「扶桑社教科書批判で免職」取り消し請求裁判、最終陳述10/10/27

 昨日は、件名裁判の結審に大勢の傍聴参加がありました。お忙しい中、参加いただきありがとうございました。また、傍聴席がなくなってしまい、法廷に入れなかった方には申し訳ありませんでした。

 判決は来年2月10日(木)13:10〜東京高裁822号法廷で出されます。日本が「法恥国家」でなく、「法治国家」であることを証明してほしいものですけど…

以下、少々長いですが、私の最終陳述をご紹介します。添付の最終準備書面は104ページありますので、ご関心がありましたら、目を通していただけたら嬉しいです。

■増田「免職取り消し」請求裁判、控訴審の最終準備書面


陳   述   書
                            2010年10月26日
                                                   増田都子
 東京都の中学校社会科教員として33年間、生徒たちと充実した教職生活を送っていた私が、被控訴人都教委によって本件免職処分を受けてから、はや4年の歳月が過ぎ去りました。この「処分取消」請求裁判控訴審も本日をもって終わりますので、本法廷の裁判官に渾身から訴えます。

 私は、今年、60歳になり、遂に定年退職の年を迎えました。
つまり、私がこの裁判で訴え続けた分限処分等の不当性が認められ、「処分取消」が認められたとしても、私は教壇に戻ることは出来ない、私の教師としての生命は、永久に絶たれてしまったということです。

 私は、今でも、本件分限処分を受けた2006年3月の、私が出席することすら許されなかった卒業式の日のことを、そして、その後に生徒達や保護者の方々からいただいた手紙のことを思い出し、涙を流します。

 私は、教師として、勿論、至らないところもたくさんあったと思います。
それでも、私の授業や日々の触れ合いの中から共に学び、私を慕い、私の授業に意味や楽しみを見出し、学んだことを忘れず、人生や将来に生かしてゆこうとする生徒達がいることを、誇りに思いながら、裁判所とこの場にいる方々に訴えたいと思います。

 とりわけ、本件戒告処分や免職処分の理由ともされた「紙上討論授業」について、卒業生の答辞の中で特にそのことに触れ、「特に私達にとって大きなプラスとなったのは二年生から社会でやり始めた紙上討論授業です。そこで他人の意見と自分の意見を照らし合わせ深く考えさせられました。自分の愚かな行動や考え方に気づいた人もいます。また自分の行動や考え方に自信を持てるようになった人もいます。」と生徒達が高く評価し意義を見出してくれていたこと、

「紙上討論をきっかけに社会に興味を持つようになった」とか「紙上討論は私に色んな事を教え自覚させてくれました。自分の意見を他人とぶつけ合うことの気持ちよさ、それに、自分の意見に責任を持つことの重大さなどです。」とか「紙上討論がだんだん面白くなってきて、楽しみになった。」等手紙に書いてくれた生徒達がいたことを誇りに思います。 

 そして、私が、本件免職処分のために、そのような生徒達に出会い、その生徒達と共に学び、生徒達の成長を見守るという、私が人生をかけた素晴らしい「教師」としての仕事を永久に奪い取られたことを、その悲しみと怒りを、訴えます。

 私は、この約4年半の間、教壇に立ち授業を行うことはおろか、生徒達に会うことさえできず、経済的な生活基盤も奪われて過ごしてきたのです。

 2009年6月11日の第1審判決(原判決)は、「教育における最大にして最重要な評価者たる生徒達の意見」であるこれらの事実を全く考慮してくれなかったという意味でも、あまりに「公正・中立」を欠く偏頗なものだと思います。


 本法廷の始まりの日である、去年9月11日に少々陳述させていただきましたが、今、読み返しても、これが本物の「公正・中立」な裁判官の手になったものとは到底思えません。原判決は、侵略否定の本件都議・古賀俊明を「国際的に恥を晒すことでしかない歴史認識を得々として嬉々として披露している」「歴史偽造主義者達」であり、「侵略の正当化教科書として歴史偽造で有名な扶桑社の歴史教科書」と中学生に批判して教えたりした「表現は、ことさらに特定の個人及び法人を取り上げて、客観性なく決め付けて、稚拙な表現で揶揄するものであり、特定のものを誹謗するものであることは明らかである」と決め付けました。

