平成18年(行ウ)第478号 分限免職処分取消等請求事件
原 告  増  田  都  子
被 告  東 京 都  外1名

準 備 書 面 (9)

原告訴訟代理人            
弁護士  和久田 修

同  萱野一樹

同  萩尾健太

同  寒竹里江

2008年3月4日

東京地方裁判所民事第36部合議係  御 中

                               記

第1 被告都教委準備書面(4)「第1 本件分限処分について」に対する反論
 1 被告都教委の主張
   被告都教委は、要するに、原告が、「自己の見解が絶対に正しく、自己の見解と異なる見解を有する者に対しては、時間、場所等をわきまえずに不適切な文言を用いてこれを攻撃する」という「独善的な性格」が、原告の素質、性格に根ざしたものであって、「簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性質等に基因してその職務の円滑な遂行に支障があり、または支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合」(最高裁昭48・9・14民集27・8・925)に該当するから、本件分限処分は適法であると主張する。
 そして、その具体的根拠として、1997年度(平成9年度)の足立十六中において保護者を批判した内容のプリントを授業中に配布したこと(以下、便宜上、これを「十六中事件」ということもある。)、2005年度(平成17年度)、九段中において古賀俊昭都議会議員(以下、「古賀議員」という。)の都議会における発言及び扶桑社の歴史教科書を批判した内容が含まれているプリントを授業中に配布したこと(以下、便宜上、これを「九段中事件」という。)及びこれに続く本件第1次研修、第2次研修期間における原告の言動(同準備書面第2,3)を挙げている。
 しかしながら、被告都教委の上記主張は、原告が従前から主張しているように、原告の社会科教師としての教育的信念を単に性格、素質の問題にすり替え、原告の教師としての能力の高さを完全に無視している点及び原告の言動が「その職務の円滑な遂行に支障があり、または支障を生ずる高度の蓋然性が認められる」としている点において、二重の誤りを犯しており、失当である。
 以下、検討する。
 2 分限免職処分の適法性の判断基準とその該当性について
 (1)被告都教委は、上記のように、前掲最高裁昭和48年9月14日判決を引用して、地方公務員法(以下、「地公法」という。)第28条1項3号の「その職に必要な適格性を欠く場合」とは、「当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に基因してその職務の円滑な遂行に支障があり、又は支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合をいう」として、これに該当するか否かは、「当該職に要求される一般的な適格性の要件との関連において判断されなければならない」としているが、上記最判はそのように判示していることはそのとおりである。
 しかしながら、上記最判は、地公法第28条所定の分限制度は、「公務員の身分保障の見地からその処分権限を発動し得る場合を限定したもの」であり、なかんづく「処分が免職処分である場合には特別に厳密、慎重な考慮が払われなければならない」と判示しているのである、本件のような免職処分である場合には、上記判示部分のように、「特別に厳密、慎重な考慮」が必要とされていることは、原告が従前から指摘しているところであるが、被告都教委は、意識的に上記判示部分に触れておらず、その前提自体、失当と言わざるを得ない。
 (2)被告都教委は現時点に至るまで、前記十六中事件、九段中事件、これに続く本件第1,第2研修における原告の言動のみをその根拠として本件免職処分の適法性を言い募るだけで、原告の紙上討論授業などの教育実践の内容や原告が教員となって以来30年余の長期間にわたって紙上討論授業をめぐる事件が問題とされたこと以外には問題とされたことは全くなく、むしろ生徒達から慕われ、また校務も含めて同僚の教職員と協調しながらその職務を遂行してきたこと等について一顧だにしていない。このことは、本件審理の中で、原告が一貫して主張立証してきたにかかわらず、被告都教委はいっさい反論を行っていないことからも明らかである。
 かかる被告都教委の対応だけを見ても、被告都教委が、地公法第28条の分限制度の趣旨及び分限免職処分の場合には、「特別に厳密、慎重な考慮」を払ったとは到底言い難いのであって、この点のみをもってしても、本件分限免職処分が、上記最判が判示する要件に該当しない違法かつ不当なものであることは一目瞭然であると言うべきである。
 3 被告が主張するところの原告の「独善的性格」と原告の教育的信念について
 (1)被告都教委は、いわゆる旭川学テ判決(最判昭51.5.21)、静岡県中学校教員分限免職事件(最判昭54.7.31・判時944・35)における環裁判官の補足意見(この補足意見については後述する。)の一部のみを引用して、「授業時間中に他者(「自己の見解と異なる見解を有する者」を指すと思われるー代理人註)を誹謗する教員などあってはなら」ない、「原告は、自己の言動が児童生徒及び保護者に対し、いかなる影響を与えるか、保護者がいかなる思いを持つのかということについて認識を欠いているのであり、教員としての自覚を欠如した独善的な性格を持つものであり、まさに普通教育における教員として不適格といわざるを得ないのである」と断じている。その上で、「普通教育において、教員がたまたま授業時間中に他者を誹謗したという出来事があったとしても、当該教員の行為が偶発的出来事であれば、当該教員の上記行為は、非違行為として懲戒処分の対象とはなり得ても、分限処分の徴表事実とはなり得ないものである。」としている。そして、「原告の場合、・・・足立区立第十六中学校における行為について、・・・・自己の行為が教員として許されざる行為、すなわち『非行』に該当することを認めず、千代田区立九段中学校においては、誹謗の対象が、保護者であるか、都議会議員や出版社であるかの違いはあるものの、授業時間中に他者を誹謗するという同種の行為をくり返しているのであり、原告の他者を誹謗するという行為は、偶発的出来事と判断することは不可能であり、原告の素質、性格に根ざしたものであり、分限事由に該当すると判断せざるを得ないのである。」としている。
 (2)被告都教委は、ここでも、結局、8年もの時を隔てた十六中事件と九段中事件という2件のみをもって、「原告の素質、性格に根ざしたものであ」ると断定する誤りを犯していることは明白である。そして、後述するように、この2件についても、間違った言動を『批判』することを教えるという教師として当然の職責を原告は行っているのであって、『誹謗』などはしたことはない。『誹謗』と『批判』の相違を教えることは、教師の大切な教育活動の一環である。

