平成18年(行ウ)第478号 分限免職処分取消等請求事件
原 告  増  田  都  子
被 告  東 京 都  外1名

準 備 書 面

原告訴訟代理人            
弁護士  和久田 修

同  萱野一樹

同  寒竹里江

同  萩尾健太

2007年5月7日

東京地方裁判所民事第36部合議係  御 中

                               記

第1 本件戒告処分の違法性
1 古賀俊昭都議について
(1) 古賀俊昭都議会議員(以下、「古賀都議」という。)は、1971年近畿大学を卒業後、代議士の公設秘書を務めたのち、1981年の日野市議会議員補欠選挙で初当選し、日野市議を4期務めたのち、1993年自民党公認候補として東京都議会議員に当選し、現在4期目である。
(2) 古賀都議は、極端な右翼思想の持ち主であり、右翼系新聞である「國民新聞」などにも取り上げられている(甲31)。この記事では、古賀都議が、つぎに述べる土屋敬之都議会議員、田代博嗣都議会議員らとともに、東京都平和祈念館の建設に反対する運動の先頭に立っていると報じられている。古賀都議らは、同祈念館を自虐史観に基づくものと非難し、上記土屋都議は展転社という出版社から1998年11月に「ストップ偏向平和祈念館 税金を使った犯罪は許されない」などという本を出版している。東京都が15年戦争の反省を踏まえて非核平和への決意を表すために建設しようとしていた同祈念館を「税金を使った犯罪」とまで言い切っている(甲32)。なお、「國民新聞」は、天皇制を賛美し(甲33)、「南京虐殺の証明が出来なくなった」などという記事(甲34)を載せてはばからない右翼系新聞である。
また、古賀都議及び上記2名の都議会議員は、「世界の歴史教科書を考える議員連盟」に名を連ね、2003年8月7日には、都議会議事堂談話室において同連盟主催で「親子で学ぶ『近代日本の戦争』展」なる展示会を開催し、「世界史を変えた近代日本の躍進 来年は日露戦争100年」「大東亜戦争」「大東亜共栄圏」などと侵略戦争を美化する主張を前面に押し出している(甲35)。2004年11月には上記展転社から同議員連盟編の「教科書から見た日露戦争」なる本を出版し、日露戦争を美化し、乃木希典や東郷平八郎を賛美している(甲36)。
 古賀議員の後援会である「帚の會(はうきのかい)」の会報第102号(2006年6月1日付、甲37)には、「古賀都議 教育の危機的状況を打開」「国旗は日の丸、国歌は君が代。妨害教員の処分は当然!」と題する記事を載せている。それによれば、東京都立の小中高等学校の卒業式・入学式・周年行事において、日の丸の掲揚・君が代の斉唱を強制し、それに従わない教職員は懲戒処分の対象とする2003年10月23日付け都教委通達を出すよう要請したのは古賀都議であり、「未だ学校長の職務命令に従わず、国旗掲揚、国歌斉唱を妨害する問題教員が少数ながら存在します。古賀都議は、平成一七年都議会第四回定例本会議で、左翼の教職員組合を擁護しようとする都の管理職者を厳しく糾弾しました。」などと報じられている。
 しかし、上記都教委通達は、御庁平成16年(行ウ)第50号等国歌斉唱義務不存在確認等請求事件の判決(平成18年9月21日言渡、甲38)において、教育基本法10条1項が禁ずる不当支配にあたり違法であると判断され、上記都教委通達に基づいて出された各学校長の職務命令に従う義務はなく、職務命令に従わなかったことを理由にいかなる処分もしてはならない旨命ぜられていることは周知のとおりである。
 なお、古賀都議は、上記2名の都議らとともに発起人となって「国策研究地方議員協議会」(仮称)を組織し、2006年10月24日に、都議会議事堂内で「東京地裁の非常識判決を弾劾する都民集会」なる集会を開き、「判決は教育正常化の取り組みに逆行する偏向判決で、断じて容認できない」などとする決議文を採択している(甲39)。また、上記会報によれば、「許すな!中共の無法」と題して、古賀都議が靖国神社参拝への内政干渉に抗議する集会と示威行進に参加したと報じられている。
 以上から、古賀都議が、皇国史観に基づき、15年戦争が侵略戦争であったことを否定して日本の過去の戦争を美化する扶桑社と新しい歴史教科書をつくる会と同根の右翼思想の持ち主であることは明らかである。
(3) 古賀都議らによる原告に対する名誉毀損
ア 2000年11月に、古賀都議は、上記土屋敬之都議会議員、田代博嗣都議会議員とともに上記展転社から「こんな偏向教師を許せるか!」という題名の本(以下、「本件書籍」という。)を出版した(甲40)。この本は、原告とその教育実践の批判のみを内容とするもので、220頁にわたり原告を実名で名指しにして、誹謗中傷の限りを尽くしている。原告は、この本に関して名誉毀損による損害賠償請求事件を提訴し(東京地方裁判所平成14年(ワ)第28215号)、東京地裁民事第1部は、本年4月27日に、上記の本に含まれるいくつかの表現が名誉毀損にあたるとして、古賀都議と上記2名の都議及び展転社こと相澤宏明に対し、連帯して金76万円を支払うよう命ずる原告勝訴(一部)の判決を言い渡した(甲41)。
 以下、本件書籍の内容を若干紹介する。
イ 上記書籍の中には、次の通り、原告の名誉を毀損し、かつ人格権を侵害する記述が多数ある。
A 上記書籍「二 授業は政治学習会」の項(12頁以下)
  @ 「増田都子教諭の『紙上討論』と言う生徒を一定の方向に誘導する、ことばを変えて言えば、マインドコントロールに近い授業」(12頁3行目)
  A 「(紙上討論授業は)完璧な洗脳教育」(14頁小見出し部分)
 B 「政治的に偏ったものであり」(29頁7行目)
 C 「巧みに自らの政治的意図に近づけようとするこの手法は、教育者というよりアジテーター・・こうしたマインドコントロールによって・・」(同頁8乃至10行目)
 D 「ある意味、白紙状態の中学生に一方的な情報を注入し、一部にある「米軍はあったほうがいいな」という意見は無視。こうした手法で授業を展開すれば、少数意見を持つ者が「他人と違う」ことに臆病になり、意見を言わなくなってしまいます。今の中学生は他人との違いにきわめて敏感であることを十分意識した上で計画されたこの手法は、本来、教育に携わる者がしてはいけないことであり、それを公然とやってのける増田教諭は、教師不適格者と言われても仕方ないでしょう」(30頁9行目乃至31頁1行目)
 E 「増田教諭にしてみれば、・・・責任を巧みに回避しようとするのでしょうが、これは明らかに「はじめに答えありき」式の巧妙な「洗脳」テクニックです。」(32頁7乃至9行目)
 F 「(戦争責任を取り上げた紙上討論授業は)・・・昭和天皇を偏向した資料に基づいて一方的に攻撃し、生徒に反天皇思想を植え付ける行為は、憲法、教育基本法、学習指導要領をも無視する行為である」(39頁9乃至13行目)
 B 上記書籍「三 女生徒の涙ー保護者への攻撃」の項(40頁以下)
 @ 「はっきり自己の政治的立場、思想を教育に持ち込む教師」(47頁12行目)
 A 「このふたりの目指す教師像は唯我独尊。教師としての資質に一番欠ける人物だと言えます。」(48頁10,11行目)
 B 「これだけの偏向授業をしている確信犯ともいえる教師」(61頁3行目)
 C 「(原告によって)何かあれば「減点」という「脅し」をかけられながらも、」(72頁10行目)
 D 「(原告が)いくら恐怖政治をひいたところで」(73頁3行目)
 E 「加害者である増田教諭」「加害者である教師」(79頁3行目、80頁1行目)
 F 「自分が起こした人権侵害事件」(82頁10,11行目)」
 C 上記書籍「四 足立区教育委員会・東京都教育委員会は知っていた」の項(90頁以下)
 @ 「・・・ここで、「歴史の授業で『君が代』が明治憲法下、『天皇の世よ永遠に』と文部省が歌わせた事実を教えた・・・」と自分が扇動し¥たことを」(93頁3乃至6行目)
 A 「・・・自分の信条に反するものはその存在も認めない」(94頁2,3行目)
 B 「見事なマインドコントロール、偏向教育の見本ともいえます。」(104頁5行目)
 C 「(原告が)生徒を扇動して感想文を書かせるなど」(同頁8,9行目)
 D 「・・・憲法、教育基本法を無視し、学習指導要領を否定し、人権侵害事件を起こした教諭の犯罪」(117頁3,4行目)
 E 「増田教諭が確信犯として、教育秩序を破壊し、日本国憲法を擁護すると称して特定の政治教育を実践してきて、・・・この人権侵害教師の¥行いは・・・」(127頁11乃至14行目)
 F 「「増田教諭の紙上討論と称する、偏向教育自体を」(128頁3,4行目)
 G 「左翼系の支配する労働組合や旧国鉄の国労、動労等一部組合が行ってきたいわゆる『つるし上げ』をこの増田教諭は実施しようとしていた¥・・・」(130頁7,8行目)
 H 「学校秩序を根底から覆す行為をしている」(132頁9行目)
 I 「増田教諭一流の恫喝」(133頁2行目)
 J 「偏向授業」「教室という密室の中で独善的に行ってきた授業」(135頁8行目及び同頁11行目)
 K 「執拗な反米政治教育を行い」(136頁9行目)
D 上記書籍「五 やっと勝ち取った『減俸十分の一 一箇月』」の項(142頁以下)
 @ 「(原告の)明確な犯罪事実」(144頁12行目)
 A 「偏狭な思想を持った教師によって」(150頁7行目)
E 上記書籍「六 それでも『私は正義』という感覚」の項(153頁以下)
 @ 「人権侵害事件を起こしておいて」(185頁12行目)
 A 「確信犯ともいうべき増田教諭」(189頁14行目)
 B 「増田教諭の行ってきた、マインドコントロール授業」(193頁12行目)
ウ 上記に指摘した本件書籍中の原告に対する誹謗中傷はごく一部であるが、その事実摘示や論評の基礎となった事実はいずれも真実に反している。
 原告が行ってきた「紙上討論授業」の教育的有用性やその効果については、原告準備書面(3)においてすでに詳細に述べたところであるが、本件書籍において取り上げられている「紙上討論授業」において、原告は、公正中立な公共放送であるNHKの番組(ドキュメンタリー「沖縄の米軍基地ー普天間第二小の場合」)を題材にして、生徒達に感想文を書いてもらい、それに対する意見を各々が書き合うことによって、生徒達の主体的な思考力や判断力を養うことを目的とした授業を行ったものであり、「洗脳」「マインドコントロール」「生徒を扇動して」「偏向教育」などと言われるいわれは全くないものであった。
 また、原告の行った紙上討論授業は、1年間を通して行われるもので、その中で、生徒達が自らの意見を主体的かつ飛躍的に高めていることは、紙上討論授業のプリントをきちんと読めば明らかに認められるのであって、「恐怖政治」などと評価することは全く失当である。
