原 告   増  田  都  子
被 告   東 京 都  外1名

準 備 書 面(7)

原告訴訟代理人            
弁護士  和久田 修

同  萱野一樹

同  寒竹里江

同  萩尾健太

2007年10月1日

東京地方裁判所民事第36部合議係  御 中

1 被告東京都の準備書面(2)の第3の3に対する反論
 被告らは、原告が批判した扶桑社の中学校歴史教科書(以下「つくる会」教科書という)について、文部科学省の検定に合格したものであり、誤った特定の歴史観に書かれたものではないと主張し、本件プリントが都議会議員と扶桑社を誹謗し、原告の歴史観を生徒に一方的に押し付けている点が問題である旨主張する。
 そこで、以下では、確かに「つくる会」教科書は検定に合格しているとはいえ、検定自体に問題があるうえ、検定によっても同教科書の根本的問題は何ら改善されておらず、原告の批判は全く正当であることにつき述べる。

2 「つくる会」教科書と検定の問題点
(1)137カ所もの修正意見
 2001年4月3日,つくる会」教科書も検定に合格した。「つくる会」教科書には137カ所の検定意見がついた。近年の歴史教科書やその年の他の7社の歴史教科書への検定意見数と比べても,異例の多さであった。
 137カ所の検定意見を時代別に分類してみると,圧倒的多数が近代史であった。近世史までは29カ所しかなく,実に8割近くが近代史に関してであった。「つくる会」教科書の近代史部分は,文部科学省によっても問題が多いと判断されたのである。
 近代史への検定意見108カ所をさらに内容別にみると、中国・朝鮮・韓国・アメリカを中心にして「対外関係」に関するものが圧倒的に多かった。このうち,中国・朝鮮・韓国に関するものには,「眠り続けた中国・朝鮮」などのように両国に関係するもの,韓国併合や日中戦争などのように韓国・中国に個別に関係するものもあるが,これらを合わせると38カ所もあった。さらにアジア全体に関する6カ所を加えれば,40%を超えた。さらにアメリカ関係が12カ所もあった。これはこの教科書の基本構想に関連している。対米関係は「戦争」や「東京裁判」,さらには「人種」に分類されるものも深くかかわっており,これらの合計29カ所は全体の27%を占めている。これに対して国内の問題は22カ所,昭和天皇に関するものを加えても23カ所で21%であった。
 これらの数字の示すものは,「つくる会」教科書に対する検定が,主に中国・韓国への配慮・対応に終始したということである。「つくる会」教科書は,「つくる会」西尾幹二会長が,検定申請直後にテレビでその内容を宣伝したことなどもあって,早くからその内容が注目され,新聞報道などに依拠して,日本国内ばかりでなく,中国や韓国からも批判の声があがった。検定ではこれらの批判への対応が考慮されたのである。しかし,近代史だけで108カ所もの検定意見がつき,その大多数が中国・韓国・アジアに関するものであるということは,教科書検定基準の「近隣諸国条項」を適用すれば,文部科学省の基準でも「不合格」になってもおかしくない内容であったというべきである。
 2001年4月4日付朝日新聞によれば,「つくる会」の西尾幹二会長は,記者会見で「全体としてはほぼ趣意書に掲げた通りの教科書が誕生した」という声明を読みあげた。西尾幹二著『国民の歴史』(1999年,産経新聞社)は「つくる会」教科書の「検定申請本(白表紙本)」のパイロット版であった。この『国民の歴史』と申請本と検定結果の三者を比較しながら,検定結果を踏まえた修正本(見本本)の問題点を以下に検討する。

