権を尊重し、かつ民主主義国家における主権者としての自覚を高めるものであって、何ら学習指導要領等に反するものでもない。
 かかる原告の「紙上討論授業」に対して、「改善」を強制することは、1947年教育基本法第10条1項が禁止する「不当な支配」に該当することは明白であり、これを受けて教師の教育に関する自律性を認めた学校教育法28,51条に違反することは明白である。
 3 小括
   以上のように、本件各研修命令の発令の経緯自体に個人情報漏洩の違法性が認められるとともに、本来、全く研修の必要性のない原告に対し、本件戒告処分と同様の理由による本件各研修命令を発令したことは、二重の不利益処分に該当する。
 また、特定の保護者を除く生徒、保護者、同僚教師が、原告の授業を望んでいるにもかかわらず、原告を年度途中に教育現場から強引に外すことを目的とした本件各研修命令自体、被告らの裁量権を濫用するものであり、違法であることは明らかである。
 したがって、本件各研修の内容・目的を論ずるまでもなく、本件各研修命令の発令自体、被告らの裁量権の逸脱・濫用であるだけでなく、憲法第31条、教育基本法第10条1項の「不当支配の禁止」、学校教育法第28、51条にも違反する違憲かつ違法なものであり、その取消は免れない。
 
第2 本件各研修内容の違憲・違法性及び本件各研修中の原告に対する処遇の不当・違法性
 1 本件各「研修」内容の非研修性
本来、教職員に命じられる「研修」とは、「教師としての指導力や資質・スキル・適格性の向上のための研鑽」を目的として発せられるべきものであり、研修内容も、例えば、「より高度の指導力・資質・スキル・適格性を有する教育に関する有資格者による指導や講義の受講」等、当然、かかる研修目的に即したものであるべきである。
 ところが、原告に命じられた本件各「研修」の実態は、連日、日がな1日研修報告書の作成に従事せよというものであり(丙9乃至26、乙ロ39乃至42)、原告単独で文献資料や教材キッド等を閲読・分析し、課題論文や研修報告書の作成を行い、それに対して、「指導」主事らの「指導・助言」と称する説教等が加わるだけのもので、何ら研修・研鑽に資する内容ではなかった。
 なお、当時、原告の研修を統括し、「研修実施状況報告」等を行う東京都教職員研修センター(以下、「研修センター」と言う。)所長近藤精一は、前述の土屋敬之都議に原告の個人情報を違法に漏洩した張本人であり(甲72)、かかる事実に照らしても、本件各研修の実施状況及び研修中の原告に対する処遇については、大いなる疑問符が付されねばなるまい(この点、研修センター所長近藤精一は、「教員の研修の実施について」(丙29)においては、自らが、「(3)課題2生徒、保護者等の個人情報保護に係る配慮事項」とうたっているが、「個人情報保護に係る配慮事項」につき研修すべきなのは、原告ではなくむしろ近藤精一の方であろう。)。
 原告から、近藤精一センター所長に対し、本件第2次研修命令期間開始日の2005年9月20日、「近藤精一による原告の個人情報漏洩」等について抗議が行われた際、臨場していた被告都教委研修センター統括指導主事種村証人は、原告の「近藤精一による原告個人漏洩に対する抗議」を聞きながら、「そのような抗議をしているなということは分かりました」が、「抗議されている内容が事実かどうかというのは、特に調べる「必要はない」と考えていた(種村21頁)。
 即ち、被告都教委の研修センターにおいては、原告が明確な根拠に基づく「正当な抗議」についても、その事実関係を調査・確認しようともせず、原告が、本件研修命令処分等に「怒り、不信・不満を抱き抗議している」殊を十分に認識・理解しながらも、原告の不信・不満に対し、「正対し」きちんと受け止め、それを解消するべく善処しようという姿勢を一切示していない。
 これでは、そもそも、原告が被告都教委による本件研修命令やその内容について、不信・不満が解消されないことから、抗議を繰り返さざるを得なかったことは当然である。