 さらに、日本国憲法が、戦前の侵略戦争の「惨禍」を踏まえて、世界でも類のない戦争放棄を含む平和主義をその基本精神としていることは言うまでもないところであって、我が憲法は、明確に戦争に反対していることは明らかである。原告は、上記憲法の基本精神を踏まえて、紙上討論授業を行っているのであるから、「増田教諭が確信犯として、教育秩序を破壊し、日本国憲法を擁護すると称して特定の政治教育を実践してきて」などという摘示は、古賀都議らの悪意に満ちたものでしかないことは、誰の目にも明らかである。
 このような原告の紙上討論授業は、足立16中の在任時期である1998年(平成10年)に、人権尊重教育の研究実践として、足立16中から都教委に対して、その実践報告書が提出されている上、足立12中時代には、1996年(平成8年)度の卒業生の答辞の中に、原告の紙上討論授業に対する感謝の言葉が述べられてもいることはすでに述べているとおりである(甲5)。
 かかる事実からすれば、原告を「教師不適格者」「教師としての資質に一番欠ける人物だと言えます。」と評価することがいかに真実に反しているかは明白である。本件書籍で問題にされ、第1処分の対象となった本件教材プリントについても、正当な教育目的の下で、対象となった保護者が特定されないように配慮して、まさに教材として配布したに過ぎず、「人権侵害」などと言われるいわれは全くない。ましてや、原告を「犯罪者」扱いするに至っては言語道断である。さらに、原告は、その授業の中で、生徒達に「減点」をしたことはあるが、これについても、なぜ減点をするかを丁寧に説明しており、これを「脅し」に使ったなどという事実は存在しない(なお、原告は、「紙上討論授業」における生徒の文章等を成績に反映させたことは全くなく、同授業において、生徒に対して、「減点」したこともないことを付言しておく。)。
 古賀都議らが、このように原告のみを対象として実名で名指しにし、真実に反した誹謗中傷の限りを尽くした220頁に及ぶ本を出版して原告の名誉を毀損したことに比して、原告がその古賀都議の都議会での公式発言を取り上げて、「歴史の偽造である」という正当な批判をしたわずか15行の本件文章(甲6参照)が懲戒処分の理由とされることはあまりに不均衡、不公平、不公正、不合理であり、懲戒権の濫用というほかない。
(4) 本件戒告処分の理由となった原告による古賀都議発言批判
ア 原告は、中学2,3年の「歴史」「公民」の授業で、しかるべき単元において、日本の侵略戦争の歴史事実や平和と民主主義のあり方を課題として取り上げ、「紙上討論」という方法を導入し、それらの課題について論議し、思考を深め、その定着をはかることを実践してきた。「紙上討論」が、侵略戦争の歴史事実や平和と民主主義のあり方について、例えば、朝鮮植民地支配、日中戦争、戦争責任問題や原爆問題、沖縄の基地問題などのテーマを設けて、生徒たちに、口頭ではなく意見・感想を文章に書かせてそれをもとに議論を深めるものであることはすでに詳論したとおりである。
イ 2005月6月末から7月初めにかけて、原告は、中学校3年社会科「公民」の授業で、日本によるアジアへの侵略戦争と植民地支配について考えさせようと、韓国で盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統嶺が行った「三・一独立運動記念演説」を生徒たちと読み、大統額に手紙を書くという教育実践を行った。
 この「三・一独立運動記念演説」は、日本植民地支配から10年が経過した1919年3月1日、日本からの独立を求めて朝鮮全土で巻き起こった「3・1独立運動」を記念して、毎年官民一体で行われる記念式典での演説である。盧武鉉大統嶺はこの年、この3・1独立運動に決起し日本の官憲に捕らえられ拷問、陵辱されたうえ殺害され少女・柳寛順(ユ・ガンスン)を記念する「ユ・ガンスン記念館」内で、この演説を行った。
 演説は、以下一部紹介するように“反日”演説などでは決してなく、『日本の知性に訴える』と副題が付けられており、日本国家ならびに日本人民に対して向けられた極めて格調高い普遍性をもったメッセージでもあった。
「・・・私はこれまでの両国関係の進展を尊重し、過去の歴史問題を外交的な争点にはしない、と公言したことがあります。そして今もその考えは変わっていません。・・・しかし、我々の一方的な努力だけで解決されることではありません。過去の真実を究明して心から謝罪し、賠償することがあれば賠償し、そして和解しなければなりません。それが世界に広がっている過去の歴史清算の普遍的なやりかたです。
・・・私は拉致問題による日本国民の憤怒を十分に理解できます。同様に日本も立場を変え考えてみなければなりません。日帝36年間、強制徴用から従軍慰安婦問題にいたるまで、数千数万倍の苦痛を受けた我々国民の憤怒を理解しなければなりません。
 日本の知性にもう一度訴えます。真実なる自己反省の土台の上に韓日の感情的なしこりをとりのけ、傷口が癒えるようにするため、先立ってくれなければなりません。いくら経済力が強く、軍備を強化したとしても、隣人の信頼を得て国際社会の指導的国家となることは難しいことです・・・」 
 原告は、この演説を月刊誌『世界』2005年4月号で知り、植民地支配という歴史事実と、今それを隣国・韓国の人たちがどう認識しているのかを知り、隣国の人々との真の友好・信頼をどうつくるべきかを考える絶好の教材であると考えた。そこで、この「演説」を取り上げたのであるが、この実践の中で、(生徒たちも書くことになったが)原告自身もノ・ムヒョン大統領に手紙を書くことにした。
ウ その手紙の中で、2004年10月26日の都議会・文教委員会において古賀都議が行った「(わが国の)侵略戦争というのは、私まったく当たらないと思います。じゃ、日本はいったい、いつ、どこを侵略したのかということを具体的に一度聞いてみたい」という本件発言(個人的発言ではなく、都議としての公的立場での発言)を行ったことを議事録から引用し批判した。都民を代表する立場の公的発言であるためその影響も大きい上、上記教材を取り上げ学ぶ姿勢と真っ向から対立する考えであり、身近にもこうした誤った考えが流布されていることの例示としてこれを取り上げたのである。同時に、古賀都議らが絶賛推奨してやまない扶桑社と「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校歴史・公民教科書を「歴史偽造主義」と批判した(甲6)。
エ これに対し都教委は、「原告は・・・特定の個人等を誹誘・中傷する不適切な教材を同校生徒に配布したので信用失墜行為にあたる」ことを理由に本件戒告処分にしたうえ、2005年9月から2006年3月までの半年間、都の研修センターに送り込み(発令者は千代田区教委)、原告の歴史観・教育観の転向を強要する「研修」を行った。それは、侵略戦争や植民地支配について教えていたことを反省せよ、と言わんばかりのレポートを繰り返し強要するものであった。この研修センターにおける「研修」の実態、非人間的扱い、人権無視の事実については既に詳述した通りである。
  オ 古賀都議の本件発言を批判した原告の歴史認識とその実践は、以下に述べるように日本政府がことあるごとに公に表明してきた立場に基づいており、懲戒処分の理由とされるいわれは何もない。
A 近くは、2005年4月22日、折からの激しい対日批判が浴びせられる中、バンドンで開かれた「アジア・アフリカ首脳会議」における当時の小泉首相の演説である。
「・・・我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。今後とも、世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意であることを、改めて表明します。」
B そして、少し遡れば戦後50年にあたっての村山首相談話がある。
「いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。」
C 国を代表する両首相の演説に表された歴史認識は、1995年=戦後50年と2005年=戦後60年に行われた次の国会決議に準拠していることがわかる。
「・・・世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民特にアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する。我々は過去の戦争についての歴史観の相違を超え、歴史の教訓を謙虚に学び、平和な国際社会を築いていかなければならない。本院は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念の下、世界の国々と手を携えて、人類共生の未来を切り開く決意をここに表明する。」(戦後50年・歴史を教訓に平和への決意を新たにする国会決議)
「・・・われわれは、ここに十年前の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」を想起し、我が国の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、改めて全ての犠牲者に追悼の誠を捧げる物である。政府は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念の下、唯一の被爆国として世界の全ての人々と手を携え、核兵器などの廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦実現への道の探求など、持続可能な共生の未来を切り開くための最大限の努力をすべきである。」(戦後60年国会決議)
カ このように、日本政府のみならず国権の最高機関たる国会においても日本
の植民地支配と侵略戦争について、それを事実として認定し、それに対する真摯な反省を表明している。原告の教育実践は、この日本政府(国)の公の見解と歴史認識をそのまま具現化したものであって、なんら非難されるべきところはない。
 逆に、この目本政府(国)の見解と歴史認識に大きく逸脱し、むしろこれと対極にあるものが、古賀都議の「(わが国の)侵略戦争というのは、私まったく当たらないと思います。じゃ、日本はいったい、いつ、どこを侵略したのかということを具体的に一度聞いてみたい」という前記の公的発言であり、古賀都議らが絶賛推奨してやまない「新しい歴史教科書をつくる会」著作の中学校歴史・公民教科書(扶桑社刊)である。

