<08年9月8日、都教委糾弾「不当免職取り消し」裁判都教委側証人尋問報告>

この不当処分の理由は、私が05年のノ・ムヒョン大統領3・1演説を教材にしたプリントに「不適切な文言がある」「それで戒告処分が妥当と判断し、研修させて反省させ改善させることが必要と判断した」というものでした。都教委が戒告処分、研修処分に該当するとした箇所は以下です。

『東京都議会文教委員会において、古賀俊昭という都議会議員(自民党)は言っています。「(我が国の)侵略戦争云々というのは、私は、全く当たらないと思います。じゃ、日本は一体どこを、いつ侵略したのかという、どこを、いつ、どの国を侵略したかということを具体的に一度聞いてみたいというふうに思います。(カッコ内は増田)」(文教委員会議事録)などと、国際的には恥を晒すことでしかない歴史認識を得々として嬉々として披露しているのが我が日本国の首都の議会なのです。横山洋吉教育長以下、東京都教育委員会は、これに対し何の反論もしませんでした。というより、大いに共鳴しているのでしょう。侵略の正当化教科書として歴史偽造で有名な扶桑社の歴史教科書を「生徒たちに我が国に対する愛国心を持たせる一番良い教科書」などと公言して恥じない人たちですから。』

以下、尋問報告です。私のメモと記憶に基づきますので、完全に正確とは言えません。

●大江尋問
最初に、陳述書にわざわざ「A都議会議員」とか「B出版社」とかと書いているので、これは「古賀俊昭議員と扶桑社をさすか」と増田の代理人が問いました。すると「本人の承諾を得ていないので匿名にした。裁判所の命令があれば答える」ですと!?

(この二人の尋問に対する回答を聞いていて、作家の彦坂 諦氏が、沖縄で米兵に乱暴された少女について産経紙が少女を非難する記事を載せたのに対して書いていらっしゃった「したり顔」「さかしら顔」という言葉を思い出してしまいました。「産経2月12日付・・・じつは、これ、典型的な『セカンドレイプ』 こういうしたり顔した『学識経験者』のことをそのむかし本居宣長は『さかしら』と言いすてました。まさに卑劣・低劣・卑賤・陋劣の徒ではないでしょうか。」)

 アホらしいので、こちらは「古賀都議&扶桑社」で通し、でも別に「裁判所の命令」もなかったのに、大江はそれに答えていました。

増田代理人「あなたの陳述書によると、この事件のきっかけは古賀都議に呼びつけられて資料(教材プリント)を示されたことからですね」
大江   「はい。私の他に総務部総務課長、人事部職員課長がいました。(古賀)都議から九段中の保護者から授業で使った資料を手に入れたが『問題があると思うから捜査しなさい』といわれ、千代田区教委に調査をお願いしました。」
増田代理人「都議会議員から言われると、そのまま受け入れるのですか。保護者にもモンスターペアレントといわれるような人もいるでしょう?」
大江   「都議会議員は都民の代表ですから」
増田代理人「この保護者と古賀都議は友人関係にあったことを知っていましたか」
大江   「・・・」
増田代理人「被告が提出した証拠に、この保護者が『私の友人である古賀都議』と書いていますね」
大江   「そうだったかもしれません」

増田代理人「あなたは、九段中の校長が『増田教諭とこの保護者を話し合わせる』といったと千代田区教委から聞いて『話し合わせるな』という指示を出しましたね?」
大江   「よく、覚えていません」
(都合の悪いことは、すぐ「記憶喪失」になるようで・・・)

増田代理人「原告が紙上討論プリントや『侵略』のビデオを授業で使用したことを問題とされていますが、教師が授業で教科書以外に使用する教材にかんしてどのようなものは使用してよいかどのようなものは使用してはいけないか、あるいはどのような点に注意すべきかなどといったガイドライン、基準を示す文書はあるのですか。」
大江   「ありません」
増田代理人「なんらかの客観的な基準がなければ判断が恣意的になるおそれがあるのではないですか。」
大江   「基準などはありません」

