第2回授業の感想 07/8/4 |
「明治維新(2)新政府と世界」 第2回授業の感想 皆様 2007年7月28日、あびこ平和ネット主催、全15回のシリーズ企画、増田先生の社会科授業「近現代史の真実を知ろう」第2回 『明治維新(2)新政府と世界』に参加しました。 まず、前回の復習から始まり、年表の穴埋めをもとに、独断専行の薩長藩閥、明治政府が断行した台清朝のアジア諸国への侵略、琉球処分、アイヌ「土人」差別弾圧、自由民権運動家の処刑を中心に、自由民権運動の魂を解説しいただきました。 以下新しく知ったこと。 *「旧土人保護法」が廃止されたのは、1997年。 *1879年、琉球処分。処分とは、暴力をたてに無理矢理強制執行すること。 *福沢諭吉『脱亜論』。「不幸な国・・・支那・・・朝鮮・・・古い考えにとらわれている・・・少しも反省しない・・・ともにアジアの国として発展していこうと考える余裕はない。・・・西洋人がやったように処分すべきである。・・・このようなアジアの東方の悪友とは絶交すべきである。」 *それまで「ごこうごみん」の年貢を納めていた農民が3%の地租に反対したのか。 *3700万人の総人口当時、西南戦争は死者、約1万1500人。 *1881年、庶民が怒った、北海道開拓使官有物払い下げ事件。 *同年、板垣退助ら、自由党結成。84年解党。 *1882年、大隈重信ら、立憲改進党結成。84年大隈離党。 *中江兆民『三酔人経論問答』 *自由民権運動の盛り上がりもあり、全国で40編もの憲法案ができた。 *五日市憲法も多摩山奥の豪農、深沢家の崩れかけた土蔵から、たくさんの西欧の文献と共に発見、命名された。 *1882年、自由民権運動、福島事件。 *加波山事件では、平均年齢24歳の若者16名が革命軍を立ち上げるも、軍隊により鎮圧、逮捕、7名が死刑。 *1884年、自由民権運動、群馬、加波山、秩父困民党事件。 *高知県に続いて第2位だった千葉県内の国会開設請願署名数3万2015人も初めて知りました。千葉県内は57社の自由民権結社があったこと。 *植木枝盛『東洋大日本国国憲按』 ●授業後12時〜30分かけて皆で丁寧に読み合わせた紙上討論。 ●皆さんの意見に対して● 「君は私を夢想家と呼ぶかも知れない。でも、私は一人きりじゃない。いつか君も加わってくれれば良いな。きっと世界は一つになるさ」とはジョンレノンの想像。 *4の意見に対して。「民衆の視点がない」、私もそう感じます。では何か? 「たがため」というミスチルの歌がありましたが、だれのための富国強兵であるか? だれのための政治か? だれのための爆撃か? だれのための米軍基地か? 自衛隊基地か? そんな問いを自問しました。 *16の意見に対しても、「日本が好きだ」という時に、「日本」という国の中身は何を指すのか考える必要があるのではないでしょうか? また、富国や国防、愛国、国力、国益という政府が使う言葉、プロパガンダを考えました。 その場合の「国」とは誰のことなのか? 「・・・そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であって、この憲法はかかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」 *13の意見を読んで、そういえば、昭和天皇は戦争責任をとったことになっているのでしょうか? とっていないとしたら、私達は何を根拠に平然と天皇制を続けられるのでしょうか? ●増田先生へ● ただ、都教委や増田先生に反対するホームページの様に、中学生には受けさせたくない、と配慮する私の友人もおります。増田先生がクビにされ、新たなファシズムに流されるこのご時世の中で、そういう人の考えを私達はどう配慮できるでしょうか? ただ、増田先生を教育現場から排除した都教委の考えや、やり方には、配慮するというのは筋違いかと思いますが。 また、私の近しい者も「グロテスクなものはみたく無い」という思いを持つ者もいます。 もはや「歴史観」の相違が問題なのではなく、「どうしても「事実」を事実として受け容れることができない、という当人の精神構造」が問題なのですね。 もっとも大切な、「事実」を基にして理性的に話し合うことができない大人には、どのように向き合えるでしょうか。 民主主義制度を持つ国の教育の基礎中の基礎である「事実を基にして理性的に話し合う能力を育成すること」が公立学校で、実践できれば良いのですが。 また、新潟の先輩が紹介して下さった「あやつられた龍馬」(加治将一著、祥伝社)。 五代とは、北海道の払い下げ事件で出てきた五代ともあつですね? ●今回の授業の感想、意見● 今回は第1回紙上討論意見を読み上げたところで終わりました。この紙上討論は、こられなかった方々も討論に加わろうと思えば、第1回紙上討論としてまとめられた意見を読んで、何か意見があれば、紙上、メイリングリスト上で発言できる仕組みだと気づきました。 若者の問いに答えて 「第2回、増田の近現代史講座」に参加した若者からの問いに、以下のように返信しましたので、ご紹介します。第3回は8月25日(土)14時〜湖北台近隣センター、「帝国憲法と日清戦争」です。関心のある方は、どうぞ、ご参加ください。 ○○様 私の授業を契機にして深く思考をめぐらせ発表してていただき、本当に、嬉しいです。そのことによって、私もまた、深く考えさせられます。こういう生徒さんに出会えることが、教員の仕事の醍醐味です。 また、私の近しい者も「グロテスクなものはみたく無い」という思いを持つ者もいます。 私は映画、皇軍の「侵略」と原爆記録映画「予言」を見せるときには、必ず「あまりにも残酷すぎる場面がありますので『とても見ていられない』と言う人は、目を閉じても机に伏せていてもかまいません。」と言っておきます。 