 (3)また、十六中事件において保護者を批判するプリントを授業中に配布したのは、それまでの保護者やPTAの動きを校長ら管理職が原告に隠蔽するという通常ではあり得ない「偶発的」とさえ評価できない事情が介在していたこと、その目的も保護者を批判することそのものにあったのではなく「事実を知ること」の重要性を生徒達に伝えることにあったこと、上記のような事情がなければその保護者が特定できないように配慮されたものであったことは、従前から主張しているとおりである。
 かかる事実を無視して、「原告は、自己の言動が児童生徒及び保護者に対し、いかなる影響を与えるか、保護者がいかなる思いを持つのかということについて認識を欠いている」と軽々に断定すること自体、「厳密、慎重」さを欠くものであることは論を待たない。
 (4)一方、九段中事件については、古賀議員という「公人」が「都議会」というまさしく「公」の場で「(我が国のー原告註)侵略戦争云々というのは、私は、全く当たらないと思います。じゃ、日本は一体どこを、いつ侵略したのかという、どこを、いつ、どの国を侵略したかということを具体的に一度聞いてみたいというふうに思います。」という客観的な歴史的事実にも政府見解にも真っ向から反する歴史認識を述べたことに対する正当な批判、論評として「国際的には恥を晒すことでしかない」と述べているに過ぎない。また、扶桑社の歴史教科書について、横山教育長(当時)が、「生徒たちに我が国に対する愛国心を持たせる一番良い教科書」と答弁したことは紛れもない事実であり、そのことに対する警鐘として、扶桑社の歴史教科書が我が国がアジア諸国を「侵略」したという歴史的事実を隠蔽しかつ正当化するものであること(この点については、原告が従前詳細に主張立証しているところである。)について、批判、論評したものであって、そもそもこれを「誹謗」と評価すること自体きわめて不当と言わねばならない。
 原告は、自らの教育的信念として、中学生が将来の主権者たるために、他人の意見をよく理解し、自ら主体的に考えていくこと、日本の歴史的事実、現在ある事実を正面から見据え、誇りを持てる日本にしていこうという志向を生徒達が身につけることを常に意識し、そして、試行錯誤の末に、紙上討論授業という授業方法を作り出したのである。
 自民党所属の古賀議員の都議会における上記発言やそれに呼応する横山教育長(当時)の上記発言は、まさしく、「歴史的事実」を歪曲し、歪曲した歴史的事実をあたかも真実であるかのように教え込もうとするものであった。前述のような教育的信念に基づいて教育を行ってきた原告にとって、そのような都教委の「現在ある事実(姿)」は、生徒達に正面から伝えねばならない事実であったのであって、何ら非難されることではないことは明らかである。
 このようなきわめて正当な原告の教育的信念に出た行為を「あってはならない」とし、「原告の独善的性格から出た」とすり替える被告都教委こそ、「独善的」であることは余りにも明らかである。
 なお、被告都教委がさかんに引用する旭川学テ判決においても、「憲法上、・・・教師は高等学校以下の普通教育の場においても、授業等の具体的内容及び方法についても、ある程度の裁量が認められるという意味において、一定の範囲における教育の自由が認められる」と判示しているのであり、紙上討論授業においてA4版22枚にも及ぶ(提出してある書証は半分に縮小したものである。)プリントの中で、その大半が生徒達の意見が掲載されている中での、最後の部分に、原告から「ノ・ムヒョン大統領への手紙」という原告の個人的見解を記載した文章のわずか数行の表現(甲6参照)が、教師の「一定の範囲における教育の自由」の「裁量」の範囲内であることは言うまでもないところであることを付言する。被告都教委は、このような批判さえも許さない、というのである上、本件第1,2研修においては、原告が授業において生徒達に、「侵略」「予言」という日本が過去に行った「侵略」という歴史的事実や原爆被害に関する真実を記録した映画を見せたことについても反省修正を迫っているのであって、これらの都教委の行為は、学テ判決の示した基準からしても、「授業の具体的内容」に対する「不当な支配」=「教化強制」にあたることは明白である。
 したがって、本件分限免職処分のみならず本件戒告及び研修処分も違法不当であることは一見して明白である。
 (5)以上のように、位相の全く異なる2つの事件を無理矢理に結びつけ、「原告の素質、性格等に根ざしたものであ」るとして、本件分限処分を正当化しようとする被告都教委の主張は失当であり、同処分の違法性は明白である。
 4 原告の紙上討論授業が「独善的」なものではないことについて
 (1)被告都教委は、自己の見解と異なる見解を有する者に対しては、例え、それが生徒であれ、保護者であれ、都議会議員等であれ、・・・・原告の他者に対する誹謗行為は、授業時間中にさえ行われている」と繰り返し主張している。
 しかしながら、原告の紙上討論授業を詳細に分析すれば、そのようなことは全くないことは、これまでも主張立証してきたところであるが、改めて、紙上討論授業における原告の生徒達に対する対応、これに関する生徒達の反応等を概観し、被告都教委の主張が全く的外れなものであることを再度確認する。
 (2)まず、別件の名誉毀損に基づく損害賠償請求訴訟において、東京地裁は、「紙上討論授業で使用したプリントに掲載された生徒の感想文は、賛否が分かれており、両論を載せた原告の意図は、自由に議論させることにあると認められ、中学生は一定程度の批判力を身につけていることを合わせ考えると、原告において、生徒らが思想統一されるような授業を行っているとは認めることはでき」ない、としているのであって(甲17.30頁)、「独善的」などでないことを明確に認めているのである。
 (3)以下、原告が勤務していた足立十六中における1997年度の紙上討論授業(いわゆる十六中事件の年である。)の内容に沿って検討することとする(なお、以下に示す「○枚目」とは、甲第51号証の6枚目以下のプリントの右上に書かれている番号を意味する。)。
   @ 紙上討論の2回目(9枚目以降)では、それまでの生徒間の議論を踏まえ、在日米軍基地について生徒達の意見は賛否分かれていることが認められるが、米軍基地賛成の意見について、原告は特にコメントは付していない。