(そうです。「真っ当な客観的基準」などはありません。個人情報漏洩などの違法行為も不当処分もやりたい放題!? 都教委が気に入らない真実を教えることは「誹謗中傷・悪口」なのです。)

増田代理人「同じ教材プリントにアメリカの元司法長官ラムゼー・クラーク氏とNGO・IACの名前が挙げられ、IACがイラク選挙について『大ばか者が何の意味も無い話を、こわ高く大げさに語っていることよ』とシェイクスピアのマクベスからの引用をして批判したコメントをそのまま掲載していますがこれは問題ないのですね。」
大江   「判断しません」

増田代理人「同じ教材プリントに当時の小泉純一郎首相と野中広務元官房長官という特定の公人の名前を挙げて、小泉首相が靖国神社を参拝したことに対して野中元官房長官が『一国の総理として我が国の歴史に汚点を残した』と激しく批判し、『信頼すべきパートナーとしてアジア全体と信頼感を持っていかなければ、日本は衰退国として歴史から疎んじられるのではないか』と話したという毎日新聞の記事が掲載されていますが、これは問題ないのですね。」
大江    「新聞記事ですから分析しません」
増田代理人「同じ教材プリントに富士ゼロックスという特定の会社名と小林陽太郎会長という特定の私人の名前と『新日中友好21世紀委員会』という特定の団体の名前が挙げられていますがこれは問題ではないのですね。」
大江    「内容が分かりませんから判断できません」

(そんなアホな!? 「富士ゼロックスという特定の会社名と小林陽太郎会長という特定の私人の名前と『新日中友好21世紀委員会』という特定の団体の名前」を記載して、その主張内容を、もちろん記載しています。その主張内容を紹介することが主眼なんですから)

増田代理人「あなたは陳述書において特定の公人と出版社の名前をあげて誹謗していると繰り返し指摘していますね。批判するということと誹謗するというのはどこが違うのですか。正当な批判ならいいわけでしょう?」
大江   「批判と誹謗の違いが分かりません」

(そんなアホな!? 「正当な批判」と不当な「誹謗・悪口」の違いも分からない男、こんな普通に成人が持つべき能力を欠落させていながら、中学校の社会科教員を16年やり、都教委指導部義務教育心身障害教育指導課長をやり、現・渋谷区立上原中学校校長をやっている男。これが、「都教委ご推奨の公務員適格!? 男」ねぇ・・・)

増田代理人「あなたも社会科の教師であったということですから、お聞きしますが、この『日本はどこも侵略したことがない』という古賀都議の見解は正しいとお考えですか。」
大江   「都教委としては、そういう問題に判断はしません」
増田代理人「あなた個人としては、どう考えますか」
大江   「コメントは控えます」

増田代理人「日本の大半の歴史学者は日中戦争・太平洋戦争の性格を『侵略』と規定していることを知っていますか。」
大江   「(そういう歴史学者が)『多い』か、どうかは知りません。」
増田代理人「社会科学習指導要領は、日本の戦争を『侵略戦争である』と教えることを禁じているのですか。」
大江   「学習指導要領は、『禁止事項』を書いているものではありません」
増田代理人「増田さんの教材プリントは学習指導要領から見て、どう問題ですか」
大江   「今、学習指導要領が手元にありませんから」
増田代理人「あなたは、『指導課長』なんでしょう?」
大江   「なにしろ、20年間、現場を離れていますので」

増田代理人「先ほど挙げた教材プリントに野中元官房長官が小泉首相が靖国神社を参拝したことに対して『一国の総理として我が国の歴史に汚点を残した』と激しく批判し、『信頼すべきパートナーとしてアジア全体と信頼感を持っていかなければ、日本は衰退国として歴史から疎んじられるのではないか』と話したことは誹謗にあたるとお考えですか。」
大江   「それは新聞記事ですから」
増田代理人「『新聞記事かどうか』を、あなたに聞いているのではありません。この野中氏の主張は『誹謗・悪口ですか』と聞いています」
大江   「判断できません」