(2)「歴史は科学ではない」と「歴史を裁く」こと
 「つくる会」教科書には,本文の最初に「歴史を学ぶとは」というメッセージがある。ここには「歴史は科学ではない」という主張があった。これは『国民の歴史』と同様に「つくる会」教科書の基本主張であった。しかし,これには「説明不足であり,また前後の文章との関連も不明確で理解し難い」という検定意見がついて「削除」された。
 それでは「歴史を学ぶとは」はどうなったか。この「歴史は科学ではない」という一文がなくなった結果,強調されることになったのは「歴史を学ぶとは,今の時代の基準からみて,過去の不正や不公平を裁いたり,告発したりする」ことではない,「歴史に善悪を当てはめ,現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう」という主張であった。
 この主張は,かつて家永教科書裁判の時,家永三郎教授が歴史教育は憲法と教育基本法の精神に基づいて行うべきであると主張したのに対して,当時の文部省が主張したこととまったく同じであることに注目すべきである。つまり,当時の文部省は歴史教育が憲法や教育基本法に依拠してはいけないと言ったのであった。「つくる会」教科書が「憲法調査会が設置され,日本国憲法の見直しが始まった」という文章で本文の最後を締めくくったのは,この文部省の視点と同様である。ただ,「見直し」には検定意見がついて「調査」に変わった。しかし,教科書の最後の文章が日本国憲法への否定的見解である点に変わりはなく,「つくる会」教科書が日本国憲法否定の教科書であることに変化はない。なお、2005年8月に初版が発行された同教科書改訂版では、上記本文最後の文章も問題があるとして削除された。

(3)「森林と岩清水の文明」と「神話」
 「つくる会」教科書は、当初、日本の歴史の「古さと独自性」を主張し,「森林と岩清水の文明」として、日本列島の歴史を「四大文明に先がけて1万年以上の長期にわたって続い」たもので,「砂漠と大河の文明」である四大文明に対置する豊かな文明として描いていた。「森林と岩清水の文明」と「四大文明」の対比には「性格の異なるものを同列に比較」しているという検定意見がついた。それによって,「四大文明に先がけて」という部分は削除されたが,その他のところは「砂漠と大河の地域」,「森林と岩清水の生活文化」,「森林と岩清水に恵まれた地域」と変わったにすぎず,日本列島の歴史の「古さと独自性」を異常に強調する基本的発想に変更はなかった。
 さらに「つくる会」教科書は「神話」を太平洋戦争中の国定教科書のごとく復活させ,しかもたんに復活させただけでなく,歴史と混同させた。『国民の歴史』では「すべての歴史は神話である」とし,「神話と歴史の境目」は「曖昧」であると書いている。その「境目」の「暖昧」な例として神風特攻隊をあげ「神風特攻隊の行動を合理的に説明することなどもう誰にもできない」と述べている。つまり,神話も神風特攻隊も「過去にあったと信じられた伝承を端的に文章化したもの」であるとして両者を混同させ,それによって「神話」という事実でないものを歴史=事実にするために「すべての歴史は神話である」という命題を登場させたのである。
 「つくる会」教科書は,さすがに「すべての歴史は神話である」とは書いていないが,神話に9頁を費やしていた(なお、上記改訂版では、「神武天皇の東征伝承」と「日本の神話」という読み物コラムとして3頁になっている)。これは既存の歴史教科書に比べると異例の頁配分であった。そして,「天照大神」と「その子孫」の話を詳しく取りあげて,「神の子」でありながら初代天皇とされる「神武天皇」を実在の人物として描き,「大和朝廷」の「大王」を「天皇」に移行させるために「日本武尊」の神話を用い,それを奈良時代のなかで描いていた。奈良時代を,『古事記』『日本書紀』に書かれた「神話」を「歴史」に転換する時代に利用していた。
 検定では,神話の「神武天皇の東征」が「E古墳の広まりと大和朝廷」という項の中にあり,「進む国内の統一」という小項目に続いて「構成及び記述され」ている点を問題にし,「神武天皇の東征」が「おおよそ史実であると誤解するおそれのある表現」と指摘した。しかし,検定の結果によっても,「誤解するおそれ」はなくなっていない。前方後円項の出現や朝鮮半島と日本列島の関係などの「歴史」を記述した同じ「項」のなかに,たとえ『古事記』や『日本書紀』に残っている伝承であると記しても,また「東征」の地図の「神武天皇の進んだとされるルート」を「……進んだと伝えられるルート」と変え,さらに実線を点線に変えても,神武天皇は「橿原の地で,初代天皇の位に即いた。」という文で終わっている「神武天皇の東征伝承」の「神話」を「歴史」と「誤解するおそれ」は多分に残っていた。なお、上記改訂版では、「東征」の地図は削除された。この頁の最後には「2月11日の建国記念の日は,『日本書紀』に出てくる神武天皇が即位したといわれる日を太陽暦になおしたものである。」という説明もある。検定前は「神武天皇即位の日」とあったものが改訂されたものであるが,「神武天皇」実在説を補強している。さらに検定意見ではこの小項目の「構成及び記述」に「誤解されるおそれ」があると指摘したのであるから,一部分の文章の削除で検定意見に対する「修正」になっているとは到底言えない。
 「日本武尊と弟橘媛」の神話についても,日本武尊をめぐる物語には「そのもとになる古くからの言い伝えはあったものと思われる」という記述に対し,「この記述ではその多くが事実であったというように誤解するおそれのある表現である」という検定意見がつき,この部分は削除された。そしてここでも地図のキャプションが「日本武尊の東征地図」から「日本武尊が東征したと伝えられるルート」に変わり,実線が点線になった。しかし,「以上が,日本武尊と弟橘媛の言い伝えである。」という文で終わっていたために,日本武尊は実在の人物であるかのごとき誤解を与えるものとなっていた。
 さらに4頁を費やしていた「日本の神話」では,「のちの世から神武天皇とよばれるようになるのである」という最後の文章に対して,「神話であることがわかりにくく,神武天皇が実在の人物であることが史実として確定しているかのように誤解」されるという検定意見がついて,この部分は削除された。しかし「ニニギの命から神武天皇へ」という小項目のタイトルが残っており,末尾の文章が,ニニギの命は「大和に橿原の宮を建てて,初代天皇となった。」となっていたので,「神武天皇が実在の人物」であったかのように「誤解するおそれ」は十分にあった。なお、上記改訂版では、「大国主神とニニギの命」という小項目のタイトルになり、末尾の文章は「このニニギの命のひ孫が、初代天皇と伝えられる神武天皇である、と神話は語っている。」と変えられたが、誤解を与えるおそれがあることには変わりない。
 検定意見さえも「神話」を「史実」と「誤解」してしまうと言わざるを得ないような記述であったことを認めていた。しかし、これによって「神話」の記述が改善されたとは到底言えない。この部分を訂正・削除しても,十分に「史実として確定しているかのように」読んでしまう中学生が多数出るであろうと思われる記述となっているからである。その理由は,教科書記述の流れのなかで「神話」が登場するからである。例えば,「日本武尊と弟橘媛」と「日本の神話」の間には「第三節 律令国家の成立」があり,ここには「G聖徳太子の新政」や「H大化の改新」,「J律令国家の出発」という「史実」を記した「項」があった。これらの流れのなかで「L日本の神話」が登場し,『古事記』,『日本書紀』という実在の本に残された話として「神話とは」,「イザナキの命とイザナミの命」,「天照大神とスサノオの命」,「ニニギの命から神武天皇へ」という4頁にわたる「神話」を学習すれば,中学生が「神話」を「史実」として認識する可能性は十分にある。