しかも、近藤精一は、「教員の研修の実施状況について」と題する報告書(乙ロ39乃至42)において、本件第2次研修命令期間開始日である2005年9月20日に原告が前述の近藤精一による個人情報漏洩等について抗議を行った事実、原告がガイダンス等の録音を行った事実につき問題視する記載や、原告が提出した研修報告書やその評価を巡る議論において、例えば、原告が「侵略Part1」というビデオを授業で使用したことにつき、「反省を促したが反省しなかった」旨の記載があり、課題論文に対しては、「学習指導要領及び社会科の各分野の教材分析等」については、一定の研修成果を認めつつも(乙ロ41・別紙5頁)、それ以外の14の課題、即ち、本件戒告処分の理由となった「古賀都議や扶桑社を歴史偽造主義者達等記載した教材を授業で使用した」等の原告の授業内容や思想・信条に関わる課題において「研修課題に正対していない」、「反省する記載は一切ない」として、原告の思想、信条の自由に対する干渉そのものというべき研修状況を露呈しているものである。
 この点、前述の「侵略Part1」のビデオ教材を例に取るならば、そもそも、当該ビデオは、中学校教員であった現静岡大学講師森正孝教諭が、中学生を対象として作成したビデオであり、元々「中学生の発達段階に配慮して」作成された教材である(甲68)。
 しかも、被告らは、原告の研修中の研修課題及び課題論文を巡る「指導」「評価」等において、「侵略Part1」の中に「幼児の死体写真、強姦等の用語や強姦され腹を割かれたとされる女性の死体の写真が多数ある」「残虐シーンがある」点が問題であり、「中学生の発達段階に合わない」(乙ロ41の別紙4頁、種村17、28、29頁)等考え、その考えに固執して、しつこく原告に「反省」を求めていたものである。
しかしながら、「残虐シーン」というのであれば広島や長崎の原爆資料館等にも「残虐な」写真等の展示がなされており、また、三重県松坂市では、「食育」「『命をいただく』とは?」として、小学生に牛が屠殺され、解体され、食肉加工される現場を生で見せるという教育も行われており(甲90)、全国の公教育の現場では、中学生に対してにせよ、小学生に対してにせよ、「残虐シーン」だからといって「見せるべきではない」などという教育は行われていない。
 更に、そもそも被告らは、九段中学校の生徒らに対し、「傷ついたという生徒がいるか、いないかという調査」も全くしていない(種村31頁)。
 要するに、被告らは、原告が「侵略Part1」を授業の教材に使用したことについて、「本気でそのビデオを視聴した生徒達のことを心配し、生徒の意見やアンケート調査の結果等の正当な根拠に基づき問題としている。」のではなく、しかも、本件第2次研修命令開始の時点では、「研修の内容として『侵略』のビデオを教材として使用した事実を問題にするという前提」は「なかった」(種村33頁)ものであり、この点についても、原告に「教育公務員不適格」の「レッテル貼り」のために、論っているのに過ぎないのである。
 現に、原告が「侵略Part1」を授業で上映した際も、生徒の中で上映中に教室を出て行ったり、そのせいで「授業が怖くなったとか、あるいは、学校に行けなくなった生徒が出た事実」は一切なく、報告もされていない(種村29頁)。
 のみならず、それを見た後の生徒の意見として、「日本軍があんなにひどいことをしていたなんて、とてもショックでした。『戦争は恐ろしいものだ』と分かっているつもりだったけど、予想をはるかに越えるほど残酷でした。・・・ビデオを見て、中国の反日感情を持つ方々の気持ちが痛いほど、分かるようになりました。」(乙ロ40資料4)、「戦争や原爆のビデオを見たりして、涙した事もありました。・・・あれらのビデオを見たお陰で、教科書では学べない真実を知る事ができました。先生の授業で無駄になった事は一つもありません。」(甲23)等、生徒は「残酷な行為」は「残酷な行為」としてきちんと受け止め、感じつつ、それを自身の歴史認識や意見に反映させるという営みを行い、成長しているのである。
