平成18年(行ウ)第478号 分限免職処分取消等請求事件
原 告 増 田 都 子
被 告 東 京 都 外1名
原告訴訟代理人
弁護士 和久田 修
同 萱野一樹
同 萩尾健太
同 寒竹里江
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2007年8月20日
東京地方裁判所民事第36部合議係 御 中
記
第1 被告東京都準備書面(2)及び被告千代田区準備書面(3)に対する反論
1 原告の教育公務員「適格性」の存在について
被告東京都は、「原告は、自己の見解と対立する見解を有する者に対しては、自己の見解と対立する者が生徒の保護者であれ、都議会議員ないし会社であれ、これを誹謗するという性格、性向を有しているのであり、・・・原告の上記性格、性向は、『簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等』なのである。(被告東京都準備書面(2)9頁)」、「原告は、自己の見解が絶対に正しく、自己の見解以外は全て誤っているとして職務(授業)を行っているのであり、原告には、教育公務員としての自覚と責任感が欠如しているのであり、原告の性格、性向は、正に教育公務員としての職務の円滑な遂行を妨げるものなのである。(同準備書面10頁)」、「原告の上記性格、性向は、教育公務員としてのみならず、地方公務員としても適格性を欠くものである。(同準備書面10頁)」、「原告が、歴史認識としていかなる認識を持とうと、自由であるが、中学校の教育は、公正でなければらならないのであり、授業に当たっては、教育公務員としての『品格と節度』を持って対応しなければならないのであり、原告の本件プリント配付行為は、配付された者が中学校3年生という未成熟、未発達の生徒であることからすれば、到底許されざる行為であり、非違行為に該当するものである。(同準備書面16頁」、「B社の歴史教科書は文部科学省の検定に合格したものであり、当該歴史教科書について『歴史偽造』と記載したプリントを生徒に配付することなど到底許されざるものであることは明らかである。(同準備書面17頁)」、「原告の態度は、まさに、自己の主張が絶対に正しく、自己の主張に反するものは、司法判断であれ、保護者であれ、絶対に認めない、との原告の性格、性向をいみじくも表している(同準備書面18頁)」等として、原告の教育公務員としての「適格性欠如」を主張する。
しかしながら、まず、原告が行った「紙上討論授業」は、1学期に2回程度行われたのみで、通常は、原告は、教科書及び指導要領に沿った授業を行っていたのであって、「紙上討論授業」の内容のみを以て、原告の「適格性」を判断すること自体、原告が約33年間その「教育公務員としての適格性」を認められて勤務してきた実績に照らしても、大きな誤りである。
また、原告の「紙上討論授業」自体、指導要領に沿ったものであることに加え、原告の「歴史認識」は、日本国憲法において「日本の行った先の侵略戦争を否定する」ところから出発している事実(憲法前文)に基づき、「侵略と植民地支配への反省」を国の内外に表明している日本政府の見解に立つものであり、原告が自ら信ずる歴史認識、信念、歴史観に従って授業を行うことは、日本国の寄って立つ「正しい歴史認識」に基づくものであり、まさに、教育公務員に期待された役割である。
よって、教育現場において、如何に文部科学省の検定を通過した教科書であろうと、その記載内容が誤りであると考え、或いは、気づけば、その点を指摘し、批判することが禁じられる筋合いはなく、況や、そのような批判行為を以て、「非違行為」と断じられる謂われはない。
そして、原告がその研修期間中に東京都教職員研修センター講師より指摘された、「平成17年12月7日、原告が授業で用いたビデオには幼児の死体写真、強姦等の用語や、強姦され腹を割かれたとされる女性の死体の写真が多数あることから、中学2年生の発達段階を踏まえて十分な配慮をする必要がある旨の指導(被告同書面8、9頁)」にしても、原告は、かかる残虐行為が日本軍によって行われた事実を隠蔽することなく正しく生徒に伝えようとしたものであって、むしろ、研修において、かかる内容の「指導」を行うこと自体、生徒に対し、日本軍の残虐行為を隠蔽せんとするのみならず、原告の授業内容や思想・良心に対する不当な介入である。
更に、教育公務員が、その記載内容に疑問を持ち、或いは、誤りであると考えながら、その内容をあたかも真実であるが如く生徒に指導することは、「公正」な行為でもなければ、「品格と節度」ある行為でもなく、教育公務員として、「背信行為」とも呼ぶべきものである。