 唯一、「僕はずっと思っていたけれど、日本はアメリカとの戦争で負けたのだから、いまさら沖縄を返せだとか、米軍基地をなくせなど言える立場ではないと思う。戦争に負けた国が勝った国に返してだとかゆうのは間違っていると思う。それに『米軍基地をなくせ』とか下手に逆らえば、また戦争になって必ずと言っていいほど負けると思うので、アメリカのゆうことを聞いた方がいいと思う。」という意見について、原告は、ハーグ陸戦法規以来の戦争に関する国際法に触れた上で、「戦争に勝った国は何をしてもよく、負けた国は何をされても抗議できないという君の考えは完璧に間違いです。・・・独立国として言うべきことは、どこの国に言ってもいいわけなのです。事実フィリピンは国会は多数決で米軍基地をなくすことに決定したので、米軍は引き上げましたが、戦争にはならず、今もアメリカ、フィリピンは友好国です。」とコメントしている(11枚目)。上記の生徒の意見(戦争に負けた国が勝った国に対して返してだとかゆうのは間違っている)は、確かに間違っており、「良識ある公民」とは言えないものであることに異論はないと思われ、それを正面から指摘した原告のコメントは、教育的であるとはいうことはできても、「一方的かつ反論を許さない」との評価が当たっているとは言えないことは明らかである。
   A さらに、第3回目(15枚目以降)では、1回目のときに、「米軍全滅作戦」の意見を書いた生徒(4枚目参照)が、他の生徒からの批判を受けて、「僕は、『平和的に解決する方法』はない、と思ったから考えてみただけだ。日本は自由な国なんだし・・想像すること、考えることは自由だろ?」との意見を述べたことに対し、原告は、「そのとおりです。民主主義社会においては、どんな意見も大切です。なぜなら、それは他の人達に考えるためのヒント、刺激を与えてくれるからです。現に渡辺君の意見に対して、たくさんの人が『頭脳』を刺激されて『考え』ました。『学ぶ』ということは単に『知識』を頭につめこむことではない。『知識』を使って、『考える』ことだ、というのが私の持論です。渡辺君の意見は、討論に活気を与え、多くの人達の『考え』を深めることに貢献をしました。」とのコメントを付して(15,16枚目)、渡辺君の気持ちをフォローし、さらに、少数意見の大切さ、議論することの大切さ、『考える』ことの重要性といった民主主義社会における「良識ある公民」のあるべき姿に触れているのである。
 また、この回では、「・・・・確かに米軍基地があって、いやなこともあるかもしれないけど、一つくらいはいいことがあるかもしれないのに、どうして日本人はすべて悪いほうに持っていくの?それに、この勉強をいやがっている子がいるのに、どうしてこんなことを知らなくてはいけないの?別に私達に直接関係ないんだから、こんなこと知らなくてもよかった。」との意見に対し、原告は、「どんなに『いや』でも、向き合わなければならない事実があること、逃げてはならない事実があること、ごまかしてはならない事実があること、を子供達に教えるのは、大人の大切な義務だと私は考えます。確かに『事実』を知ることは、楽しいことばかりではありません。むしろ、つらい気持ちになることが多いでしょう。『知る』ことが、問題の解決につながらず、自分の無力さを思い知らされることのほうが多いですから。では、知らないままで、いいですか?今の自分の生活さえ平穏無事ならいいですか?・・・・」というコメントを付している(17枚目)。原告のこのコメントは、確かに厳しいものではあるが、教育者として必要な姿勢を貫いているものであることは明らかであり、政治的立場が分かれている問題について「一方的かつ反論を許さない」などというものでは全くない。ここには、生徒達が「良識ある公民」として生きていくために必要な姿勢そのものを諭している教育者としての情熱が感じられるだけである。
 さらに、「信君の意見O・K最高!増田先生はひつこい。僕達じゃ何もできないんだから教科書の勉強したほうがいい。増田先生はなぜそんなに米軍基地にこだわるの?だったらアメリカとタイマンしたら?」との意見に対して、原告は、「米軍基地の問題は、52年間に及ぶ占領状態の継続の問題であり、当然、日本という国家の独立と主権の問題であり、日本国の最高法規である日本国憲法の『戦争放棄』の問題であり、憲法に明記された基本的人権の侵害の問題であり、日本の民主主義の問題(略)として、日本に生きるものすべてに関連する問題であり、アジア太平洋、ひいては世界の平和と安全の問題として、今、自分の生活には被害がないとしても、客観的にはすべての日本に生きる人の問題なのです。・・・」(20枚目)とやはり、米軍基地の問題を考える意義についてのコメントを付している。
   B このような原告と生徒達とのやりとりは枚挙にいとまがないが、そこに一貫しているのは、今ある社会が内包する様々な事象や問題に対して、その事実に正面から向き合い問題意識を持つということ自体を放棄するかのような姿勢を見せている生徒の意見に対して、原告が厳しくかつ愛情を込めてコメントを付しているという点である。原告は、生徒達に対して、ある問題について、原告と同様の立場に立つことを求めているのではなく、その問題について正面から向き合い考え続ける姿勢を涵養しようと努めていることが優に認められる。これは、教師として、極めて重要なことであって、被告都教委がいうところの「理解と寛容の精神」も認められるところであり、何ら非難されるべき筋合いのものではないことは明らかである。
   C 一年間にわたる紙上討論の中で、生徒達は、このような原告の真摯な姿勢を正しく理解し、紙上討論の最終回では、「私は一年間、紙上討論授業をして良かったと思う。一番、最初は『何?あれ?早くやめてほしいよ。』って思ってたけど、この紙上討論授業を通して、今まで、私が知らなかった、考えたこともなかった歴史上の問題や、現在の日本に起こっている問題を知ることができたし、学年のいろんな人達が、どんな風に考えているか、ということが、良く理解する事ができた。紙上討論をやらず、教科書そのままの知識を知っただけでいたら、本当のことを考えないままに、社会科を学んでいたと思う。今まで紙上討論に対する反対意見もあったけど、(私も一時、そうだった)、やっぱし紙上討論して、良かったと思う。それから、やっぱりこういうこと・・・・日本が中国、朝鮮やアジアにたいしてしたヒドいことは、子供達に教えるべきだと思う。別に、それで日本を誇りに思おうと思うまいと、その人の勝手だし、その人自身が考えること。でも過去に日本はヒドい事をしたのは事実なんだから。日本のいいところばかりを見て、誇りに思うより、どんなにいい所も、どんなに悪い所も、ちゃんと知った上で、誇りに思った方がいい。・・・」(86枚目)、「・・・それから私は、紙上討論をするのが、初めはイヤだった。同じことを何度も繰り返しているように思えたし、他人の意見に口出しされたりするから。紙上討論にも反対の意見がいくつも出ていたし、私の反対意見も載った。でも紙上討論を繰り返しているうちに私の意見が変わった。