 このような生徒らの「発達段階」を理解せず、「日本軍が侵略行為の中で行った強姦や虐殺行為」につき「残酷だから」と隠蔽しようとする被告ら(被告ら側証人である教職員らを含む)の有り様こそ、公教育に携わる教育公務員、教育機関とは信じ難い姿勢であり、まるで、茶の間でテレビドラマを見ているときに、性的な場面等が流れた途端に、子どもの方では気にもしていないのに、気まずさと照れ臭さから子どもに対し「もう寝なさい。」と叱りつける大人のような「幼稚」さ「稚拙」さである。
 その上、被告らは、「生徒達に日本が侵略をしたという事実を指導する」こと自体は「問題ない。」「教科書に載ってますので。」(種村34頁)としながらも、本件各研修命令に基づく研修を受講した原告が、本件紙上討論授業「ノ・ムヒョン大統領への手紙」において原告が「日本の侵略を否定する都議会議員という公人の発言や出版社を批判した教材を授業で使用した」ことを「反省しなかった」事実や、前述のとおり、ビデオ「侵略Part1」を教材に使ったことを「原告が不適切と認めなかった」事実を、「本件研修の成果が上がらなかった。」「御本人(原告)の私どもの研修の認識への理解がなかなか深まっていない。」(種村44、45頁)根拠として挙げている。
 にも拘わらず、そもそも、被告らの本件各研修においては、「原告の授業、学校での教育態度、指導方針等を調査して、情報収集や資料集め」を行ったこともなく、「九段中学校の根深校長や、保護者らに調査をする等して、原告の授業の問題点についてリサーチし、その結果を原告に提示するなどして、原告に対し、『具体的に原告が行った授業が不適切であることを論証』することは一切行われていない(種村49頁、原告本人37頁)。
 これでは、原告が「反省しようにも反省する根拠も論拠も被告らから提示されない」のであるから、被告ら主張の如く「原告が研修内容を理解し、反省する」ことが「研修成果」だとすれば、本件「研修成果が上がらない」のは、当然であり、且つ、その原因は、被告らの本件各研修の内容と指導方法等に問題があるのであって、原告に問題がある訳ではない。
 そして、実際の本件各研修期間中の「研修」の内容自体、何らの資格・学識・知見も持たない研修センター研修部企画課長守屋一幸、研修部企画課統括指導主事種村明頼らを筆頭とする「指導主事」らが、原告の思想・信条に基づく授業内容や研修態度に対し、「研修課題」(露骨な課題としては、甲9の2、甲9の3、丙21、丙23、丙24等)、「指導」或いは「助言」と称して、原告にその教諭・教育公務員としての信念を曲げることを強要し続けるというものであって、その「指導内容」は、正に「転向強要と思想統制」、「思想・信条・良心に対する侵害」以外の何ものでもなかったのである(乙ロ39乃至42、丙9乃至26)。
 2 本件各研修中の原告に対する処遇の不当・違法性 
 のみならず、原告は、本件各「研修」、殊に、研修センターにおける第2次研修期間中には、せせこましく仕切られた狭い空間に壁に向かって薄汚い机と椅子が置かれ、そこを原告の「研修場所」と定められ(甲91、92)、「指導」主事から、研修の全期間中に渡り、原告の一挙手一投足を監視し、原告の一挙手一投足を書面に記録するなど、「ゲシュタポ」張りの監視体制下におかれていた(甲82、甲83原告陳述書47頁、原告本人32、33頁)。
しかも、原告は、トイレやゴミを捨てに行く等の「ものの数分にも満たない僅かな時間の離席」についても、行き先をその都度「指導」担当所員に報告することを義務づけられ(甲83の47頁、原告本人32、33頁、種村23、24頁)、且つ、その離席を記録される(甲82)など、刑務所や強制収容所もかくやという処遇を受けた。
 現に、原告は、余りにも机が汚いのでティッシュで机を拭き、そのゴミを捨てに出てすぐ戻ったところ、その1分にも満たない離席について、清水という若い女性の「指導」主事から、「部屋を出るときは行き先を報告しなさい」旨の注意を受けた(甲83の47頁、原告本人33頁)。