(4)近代史の基本構想は不変
 「つくる会」教科書には,近代史だけで108カ所もの検定意見がついた。しかもその中心は中国・朝鮮・韓国などアジア関係であった。
 『国民の歴史』も「つくる会」教科書も,近代史を,日露戦争後の韓国併合までを日中・日朝関係で描き,それ以後現在までを日米対立を中心に構想している。この構想を表明したのが「N近代日本が置かれた立場」という「項」であった。ここではまず「開国以後」の「日本の歴史を動かす要因」を「欧米列強の軍事的脅威」による「恐怖を打ち払おうと」する「努力や工夫」に求めていた。ここにアジア諸国への侵略とアメリカに対する敵愾心の原因を求めていた。なお、上記改訂版では、読み物コラム「明治維新とは何か」で同趣旨の事を述べている。
 この「項」では,「近代日本史の前提」という小項目を設定し,近代の日本史を学ぶ「三つの前提」をあげていた。検定では第3項目に意見がついただけであった。その第1では,日本の大国化は「列強の進出と同時進行」であったとしていた。「欧米列強の植民地支配圏の拡大」への対応が日本のアジア侵略であるというアジア侵略正当化論である。
 第2は,中国や朝鮮は「欧米列強の武力脅威を十分に認識できていなかった」ので,「列強に侵食され」たと主張していたことである。つまり危機意識の持てない中国・朝鮮像の強調である。
 第3は,「武家社会」であった日本の優位性を強調し,「文官社会」であった中国・朝鮮を侮蔑的にみる見解を展開していた。この点には検定意見がついて,文章を短縮した。その結果,中国・朝鮮への侮蔑的表現は弱まったが,武家社会であった日本は危機への対応ができたが,「文官が支配する国家」だった中国・朝鮮は「列強の脅威に対し,十分な相応ができなかった」という主張は変わっていない。「……という考え方もある」という文章を末尾につけても,基本的主張は変わらない。
 以上の3点は,列強によるアジアでの植民地支配圏の拡大を日本のアジア侵略正当化の理由にし,そのために危機意識のない中国・朝鮮を描き,さらにその歴史的根拠を武家社会と文官社会という封建時代の国家体制に求めるという構想である。つまり,日本のアジア侵略を列強,中国・朝鮮に責任を転嫁して正当化しているのである。検定意見によって文章表現が若干変化してもこの基本構想に全く変化はない。