それは、増田先生は紙上討論を通じて、私達に一つの事(テーマ)について、『いろいろな意見を出し合い、考えあうこと』を教えてくれているんだと気付いたから。私は『正しい事は正しい、間違っている事は間違っている』と堂々と生徒に教える事のできる増田先生の意志は素晴らしいものだと思う。・・・この紙上討論は、決して無駄ではなかったと私は言い切れる。」(87枚目)、「私は日本がアジアを侵略した事については。真実をちゃんと教えた方がいいと思う。もしかしたら、今の子供達が日本のしたことを知らずに大人になったら、また戦争をしてしまうかもしれないから。日本が、どんなにひどいことをしたのか教えれば、戦争したいと言われても、大多数の人が反対すると思う。『日本を誇りに思えない』なら、これから先、いいことをいっぱいして、未来の日本を誇りに思えるようにすればいいと思う。」(89枚目)、「私達は、この一年間に、たくさんの紙上討論をやってきた。そして、この紙上討論を通じて米軍基地のことや、日本のつらくて悲しい過去を知るなど、いろいろな事実を知ることができた。みんなの意見や、事実の知識を知った上で、自分が、また意見や考えを出す。それのくり返しをしてきた。いろいろな意見と同時に、紙上討論や増田先生に不満を持ったり、反対する人が出てきた。本当にいろいろな事があった。それでも増田先生は、私達が考えなければいけない事実を教えるため、紙上討論を続けてくれた。私は紙上討論を通じて、いろいろな意見を出せたり、社会に対する関心を高める事ができた。自分でも驚くくらい、たくさん考え、たくさん意見を出す事ができた。一番言いたいのは、紙上討論を通して『自分の意見をきちんと持ち、考えあうこと』の大切さが分かった、ということ。これは社会の授業だけでなく、大切な事だと思う。もちろん、そんなことは当たり前かもしれないけど、私は改めて分かった。一年間の紙上討論は、私にとってプラスだったし、きっと、みんなにとってもそうだと思う。」(92枚目)というような意見が出されるようになったのである。
 ここに見られるのは、原告の「独善的」な態度などでは決してなく、「紙上討論にも反対の意見がいくつも出ていたし、私の反対意見も載った。でも紙上討論を繰り返しているうちに私の意見が変わった。それは、増田先生は紙上討論を通じて、私達に一つの事(テーマ)について、『いろいろな意見を出し合い、考えあうこと』を教えてくれているんだと気付いたから。」「私は紙上討論を通じて、いろいろな意見を出せたり、社会に対する関心を高める事ができた。自分でも驚くくらい、たくさん考え、たくさん意見を出す事ができた。」「学年のいろんな人達が、どんな風に考えているか、ということが、良く理解する事ができた。」という、他の人の意見をよく理解し、自らの力で考えていこう、という思考態度そのものである。
   D 被告都教委は、上記のような生徒の意見に接してもなお、原告の教育態度を「独善的」と断ずるのであろうか。
 他人の意見をよく理解し、自ら主体的に考えていくこと、日本の歴史的事実、現在ある事実を正面から見据え、誇りを持てる日本にしていこうという志向を生徒達に身につけさせていくことを「独善的」と言うのであれば、そもそも「教育」などは成り立たないことは火を見るより明らかである。
 原告は、1997年度(平成9年度)の紙上討論授業の最終回において、生徒達にこう呼びかけている(95枚目)。
 「あなた達に与えたテーマは現代日本に生きるすべての人が、考えなければならないものであり、一年間の数回の討論で、『すべてが分かる』はずのものではありません。教師の仕事は『事実についての正確な知識』を提供し、『考え合わせ、自分で考え続けていくための関心と問※ 題意識を高めること』だと私は思います。私は責任は果たしたつもり※ です。後はあなた達が自分の力で、より良い解答を探し出して下さい!」と。
 このような原告の思いに対して、生徒達は、先に触れたものの外にも、「・・・一年間、紙上討論をして、みんなの考え方が分かったのがよい。ビデオでは、残酷すぎるものがあったけれど、人々の苦しみを、未来のために知っておかなければいけないと思う。未来を創るには未知の過去があってはいけない、過去を良く知っておかなければならない。増田先生は、みんながそういうことが分かると思って、紙上討論をしていたのだろう。」(80枚目)、「『侵略』という事実を子供に教えると子供が母国に誇りを持てなくなるという意見があるようだが、『偽りを事実と思い、偽りの国で生きる』・・・こういう事こそ、もっとも母国にたいして誇りを失うと思う、ショックを受けると思う。50年前もそうしたことがあったから、罪のない国民が悲惨な戦争に巻き込まれていったのだと思う。(米軍基地の問題について)やはり実際に被害を受けなければ他人ごとと考える人が多い。私自身もそうかもしれない。何しろ、一日中、昼も夜も戦闘機の爆音に耳を塞ぐという生活をしたことがないのだから。しかし少しでも多くの人が、その事実を知ることができたなら、政府を動かす力が生まれるのではないか?すべて政府が悪いと書いている人が多いけれど、それで済まされたら、米軍基地のそばに住んでいる人達を見放したも同然だと思う。せっかく事実を知ることができたのなら、みんなで、そのことを訴えなければ政府は動かせない。なぜなら、この問題は日本国民の問題なのだから。一年間、紙上討論をして、今までしたことのなかった経験ができた。他の人の考え方もわかったし、現実の問題や、過去の問題を深く考えることができたのは良かった。深く物事を考えることの大切さと必要さを忘れないようにしようと思う。」(80、81枚目)と書いている。
   E このような生徒達の「思い」を見るとき、被告都教委の原告に対する「原告の他者に対する誹謗行為は、授業時間中にさえ行われていることからすれば、・・・・原告の素質、性格等に根ざしたもの」であり、「原告の上記素質、性格等は・・・『簡単に矯正することのできない持続性を有する』ものと判断せざるを得なかった」とする判断の空虚さは余りにも明らかである。
 5 最判昭和54年7月31日における環裁判官の補足意見について
 (1)被告都教委は、上記最判における環裁判官の補足意見を引用し、「環裁判官は、要するに、@義務教育においては、他人に対する理解と寛容の心を養うことが重要であり、A義務教育における教員は、「成熟した社会人」でなければならず、B他人の注意進言等にも耳を貸さない独善的な性格の者は教員として不適格である、と判示しているのであ」る、としている。
 しかしながら、被告都教委の上記要約は、我田引水としかいいようのない恣意的なものであって、同補足意見を正しく理解しているものとは到底言うことは出来ない。
 環裁判官の補足意見の第一項の全文は次のとおりである。