 そこで、原告が清水主事に対し、「トイレ等の短い離席までいちいち報告しなければならないのは人権侵害ではないか。」旨の抗議をしていたところ、清水主事自身は、「指導主事」という原告ら研修受講者の上に立ち「指導」する立場にあるにも拘わらず、この原告の抗議に対して「正対して」回答しようとせず、他の男性「指導」主事を呼んできて説明させようとする始末であり(原告本人33頁)、しかも、呼ばれてきた男性「指導」主事も、「以前、『トイレに行く』と言って、トイレに行っていないときがありまして」(原告本人33頁)などと、研修センターにおいては「研修受講者がトイレに行くか否かについてまで、いちいち監視・監督・観察している実態」を自白するなど、「研修」の呆れた実態が暴露されたものであった。
 これに対し、本件研修当時の研修センター研修部企画課統括指導主事であり被告都教委側の証人である種村明頼は、「原告のトイレ等の離席時間をその都度記載、記録していたのではないか」旨の尋問に対し、「そんなのはもう一切ございません。そういう目的ではないので。」(種村25頁)として臆面もなく否認し、事実を隠蔽しようと図ったが、甲82の原告研修記録簿の一部を弾劾証拠として示され、慌てて「(私は)そういう指示はしてません。」(同27頁)と言い訳しつつ、「(分単位で短い3分ほどの離席を研修記録簿に付けている指導主事がいたことは事実か)はい。」(同頁)と本件研修中の原告に対する監視・記録態勢の人権侵害性・非人道性を認めざるを得ない結果となっている。
 そして、このような研修期間中の研修受講者に対する人権侵害的監視・監督行為は、前述のとおり、他の研修受講者に対しても行われており、「60歳に近い男性教員の研修生の方が、はるかに年若い女性の指導主事に、『トイレに行ってきます、トイレから帰りました』」と報告させられるなどの屈辱的な姿は、それを見る原告自身の心を傷つけ、精神的に苦痛を与えるものであった(原告本人34頁)。
 3 原告に対する研修処分の「思想改造」性について
 (1)被告都教委は、同準備書面(5)第2の1(6)で「本件研修は、・・『学習指導法の改善に関すること』等を目的としているのであり、本件研修を『思想改造教育』であると主張すること自体、原告の教育公務員としての不適格性(独善的性格)を徴表するものである」と主張する。
 (2)しかしながら、いやしくも、「研修命令処分」に基づく「研修」の目的は、本来、「教師としての指導力や資質・スキル・適格性の向上のための研鑽」であるべきものであり、研修内容も、例えば、「より高度の指導力・資質・スキル・適格性を有する教育に関する有資格者による指導や講義の受講」等、当然、かかる研修目的に即したものであるべきである。
   しかしながら、原告に対し課せられた「研修課題」の内容は、いずれも、原告の教育者として正当な思想・信条、信念・良心の変更・改造を迫るものであり、到底「研修」の名に値するものではなかったことは、これまでも再三にわたり主張立証しているところであり、ここでは、最低限のことについて反論することとする。
    例えば、2005年(平成17年)12月6日の「研修受講後の課題」としては、「千代田区立九段中学校で、昨年度、2年生にビデオ『侵略』『予言』を見せて、授業を行った理由は何か。また、本日の研修を踏まえ、こうした教材の使用についてどう考えるか。」というものであり、あたかも、原告が、授業の教材として「予言」、「侵略」といった教材を使用したことが責められるべきことであるかの如く、指摘されていることが優に認められる。
また、同月7日には、「『教材等の作成及び使用に当たっての配慮事項』の研修における事前課題」と称して、「1 千代田区立九段中学校において、平成17年6月末頃から7月初め頃までに、あなたの個人的見解で特定個人や団体等を誹謗中傷した箇所がある資料を生徒に配布して授業を行った理由及び教育公務員としてのあなたの考え方について述べなさい。2 ノ・ムヒョン大統領の演説の全文を載せた教材プリントを生徒に配布し、ノ・ムヒョン大統領に手紙を出す、といった授業を行った理由及び教育公務員としてのあなたの考えについて述べなさい。」という設問が出されている。そもそも、上記のような「課題」を「研修」の場で原告に課すること自体、原告の授業内容、思想・信条を否定的なものとして捉え、これに対する「反省」「改悛」を求めていることは明らかである。したがって、その「研修」目的は、専ら、原告の教育現場における授業内容、思想・信条を問題視し、原告に「思想改造」を迫ることにあったことは優に認められる。