(5)2枚の地図による近代史像
ア 「つくる会」教科書には重要な2枚の地図があった。その1枚は「朝鮮半島凶器論」の地図であり,他の1枚は「アメリカによる日本封鎖論」の地図であった。検定では,2枚の地図の説明にそれぞれ検定意見がつき,いずれもその文章は「削除」された。それほど非歴史的見解だったといえる。
  中国大陸と朝鮮半島,さらに日本列島を描いた地図が「朝鮮半島凶器論」の地図である。この地図の説明として,「日本に向けて大陸から1本の腕が突き出ている」と書き,この「腕」が朝鮮半島であり,それが「日本に絶えず突きつけられている凶器」であると書いた。この「凶器」という単語を含む文節について,検定は「この時期における認識であったことが理解し難い表現」という意見をつけた。「つくる会」は,このきわめて挑発的な文章だけは削除した。結果的にこの部分では,「朝鮮半島が日本に敵対的な大国の支配下に入れば……自国の防衛が困難になる」という仮定に基づく歴史記述が容認された。「仮定の歴史」など教科書に許されるはずがない。なお、上記改訂版では、読み物コラム「朝鮮半島と日本」で同趣旨の記述をしている。
 また,この一見普通の東アジアの地図には,中国の領土に「清」と「満州」を別々に書き入れている。「満州」侵略の論理に「満州」には「清・中国」の支配権が及んでいないというものがあったことを考えれば見すごすことができない。
イ 2枚目の地図である「アメリカによる日本封鎖論」とは,19世紀後半, 日本の開国当時,すでにアメリカは太平洋地域に多くの植民地を持っていて,それによって日本を封鎖しており,日本の勢力拡大の障害物であったというものである。そしてこの時に始まる日米村立は,アジア太平洋戦争を経て現代まで続いているという構想である。 この地図に関しては,これが記されていた「S日米対立の系譜」という「項」3頁全文および地図に対し,「この時期の日米関係について基礎的,基本的な内容を習得させる上で適切な事項に厳選されていない」という検定意見がついて,全文がまったく新しい文章になった。にもかかわらず,この地図は頁を移しただけで何の説明もなく,掲載されている。実はこの地図は『国民の歴史』にも掲載されており,「申請本」と同趣旨の説明があるので,これを利用すればその主張は生きていることになる。この全文書き換えにはきわめて重要な意味がある。というのは,「申請本」には書かれていなかった重要な事項が書き込まれたからである。それは「関東大震災」と「治安維持法」である。「つくる会」教科書は,いわゆる「権力悪」を記さない教科書であったが,全文書き換えによって関東大震災時の朝鮮人や社会主義者の「殺害」にも言及し,治安維持法を記した。しかしこれは当然記すべき重要事項を記述したにすぎない。問題は,検定によって3頁もの書き換えが要求され,その対策として「申請本」とまったく違った内容を書いてしまったことである。1999年に「教科用図書検定規則」の「実施細則」が改定されたが,そこでは検定意見に従った修正以外の修正はできないとされている。とすれば,「S日米対立の系譜」を「S大正から昭和へ」と改め,その中に関東大震災や治安維持法を書き加えることは,「実施細則」に反している。文部科学省は,自ら定めた規則も守っていない。検定はこうまでして「つくる会」教科書を合格させようとしたとも言える。
  それではこの改訂で記述が整ったかと言えば,治安維持法と同時に制定された普通選挙法は数頁前にあり,歴史的には前の時期におこった関東大震災が後に出てくることになる。このように「つくる会」教科書は時代の順序を踏まえていない記述が多い。これでは中学生には理解が困難となり,不適切であるといえる。従来の検定であれば,このような時間的逆転には訂正要求の検定意見がついたはずである。

