歴史偽造主意勢力と闘う裁判傍聴&署名ご協力、お礼 09/3/6

 私は、扶桑社歴史教科書&侵略否定妄言都議への批判を中学生に教えたことで都教委による超!? 不当免職処分を受け、この「取り消し要求」裁判を闘ってきました。

 昨日は3年にわたる、その裁判の結審の日でした。お忙しいところ、傍聴者の方でほぼ満席にしていただき、たいへん、ありがとうございました。遠路はるばる三重県から来ていただいたご夫婦もあり、心から感謝申し上げます! 3悪都議のためにスパイにきた品性下劣な右翼も一人いましたが、デマ宣伝能力に長けているらしいので私の意見陳述を正確に伝える能力はないでしょうね。

 さて、この裁判官に対して私の「処分取り消し」判決を求める署名へのご協力も多数いただき、たいへん、ありがとうございました。実は、私は今年に入ってからは都議会請願にエネルギーを取られ、実質、去年の終わりの2ヶ月間しか取り組めなかったのですが、東京全労協に結集している、東京清掃組合、東水労はじめ、全国の国労闘争団の方々や多数の個人の方のご協力のおかげで、団体署名205、個人署名約6100筆を、同時に提出することができました!

 この闘いは「侵略否定の歴史偽造勢力との闘い」をその本質とするものですから、ハルビン731部隊シンポでの中国人研究者の方々の署名、ソウル歴史NGO大会での韓国人研究者・市民の方々の署名、また、在豪日本人太平洋戦争研究者の方が呼びかけてくださってのオーストラリアからの署名も合わせると約6500筆となり、国際色豊かなものとなりました! ありがとうございます。

 判決日は6月11日(木)16:10〜705号法廷です。「免職に当たっては特に厳密・慎重な考慮を要する」という最高裁判例が確立していますから、被告の都・区教委の証人7人全員が「何も調べてなかった」ことを証言したことを考えれば「特に杜撰、軽率な考慮」で免職にした都教委の処分は、取り消されて当然のものですが・・・これは裁判官の歴史認識についても証明するものとなるでしょう。さて、どうなりますか?

皆様
 ぜひ、この判決日の傍聴参加をお願いします! 以下、130ページに及んだ最終準備書面の最初の部分をご紹介します。長いですが、この闘いの全貌がほぼ分かりますので、添付します。お時間のある時に目を通していただければ嬉しいのですけど・・・

<はじめに>
 1 本件における審理において、原告の教え子である○○証人は、原告が教師として不適格であるとして分限免職処分とされたことに対する考えを問われ、「当時の先生の、本気で、本音でぶつかってくるというエネルギーというのはすごいと思うんです。みんな、そういう先生の姿を見て、ちょっとずつそういう姿を感じていたと思うんです。

 なので(紙上討論授業を)続けられたことだと思うので、別にやめたいとみんなが言えばやっていなかったと思うんですけれども、だんだんと意見とかが濃くなってきたりして、3年生なんかのときはみんなしっかりした意見を書いていると思うので、そういうのは先生のエネルギーとか情熱を持って続けてくれないとできなかったことだと思うので、今、社会人になってから、改めて先生の授業を受けたいなと思うことも一杯ありますし、先生は教壇にいるべき人なんだなということを強く思います。」

 と述べ、中学3年生という大事な時期の2学期になって突然、原告という教師を失った千代田区立九段中学校の当時の卒業生は、

「・・・この前の休み明けテストも100点でした。これは本当に増田先生のおかげです。私は、社会があまり好きではなくて、歴史も興味を持てなかったのですが、増田先生の紙上討論をしている内に、みんなの意見をきいて自分もしっかりした意見が持ちたいと思うようになり、積極的に勉強するようになりました。・・・こうして考えて見ると増田先生の授業や紙上討論が、私のこれからの人生に大きな光を作り出してくれたのかも知れません。先生が九段中からいなくなってしまってから、ずっとずっと、いつ帰ってこられるのかなと、いつも待っていました。でも、結局最後まで先生のあの笑顔を見ることができないと知り、とても悲しくなりました。・・・」(甲21)、

「・・・紙上討論は、文章が苦手な私にとって、とても辛いものでした。戦争や原爆のビデオを見たりして、涙した事もありました。でも、その時は大変でも、今振り返ってみると。紙上討論のお陰で、自分の意見が言えるようになり、友達の考えを知る事ができました。あれらのビデオを見たお陰で、教科書では学ぶことのできない真実を知る事ができました。先生の授業で無駄になった事は一つもありません。一年半という短い期間しか授業を受けられな(か)ったのはとても残念ですが、この貴重な体験を大切にし、将来、自分の子供にも真実を教えられる先生のような人間になりたいと思います。」(甲23)などと、原告への想いを綴っている。

 このような原告への教え子たちの想いを見るとき、原告が、まさに、教育の本質的要請である「子どもとの間の直接の人格的接触」(旭川学テ判決)を通じて、生徒たちにかけがえのないものを育てていったことは誰の目にも明らかであり、原告は教育の本質に適う真の意味での「教師」であると言うことができる。

 2 しかるに、被告東京都教育委員会は、かかる原告に対して「教師不適格」の烙印を押したあげく、原告を教壇から追放した。

 被告都教委が、その理由としたのは、結局のところ、原告の11枚にわたる教材プリント中のわずか1,2行にすぎない表現のみであり、これを捉えて、原告を戒告処分にした上、長期研修を強制して教壇から外したあげく、ついには免職処分として、原告から教壇を奪い去ってしまったのである。

 何故なのか?この疑問は、本件審理を通じて明らかとなった。

 それは、石原都知事を頂点とする一部右翼都議(古賀都議ら)と彼らに阿るだけの都教委が、原告の教育実践を快く思っておらず、原告を公教育の場から追放する機会を狙っていたから、という一言に尽きる。

 そこには、1947年教育基本法前文が掲げる「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」という崇高な理想の一片も存在しない。

 あるのは、教育基本法が厳に禁ずる、「政治」が「教育」を支配しようとする「不当支配」だけである。このようなことがまかり通れば、子ども達に信頼される教師、おかしいことをおかしいと言える教師は公教育の場から追放され、残るのは国家意思を伝達するだけの教師か、「もの言わぬ」教師だけとなるであろう。
 
 それは、まさに、天皇崇拝、軍国主義という国家意思を子ども達に注入するだけの場であった戦前の「教育」の姿にほかならない。私たちは、このような理不尽を許してはならない。原告を教壇に復帰させることは、日本国憲法下における司法の責務である。

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