第2回「増田の近現代史講座」まとめ・感想・意見 07/8/4 |
あびこ平和ネットの仲間が立ち上げてくれた企画の7月28日の件名講座に対して、中心となっている若者が意見・感想をメールしてくれましたので、ご紹介します。全文はこちらをご覧ください。こういう真面目な若者がいる! ということだけで嬉しいです。増田への質問に対するコメントは次回のメールでご紹介します。 ●授業後12時〜30分かけて皆で丁寧に読み合わせた紙上討論。 ●皆さんの意見に対して● 「君は私を夢想家と呼ぶかも知れない。でも、私は一人きりじゃない。いつか君も加わってくれれば良いな。きっと世界は一つになるさ」とはジョンレノンの想像。 *4の意見に対して。「民衆の視点がない」、私もそう感じます。では何か? 「たがため」というミスチルの歌がありましたが、だれのための富国強兵であるか? だれのための政治か? だれのための爆撃か? だれのための米軍基地か? 自衛隊基地か? そんな問いを自問しました。 *16の意見に対しても、「日本が好きだ」という時に、「日本」という国の中身は何を指すのか考える必要があるのではないでしょうか? また、富国や国防、愛国、国力、国益という政府が使う言葉、プロパガンダを考えました。 その場合の「国」とは誰のことなのか? 「・・・そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であって、この憲法はかかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」 *13の意見を読んで、そういえば、昭和天皇は戦争責任をとったことになっているのでしょうか? ●増田先生へ● ただ、都教委や増田先生に反対するホームページの様に、中学生には受けさせたくない、と配慮する私の友人もおります。増田先生がクビにされ、新たなファシズムに流されるこのご時世の中で、そういう人の考えを私達はどう配慮できるでしょうか? ただ、増田先生を教育現場から排除した都教委の考えや、やり方には、配慮するというのは筋違いかと思いますが。 また、私の近しい者も「グロテスクなものはみたく無い」という思いを持つ者もいます。授業では、一人ひとりの許容量や内情に配慮されるのでしょうか? その辺りは分限免職に処分した対都教委裁判で争点にはなっていますでしょうか? もはや「歴史観」の相違が問題なのではなく、「どうしても「事実」を事実として受け容れることができない、という当人の精神構造」が問題なのですね。歴史認識能力、「事実を事実として認識する能力」が低い子どもと大人とでは、対応の仕方は違うのでしょうか? もっとも大切な、「事実」を基にして理性的に話し合うことができない大人には、どのように向き合えるでしょうか。 民主主義制度を持つ国の教育の基礎中の基礎である「事実を基にして理性的に話し合う能力を育成すること」が公立学校で、実践できれば良いのですが。 また、新潟の先輩が紹介して下さった「あやつられた龍馬」(加治将一著、祥伝社)。 五代とは、北海道の払い下げ事件で出てきた五代ともあつですね? ●今回の授業の感想、意見● 今回は第1回紙上討論意見を読み上げたところで終わりました。この紙上討論は、こられなかった方々も討論に加わろうと思えば、第1回紙上討論としてまとめられた意見を読んで、何か意見があれば、紙上、メイリングリスト上で発言できる仕組みだと気づきました。 ●次回を楽しみにしています。 |