(6)韓国併合の捉え方
 韓国関係の記述でもっとも多くの検定意見がついたのは「韓国併合」の頁である。この頁では5カ所に分けて検定意見がつき,全文書き換えになった。改訂文では,植民地化が「当時としては,国際関係の原則にのっとり,合法的に行われた」などどいう露骨な主張はなくなったが,日本にとっての「必要」性を述べ,欧米列強の支持を強調している点で,基本的構想は変わっていない。
 中学校の教科書であることを考慮しつつ,以下に新しい記述を検討する。問題点の第1は,日露戦争から1910年の「韓国併合」までの経過を記していないことである。日露戦争直後に第二次日韓協約を強要し,韓国を保護国とし韓国統監府を設置したが,この過程と統監府が何をしたかをまったく書いていない。もちろん中学校の教科書であるから「第二次日韓協約」という名称などを記述する必要はないのであろうが,韓国を「保護国」にしたことも伊藤博文が統監に就任したことも書いていない。伊藤については,写真のキャプションで初代韓国統監になったこと,「1909年ハルビンで暗殺された」ことを書いているだけである。韓国の外交権や内政権を奪ったこと,韓国軍隊を解散させたことなど,1910年の併合までの経過を何も記していない。なお、上記改訂版においても、人物コラムとして伊藤博文について1頁を費やしておきながら、韓国併合に至る経緯について何ら記述していない。「日本は韓国内の反対を,武力を背景におさえて併合を断行した」と書いて,「武力」による併合を強調しても,その前にイギリス,アメリカ,ロシアの3国は「これに異議を唱えなかった」とあるために,「韓国内の反対」の理由が明らかにされていない。「日本政府は,韓国の併合が,日本の安全と満州の権益を防衛するために必要であると考えた」と日本の立場だけは明確に書いているが,韓国側の反対理由を書いていないのである。
  問題点の第2は,韓国側の抵抗を書いているが,それはきわめて抽象的であることである。「民族の独立を失うことへのはげしい抵抗がおこり,その後も,独立回復の運動が根強く行われた。」と書いていたが,「民族の独立」,「独立回復」などの単語は抽象的である。中学校の教科書であることを考慮しても,他社の教科書のように義兵運動の展開を記述すべきである。韓国側の抵抗にもー応は触れておこうという程度の記述である。
  問題点の第3は,植民地支配の実態が依然として書かれていないかったことである。まず,朝鮮総督府への言及がない。朝鮮総督府という用語さえ本文には出て来ない。朝鮮総督府については,この頁の「朝鮮総督府の建物」の写真のキャプションに1910年から1945年まで置かれていたことが書かれていただけである。したがって朝鮮総督の権限や役割は不明であった。10頁ほど後の三・一独立運動の記述について,「独立運動全体の……実態について理解し難い」という検定意見がつき,「朝鮮総督府(日本が朝鮮支配のために置いた統治機関)」という説明が書き加えられた。しかし,これでは不十分である。朝鮮総督府については,「韓国併合」の箇所で書くべき事柄である。
 問題点の第4は,支配の実態として書き加えられた内容である。ここでは鉄道の敷設,潅漑施設の整備など「開発」的内容をまず書いている。その後に土地調査事業と日本語教育を書き加えた。そして結論は「朝鮮の人々は日本への反感を強めた」とまとめている。この流れでは「開発」事業は肯定され,土地調査事業と日本語教育だけが日本への反感の原因となってしまう。重要なのは植民地支配を総体としてとらえることであり,さらにその中で日本人の中に朝鮮人への差別意識が強まっていった事実なのである。