    そして、こうした研修内容に対し、原告が「イヤガラセ研修」と批判・抗議したことについては、同年11月30日、「昨日の研修内容を踏まえ、以下についての考えを記述して下さい。」として、「3 あなたが、所長に対する「要求書」の中で、たびたび都研修センターにおける研修を「イヤガラセ研修」と記述していることについて、(1)書いた理由は何か。(2)このことを教育公務員としてどのように認識しているか。」という内容の「研修受講後の課題(2)」が出されている。かかる課題の内容からしても、本件研修命令処分の目的が、都教育委員会による原告攻撃・バッシングと「思想改造」にあったことは明らかである。
 (3)エホバの証人事件最高裁判決(平成8.3.8二小判、民集50巻3号)は、「自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられるという性質を有する」不利益処分を行う場合には、処分権者は「そのことに相応の考慮を払う必要があった」とし、2年続けて原級留置となったため退学内規・学則に当てはめて退学処分としたことを考慮不尽・他事考慮による裁量権濫用にあたると判断した。この判示内容は、思想・良心、信教の自由を制約する性質の処分を行う場合に、処分権者がその点を考慮に入れることなく、処分基準を形式的に適用した場合には、違法となると解釈することができる。
この判例に照らせば、前述のような実情の本件各「研修」は、「研修」とは名ばかりの、思想、信条の自由に対する干渉、原告の憲法尊重教育、平和擁護教育に対する弾圧にして、原告に対する身体的・精神的な拷問であり、研修に名を借りて、事実上転任ないしは懲戒免職処分に処したと同様の効果を狙うものであって、違憲、違法かつ不当な不利益処分であると言える。
 4 小括
   以上のように、本件各研修の内容・目的は、原告の日本国憲法の精神を生徒たちに主体的な思考に基づく意見表明を通じて体得させるという教育者としての正当な「信念・良心」の変更・改造を強要するものであったのであり、違憲違法なものであった。
 また、本件各研修中における原告に対する処遇も極めて人権侵害性の強いものであり、違法かつ不当なものであったことは明らかである。
 かかる観点からも、本件各研修命令処分の取消は免れない。

第3 本件各研修命令処分の違法・無効を確認する利益と必要性
 1 被告千代田区教委の主張
   被告千代田区教委は、その答弁書「2 却下を求める理由」において、要するに(1)原告が本件において無効確認を求めている各研修命令処分(以下、「本件各研修命令処分」という。)は、行政訴訟法3条4項の対象となる処分又は裁決に当たらない、(2)本件各研修処分は既にその期間を終了しており、訴えの利益がない、(3)本件各研修処分は過去の権利関係であって、確認の利益がない旨を主張する。
 2 被告千代田区教委の主張の不当性
          ー本件各研修命令処分の違法・無効を確認する利益と必要性
   そこで、原告「準備書面(1)」記載と重複となるが、ここに改めて本件各研修命令処分の違法・無効確認の利益及び必要性について述べることとする。
 (1)原告に対する本件分限免職処分に関する処分命令通知書(甲1の2)からも明らかなとおり、本件分限免職処分においては、原告に対する本件戒告処分等と並んで、本件各研修命令処分の存在自体も、本件分限免職処分の根拠・理由とされているものである。即ち、「原告が本件各研修命令を受けたこと自体」、及び、本件各研修命令に基づく研修期間中の原告の態度や言動をもって、東京都教育委員会は、「原告は教育公務員としての適格性を欠くと判断した」旨明言しているのである。