   「一 前記規定に定める「その職に必要な適格性を欠く場合」とは、当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に基因してその職務の円滑な遂行に支障があり、又は支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合をいうものと解され、なかんづく処分が免職処分である場合には特別に厳密、慎重な考慮が払われなければならないというべきである(最高裁昭和四三年(行ツ)第九五号同四八年九月一四日第二小法廷判決・民集二七巻八号九二五頁参照)が、その判断に当たっては特に当該職務の種類、内容、目的等との関連を重視すべきものであることはいうまでもないところである。
 ところで中学校における教育は、すべての子女に対し平等な教育と教育の均等な機会を保障するために、小学校におけるそれとともにいわゆる義務教育とされ(学校教育法三九条、二二条)、その目標の一つとして「小学校における教育の目標をなお充分に達成して、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと」が掲げられている(同法三五条、三六条一号)。そして小学校における教育の目標としては「学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと」が謳われている(同法一八条一号)から、中学校においては、小学校におけると同様に、教員と生徒等によって構成される学校という一個の具体的社会において営まれる学校生活のもつ教育上の意義、効果が重視され、その経験を通じてすべての生徒に等しく社会人としてあるべき一定の水準に達する基本的資質、すなわち他人に対しては理解と寛容の心をもち諸々の社会的ルールを尊重することによって相互に協同しながらも、いたずらに他人に追随することなく自主、自律の精神をもって自らの個性を確立することを忘れないという、二つの要素の均衡し調和した資質、を養うことが、その重要な教育目標とされていることを見て取ることができる。そして小学校から中学校にいたる義務教育の過程は、子女が保護者の膝下を離れ、はじめて学校という具体的社会の一構成員として、いわば本格的社会生活の洗礼を受けるのであって、その学校生活が児童、生徒の生涯に及ぼす影響は極めて大きいものといわなければならないのであるが、この目標の達成のためには社会、道徳等の教科の授業による教育と並んで、右に述べたような学校生活のあらゆる部面において教員が成熟した社会人として自ら実践、垂範してする実物教育こそが、高等教育や専門教育等に比して格別に強く期待されているものとみなければならない。それ故これら教員についてその適格性を判断するに当たっては右の点に関する考慮が特に必要であると考えられる。」(太字は代理人・以下同じ)