2 扶桑社と「つくる会」教科書について
(1) わが国の歴史認識問題は戦後3回発生しているが、それらはすべて教科書問題という形をもって現れている。第1回は1955年であるが、この年、憲法改正を中心課題とした保守合同により現在の自民党が結成され、いっせいに革新政党や日教組に対して「偏向教育」攻撃が行われている最中、いわゆる「憂うべき教科書問題」という形で現れた。
 2回目は1980年、衆参院同時選挙による自民党の勝利による安定多数確保を契機として、政府、自民党、財界、マスコミから社会科教科書への集中攻撃がなされた。その結果、2年後の1982年、文部省による検定で「侵略」が「進出」と書き換えさせた事実を中心にアジアからの激しい抗議が展開されたことは、まだ記憶にあたらしい。
 そして、3回目が1996年にはじまったいわゆる第三次教科書問題である。問題の発端は同年6月末に、中学校歴史教科書7社全社に「慰安婦」問題が記述されたのが直接のきっかけとなったのではあるが、問題点の特徴は、すでに1982年の教科書問題以降、日本政府はアジアとの善隣友好外交の必要性から、歴史事実を直視し次世代に伝えなければならないとの方針のもと、その努力が着々となされており(その経過は、以下に述べる通りであるが、その到達点が前記した「村山首相談話」と「50年国会決議」であった)、そうした日本政府の努力への激しい憎悪と敵対にあった。これからはじまる教科書攻撃は、それまでとは比較にならないほど重層的、戦略的な様相を呈している。それは次項以下に見るとおりであるが、政治家・学者・民間・マスメディアが一体となって、しかも「国民運動」という形をとって現れたのであり、以来10年が経過し、原告へのこの間の攻撃は、まさにこの流れの中に位置づけられるのである。
(2) 前述した通り1982年、「侵略」の「進出」への書き換えや「強制連行」「南京大虐殺」などをめぐる文部省検定による歴史改ざん・歪曲が明白になり、アジア諸国からの激しい抗議にさらされた。この年の6月ころからおおよそ2ヶ月間、連日、東アジア、東南アジア全域からの激しい抗議にさらされた日本政府は、同年8月26日、次ぎの『歴史教科書についての宮沢内閣官房長官談話』を発表した。以降1995年まで、この「談話」は日本政府の歴史正視へ向けた営為のさきがけともなった。
一、日本政府及び日本国民は、過去において、我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んできた。我が国は、韓国については、昭和四十年の日韓共同コミュニケの中において「過去の関係は遺憾であって深く反省している」との認識を、中国については日中共同声明において「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し、深く反省する」との認識を述べたが、これも前述の我が国の反省と決意を確認したものであり、現在においてもこの認識にはいささかの変化もない。
二、このような日韓共同コミュニケ、日中共同声明の精神は我が国の学校教育、教科書の検定にあたっても、当然、尊重されるべきものであるが、今日、韓国、中国等より、こうした点に関する我が国教科書の記述について批判が寄せられている。我が国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任に於いて是正する。
三、このため、今後の教科書検定に際しては、教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配意する。すでに検定の行われたものについては、今後すみやかに同様の趣旨が実現されるよう措置するが、それまでの間の措置として文部大臣が所見を明らかにして、前記二の趣旨を教育の場において十分反映せしめるものとする。
四、我が国としては、今後とも、近隣国民との相互理解の促進と友好協力関係の発展に努め、アジアひいては世界の平和と安定に寄与していく考えである。
 つづいて同年11月、上記談話第三項にもとづいて教科書検定基準に新たに次ぎの項目を追加することが決定された。『今後の教科書検定に際しては、近隣のアジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること』という「近隣諸国条項」であり、その後、侵略戦争や植民地支配の記述についての検定基準とされたのである。
(3) さらに翌年の1993年8月4日、「従軍慰安婦」に関して次ぎの『従軍慰安婦問題を調査しての河野洋平内閣官房長官の談話』が出されている。実はこれに先立つ1991年、元「従軍慰安婦」にさせられた韓国人・金学順(キム・ハクスン)さんが、初めて日本政府に対して謝罪と賠償を求めて東京地裁へ提訴し、それを契機として世界的に日本の性奴隷制度が問題となっていた。後述するように、国連人権委員会においても、調査がされこの間題に対する日本政府への勧告がなされようとしている時期でもあった。
「いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、弾圧による等、本人達の意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲などが直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 我々はこのような歴史の真実を回避することなく、むしろ之を歴史の教訓として直視していきたい。我々は、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を長く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。なお、本問題については、本邦に於いて訴訟が提起されており、又、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。」
 この「河野談話」の後段のくだり、すなわち、「我々はこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を長く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」の一節は、単に、歴史事実を認定したということ以上に、その事実を「歴史研究と歴史教育」を通して「同じ過ちを繰り返さないために記憶する」という歴史へのきわめて真摯なそして未来的展望をも持った態度を表明である。その姿勢は、敗戦40周年に際しての、かのドイツのワイツゼッカー大統領演説「過去に目を閉ざすものは、将来にも盲目となる」というあまりにも有名になった一節を想起させる。まさに原告の実践は、この「談話」そのままを具現化したものであった。
(4) さらに、『後藤田正晴内閣官房長官談話』がある。1985年の中曽根首相の靖国公式参拝に対してやはり激しい非難が寄せられたが、それに対する日本政府の『公約』とも言えるものであった。前記同様に真摯に歴史と向き合おうとしている日本政府の姿を見て取ることができる。
「しかしながら、靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していること等もあって、昨年実施した公式参拝は、過去における我が国の行為により多大の苦痛と損害を蒙った近隣諸国の国民の間に、そのような我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある。それは、諸国民との友好増進を念願する我が国の国益にも、そしてまた、戦没者の究極の願いにも副う所以ではない。
 もとより、公式参拝の実施を願う国民や遺族の感情を尊重することは、政治を行う者の当然の責務であるが、他方、我が国が平和国家として、国際社会の平和と繁栄のためにいよいよ重い責務を担うべき立場にあることを考えれば、国際関係を重視し、近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならない」
  (5) 1980年代から1990年代前半にかけてのこうした一連の動き(「宮沢談話一近隣諸国条項」「後藤田談話」「河野談話」「村山首相談話」が「50年国会決議」へと結実したのであるが)のあったこの頃から、こうした歴史正視の動きに対する激しい反発と敵視の動きが始まっていた。
 1993年8月、自民党幹部国会議員が参加する「歴史検討委員会」(委員長・山中貞則、事務局長・板垣正、委員・橋本竜太郎、森喜朗、安部晋三、中川昭一、河村建夫ら105名が参加)が設置された。これを設置したのは、「英霊にこたえる議員協議会」「遺家族議員協議会」「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のいわゆる靖国公式参拝を支持する“靖国三団体”であった。
 この「歴史検討委員会」は、2年間の学習検討会を経て、1995年8月15日、「村山談話」が出たその日、『大東亜戦争の総括』という報告書を発表した。ここでは、つぎの4点が確認され、翌年から始まる教科書攻撃=歴史偽造運動の基本的歴史認識と運動の方針が作られた。
@大東亜戦争は、侵略戦争ではなく、自存自衛の戦争であり、アジア解放の戦争であった。
A南京大虐殺や従軍慰安婦は存在せずデッチあげである。
Bわが国に誇りを持たせる教科書をつくるための新たな闘いが必要である。
Cそのために学者を使って国民運動を展開する。
 ここにある「方針」は、それまでの政府自らが積み上げてきた歴史正視の動きを真っ向から否定するものであった。侵略戦争の正当化、侵略行為の否定(デッチ上げとする歴史偽造)であり、またそれを「国民運動」にしていこうとするものであった。その後の経過が示すとおり、「新しい歴史教科書をつくる会」(「つくる会」)がそれを担うことなになった。
 実はこの結論に至った「歴史検討委員会」の2年間の学習会で講師として呼ばれた面々が、その後1997年1月発足した「新しい歴史教科書をつくる会」(「つくる会」)の主要メンバーとなっている。藤岡信勝(当時・東大教授)、西尾幹二(評論家)、小林よしのり(漫画家)、坂本多加雄(当時・学習院大教授)などである。まさに、「歴史検討委員会」が「つくる会」の“生みの親”になり、その後「委員会」を継承することとなる「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が‘育ての親”となったのである。
  (6) 1997年1月、先のメンバーに阿川佐和子(エッセイスト)らの著名人
らも呼びかけ人に加わり「つくる会」が発足した。一方、役割を終えた「歴史検討委員会」は、自民党の国会議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(代表・中川昭一、事務局長・安部晋三)に衣替えをし、「方針」どおりの活動を行った。彼らは相次いで国会質問に立ち(板垣正、片山虎之助、小山孝雄、町村信孝、安部晋三、奥野誠亮らは)、「近隣諸国条項」の撤廃、「慰安婦」の教科書記述削除、南京大虐殺の削除などを求め、それまでの政府の姿勢について声高に「土下座外交」「軟弱外交」と非難したのである。
 国会内でのこうした議員たちの「活動」を両輪の一方の輪とすると「つくる会」はもう一方の輪として、「歴史教科書是正を求める会」(会長・三輪和雄)「昭和史研究所」(代表・中村独協大教授)「教科書改善連絡協議会」(会長・三浦朱門)などの右翼市民組織や右派学者らと連携し、政治家・学者・民間が三位一体となってのまさに「国民運動」を押し広げていったのである。
 また、こうした「国民運動」の実態が、いかに歴史認識を誤ったものであり、国際社会において全く通用しないものであるかは、すでに多言を要しないところである。
(7) 以上の経緯をみれば、扶桑社とつくる会教科書のもつ右翼反動的本質は明
らかである。つくる会の歴史教科書の内容の具体的批判は原告準備書面(3)の第三の第1で述べたとおりであり、これを「歴史偽造」であると批判した原告の主張の正当性は明らかである。