増田代理人「小泉首相談話、戦後50年国会決議、60年国会決議、などからすると、『日中戦争・太平洋戦争は侵略戦争ではないという古賀都議の見解とそのように言うことは国際的に恥をさらすことだ』という原告の批判とはどちらが正当な見解ということになりますか。」
大江   「分かりません。」

増田代理人「『つくる会』の歴史教科書に対する内外からの激しい批判は多岐にわたっていますが、特に近代史において日本が起こしてきた戦争を侵略戦争ととらえることが自虐史観による誤ったとらえ方であるという歴史認識に向けられていることはあなたも知っていますね。」
大江   「分析していません」
増田代理人「扶桑社歴史教科書については扶桑社自身が『右より過ぎ』教科書と公表したり、著者だった藤岡信勝氏や八木氏の間で醜い訴訟合戦になっていることを知っていますね」
大江   「知りません」

増田代理人「あなたは、原告が授業で『侵略』のビデオを使用したことについて、『中学生に見せるにはショッキングな内容がたくさんあり、中学生という生徒の発展段階からすれば、授業で使用することには課題があると判断した』と述べていますね。」
大江   「はい。あまりにも残虐過ぎて中学生の発達段階にあっていません」
増田代理人「このプリントには『侵略』ビデオを見た中学生の感想文がたくさん載せられています。あなたは、これを読みましたか」
大江   「読んでいません」

増田代理人「このビデオの作成者である森正孝氏は静岡県の中学校の社会科教員として定年まで勤められ、この『侵略』を中学生も対象として作成し、実際にも彼の歴史の授業でずっと中学生に見せてきて、一度も問題もなく、現在は静岡大学で講師をしてらっしゃることは知っていますね。」
大江   「知りません」
増田代理人「このビデオが中学生に不向きであると判断するに当たって作成者である森正孝氏に中学生に見せることの当否を確認しようとは思わなかったですか」
大江   「思いませんでした」

増田代理人「あなたは中学生の発達段階を過小評価しているのではありませんか」
大江   「そんなことはありません」
増田代理人「あなたは『ビデオは60分を超えている点からしても、指導計画の位置づけ上、明らかに課題がありました』と書いていますが、本当に『侵略』のビデオを見ましたか? あれは50分のものですよ」
大江   「ザッと一度見ただけですから。スタッフ5人ぐらいで見ましたが、みんな『残酷すぎるから中学生には適さない』と思いました。
       増田さんには研修でよく反省し改善してほしかったんですが『反省も改善も全く見られない』という報告で残念でした」

(「普通の常識的判断力」を有すれば、改善、反省を要するのはどちら? かは明白でしょう。こんなレベルの連中が、「したり顔」「さかしら顔」で・・・)

最後に私が以下、2点尋問しました。
増田「あなたは、さっき、『日本が行った戦争が侵略かどうか』については判断しない、コメントしない、と言いましたね。『判断できない、コメントしない』のに、どうして『日本はどこも侵略していない、自存自衛の戦争だった』ということに対して『国際的に恥をさらす歴史偽造』と批判することは『誹謗・悪口』だと判断できたんですか?」
大江「・・・」
増田「私に研修させた目的は、『侵略していない、自存自衛の戦争だった』という主張に対して、私が「国際的に恥をさらす歴史偽造」と批判して生徒に教えたことを私に『間違っていた』と認めさせることだったんですね?」
大江「そんなことはありません」

ところが、なんと渡辺裁判長は、私のこの尋問にオカンムリで「尋問は、『処分』についての事実を明らかにするためのものです。意見を求めるものではありませんから、これで終わりにしてください」なんて、被告証人・大江を助けてやったんです。