現に、原告が批判した扶桑社発行の歴史教科書については、鳩山由紀夫等の衆議院議員(政治家)からも批判が述べられ(甲45)、また、他に検定を通過していながら稚拙なミスの目立つ教科書について、メディアが批判している例も枚挙にいとまがない(甲46)。のみならず、扶桑社発行の歴史教科書については、その発行元である扶桑社自身が、「各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎて採択が取れない」と批判している程なのである(甲47)。
更に、アメリカ合衆国の下院においては、「新しい歴史教科書をつくる会」がまさにその存在を否定している「従軍慰安婦」問題につき、ペロシ議長らをして、「日本の従軍慰安婦問題は、明らかな人権侵害であり、日本は反省すべきである」、「日本の学校で使われようとしている新しい教科書は、慰安婦の悲劇や太平洋戦争中の日本の戦争犯罪を縮小しようとしている。」、「日本政府は、国際社会が提示した慰安婦に関する勧告に従い、現世代と未来世代を対象に残酷な犯罪について教育を行わなければならない。」旨の決議が採択されていることは、公知の事実である(甲48)。
なお、かかるアメリカ合衆国下院における決議に対し、127名の東京都議中、古賀俊昭、田代ひろし、土屋たかゆき、吉田康一郎の4名の都議らが抗議を表明したが(甲49)、この4名の都議の内、吉田を除く3名の都議こそ、原告を名指しで誹謗・中傷し、原告に対する名誉毀損を繰り返すのみならず、原告を分限免職に追い込もうと、被告らに対し圧力をかけてきた政治家達である。
これらの状況に照らしても、原告の扶桑社発行の歴史教科書等に対する批判は、正に正鵠を射るものであり、「中学3年生という未発達、未成熟な生徒」が「教科書に書いてあるから」というだけで安易に歴史的真実と信頼・混同することのない様、適切に批判を述べ、指導することは、教育公務員に求められる役割であり、重要な「適格性」である。
また、あたかも、被告らは、扶桑社発行の歴史教科書の記載内容が、「検定を通過した」という一事を以て、「歴史的真実であると認められた。」と主張するもののようであるが、「検定を通過=歴史的真実」ではないことは、家永判決等過去の判決においても認定されている理である。
そもそも、原告の当該批判プリント配付行為については、原告の勤務する九段中学校の根深校長ら現場の教職員らからは、全く非難の対象とされておらず、根深校長ら現場の上司・同僚は、原告の教育公務員としての「適格性」につき、疑問を差し挟んだ事実はないのである。
にも拘わらず、被告らは、「偏った思想、性格、性向」に凝り固まった一部右翼都議ら政治家の圧力に屈し、原告の有する思想・信条を理由として、原告を教育現場から追放するために、本件戒告処分、本件各研修命令処分、本件分限免職処分を行ったものである。
被告らの本件各処分が、違憲・違法であることは、論を待たない。
2 本件分限免職処分の手続違背
被告東京都は、被告千代田区教育委員会からの「千代田区立九段中学校教諭増田都子(原告)について、東京都教職員研修センターの研修状況報告を踏まえ、継続した研修の実施などの適切な処置を取られるよう願います。」との「平成18年3月28日付内申」(乙ロ20)を「まって」、本件分限免職処分を行った旨主張する(同準備書面14頁)。
しかしながら、当該「内申」の内容は、あくまでも、「継続した研修の実施などの適切な処置」であって(乙ロ20)、被告千代田区が、「分限免職処分」を内申した事実は存在しない。
この点、被告東京都は、「上記『内申をまって』の意味については、必ずしも内申の内容には拘束されない、とされているのであり」(同準備書面14頁)と主張するが、そもそも、地教行法38条1項が「内申をまって」とする趣旨は、より教育現場に近く、原告ら教育公務員の適格性等について豊富な知識を有する、市区町村区教育委員会の方が、より当該教育公務員の「適格性」判断に適するとする趣旨に出ていると解されるところ、千代田区教育委員会が「継続した研修の実施などの適切な処置」としか「内申」していないものを、いきなり、分限免職処分とすることは、明らかに被告東京都の裁量権の範囲を逸脱するものであり、地教行法38条1項の趣旨に違反するものである。
また、「内申をまって」の趣旨として、被告東京都教育委員会は、千代田区教委の「内申」に対し、原告の処分につき、両者において、一定の協議をすることも含む趣旨と解されるが、本件において、被告千代田区は、「原告の分限免職処分の決定」について、一切事前に知らされていなかったとのことであり、その点についても、本件分限免職処分は、地教行法38条1項の趣旨を逸脱している。