 この点、被告千代田区の引用する最高裁判例(最高裁判所昭和30年2月24日判決・民集9巻2号217頁)は、「しかし、行政事件訴訟特例法が行政処分の取消変更を求める訴を規定しているのは、公権力の主体たる国又は公共団体がその行為によつて、国民の権利義務を形成し、或はその範囲を確定することが法律上認められている場合に、具体的な行為によつて権利を侵された者のために、その違法を主張せしめ、その効力を失わしめるためである。」と判示するところ、本件各研修処分は、各研修期間中の原告の行動、一挙手一投足を常に監視し、記録し、原告に手洗い・排泄・排便のための離席まで全て報告義務を課するなど、それ自体が、原告にとって屈辱的且つ非人道的な処分であったことに加え、本件分限免職処分という、公務員にとって最大と言っても過言でない不利益処分において、原告が本件各研修命令処分を命ぜられた事実、及び、本件各研修命令期間中の原告の態度や言動を「適格性欠如」の理由として列挙するものであるから、本件各研修命令処分は、明らかに「公権力の主体たる国又は公共団体がその行為によつて、国民の権利義務を形成し、或はその範囲を確定することが法律上認められている場合」に該当し、原告は、本件各研修命令処分によって、「権利を侵され」たことにつき、「その違法を主張し、その効力を失わせる」権利と利益を有すると言える。
 (2)また、この点、「本件分限免職処分の根拠・理由として本件各研修命令処分が列挙されているとしても、本件分限免職処分の取消を求める理由中の判断においてその違法性が指摘されれば足り、主文において無効を確認する必要はない」と言った反論も考えられるが、原告は、主文において、本件各研修命令処分の無効の確認を求める利益を有していると言うべきである。
 すなわち、原告は、これまでに複数回に及ぶ研修命令処分を受けてきたところ、原告が命じられた本件各研修処分を含む研修命令処分の存在、及び、各研修期間中の原告の態度・言動は、全て、本件分限免職処分の処分理由に列挙されているのであって、仮に、本件において、本件分限免職処分の取消が認められたとしても、今後、新たに、本件各研修命令処分を根拠・理由とする分限免職等の不利益処分が原告に科される虞も無しとしないものである。
 この点、最高裁判所昭和47年11月30日判決(民集26巻9号1746頁)は、「ところで、具体的・現実的な争訟の解決を目的とする現行訴訟制度のもとにおいては、義務違反の結果として将来なんらかの不利益処分を受けるおそれがあるというだけで、その処分の発動を差止めるため、事前に右義務の存否の確定を求めることが当然許されるわけではなく、当該義務の履行によつて侵害を受ける権利の性質およびその侵害の程度、違反に対する制裁としての不利益処分の確実性およびその内容または性質等に照らし、右処分を受けてからこれに関する訴訟のなかで事後的に義務の存否を争つたのでは回復しがたい重大な損害を被るおそれがある等、事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がある場合は格別、そうでないかぎり、あらかじめ右のような義務の存否の確定を求める法律上の利益を認めることはできないものと解すべきである。」と判示するところ、原告が、本件分限免職処分において現に行われたと同様に、本件各研修命令処分を根拠として、将来的にも分限免職等の著しい不利益処分を科される虞は、蓋然性も高く、具体的且つ現実的なものであり、その侵害の程度は著しいものである。
 よって、原告としては、本件分限免職処分の取消を求めるのみならず、将来高い蓋然性、具体性、現実性を持って予想される不利益処分を回避するためにも、本件各研修命令処分の無効を確認する利益を有するものである。
 以上、本件各研修命令処分は、行政訴訟法3条4項の対象となる処分又は裁決に該当する。
 3 小括
   前述のとおり、本件各研修命令処分は、その存在及び研修期間中の原告の態度・言動が、直接に本件分限免職処分の根拠・理由とされているものであり、しかも、本件分限免職処分が取消された後にも、新たな不利益処分の根拠・理由として浮上する虞も高いものであることから、本件各研修命令処分で命ぜられた研修期間が終了しているとしても、原告は、本件各研修命令処分の無効確認を求める訴えの利益を有している。