3 小括
  古賀都議の本件発言及びそれと同根の扶桑社とつくる会の歴史教科書を批判
した原告の本件プリントの内容は、正鵠を射たものでありなんら非難されるべき点はない。前者は、都議会議員の文教委員会での公的発言であり、後者は教科書を発行している出版社である。教室において、それらを批判的観点から取り上げ、子ども達に多面的なものの考え方を提示することはいかなる意味においても処分の理由となるものではない。特に、古賀都議に関しては、前述のとおり原告のみを対象として誹謗中傷の限りを尽くした220頁もの本を出版して原告の名誉を毀損した事実との均衡においても本件戒告処分は許されないものである。
 総じて、本件戒告処分は、教育基本法10条1項により禁止された都教委による不当支配にあたり、違法不当なものであり取消を免れない。

第2 本件分限免職処分の違法・無効性に関する補充
   原告に対する分限免職の違法・無効性については、これまでも論じてきたが、以下のとおり、さらに主張する。

1 長束小事件判決による分限制度の趣旨、目的及び基本的判断基準
   訴状においても既に述べたが、地方公務員の分限処分制度の趣旨とそれに当たっての基準を示しているのが、最高裁昭和48年9月14日判決(長束小事件・民集27・8・925)である。すなわち、
「地方公務員法28条所定の分限制度は、公務の能率の維持およびその適正な運営の確保の目的から同条に定められるような処分権限を任命権者に認めるとともに、他方、公務員の身分保障の見地からその処分権限を発動しうる場合を限定したものである。分限制度の右のような趣旨・目的に照らし、かつ、同条に掲げる処分事由が被処分者の行動、態度、性格、状態等に関する一定の評価を内容としていることを考慮するときは、同条に基づく分限処分については、任命権者にある程度の裁量権は認められるけれども、もとよりその純然たる自由裁量に委ねられているものではなく、」
@「分限制度の上記目的と関係のない目的や動機に基づいて分限処分をする ことが許されないことはもちろん、」
A「処分事由の有無の判断についても恣意にわたることは許されず、考慮す べき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断するとか、」
B「また、その判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当 なものであるときは、」
 「裁量権の行使を誤った違法な処分となることを免れない」と判示している。
 上記判例における判断基準に照らして、本件分限免職処分が、「分限制度の上記目的と関係のない目的や動機に基づいて」なされたものであり、かつ、「処分事由の有無の判断についても恣意にわたる」「考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して」なされたものであって、「その判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものである」ことは明らかである。
 以下、検討する。