私の授業の経験から言いますと、中学生たちは、興味本位の、文字通り「グロテスクなもの」と、人間の尊厳を根底から破壊した歴史上の事実、決して未来に繰り返してはならないものとしての「グロテスクなもの」を峻別する能力を持っています。 また、映像の「グロテスクなもの」が、興味本位か、それと正反対のものかは、編集した監督の資質にもかかっていると思いますが、前者は中学校の社会科教員だった森正孝さんの編集・監督であり、後者は人も知る羽仁進さんの編集・監督によるものであり、「グロテスクなものはみたく無い」などという対象にはなり得ないものです。私は、強制は絶対にしませんが、これを「グロテスクなものはみたく無い」として見ないのは、『真実を知る権利』を自ら放棄するものであり、「グロテスクだから、見させてはならない」と主張するものは生徒たちの『真実を知る権利』を侵害するものだと考えます。 そして、もちろん、これは、「免職取り消し」裁判の争点です。 もはや「歴史観」の相違が問題なのではなく、「どうしても「事実」を事実として受け容れることができない、という当人の精神構造」が問題なのですね。 そうです! それで、ひとつ、○○さんにお願いなのですけど、今回の授業の初めに『異なる歴史観を学ぶ場』とおっしゃいましたが、それはやめていただきたいのです。私は、この近現代史講座を『異なる歴史観を学ぶ場』とは考えておりません。 「日本は侵略戦争をした」というのは「事実」認識、「歴史認識」の問題であって「歴史観」の相違の問題ではないのです。そもそも「歴史観」という極めてあいまいな言葉は使わない方がいいと私は思います。「歴史観」というのは、唯物史観とか皇国史観とかというように、「ある体系的な歴史の見方」をいうものですから「日清戦争〜アジア太平洋戦争にいたる日本の戦争は、侵略戦争か、自衛の戦争か」というのは、「歴史観」の問題ではないでしょう。 もっとも、皇国史観によりますと「日本は何十万年も前から、太陽の子孫の天皇が統治する運命にある国だから、神聖天皇が命じた戦争は、全て聖戦なのだ」ということになるわけですが、こんな「異なる歴史観」を私は、授業で学ぶ必要はないと考えています。授業では「事実」を学んでいただきたいのです。そして「異なる歴史観」について学ぶのは、授業で学んだ「事実」を基に、一人一人が自らおこなってほしいと思います。 歴史認識能力、「事実を事実として認識する能力」が低い子どもと大人とでは、対応の仕方は違うのでしょうか? 子どもは「事実を事実として認識する能力」が高いです。しかし、残念ながら大人の一部に「事実を事実として認識する能力」が、あまりにも低い人たちがいるのです。それは「利害関係」「愛惜関係」が存在しているからだろうと私は思います。でも、「対応の仕方」を違わせようとは思いません。「侵略」だったのか「自衛戦争だったのか」、事実は一つですから。 もっとも大切な、「事実」を基にして理性的に話し合うことができない大人には、どのように向き合えるでしょうか。 これには、とにかく、こちらの側は粘り強く「理性的に」、「事実」を提示していくほかないのですが、極めて困難ですね。「利害関係」「愛惜関係」が理性を排除してしまうのです。 民主主義制度を持つ国の教育の基礎中の基礎である「事実を基にして理性的に話し合う能力を育成すること」が公立学校で、実践できれば良いのですが。 本来、憲法・47年教育基本法下の教育の目的は、公立学校でも私立学校でも子どもたちを憲法の思想・理念を身につけた主権者に育てることであり、その基本は「事実を基にして理性的に話し合う能力を育成すること」です。私の紙上討論授業は、いろいろ目的がありますけれども、その一つが、「事実を基にして理性的に話し合う能力を育成すること」の基礎をつくること、すなわち、他人の意見を参考にしながら自分で深く考えていく能力を育成することであり、かなり成功していた、と自負しています。 そして、子どものころから「利害関係」「愛惜関係」を超えて、「事実を事実として認識できる理性的能力」を鍛えること、それは民衆をだますことが多い支配者には絶対にやってもらいたくないことですから、理性的能力を育てる平和教育・民主教育に成功していた私は学校現場から排除されたわけです。 歴史を見れば、1924(大正13)年に川井訓導懲戒免職事件がありました。松本女子師範学校付属小学校の川井清一郎訓導が、修身(道徳)授業で森鴎外の文学作品を使ったことから国定教科書無視として問題とされたのです。これは大正デモクラシー期に高揚していた、自由に物事を考えさせていく自由主義教育の抹殺でした。そして、日本は1926年に大正15・昭和1年と移り、1927年、第一次山東出兵、1928年には京大の河上肇らが教壇を追われ、第二次山東出兵、以後、1931年満州事変から15年にわたるアジア太平洋戦争と敗北となっていったのです。 「増田免職」が「21世紀の川井訓導事件」とならぬことを私は願いますけれど・・・ 紙上討論では皆の意見を教科書の様に一語一句大切にし、参加者それぞれの目線と口調で読み上げ、回を重ね参加者全員で考えていく斬新な討論形式であると知りました。ふに落ちます。 そのとおりです。紙上討論の目的については、私は説明しません。紙上討論の本質は「自分の頭で考える」ことですから、紙上討論の意味についても「回を重ね」る中で生徒自身に考えてもらいます。そして、最初は「めんどくさい」などと思っていた生徒たちも「ふに落ち」てくれます! では、今後とも、どうぞ、よろしく! ●次回を楽しみにしています。 次回は8月25日(土)14時〜湖北台近隣センター、「帝国憲法と日清戦争」です。 皆様ぜひ、いらして下さい。
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