また、原告の主張する被告らの「東京都の職員の分限に関する条例」3条3項の「法28条第1項第3号の規定により職員を降任し、若しくは免職することができる場合は、当該職員をその現に有する適格性を必要とする他の職に転任させることができない場合に限るものとする。」との規定違反の主張に対し、被告東京都は、上記条文は、「同一任命権者における他の職種への水平異動を意味している。他の職に転任させる前提として、当該職員が地方公務員としての適格性を有している必要があることはいうまでもない。」、「原告については、研修中の対応からして、そもそも公務員としての適格性が欠如しているのであ」る(同準備書面14、15頁)などと反論する。
しかし、本件分限免職処分は、約33年間の継続した勤務において「教育公務員としての適格性」を認められ、また、被告らにおいて、原告につき、未だに唯の1度として、「指導要領違反」、「指導力不足」の認定はなし得なかった原告につき、原告の御成門中学校への異動が内定した直後に、その間に何らの原告の非違行為等の具体的な事実も存在しないにも拘わらず、いきなり発令されている一事をもっても、被告東京都が、原告につき、「当該職員をその現に有する適格性を必要とする他の職に転任させることができるか否か」を慎重に検討・考慮した事実はないのであり、原告に「公務員としての適格性が欠如している」などと、後付の理由に過ぎない。
被告東京都の本件分限免職処分は、「東京都の職員の分限に関する条例」3条3項違反であることは、明らかである。
更に、法令上の規定にはないものの、通常の慣習上は、分限免職処分等が適用される事案にあっては、口頭又は文書を以て、対象者に対し、事前に警告等を行い、それでも改善が見られない場合に、「依願退職するか分限免職か。」の選択肢を与えるのが通例であり、人事院には、「職員が分限事由に該当する可能性のある場合の対応措置について」(通知)の中に、「警告書」という書式も存在する(甲50)。
然るに、本件において、原告に対し、かかる警告が与えられた事実もなければ、事前に、「依願退職か分限免職か」の選択の機会を与えた事実も存在しない。
この点についても、本件分限免職処分は、明らかに異常である。
3 「比例原則違反」主張について
被告らは、原告の本件処分の「比例原則違反」主張につき、「趣旨が不明である」旨主張するが、原告が本件分限免職処分の「比例原則違反」を主張しているのは、繰り返しになるが、通常、「適格性欠如」による分限免職処分が適法とされた事案・事例は、刑事罰にも相当する犯罪行為等の非違行為、又は、重度の精神疾患等による指導力不足等の事案・事例であって、本件のように、「原告が、日本国憲法の侵略戦争否定の事実や侵略と植民地支配への反省を国の内外に表明した日本政府の見解に立つ歴史認識に基づいて、教科書発行会社や政治家を批判した授業を行った。」などという事実を以て分限免職処分とした例はなく、本件分限免職処分は、対象とされる原告の行為や言動に比し、明らかに著しく重きに失し、被告東京都の裁量権の範囲を逸脱していることは明らかであり、原告は、その点を以て、「比例原則違反」を主張するものである。
第2 本件各処分の「二重処分性」「不利益性」「一貫性」について
被告らは、あくまでも、本件各研修命令処分は、「研修命令」という職務命令に過ぎず、「不利益処分」でも「懲戒処分」でもなく、本件分限免職処分も、「不利益処分」ではあるけれども、「懲戒免職」ほど重い不利益処分ではなく、「懲戒」の性格は持たないものであり、「二重処分」ではない旨主張する。
しかしながら、再三述べてきたとおり、本件分限免職処分の「発令通知書」(甲1の1)を一読すれば明らかな如く、本件分限免職処分は、原告に対する過去の減給処分、本件戒告処分、本件各研修命令処分、及び、本件各研修命令期間中の原告の言動を「適格性欠如」の理由として発令されたものであり、全て一連の「不利益処分」であり、実質的に、原告に対する二重、三重の「懲戒処分」として機能していることは明らかである。
これらの事実は、被告らも認めるとおり、原告の教育公務員としての「指導力」には何らの問題もなかったことに照らしても、思想・信条的に被告ら、或いは、被告らが圧力を受けていた政治家らを批判する言動を繰り返す原告に対する、政治的圧力を背景とした、原告の思想・良心・信条に対する、一貫した「不利益処分」、「懲戒処分」であることは論を待たない。
以 上
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