2 本件分限免職処分は「考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して」なされたものであることについて
(1) 本件分限免職処分の各理由
    本件「処分説明書」記載の「処分の理由」にある本件戒告処分、本件研修
命令処分は違法・無効なものであり、かつ研修期間中の行為が「不適切行為」に当たらないことは既に訴状、これまでの原告準備書面(2)、同(3)及び本準備書面第1において述べてきたとおりであって、「考慮すべきでない事項を考慮して」なされたものであることは明らかである。
 また、1998年の第一次懲戒減給処分、1999年の第二次懲戒減給処分についても、判決が確定しているとしても、これらの処分が多くの問題を内包していたもであり、本来違法無効なものであることは原告準備書面(3)において詳述したところであり、これらを分限免職処分の理由に挙げることは、やはり「考慮すべきでない事項を考慮して」いることに変わりはない。
 さらに、1999年の第二次懲戒減給処分に続く1999年9月から2002年3月までの長期研修処分についても、以下のような問題があり、これを本件分限免職処分を行うについて考慮すべきではない。
  (2) 1999年9月から2002年3月の研修処分の理由は不明であること
  また、免職処分説明書記載の上記1998年の第一次および1999年の
第二次減給処分「を受けた等の理由により、同年9月1日に、東京都教育委員会から、指導方法の改善、教育公務員としての資質向上等を図ることを目的として、平成12年3月31日まで、東京都立教育研究所において長期研修を行うことを命ぜられ、同年4月1に、足立区教育委員会から、平成13年3月31日まで、同教育研究所において同様の内容の長期研修を行うことを命ぜられ、同年4月1日に、足立区教育委員会から、平成13年3月31日まで、同教育研究所において同様の内容の長期研修を行うことを命ぜられ、同年4月1日に、同教育委員会から、平成14年3月31日まで、東京都教職員研修センターにおいて同様の内容の長期研修を行うことを命ぜられた」との点も、第一次および第二次減給処分が違法・無効である以上、研修処分自体も違法・無効なものであることは明らかである。
 しかも、原告はこの研修処分についても裁判を提起していたが(平成12年(行ウ)第153号)、その訴訟において、都教委も足立区教委も、原告に対して研修処分をなした理由について「上記処分を受けた等の理由」だと言うことは一言も述べていなかった。
 上記研修処分の取消を争った訴訟において、東京都は、1999年9月1日以降の第一次研修処分の理由として、要旨@足立十六中の高橋和夫校長が1999年7月9日午前8時頃発した「ビデオ「人間を返せ」を見て」のプリントの使用を禁ずる旨の職務命令に、原告が従わなかったこと、A十六中の宇野彰人教頭が1999年度年間学習指導計画の訂正を指示したのに対し、原告が従わなかったこと、B原告が、その授業の内容、自己主張、独善的な態度を理由として、保護者や地域住民から多数の苦情や抗議を受けたこと、の3点を挙げたのみである。しかも、これらについても、第一次研修処分が修了した2000年3月31日の段階で原告には知らされていなかったのである。このように研修の目的すら伝えられていなかった以上、原告がその目的を達成しようとすることは不可能である。
 したがって、2000年4月1日以降の第二次研修について、「いまだ本件第一研修の目的が達成されていないと判断し」て発令したと東京都は主張したが(上記訴訟の東京都200年8月31日付準備書面(1))、それが虚偽であるか、あるいは不可能を強いる恣意的な命令であったことは明らかである。そして、そのような性格を持ち他に例を見ない2年7ヶ月もの長期の研修処分は、違法・無効であることは明らかである。
 しかも、都教委は、今回の分限免職処分の処分説明書で、初めて研修処分の理由について、「上記処分を受けた等の理由」だと述べたのである。これは、前述のように、研修命令についての裁判においての主張とも食い違う。研修命令についての裁判でこうした主張がなされなかったのは、東京都および足立区教委が、上記の2年7ヶ月の研修処分について、「上記処分を受けた等の理由」であることを明示すれば、二重処分であるとして指弾されることを自覚していたからに他ならない。すなわち、「処分を受けた」との理由で研修処分を課すことは、他に類例を見ない二重処分であって、違法・無効であることは明らかである。さもなくば、本件処分説明書記載の研修処分の理由は捏造されたものであるとさえ言える。
 いずれにしても、「研修の成果」は研修の理由・目的に照らした到達で判断されるべきである。ところが、このように研修の理由・目的が不明で変遷しているのだから、「研修の成果」を原告に求めること自体が不可能を強いることになるし、客観的に「研修の成果が上がった」か否かを判断することすらできない。にもかかわらず、原告について「研修の成果があがらなかった」とすることは、「処分事由の有無の判断についても恣意にわたる」こととなり、およそ本件分限処分の理由とはならないのである。
 ゆえに、何度も同様の非違行為を繰り返し、研修を行っても「研修の成果が上がらなかった」という本件分限処分の理由は成り立たない。
 したがって、本件分限免職処分が、「考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断」したものであり、「その判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものである」として違法・無効なことは明らかである。
(3) 2005年11月7日の集会での配布文書の件
ア 原告の行為は正当な表現の自由の行使であること
 2005年11月7日、原告が、豊島区立勤労福祉会館で開催された集会
で、千代田区立九段中学校長から千代田区教委に当てた、同行生徒の保護者にかかわる情報が記載された文書を配布したこと(甲9の1)、および、保護者を誹謗した内容が記載されているビラ(乙ロ5)を配布したことが、「保護者を誹謗するという不適切な行為」だというのも、本件分限免職処分の理由の一つとされている。
しかしながら、原告の行った行為がなんら「誹謗」に当たらないことは、既に訴状で述べたとおりである。それに加えて、以下に述べるように、原告は必然性があって上記の文書およびビラ配布行為を行ったのであり、それを処分の理由とすることは原告の表現の自由の侵害である。
すなわち、上記集会は、原告に対する本件戒告処分と研修処分を糾弾するための集会であった。そのことは、上記ビラ(乙ロ5)の文面からも明らかである。
既に述べたように原告に対する上記各処分は違法・無効なものであるが、処分が違法であるか否かに関わらず、それらの処分に対して異議を唱えることは、処分に対して異議申し立ての制度が必ず具備されていることからしても、当然万人に保障されている正当な権利であると言える。
原告は、処分に対して異議を述べることを、集会やビラ配布といった表現行為によってなしたのであり、それは原告の表現の自由の行使として保障されなければならない。
イ 服務事故に関する報告書(甲9の1)について
 千代田区立九段中学校長から千代田区教委に当てた文書は、処分に先立っ
て必ず必要となる服務事故に関する報告書であるが(甲9の1)、いったん校長が作成したものを千代田区教委が5回も校長に手直しさせて提出させたものである。そのこと自体、校長からみて原告の行為はなんら服務事故に当たらなかったため、校長が区教委の期待したような書類を作成することができなかったことを示している。
結局、同報告書の「千代田区立九段中学校長としての見解」においても、同校長は、以下のように「問題が発生する可能性」「問題とされる可能性」を指摘したに過ぎない。
すなわち、同報告書には、「増田教諭が、多数の生徒の意見や他からの引用が記載された教材に、私見を書いた手紙を沿えて外部に送付したことには著作権上の問題が発生する可能性がある。また、同資料の表現の一部には、特定個人や団体名が記載されている。引用されている資料も含め、客観的に内容と分量に偏りがないかどうか、その表現の仕方および授業で使用されるのが妥当であるかどうかは問題とされる可能性がある」としか書かれていないのである。
 このように、原告が同報告書を集会にて配布したのは、原告の行為は校長から見ても「問題とされる可能性」しかなかったものであって本来服務事故に当たらないことを集会参加者に訴えるためであって、正当な目的による保護されるべき表現行為であったといえるのである。
 加えて、その文中には「中藤PTA副会長」という保護者の名前が記載されているが、「PTA副会長」というのは被選出役員であって公人であり、原告が配布した文書にこうした公人名が記載されていたからといっても分限免職の理由になるほどのプライバシーの侵害とはいえないのである。
ウ 東京都学校ユニオンのビラ(乙ロ5)について
 本件分限免職処分説明書には、原告が「執行委員長の地位にある団体が発
行し、同保護者を誹謗した内容が記載されているビラ」との記載がある。この、原告が「執行委員長の地位にある団体」とは、東京都学校ユニオンという労働組合である。同ビラの見出しには、「九段中「ノ・ムヒョン大統領への手紙」事件 侵略否定の都議発言・扶桑社教科書を批判したら、処分&現場はずし」と記載されている。処分を受けたのはもちろん、東京都学校ユニオンの執行委員長である原告である。労働組合の委員長が処分を受けた以上、それを告発する集会を行い、ビラを配布するのは当然であり、それは、表現の自由の行使であるとともに正当な労働組合活動である。
 処分説明書では「同保護者を誹謗した内容が記載されているビラ」と記載されている。たしかに、同ビラは「保護者の一人」について言及しているが、同保護者が、「息子から紙上討論プリントを出させて都の教育委員会に送付した。それを利用しての処分なのである。」と記載しており、処分に至る経緯を説明するための記載であることは明らかである。
同ビラには、「たまたま保護者の一人に、戦時中の神がかり皇国史観の教祖である「平泉澄」の信奉者がいて」との記載がある。これは、原告作成の紙上討論プリントが、一般的な保護者であれば教育委員会に送付したくなるような問題のある内容だった、というわけではないことを示すための記述である。特殊な信条の持ち主が、息子の教育のためという保護者の立場ではなく自己の政治的宗教的信条の満足のために教育委員会に送付した、ということを示し、原告の紙上討論の正当性と処分の不当性を明らかにするための記載であった。
すなわち、同ビラで言及された人物は、平泉澄(きよし)(戦前の東大教授で超国家主義の皇国史観論者)の流れを汲む学習会を毎月1回、私学会館で開いており、「雅社」という出版社を経営しており、出しているのは「詔」という本であった。原告と話した際に、「日本兵と一緒になって幸せになった慰安婦もいた」とか、「いい思いをした慰安婦もいた」と述べて被害者の立場に立つ観点のないことを自白した。また、小林陽太郎・富士ゼロックス社長(「新日中友好21世紀委員会」座長で、小泉靖国参拝を批判)宅に「右翼から銃弾が送りつけられた」というインターネットに出ていた記事を載せたのに対して「こんなの、たいしたことないじゃないですか。何で載せるんですか」と述べて、暴力による言論封殺を当然視する見解を表した。同人のこうした言動からも、同人が自己の憲法不適合な政治的宗教的信条の満足のために都教委に紙上討論資料を送付したことは明らかである。
しかも、このビラの記載からは「保護者」の名前が分からないよう、配慮がなされている。
したがって、同ビラの記載は表現の自由の行使および労働組合活動として必要性がある正当なものであった。
しかも、都教委も認めるように、同ビラの作成者は東京都学校ユニオンであって原告個人ではない。
とすれば、同ビラの配布を理由とする本件分限免職処分は、表現の自由への侵害であるとともに、正当な労働組合活動を理由とする不利益取り扱いであって不当労働行為である。原告の処分説明書が、「上記の者が執行委員長の地位にある団体」と記載して、その団体が労働組合であることを明示しないのは、本件分限免職処分が不当労働行為であると指摘されることをおそれたためだと考えられる。
エ まとめ
 以上のとおり、2005年11月7日の集会における配布文書の内容を本件分限免職処分の理由とすることは、「考慮すべきでない事項を考慮して判断」したものとして違法・無効であることは明らかである。
(4) 原告の教師としての実績について
 訴状や準備書面(3)において述べたとおり、原告は、「紙上討論授業」を初めとして、教師として多くの実績をあげてきたものである。
 その実績の一例を挙げると次のとおりである。
ア 原告が行ってきた「紙上討論授業」は、多くの生徒の成長をもたらし、足立第12中では、1996年度の卒業式における答辞にも取り上げられ、生徒から感謝されるなどした。その他にも、「紙上討論授業」を受けたほとんどの生徒が、自らが成長できたことを心から喜んでいることは原告準備書面(3)においても詳述したところである。また、別件訴訟で証人として出廷した原告のかつての教え子は、原告の行った「紙上討論授業」のように自らが主体的にものを考えることのできる授業はその後も全くなかったこと、現在の原告に対する攻撃は全く信じられないことを明確に証言しているほどである。
イ また、原告の実践が足立第16中においては、人権尊重教育の実践報告として取り上げられている。
ウ 原告が最後に勤務していた千代田区立九段中学校では、原告が指導した「納税に関する作文コンクール」において、優秀な成績を収め、表彰された。
 このように、原告は、社会科の教師として、生徒の精神的成長を助け、将来の公民の育成に多大な成果を挙げてきたことは明らかである。
 かかる点を全く考慮していない本件分限免職処分は、まさに「考慮すべき事項を考慮せずに」なされた恣意的なものであることは明らかであり、その取消は免れない。