    上記のように、環裁判官は、@義務教育においては、理解と寛容の心と相互に協同する精神とともに、いたずらに他人に追随することなく自主、自律の精神をもって自らの個性を確立することを忘れないという、二つの要素の均衡し調和した資質、を養うことが、重要であるとし、A義務教育においては、この二つの面を学校生活のあらゆる部面において、自ら実践、垂範してする実物教育こそが、高等教育や専門教育等に比して格別に重要であるとし(「成熟した社会人」とは一種の形容に過ぎない)、教員についての適格性を判断するに当たっては、上記の2点に関する考慮が特に必要である、と述べているのである。
 言うまでもないが、最初に挙げた被告都教委の要約においては、上記@の点において、「いたずらに他人に追随することなく自主、自律の精神をもって自らの個性を確立することを忘れないという」要素を意図的に欠落させ、上記Aの点において、それ自体抽象的な意味しかない「成熟した社会人」という言葉を用いて、同裁判官の真意を曖昧にしているのである。また、被告都教委が挙げているBの点については、次に述べるとおり、同裁判官は、上記最判の事例に則してコメントしているに過ぎないものであって、到底一般化できるものではなく、上記最判事例の上告人たる元教師について、上記@の理解と協同の精神に欠けること、上記Aの自ら実践、垂範するという態度に欠けることを指して、「他人の注意進言等に耳を貸さない独善的性格」と表現しているのであって、これを要件とすることは適当でないことは明らかである。実際、被告都教委がまとめるBが一般的に不適格性の要件として成立するならば、「他人の注意進言等」が間違っている場合でも「耳を貸す」(=これに「服従する」)という性格でなければ、教員として不適格ということになり、上記@の要件の「いたずらに他人に追随することなく、自主自律の精神をもって自らの個性を確立することを忘れない」という要件、上記Aの「自らの実践、垂範する」という要件と矛盾することになり(環裁判官が、間違った注意進言に服従することを「自らの実践、垂範」としているのでないことは自明である。)、不当であることは論を待たない。
 (2)環裁判官が、上記最判の事例において、上告人たる元教師について、「独善的な性格」「上告人の独善的な性格は、生徒に対する垂範者としての中学校教員の職務の遂行にとって極めて重大な障害となるものと考えざるを得ない」と判断したのは、補足意見第二項に述べられているような事情があったからである。
 補足意見第二項の全文は次のとおりである。