「えっ? なんで? この2点は戒告処分・研修処分が正当かどうか判断するための基礎事実を明らかにするために必要ではないんですか、裁判長さん?」と裁判長サマに質問したかったんですけど、ま、まだまだ都教委証人はいますから(裁判長は都教委が出す証人は全員採用!?)、その時にとっておこうと我慢しました。

 このほか、この大江だけでなく、次の樋川も全く同レベルの余りにも低劣・愚劣な迷回答、珍回答をするものですから、思わず満席の傍聴者から、しばしば失笑やブーイングが自然に巻き起こりました。裁判長は「マイクに入るからやめてください」と、えらくお怒りで、何度も声を荒げて制止されました。

 また、都教委側代理人とのやりとりの中で大江は「授業で使う資料プリントやビデオはすべて事前に校長の教科を得なければならない」とまで言うのですから呆れます。でも、大江が現在校長をしている渋谷区立上原中学校では、教員はみんな大江校長に「この資料プリントを授業で使っていいですか」「このビデオを授業で使っていいですか?」「このバレーボールを授業で使っていいですか?」「この試験官を授業で使っていですか?」と、いちいちお伺いを立てているのでしょうね?

●樋川尋問
全く、この男のデタラメさ、つまり「戒告処分」のデタラメさときたら、この尋問でより「ハッキリと明白」!? になりました。

増田代理人「足立区立第十二中学校の生徒が、卒業式の答辞で『紙上討論授業』を『大きなプラスとなった』『このことを教えてくれた先生方、本当にありがとうございました。』と感謝の意を表明していることは、御存知ですか?

 答辞以外にも、九段中の生徒たちから、原告を慕い、原告の紙上討論授業に感謝する内容の手紙が出されていることを御存知ですか? 九段中の保護者からも原告の紙上討論授業に感謝する内容の手紙が渡されていたことをご存知ですか?」
樋川   「知りません」

増田代理人「九段中校長の事情聴取内容や『事故報告書』を読みましたか?」
樋川   「読んでいません」

増田代理人「都議会議事録によって公に公開されている『公人である古賀都議会議員の議会による発言』を批判することが、『特定の人物の氏名を上げて不適切な文言で誹謗する。』ことになるのですか。」
樋川   「公人や出版社を『国際的に恥をさらす』『歴史偽造』などと生徒の前で誹謗・悪口を言うなんて、教師としてあるまじき非常識です。生徒たちが、こんなふうに他人の誹謗中傷・悪口を言ってもいいんだ、という悪影響を受けます。教員がこんな誹謗中傷・悪口を教材プリントに載せて抵抗力のない生徒に教えるなんて、信じられません」

増田代理人「あなたは陳述書に『この教材プリントによる生徒への悪影響』とか、『同校保護者に対し不安を与える』とか『教員の士気が低下する』とか書いていますが、何名の生徒保護者がいて何名の誰に、どういう悪影響があり、どういう『不安を与えられた』のですか。九段中教員の士気がどう低下したのですか?」
樋川   「九段中に全部で何名の生徒がいたか知りません。具体的なことは分かりません」

増田代理人「この件は古賀都議から最初に持ち込まれたことはご存知ですか?」
樋川   「知りません」
  
増田代理人「九段中学校校長の報告には、『不適切な文言で誹謗した』などという評価や表現は記載されていないが、『不適切な文言で誹謗した』とは、いつ、誰が、どのような観点から下した評価か。」
樋川   「8月9日付の千代田区教委報告書に書いてありました。信頼関係から、区教委報告書は事実であるという前提で動きます」