3 本件分限免職処分が分限制度の目的と関係のない目的や動機に基づいてなされた処分であること
(1) 「歴史偽造主義」勢力の政治的圧力による処分
本件では、原告が、古賀都議や「つくる会」の歴史観、歴史認識を「歴史偽造主義」と呼んだことが原告への本件戒告処分の理由であり、この「処分を受けた等の理由により」2005年9月1日から研修処分を受けたのに、「不適切な行為を繰り返し」「研修の成果が上がらなかった」ことなどが分限免職処分の理由とされている。
 しかし、そのこと自体が、上記各処分が偏向した政治勢力の原告排除を求める圧力を受けて裁量権を逸脱・濫用してなされたであることを如実に示している。本件の発端である「歴史偽造主義批判」とは、原告が政府見解にも適った真実を生徒に伝えたことにすぎないものであることは、本件戒告処分に関する本準備書面第1で、古賀都議などの言動および「つくる会」の動きなどに関わって述べたとおりである。
 本件分限免職処分の理由となった1998年、1999年の各減給処分もこうした政治的圧力によるものであることは、訴状及び原告準備書面(3)で述べたところである。前記の1999年以降の研修処分も、このような理由も不明で2年7ヶ月と異常に長期の研修がなされたのは、やはり、偏向した政治的勢力による原告を教育現場から排除せよとの圧力によるものと考える他ない。
 さらに、前述のように、2006年3月14日には、都教委で原告の御成門中学校への転任が内定していたにもかかわらず、それが分限免職へと変更された背景には、政治的圧力の存在が強く推認されるのである。
 したがって、原告への分限免職処分は、憲法・教育基本法の理念に反する偏向した政治的勢力の圧力を受けた都教委によってなされたものであり、「公務の能率の維持およびその適正な運営の確保」という「分限制度の上記目的と関係のない目的や動機に基づく処分」であって、裁量権の逸脱として違法・無効であることは明らかである。この点を裏付ける東京都の状況について、以下に補足して述べる。
(2) 東京都の偏向した歴史認識
    上記の日本政府(国)の見解と歴史認識を大きく逸脱し、むしろこれと対極にあるものが、既に述べてきた古賀俊昭都議の「(わが国の)侵略戦争というのは、私まったく当たらないと思います。じゃ、日本はいったい、いつ、どこを侵略したのかということを具体的に一度聞いてみたい」という公的発言であり、古賀都議らが絶賛推奨してやまない「新しい歴史教科書をつくる会」著作の中学校歴史・公民教科書(扶桑社刊)である。 そして、この教科書を採択させ、今回、原告への処分を強行した責任者・東京都知事石原慎太郎もその一人である。
ア 東京都における「つくる会教科書」の採択
「新しい歴史教科書をつくる会」著作の「歴史・公民」教科書(扶桑社刊・・・以降「つくる会教科書」という。)が、石原慎太郎都知事の強力な「指導」によって、石原都知事の任命した教育委員の手によって採用され、06年度都立学校で使用されている。
「侵略戦争の事実を隠蔽し、戦争を美化・正当化」する、この「つくる会教科書」がはじめて世に出されたのは2001年のことであるが、昨年と同様、内外の激しい批判にさらされ、採択率がわずか、0.039パーセントに終わった。 以後、「つくる会」の猛烈な運動があったにもかかわらず、2005年の採択率は1割にも満たない0.4パーセントであった。全国的に見ても各地の教育委員会とその下にある採択委員会は、健全な国際的感覚のもと常識的判断を下したのであるが、石原都政下の都教委は、2001年に続いてまたしても、突出してこの教科書を採用したのである。全国578採択区の内、「つくる会」教科書を採択したのは、東京都と栃木県大田原市、愛媛県、杉並区にすぎず、しかも01年に引き続いての採択は東京都と大田原市のみである。石原都政の確信犯的異常さがわかる。
そこには、教科書採択にかかわる委員の任命権を持つ石原都知事のきわめてファッショ的な「見識」と教育支配(私物化)を見ないわけにはいかない。
イ 石原都知事の偏向した歴史観と憲法観
 以下に列挙するのは、石原都知事がこれまでに公の場で表明した歴史観と憲法観の一端である。
・「近代の歴史原理は帝国主義しかなかったんだ。欧州の列強に植民地にされるか植民地を持つかというね。それで日本もやったわけだけど、おかげで世界各地で民族意識が目覚めて戦後かつての植民地は独立したわけでしょう」
(1999年8月25日/9月8日号『SAPIO』、小林よしのりとの対談)
・「近現代史の中に日本が強大な軍事国家として登場しなかったら、いまも白人の植民地支配が続いていたと思う」
(2000年11月30日、衆院憲法調査会で参考人として意見陳述した中で)
・「日本人が南京で大虐殺を行ったといわれるが、事実ではない。中国人が作り上げたお話であり、うそだ」
(米誌プレイボーイ1990年10月号でのインタビュー)
・「南京に関わる非難は、まったくのナンセンスです。いわゆる虐殺は、1946年の東京戦犯裁判の過程で、アメリカ人が捏造したものです」
(ドイツの『デァ=シュピーゲル』誌 2000年4月10日号)
・新しい憲法をつくったら自衛権だってきちんと定義できる。ぼくなんかが思うのは、日本は世界一の防衛国家になったらいい、と。そして世界一優秀な戦闘機をつくってどんどん外国に売ったらいいんだ。
(1999年8月25日/9月5日号『SAPIO』、小林よしのりとの対談)
・天皇ははっきり元首にしたらいいんですよ。
(2000年3月号『正論』、「永田町紳士淑女を人物鑑定すれば」)
・「東京では不法入国した多くの三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している。大きな災害が起きたときには騒擾事件も想定される。警察の力には限りがある。皆さんには災害だけでなく、治安の維持も目的に遂行していただきたい」(2000年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地(第一師団)の創隊記念式典であいさつ)