   「二 以上に述べた見地から本件の事案を検討すると、先ず原審は上述のような教員と生徒によって営まれる学校生活の部面において、上告人がした言動として、おおむね次のような趣旨の事実を認定する。すなわち、(1)上告人は、昭和三九年八月、高松中学校の一年八組の学級主任であったとき、同校では同月二三日に都合のつく父兄によって教室の壁や天井にペンキを塗ることがPTA運営委員会によって計画され(父兄の手による校舎の補修は前列があった。)、同月二一日の休暇中の全校登校日に一年の学級主任を通じて登校した生徒にこの趣旨を記載した連絡文書を各家庭に持ちかえらせることとなったが、上告人は、本来公費でするべき校舎の補修を任意参加とはいえ父兄の手をわずらわすべきでないとして、その担当する生徒に右の文書を持ちかえらせなかったため、結局、上告人担任の学級の教室は他の学級の生徒の父兄によって補修される結果となり、PTAの間に上告人に対する不満が生じた。(2)同校PTAでは、同年一〇月から同校に父兄等地元民の寄附によってプールを建設する計画があり、PTA会長名義のプール建設についての文書(アンケート用紙つき)を学級主任に配布し、生徒に各家庭に持ちかえらせて父兄の記名による賛否を問うこととした際、上告人は、このような記名を伴う調査方法では公正な意見の開陳を期待することができない等として右文書の配布を中止させたことがあった。結局、プールは大部分の費用を地元負担で昭和四一年ごろ完成したが、PTA会長等幹部がPTAに協力しないものとして上告人を排斥、非難するようになり、昭和三九年度末ごろにはPTA会長が激しい口調で上告人に対しPTAに反対する先生は転任してもらいたいといったことがあった。(3)上告人は、昭和四〇年四月一日付で長田南中学校へ転任の発令を受けたが、同月六日に始業式(そこでは担任教員の紹介や時間割の伝達等も行われ、他の新任教員らも出席した。)が行われることを予め知っており、かつ容易に登校することができる状態であったにもかかわらず、前記自己の転任について抗議するため他の者と共に高松中学校へ行き、右始業式に出席しなかった。また、高松中学校での右抗議の際上告人は校長が始業式に参列しようとするのを引き留めたり、さえぎったりしたため同校の始業式は約二〇分遅れて開かれた。(4)上告人は、肺結核の前歴があり、毎年身体検査でレントゲン検査を受けるたびに精密検査を命ぜられるのが常であったが、昭和四〇年五月の長田南中学校職員一同のレントゲン撮影の際にも精密検査を要するものと判定され、直接撮影を受けることを保健所から指示されたのであるが、その後九回にもわたって受診を催促されたにもかかわらず、同年一〇月に至るまで口実を設けて直接撮影を受けなかった。(5)昭和四一年五月同校校長から担任生徒のうち給食の脱脂粉乳を飲まない生徒の人数の調査報告を求められた際、他の学級担任教員はこれに応じて報告をしたのに、上告人ひとりこれをしなかったので、校長から催促したところ、調べたかったら自分で調べろとの趣旨の発言をした校長の指示に従わず、やむなく校長自ら調査を行った。(6)同中学校で放課後行われていたインペル学習と称する生徒の自主的学習について、校長から当初この学習が軌道にのるまでの間担任学級の生徒を指導するよう各学級担任教員に指示し、他の教員はこの指示に従ったにもかかわらず、二年五組の担任であった上告人のみは二年の学年主任から注意されても行かないのが自分の主義だといって当初の一学期は右指導をあまりしなかった。(7)同中学校では、校長が各学級担任の教員に対しなるべく教室で生徒と共に昼食をとることを要望し、大部分の学級担任教員はこれを実行していたが,上告人は、校長から促されても行かないのが自分の主義だといって拒否し、生徒と一緒に昼食をとることはまれであった。(8)上告人は同校校長等から注意されたにもかかわらず火災の危険の多い古い木造の校舎内の廊下を喫煙しながら歩くことがあり、この行為について生徒が黒板に「禁煙願います」と書いたことがあった。(9)上告人は、同校の他の教員と異なり昭和四〇年度の二学期の担任生徒の通信簿の家庭通信欄に校長の了解を得ないで何の記入もしなかった。(10)上告人は、同年一二月に行われた同校の二学期の終業式に出席しないのみか、校長の訓話中火のついたたばこをくわえて式場に入り、中にいた同僚教員に声高に話しかけて立ち去った。(11)上告人は、同年度の指導要録を指示された期日までに校長に提出せず自己の机の下に放置し、校長の命を受けた他の教員により発見された上告人作成の指導要録にも記載の不備があり、校長がこれを補正させた。 」