(7)15年戦争の記述
 満州事変からアジア太平洋戦争にかけての記述には多くの検定意見がついた。戦争当時の中国側の動向に関する記述に集中的に検定意見がついた。そして日本国内の動向にはあまり意見がついていなかった。
  満州事変に関して,「列車妨害,日本人学童への暴行,日本商品ボイコット,日本軍人の殺害など,条約違反の違法行為は300件を超えた。……日本の権益と日本人の生命がおびやかされ」などと満州事変前の中国の排日運動についてきわめて具体的に記述した部分があるが,これにたいしては,これでは満州事変などが「主として中国側の動きによって引き起こされたかのような誤解」を与えるという検定意見がついて,これらの記述は削除された。 しかし,満州事変は関東軍が「日本政府の方針とは無関係に」起こした事件であるとか,国民が「熱烈に支持」したという,日本側の動向を記述した部分には検定意見がついていない。
  リットン調査団に関しては,検定意見対象外の,「中国の事情に通じた外国人の中には,日本の行動を中国側の破壊活動に対する自衛行為と認める者もいた」と日本側の行動を容認した部分を削除したが,リットン報告書が「満 州における不法行為によって日本の安全がおびやかされていたことは認め, 満州における日本の権益を承認した。」と書き換えている。
 日中戦争に関する記述でも,中国側が「長期戦を方針」とし,日本側が「何回も……和平提案を行ったが,実らなかった」という記述には「戦争長期化の原因について,誤解するおそれ」があるという検定意見がつき,日本側の「和平提案」の部分は削除された。その結果,戦争長期化の原因は日中双方にあったことになり,日本の侵略行為を正当化し,中国側にも戦争責任を転嫁するものになってしまった。
 これらの記述改訂で注目すべきことは,この満州事変前の記述では,削除された部分の修正文に張作霧爆殺事件を書き込んだことである。さらに,日中戦争時の南京占領の部分には「(このとき,日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た。南京事件)」という括弧書きの記述を挿入した。これは「301頁に南京事件の記述があり,組織が不適切である」という検定意見がついたからである。301頁(申請本)とは戦後の東京裁判に関する部分で,ここで「南京大虐殺事件否定説」を展開しているが,これとの関連で「組織が不適切」としたのである。「組織が不適切」であるだけでなく記述内容が「不適切」なのである。
 これらをみると,文部科学省は中国政府からの抗議を意識して検定意見によって加害の事実を書き込ませたものと思われる。
 アジア太平洋戦争に関する部分では「大東亜戦争」という用語や,戦争の目的を「自存自衛とアジアを欧米の支配から解放し,そして,『大東亜共栄圏』を建設すること」とした侵略戦争肯定の記述が残っている。日米開戦の理由については「ハル・ノートの提出によって日本が対米開戦に追い込まれたかのように誤解」されるという検定意見がついた。そして「日本政府は,対米開戦を決意せざるをえなくなった」と一方的にアメリカに開戦責任をおわせる記述は削除されたが,他社の教科書には書かれている,日米開戦が日本の奇襲攻撃であった点などは,書かれていない。
 そして,「日本軍の南方進出」がアジア・アフリカ諸国の独立の「きっかけ」になったという記述には,「各国の独立に至る事情を考慮して」いないという検定意見がついた。その結果,「これらの地域では,戦前より独立に向けた動きがあったが,その中で日本軍の南方進出は,アジア諸国が独立を早める一つのきっかけともなった」と書き改められた。確かに原文と比べれば,トーンが弱まった観はあるが、この記述の前には「日本によって訓練されたインドネシアの軍隊」や,「日本軍と協力したインド国民軍」が独立に大きな役割をはたしたという記述があり,「日本軍の南方進出」を大きく評価する基調に変化はない。まさに大東亜戦争肯定論そのものである。
 なお、上記改訂版においては、207頁に「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」「日本を解放軍としてむかえたインドネシアの人々」などというふたつの囲み記事を載せ、大東亜戦争肯定論を展開している。

(8)戦争賛美の記述
 戦争賛美の記述は「S大東亜戦争(太平洋戟争)」の項の「暗転する戦局」という小項目に典型的に現れていた。アッツ島の「玉砕」を賛美し,「神風特別攻撃隊」を英雄視し,戦争に正義・不正はなく,「戦争に善悪はつけがたい」と戦争を肯定していた。これらにはすべて検定意見がついて,記述は大幅に改められた。しかし,アッツ島の場面では,劇画的記述は少なくなったが,「わずか2000名の日本軍守備隊が2万の米軍を相手に一歩も引かず,弾丸や米の補給が途絶えても抵抗を続け,玉砕していった」という記述はそのまま残り,「玉砕」という無謀な自殺行為を賛美していた。また神風特別攻撃隊の記述では,「米軍の将兵は……尊敬の念すらいだいた」とか「多くの若者(は)……この日本のために犠牲になることをあえていとわなかった」という記述はなくなったが,故郷の妹にあてた手紙を残したうえに,「遺詠」という題の特攻隊貞の遺書を加えた。この遺書はまさに「日本のために犠牲になることをあえていとわなかった」ことを述べたものであった。しかも,戦争そのものを賛美したために削除させられた文章の代わりに「日本はなぜ,アメリカと戦争したのだろうか。これまでの学習をふり返って,まとめてみよう。また,戦争中の人々の気持ちを,上の特攻隊員の遺書や,当時の回想録などを読んで考えてみよう。」という質問文を挿入し,新たに加えた遺書の意味を考えさせようとしていた。さらに,この文章の後には,沖縄戦の記述があり,「鉄血勤皇隊の少年やひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦っ」たと書いていた。特攻隊の青年は「国家の安危」に「桜花のごとく散」り,沖縄の少年少女も「勇敢」に戦った記述を読めば,自分も「国のために死のう」と中学生が考える可能性がある。憲法9条を持つ日本の教科書として不適当な記載である。