 枚挙に暇がないので、この辺にしておくが、こうした史実偽造や好戦史観の「見識」を持つ石原都知事は、2006年6月14日、東京都議会本会議において、原告への処分について、次のように述べている。
「自分の思い込みを絶対化して教材として押し付けるというのは、これはまあ愚かというか、まさに愚かだと思いますけれども、教師としての資格は全くないと思います。・・・教育公務員としての適格性に欠ける教員に対しては、都教育委員会において厳正に対応していると思います」と。
 はたして、「思い込みを絶対化して」いるのは誰であろうか? 日本政府の見解を逸脱し、憲法と教育基本法の理念に反し、それゆえ「適格性に欠ける」のは石原都知事の方である。
 そして、上記発言こそが、まさに石原都知事や古賀都議らが偏向した歴史観に基づいた政治圧力でもって都教委に原告を処分させたことを裏付けるものである。
(3) 古賀都議らの都教委に対する政治的圧力
 古賀都議らは、1998年以来、一貫して議会内外において、原告に対する攻撃を繰り返してきた。その内容は、訴状、準備書面Cの69頁以下、本書面の第1においても述べてきたところである。
 とりわけ、第一次及び第二次懲戒減給処分が出される直前には、必ず、都議会で原告に関する質問を行うとともに、原告の懲戒免職を求める要望書を提出するなどの行動に及んでおり、これを受ける形で、原告に対する処分が行われていることは客観的事実である。
 さらに、第二次懲戒減給処分及びこれに続く長期研修において、古賀都議らは、都教委に対し、原告個人ですら開示されないような原告に関する個人情報の開示を指示し、都教委はこれに従って、原告の個人情報を違法に漏洩したことが明らかとなっているのである(甲26,41)。
 そして、本件戒告処分の前には、古賀都議は、原告の九段中学校における授業状況を調べるため、情報公開請求を行い(甲42)、これがうまくいかないと見るや、都教委を通じて千代田区教委を動かし、原告の授業内容に関する資料を収集していると推認される(甲14、43等)。
 古賀都議は、これらの資料を使用して、本件研修処分中である2005年10月20日に、都議会文教委員会において、「・・・今回また処分の対象となって、戒告処分を受けているわけです。しかし改善されていない。改善されることなく、こういう授業を今でも繰り返している。私はこの人について教員として重大な欠損があるというふうに思うんですけれども・・・」と、まさに今回の分限免職処分を念頭に置いた質問を行っているのである。加えて、本件研修中に「改善されていない」と断言しており、この時点においてもなお、古賀都議らは、原告に関する個人情報(研修中の状況等)を勝手に入手していることは優に認められる。
 これらの事実を見ても、古賀都議ら石原都知事の意を受けた一部の右翼議員の圧力によって、今回の分限免職処分が強行されたことは優に認められるのである。
  (4) まとめ
    以上のとおり、本件分限免職処分は、先に述べたとおり、、憲法・教育基
本法の理念に反する偏向した政治的勢力の圧力を受けた都教委によってなされたものであることはもはや明白であり、「公務の能率の維持およびその適正な運営の確保」という「分限制度の上記目的と関係のない目的や動機に基づく処分」であって、裁量権の逸脱として違法・無効であることは誰の目にも明らかなところである。
 以下、若干付言する。
 今日、教育のあり方が、国際情勢の変化とともに大きく問われている。すなわち、日本社会の国際化にともなう国際交流の活発化、そして今世紀にも引き継がれた国際紛争と戦争、さらには個人の尊厳を毀損するさまざまな多発する人権侵害など、教育には、これらと立ち向かう次世代の育成、言い換えれば、明確な国際感覚と人権意識、そして平和を希求する精神を持った次世代の育成がますます要請されている。 それは、偏狭なナショナリズムにとらわれたり、他者への思いやりを欠いた自己本位の教育とは対極にある。
 したがって今日こそ、学校教育現場に於いては、憲法にうたわれている三原則「主権在民・平和主義・基本的人権の尊重」と、それを基調とした教育基本法の理念である「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」こそが、この時代の変化の中で要求されており、教育行政においてはそのためのさまざまな施策、配慮がなされなければならない。
 しかるに、この間、東京都教育委員会が行ってきた教育現場、教育内容に対するさまざまな介入・支配は、こうした教育のあるべき理念や国際感覚、人権意識の育成とは程遠い、まさにアナクロニズム的発想に基づくものであって、憲法や教育基本法の理念を大きく揺るがし、これを真っ向から否定する行為であり、まさに常軌を逸しているとしか言いようがない。
 2003年のいわゆる「10.23通達」に端を発した国旗・国歌の強制、「強制」に反対した教員たちへの激しい処分攻撃、七生養護学校の性教育への介入、世界的に非難を浴びた「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校歴史・公民教科書の導入、さらには去る4月13日、都立学校に対して出された、職員会議における「挙手採決の禁止」通達など、この間、東京都教育委員会が行っていることは、それぞれ、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とする憲法19条への重大な侵害であるとともに、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」とする教育基本法10条第1項に真っ向から違反していると言わねばならない。
 原告への分限免職処分もこうした都教委の常軌を逸した状況と軌を一つにするものであることを忘れてはならない。