増田代理人「あなた自身は古賀発言を正しいと思うんですか」
樋川   「古賀都議の発言が正しいかどうかは公の場で言っていいかどうか分かりません」
増田代理人「批判と悪口の違いは何ですか」
樋川   「たとえば、時事問題として(政権を投げ出した)『福田首相は無責任だ』ということは私は教えません。これは悪口になりますから。『福田首相は無責任だという人がいます』、というふうに私は教えます」
(つまり、この人は「私は何事も自分の頭で考え判断することはできません」ということを告白しているのです。それなのに、「自分はなんて立派な教師だろう!?」といわんばかりの「したり顔」『さかしら顔』で・・・)

増田代理人「あなた自身は社会科教員として日本の戦争は侵略戦争であると教えましたか」
樋川   「侵略かどうか、いろいろな考えがありますから・・・(と言葉を濁して、『日本の侵略』の『事実』を教えなかったことを認めながら)・・・私は事実を一つ一つ教えてきました」

「日本の侵略」という「事実一つ」理解できない、判断できない「不適格・社会科教員」であるものが「事実を一つ一つ教えてきました」って!? こんな判断力のない連中が「先生」として現場にいたら生徒に大迷惑ですから、確かに管理職サマになってたほうが子どもたちのためにはいいでしょうね。
 現在まで真には清算されていないので、未来の主権者の子どもたちにも考えてもらわなければならない「日本の侵略と植民地支配」の事実について、この大江・樋川などには「これだけは語りつたえなければならない! これだけは語りつたえたい!」というものは全くないのです。もともとが『侵略』のビデオの存在すら知らないぐらいの無知なんですけど・・・

それで「私は立派な社会科教育を行ってきました」って、ふんぞり返るんですからねぇ・・・そりゃ勝手に一人で(二人で!?)好きなだけふんぞり返っていてくれていいんですけど、そんな連中が、キチンと『侵略と植民地支配』の事実を教え、正しい歴史認識を育む努力をした他の社会科教員を潰しにかかるんですから、これは絶対に許せまっせんぞ!

こんなにも哀れな無知蒙昧な「国際的に恥をさらして恥じない」連中によって、私が教育現場から追放されたのかと思うと、改めて沸々と怒りと闘志が沸いてきました!

 でも、この尋問によって、私の「不当戒告処分→不当研修処分→超!? 不当免職」は、右翼都議と都教委との共謀による「教育への不当支配・不当介入」だったことを明白に立証できたのではないでしょうか?
次回は10月2日(木)、10時10分〜17時まで705法廷です。

●10:10〜12時までは、当時の九段中校長の尋問。
実は意外!? だったんですけど、当時の九段中校長(まだ現職の区立中校長)は本当に感動的なくらい正直で真っ当な人だったのです。『現在、東京都で管理職になるようなのは、みんな授業ができない出世主義者で、都教委のどんな無法・理不尽に対してもヘイコラ服従する人ばかり』という私が抱いていた管理職に対する偏見を反省中です。

ですから、この校長は、なんと増田・原告側の証人なので、「校長が都教委の敵性証人として出廷」という希少価値を持つシチュエーション!? です。都教委にとっては内部告発の「爆弾証言」となるものばかりでしょう。

●13:10〜17時まで
*守屋一幸、尋問
当時の東京都教職員研修センター企画部企画課長、現在・指導部高等学校教育指導課長

*種村明頼、尋問
当時の東京都教職員研修センター研修部企画課統括指導主事、
現在・杉並区教委、教育人事企画課長

この二人は、拙著『たたかう! 社会科教師』の第3章「教職員研修センターという名の『強制収容所』、第4章「『懲罰研修』による教員の思想統制」の主要登場人物!? です。
 また、種村は私に対する愚劣この上ない研修を恥ずかしげもなく強制した功!? でしょうか、私が「超不当免職」された06年3月31日で研修センターの統括指導主事をやめ、4月1日付で杉並区教委の指導室長となりました。そして、彼の指導室長としての最初のお仕事は杉並区立中校長会で「教員たちに生徒の前で、絶対に扶桑社歴史教科書を批判させるな」と校長たちを指導することだった、とのことです。