(9)近代の中国・朝鮮・韓国関係の記述
 近代の中国・朝鮮・韓国関係の記述に対して多くの検定意見がつけられた。それらを見ると,文部科学省が,検定過程ですでに批判が起こっていた中国・韓国への対策に力を入れていたことがわかる。検定意見のついた部分では,「申請本」できわめて露骨に表われていた中国・韓国蔑視観が若干訂正された形跡が見える。その一例をあげれば,15年戦争中の朝鮮植民地支配に関しては,「申請本」ではまったく記述がなかったが,「台湾や朝鮮の状況についてはとんど触れられておらず,全体として調和がとれていない」という検定意見がついて,「国民の動員」という小項目全体が書き直しになり,ある程度書き加えられた。そこでは徴用・徴兵や強制連行,皇民化政策としての創氏改名に関する記述が追加された。
 しかし、これらの訂正によっても、中国・朝鮮・韓国関係の記述が他社の教科書程度にさえ改善されたとは到底言えない。その理由は,「申請本」の記述があまりにも排外主義的・差別的であったために,若干の訂正では直しきれないためである。例えば,三・一独立運動の項で,「旧国王の葬儀に集まっ知識人らがソウルで独立を宣言し」と書き加えたが,独立宣言書を発表した33人の民族代表は,葬儀のために「集まった」のではない。朝鮮総督府が「武力で弾圧」したことも記述したが,負傷者数などを書いていない。また「朝鮮総督府」という用語がここで初めて記されたために,「日本が朝鮮支配のために置いた統治機関」という説明を加えなければならなかった。そして,朝鮮総督の権限の説明がないために,なぜ朝鮮総督が弾圧するのかもわかりにくいのである。本来は「韓国併合」の項で書くべき内容である。さらに「その一方では,それまでの統治の仕方を変えた」と書き加えたが,以前の統治の仕方(例えば憲兵警察支配など)を記述していないうえに,どのように「統治の仕方を変えた」のかが書いていないので,どう変わったかがまったくわからない。教育的配慮に欠けた,意味不明の文章が羅列されているだけである。

(10)検定は,「つくる会」教科書を合格させるために,137箇所もの検定意見を付けた。しかし,「つくる会」が記者会見で述べたように,また前記の2001年4月4日付の朝日新聞で西尾幹二が強弁しているように,「つくる会」教科書の基本的主張を,検定で変えることができなかった。文部科学省は,イデオロギーでは教科書は不合格にできないというが,学習指導要領や「近隣諸国条項」などの検定基準に照らせば,「つくる会」教科書は、教科書としての適格性に欠けているのであり、本来検定において不合格にすべき代物だったのである。

3 検定合格に対する抗議の声
 2001年4月3日に、文部科学省が、「つくる会」教科書の検定合格を発表して以来、多くの団体や学識経験者、韓国や中国などが相次いで抗議の声を上げた。それらの抗議声明や指摘された問題点について、本書面末尾に添付するので参照されたい。【】内はそれらの内容の一部を紹介したものである。
(1)別紙1:2001年4月3日 子どもと教科書全国ネット21ほか10団体の連名による「憲法否定・国際孤立の道へ踏み込む教科書を子どもたちに渡してはならない」というアピール