4 本件分限免職処分の判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものであることー比例原則違反
  本件分限免職処分は、過去の他の免職事例と比較しても、その事案の内容において不当に重いことは明白であり、処分の比例原則に違反することもまた明白である。処分が比例原則に違反した場合、「その判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものである」として違法・無効となる。この点について以下に免職処分の適法性が争われた裁判例を挙げて検討する。
(1) 鹿児島県中学校教諭免職事件(鹿児島地判昭50.2.28)
 同事件原告は、妻子がありながら、同僚の女性に恋情を抱いて奇矯な言動を繰り返し、また、授業態度が放漫であったため、分限免職とされた。現在でいうストーカーのようなものである。
 同判決は、「原告が前記のとおりの各行為を行ったことは、社会構成員として当然遵守すべき道徳規範に違反したものであり、かつ、各行為の具体的内容、反復執拗性を考えると、原告には右道徳規範を遵守しうる特性が欠如しており、かつ、その矯正は容易でないものと認められる」として適格性欠如を認定した。
(2) 城東工業高校教諭免職事件(大阪地判昭51.11.15)
    同判決は、同事件原告が「生徒の存在を無視して授業を放棄し、同僚教員の授業を妨害し、飲酒のうえ出勤し、あるいは勤務時間中に飲酒のうえ生徒と論争し、生徒に対するまったく根拠のない誹謗文書を投書し、女子生徒や女子事務員に執拗に話しかける等の行為等に表された素質、性格は教育公務員としてふさわしくな」いとして、分限免職処分を認容した。
(3) 川崎市立中教諭免職事件(横浜地判昭59.9.27)
    同判決は、同事件原告が「同僚の教諭に対し暴言を吐き暴力行為にも及び、上司の命令にも服さず、生徒に対して暴行を加えて傷害を与えるなどし、授業の態度にも熱意、誠実さを欠き、授業外の教育活動でも非協力的で分担させられた公務を積極的に行うことをしなかった」として、適格性に欠けると認定し、分限免職処分を認容した。
  (4) 佐賀県立鳥栖高校教諭事件(佐賀地判昭62.9.25)
 同事件原告は、@極めて非常識で、意味不明なところが多い著作を作成し、市内の書店で販売等した。A意味不明で常識を逸脱した数多くの書簡を県教育長等に出した。B授業を放棄する生徒が出たり、出席簿の管理が杜撰であったりするなど生徒の教育指導が十分行えない状況であった。C相手の承諾を得ず婚姻届を出したり、その相手方に悪質な嫌がらせ等を行った、とされて分限免職処分を受けた。
 同判決では、「前記の原告の著作および書簡の内容、態度、女性関係等を見ると、原告は教師としてばかりでなく、一般社会人としての常識や礼儀を備えていないことがうかがわれ」るとして、処分を認容した。
  (5) 中丸小学校教諭免職事件(浦和地判昭51.10.15)
 同事件原告は、鑑定医により、当時、精神分裂病と診断され、自宅研修を5年間続けたうえさらに2年7ヶ月入院したため、分限免職とされた。
 同判決は、「原告が精神分裂病その他の精神病者であるかどうかは兎も角として、少なくとも変質病者ないし性格異常者であって、教員としての職務には到底耐えられないことは明白である」旨認定し、処分を認容した。
  (6) 伊丹市立北中学校非常勤講師事件(神戸地裁平2.6.20)
 同判決は、同事件原告が「3年生徒2名を、4階踊り場まで連行し、1名については肩を持ちながら、足払いを賭けてコンクリート上に倒し、さらに他の1名にも同様に足払いをかけて倒した上に、腹部と鼻を足で蹴るなどの暴行を加えた。」と認定し、解雇処分を認容した。
  (7) まとめ
以上の裁判例を見ても、免職処分が有効とされているのは、ストーカー行為、暴力・暴行等の刑法上の犯罪行為が繰り返された場合、精神の疾患などによる場合であることが優に認められる。
 本件の場合は、原告の平和憲法を遵守するという自らの教育的信念そのものが分限の対象とされているものであり、これらの免職事例とは明らかにレベルが異なるものであることは余りにも明らかである。
 また、原告に対してなされたような「研修の成果が上がらなかったから」などという分限免職処分理由は、「指導力不足」として研修された場合以外、およそ類例がない。そして、原告の研修の理由は「指導力不足」でないことは、研修処分の発令権者である千代田区教委自身が認めているところであるのはすでに述べたとおりである。
 以上から、本件分限免職処分が処分の比例原則に違反し、その判断が合理性をもつ判断として許容される限度をはるかに超えた違法不当なものであることは明らかであって、その取消は免れない。

5 地方公務員法28条1項3号の不該当性は明らかであること
 訴状で述べたように、地方公務員法28条1項3号は、分限免職および降任処分の事由として、「その職に必要な適格性を欠く場合」と規定している。
 上記「その職に必要な適格性を欠く場合」とは、上記判例によれば、「当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に基因してその職務の円滑な遂行に支障があり、または支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合」をいい、さらに、「適格性の有無の判断においては、分限処分が降任である場合と免職である場合とでは、前者がその職員が現に就いている特定の職についての適格性であるのに対し、後者の場合は、現に就いている職に限らず、転職可能な他の職を含めてこれらすべての職についての適格性である点において適格性の内容要素に相違があるのみならず、その結果においても、降任の場合は単に下位の職に降りるにとどまるのに対し、免職の場合には公務員としての地位を失うという重大な結果になる点において大きな差異があることを考えれば、免職の場合における適格性の有無の判断については、特に厳密、慎重であることが要求される。」とされていることは訴状において述べたとおりである。
 上記1乃至4において述べたように、本件分限免職処分が、上記判例における判断基準に照らして、「分限制度の上記目的と関係のない目的や動機に基づいて」なされたものであり、かつ、「処分事由の有無の判断についても恣意にわたる」「考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して」なされたものであって、「その判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものである」ことはすでに明らかである。
 その上で、上記免職処分の適格性の有無の判断について特に厳密、慎重であることが要求されることを考えた場合、訴状請求の原因第5,3(18頁乃至25頁)等で述べたとおり、原告の教育実践は優れており、「その職務の円滑な遂行に支障を生ずる高度の蓋然性」があるとは到底認められないのである。
 また、2006年4月からは、原告が教育現場に復帰し御成門中学校に転任することが内定していたのだから、原告が「その職に必要な適格性」を有することが都教委に認定されていたと言える。
 ゆえに、原告の本件分限免職については、地方公務員法28条1項3号の要件に該当しないことはもはや明らかであって、同処分の取消は免れない。

7 手続的違法
 以上は、実体審査の基準であるが、本件訴状で述べた手続審査の基準、すなわち、
@区教委の処分内申が必要であるという地教行法38条1項違反、
A他職転任を優先すべきという「東京都の職員の分限に関する条例」3条 3項違反、
B告知・聴聞・弁明の機会の付与が必要であるという適正手続き違反
 があるので、実体審査に入る以前に本件分限免職手続が違法・無効であることは明らかである。

8 まとめ
   以上のとおり、本件分限免職処分が実体的にも手続的にも違法無効であることは明白であり、その取消は免れない。

以   上