    上記のように、この最判事例における上告人たる元教師は、1964年(昭和39年)から1966年(昭和41年)のわずか2年弱の間に、学校として協同してあたるべき事に対して全く協力せず、始業式、終業式といった学校行事の遂行に多大な支障を生じさせ、さらには、通信簿の家庭通信欄を記入せず、指導要録の記載も極めて不十分であった、という教員として最低限のルール、職務すら「自分の主義」と称して、遵守ないし遂行しなかったことが認められるのであって、かかる事実を基礎として、環裁判官は、第三項において、「以上の事実を徴表として認められることは、上告人には、生徒と共にする学校生活の部面において一般に受容されている諸々のルールを軽視ないし無視し、自らの思うところ、主義とするところを相当の手順をふむことをせずにそのまま直ちに実行に移して他を顧みることなく、校長らの注意、進言等にも耳をかさないというような、独善的傾向が強く見られる」としたのである。
 (3)そして、上記のような最判の事例と原告の場合とは全く次元の異なるものであることはすでに明らかである。
 すなわち、本件において、被告都教委が問題としている原告の言動は、8年もの時を隔てたものであることは前述したとおりであり、その間、原告について問題とされる言動は全くなかったこと(1999年の第2次減給処分は、十六中事件に関してのことである。)、原告の30年余の教員生活を通じて学校全体であたるべき事柄について協同しなかったことは全くないこと、そして何よりも、「当該職務の目的」たる「義務教育においては、理解と寛容の心と相互に協同する精神とともに、いたずらに他人に追随することなく自主、自律の精神をもって自らの個性を確立することを忘れないという、二つの要素の均衡し調和した資質、を養うこと」(前記環裁判官の補足意見)という最も重要な点において、原告は、前記4(3)CDにおいて示したような素晴らしい成果を上げていること等の事実が認められるのであって、かかる原告の言動が、「特別に厳格、慎重な考慮が払われなければならない」分限免職処分に相当するほど、「その職に必要な適格性を欠く場合」に該当するとは到底言えないことは明らかである。
 6 「職務の円滑な遂行に支障があり、又は支障を生ずる高度の蓋然性」について
 (1)被告都教委は、すでに述べたような原告の「独善的性格」は、「職務の円滑な遂行に支障があり、又は支障を生ずる高度の蓋然性」が存する、と主張する。
 しかしながら、被告都教委が主張するような原告の言動をもって、原告を「独善的性格」を有するとは到底言えないことは、前記3,4において詳細に述べたとおりであるが、ここでは、原告の言動が、「職務の円滑な遂行」に支障を生じさせたことも、その蓋然性もないことについて確認する。
 (2)まず、教員の職務の本質たる「教育」において支障が生じていないことについては、前記4(3)CDにおいて触れた生徒達の意見や足立十二中時代には、卒業式における答辞において、原告の教育活動について特別に謝辞が述べられていること(甲5)、九段中において生徒達だけでなく(甲20乃至24)、保護者一同からも「一年半という短い期間ではございましたが先生が教えて下さった紙上討論で学んだ事を子供たちは決して忘れる事はないでしょう。本当にありがとうございました。」(甲25)と深い謝辞が述べられていることを見れば余りにも明らかである。
 また、授業以外の校務を含めたことについても、何ら支障が生じていた事実は認められない(この点については、被告都教委も何ら主張していない。)。とりわけ、本件分限免職処分がなされた九段中における原告の校務等を含めた職務の遂行状況に全く問題がなかったことは、今後さらに立証していく予定である。
 (3)以上のとおり、原告の言動ないしは性格によって、「職務の円滑な遂行に支障があり、又は支障を生ずる高度の蓋然性」が認められるとすべき証拠はいっさいなく、むしろ、原告は、30年余の教員生活を通じて、義務教育の目標である「理解と寛容の心と相互に協同する精神とともに、いたずらに他人に追随することなく自主、自律の精神をもって自らの個性を確立することを忘れないという、二つの要素の均衡し調和した資質を養う」という教育実践を真摯に行ってきたことが認められるだけである。

第2 被告都教委準備書面(4)「第4 原告の教員としての適格性について」に対する反論
 1 被告都教委は、上記項目において、第1,2次研修期間中における原告の言動や十六中事件、九段中事件を根拠として、「原告は、独善的性格を有しているのみならず、生徒、保護者への思いやりを欠如し、公私の区別が出来ない者なのであり、普通教育における教員として不適格なものである。」と断じている。
 2 本書面第1において述べたとおり、被告都教委の上記判断は、全く根拠のないものであることは、本書面第1に述べたとおりであり、再論はしないこととする。
 また、第1,2次研修期間中における原告の言動についても、これまで主張立証してきたところであるが、この点については、次回までに総括的な反論を行う予定である。

以   上