 しかし、原判決のどこを探しても、なぜ、この表現が「誹謗するものであることは明らか」であるのか、についての『客観性』ある理由、「批判」と「誹謗」の判断基準は、どこにも書いてありません。原判決の論理上は「都教委が『誹謗』と判断して処分し、増田も処分された事実を認めているから、『誹謗するものであることは明らかである』」というだけです。本末転倒で、これでは「裁判」というものの意味がありません。付言すれば「稚拙な表現」などとは、さすがの被控訴人らも主張していなかったものです。

 本法廷においては、「批判」と「誹謗」の定義・基準、「教育の公正・中立」の定義・基準を明らかにしてから、事実認定を行ってくださるよう、お願いいたします。

 また、原判決は、被控訴人都教委らにとって不利な証拠・事実は、全て意図的に欠落させていました。時間の関係からほんの一例だけ挙げます。被控訴人都教委は、私の個人情報を違法に本件都議らに提供していた事実があります。しかも、その情報漏洩を行っていた者が本件被控訴人都教委の研修センター所長であり、私の分限免職の理由となる「研修の成果が上がらない」旨の報告を行った近藤精一なのです。

 違法行為の連携も厭わない本件都議らと被控訴人都教委の、通常では考えられない癒着関係についての判断は、本件都議の介入・指示から始まった本件処分が正当であるか不当であるか、被控訴人都教委の幹部として、その違法行為を実行した当該の近藤精一が研修センター所長として私に「公務員の資質の向上」について研修指導を行い評価することが適切であるか否か、の判断には欠かせないもののはずです。にもかかわらず、原判決は、この事実を「事実認定」から完全に欠落させています。

 一方、原判決は、私に有利な証拠事実は全く意図的に欠落させていました。これも、ほんの一例を挙げれば、私のただ一人の直接の上司である九段中校長の「何の問題もない教員だった」という勇気ある証言なども全く事実認定していません。私が「公正・中立な教育をしていたか否か、公務員適格か否か」、最もよく知る立場にあったのは九段中校長であって、被控訴人都教委らではありません。

 また、被控訴人都教委は「客観的に正しい歴史認識など存在しない」とまで主張しましたが、本年8月10日の菅首相談話にも見られるように日本政府は「日本の植民地支配と侵略」を国の内外に謝罪しています。つまり、被控訴人都教委は、政府見解は「客観的に正しい歴史認識」ではない、と主張しているのです。このような被控訴人と、日本国憲法を判断基準の前提とする社会科教員として「歴史の真実に照らし、客観的に誤った歴史認識」を批判して教えた私と、どちらが本当の「公務員不適格」でしょうか?

 本法廷においては、在豪日本人研究者、韓国市民団体、行政法の権威である阿部泰隆中央大学教授、山田昭次立教大学名誉教授らの意見書を提出していますが、いずれも、日本の侵略を否定する扶桑社歴史教科書や本件都議の発言を批判して生徒に教えることは正当であることを、客観性ある証拠に基づいて証明しています。本件では裁判官の歴史認識も問われているのです。ぜひ、裁判所としてこの点の判断をお願いします…というより、この点の判断をしなければ、私の表現が「誹謗」なのか、正当な「批判」なのかは、本来、判断はできないはずです。

 さらに、分限免職事例裁判の基準となる、長束小学校校長事件の最高裁判例は「免職処分の場合における適格性の判断を特に厳密、慎重にすべき」との基準を示していますが、第1審では、被控訴人都教委側は関係する証人の全てが、私の「適格性の判断を特に厳密、慎重に」行っていないことを証言したにもかかわらず、原判決はこれも無視するという判断をしています。

 その上、これは提出している公平原則違反の証拠の中のほんの一例ですが、ある小学校副校長の場合は「一般教員時代の2002年6月頃から2003年10月頃までの間、繰り返し女子児童の身体を自己の身体に引き寄せるというセクハラ行為を行っていた上、副校長になった2007年6月から同年9月までの間、複数の女子児童に対して腰付近をさわるという行為を繰り返し行っていた。」にもかかわらず、被控訴人都教委は停職6ヶ月にしかせず、「公務員適格」と判断しています。

 しかし、私の行った言動は、このセクシャル・ハラスメント教員よりも酷い処分が値するようなものでしょうか?

 本法廷においては、ぜひ、行政から独立した司法権の行使者として、証拠・意見書を全部きちんと見ていただいた上で、「公正・中立」な判決を出された、と評価されるに値する判決を出していただけることを、心から期待申し上げます。

 裁判官の皆様には私の陳述を、よく聞いていただき、ありがとうございました。

■増田「免職取り消し」請求裁判、控訴審の最終準備書面