【1982年に教科書検定による侵略の事実の隠蔽に対しておこったアジア諸国からの抗議を契機に、教科書検定基準に「近隣のアジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から配慮がなされていること」という条項(いわゆる「近隣諸国条項」)が政府によって付け加えられた・・・・。ところが、「つくる会」教科書は、こうした日本政府がこれまで公式に表明した国際公約に明らかに違反する内容を含んでいます。・・・・このような日本国憲法否定・国際公約違反の教科書が出現したことについては、日本政府の責任は重大です。】

(2)別紙2:2001年4月3日 韓国の日本歴史教科書改悪阻止運動本部の「戦争責任を否認する「危険な」教科書検定承認に断固抗議する」というアピール

【本4月3日、日本の文部科学省は、これまで問題となってきた日本の中学校歴史教科書の検定を最終承認し、4月3日17時にメディアを通じて全面公開した。しかし、教科書検定の過程で最も「あぶない」教科書として知られていた「新しい歴史教科書をつくる会」が執筆した教科書が、歪曲された歴史認識という点においては全く変わるところなく、形式的な修正が加えられただけで検定を通過したことは、きわめて深刻な問題であるといわざるを得ない。】

(3)別紙3:2001年4月25日 荒井信一外6名の学者が、扶桑社版中学歴史教科書の検定合格版の近代・現代史部分の誤り51箇所を指摘し、文部科学大臣に送付したもの

(4)別紙4:2001年5月8日 韓国政府が日本政府に対し歴史教科書修正要求をした文書 その項で「扶桑社歴史教科書の歴史認識の問題点」についてつぎのように9点にわたって指摘している。
【 1.いわゆる任那日本府説に基づいている。
2.日本の歴史を美化するために韓国の歴史を貶めている。
3.日本軍による軍隊慰安婦の強制動員事実を故意に欠落し、太平洋戦争当時の人倫に悖る残虐行為の実態を隠蔽した。
4.両国の間で発生した事件の責任の所在を曖昧にしている。
5.日本が韓国など他国に及ぼした被害を縮小または隠蔽した。
6.植民地支配に関する反省がない。
7.日本が隣国と平和に交流協力してきた事実を軽んじた。
8.人種主義の観点が色濃い。
9.学術研究の成果が充分に反映されていない。】

(5)別紙5:2001年5月16日 中国政府が日本政府に対して歴史教科書修正を要求した文書

(6)別紙:2001年6月20日 歴史学研究会ほか22団体の連名による「『新しい歴史教科書』が教育の場に持ち込まれることに反対する緊急アピール
【第一に指摘しなければならないのは、検定とその後の自主修正を経たのちもなお、基本的な史実に関する誤謬や、歴史学のこれまでの研究成果を踏まえない記述が多く残されている点です。・・・・第二には、中国・朝鮮に対する蔑視を指摘しなければなりません。・・・・第三は、近代における日本とアジア諸国の関係についての記述の問題です。】

(7)別紙:2001年7月9日 榎原雅治東京大学教授らを代表者とする「まちがいだらけの『新しい歴史教科書』」

  これらの文書を通読するならば、「つくる会」教科書が検定に合格したものの、多くの間違いや偏った歴史認識に依拠した記述が多数あることがわかる。原告がそれらの点を踏まえて「歴史偽造」と批判したことはまことに正当なものということができる。中学生に対し、それらの点を教えることは教師の責務であって、なんら非難されるべきことではない。

4 結論
以上みたとおり、扶桑社の「つくる会」教科書が、今日の歴史学の成果を真っ向から否定するものであり、歴史を歪曲、偽造したものであることは明らかである。これに対し、原告が、公立中学の社会科教師として、誤った歴史認識をもって日本国憲法のありようを否定しようとする「教科書製作会社」があることを生徒達に教えることは、憲法及び教育基本法の趣旨からして、何ら「不適切」なものでないことは余りにも明らかである。
 扶桑社は、社会科の教科書を制作出版している会社である。その教科書の内容が憲法及び教育基本法の趣旨に反しているような場合、これを批判することは社会科教師である原告にとって権利であるとともに責務である。
 したがって、本件戒告処分は、本件プリントを使用した紙上討論という正当な授業内容に対して教育委員会が介入するという憲法第26条、教育基本法10条が禁止する不当支配に該当するとともに、学校教育法28条、同法40条にも反する違憲違法なものである。さらに、処分権の逸脱濫用にあたることもまた明白であるから、いずれにしても本件戒告処分の取消は免れない。
以 上