   加えて、本件分限免職処分が下される直前の2006(平成18)年3月10日には、「港区立御成門中学校への転任」が内定していたところ、本件分限免職処分が取消・撤回され、原告が復職した場合にも、本件各研修命令処分の存在を前提として、更に、原告に対し、「研修の続行」的性格を有する新たな研修命令が下される具体的かつ現実的な蓋然性が存在するものであって、この点からしても、原告が本件各研修命令処分の無効を確認を求める訴えの利益は存在する。
   以上のとおり、原告にとっては、本件各研修命令処分は、「過去の屈辱的かつ非人道的処分」であるのみならず、「本件分限免職処分という最大の不利益処分」の根拠・理由とされ、更には、将来に亘って分限免職等不利益処分の根拠・理由となりかねないものであるから、現在及び将来に亘って無効を確認する利益と必要性を有するものであり、「確認の利益のない過去の権利関係」ではあり得ない。

第4 結論ー本件各研修命令の不利益処分に基づく原告の損害賠償請求権
   前述のとおり、原告は、本件各研修命令発令により、教育者である原告にとって「生きるべき場所」とも言うべき「教壇」を追われ、学校現場から外され、愛する生徒達や信頼する同僚らとも引き離されてしまった(甲20乃至25、甲18の1乃至7)。
   また、本件各研修命令は、本件戒告処分という「懲戒処分」の理由となる基礎事実と同じ理由で発令されており、且つ、本件各研修命令処分が原告に対する「不利益処分」であることは疑う余地はないことから、本件各研修命令発令自体、違法な二重処分であり、被告らの裁量権濫用・逸脱に当たる違法な処分であり、原告に対し本件各研修命令の理由・目的等も一切教えず、原告に告知・聴聞の機会も与えずに発令された適正手続違反の処分であり(憲法31条)、「学習指導要領に従った原告の授業内容への不当な支配・干渉」として教育基本法第10条1項、学校教育法第28、51条に違反する不利益処分である。
   更に、本件各研修命令期間中に行われた「研修」は、およそ「研修」の名に値せず、ただただ、「原告の教育者としての思想・信念・良心に基づく授業内容、言動」等に対し、ひたすら「反省」と「転向・屈従」を迫るというものであり(丙9乃至26、乙ロ39乃至41)、被告らは、その「目的」のために、殊に、本件第2次研修中には、原告に、狭い仕切りで仕切られ壁に向かって置かれた薄汚い机と椅子(甲91、92)の上で無言の行を強い、原告を監視・監督し、トイレ等の短時間の離席についてもいちいち行き先の報告を義務づけ(甲83の47頁、原告本人供述32、33頁)、その一挙手一投足につき、分刻みで記録を付ける(甲82)という人権侵害的・非人道的処遇を行った。
   原告は、自らに対し本件各研修中に「指導」と称して加えられた圧力、転向強要、強制収容所や刑務所並みの監視・監督・観察態勢により、身体的且つ精神的に深い苦痛を味わったのみならず、他の高齢の研修受講者までも、屈辱的処遇を受けているのを目の当たりにし、心を痛める思いをしている(原告本人供述34頁)。
   さらに、原告が、本件研修中に、被告らの圧力と転向強要にも屈せず、「反省の態度を示さなかった」事実、原告がこれらの人権侵害的・非人道的処遇に対し抗議を行った事実、原告が研修内容や研修中の処遇等の証拠を保全するために録音を行い、原告自身の研修記録簿を閲覧した事実までも「服務事故」(乙58)扱いし、果ては、それら「研修中の原告の言動」を、教育公務員にとって最たる不利益処分である(懲戒免職を除けば)本件分限免職処分の理由とするものである(甲1の2)。
   以上のとおり、原告は、違法・不当・無効な本件各研修命令発令、違憲・違法な本件各研修の内容、その間の原告に対する人権侵害的処遇、違法・不当な本件各研修受講期間中の原告の言動を本件分限免職処分という最たる不利益処分の理由とされることにより、多大なる身体的・精神的苦痛を味わった。
   被告らは、原告に対し、前述のとおり、違法・不当・無効な本件各研修命令発令、研修処分実施、研修結果の違法・不当な利用という不法行為、及び雇用契約上の債務不履行を行い、原告に損害を与えたものであるから、本件各研修命令処分の取消はもちろんのこと、原告の被告らに対する損害賠償請求権も当然認められなければならない。

■第3章に続く