「免職取り消し」裁判、訴状から
   要するに、原告は、何度も同様の非違行為を繰り返し、研修によっても矯正できない、よって、原告は(教育)公務員としての適格性を欠くというのである。
 しかし、過去の二度の減給処分と本件戒告処分を同列に論じ、2年7ヶ月の研修を実施したにもかかわらず、また同様の非違行為を行ったなどと主張することは不当である。本件戒告処分は、次に詳述するとおり全く内容を異にしており、何ら懲戒処分の対象となるものではなく、本件戒告処分には理由がない。
 
 したがって、後述するとおり、それを理由とした本件研修命令処分にも理由がない。
 そうすると、「何度も同様の非違行為を繰り返し、研修によっても矯正できない」という本件分限免職処分にも理由がないこととなる。
 
 そこで、以下、まず本件戒告処分に理由がないこと、つぎに本件研修処分に理由がないこと、そして最後に本件分限免職処分に理由がないことについて述べる。
 
 なお、過去二度の減給処分及び二回目の減給処分後の2年7ヶ月にわたる原告に対する長期研修についても、原告はその是非を争い敗訴しているが、その本質は、原告がその教育実践として行ってきた「紙上討論授業」の内容及び方法(後に詳述する。)に対する不当な政治的介入というべきものであって、何ら「(教育)公務員としての適格性」に関わるものではない。

A 本件戒告処分理由の「不適切な文言」の内容
 本件処分の理由として、特定の公人(古賀俊昭都議)や出版社名(扶桑社)を挙げて「不適切な文言」を用いたことが挙げられているが、原告がその根拠とした事実は、古賀都議が都議会という公開の場で発言したこと及びメディア等で広く報道されている事柄であって、何ら処分対象となるものではないことは明白である。
 原告が取り上げた古賀俊昭都議会議員の都議会における発言(2004年10月26日)は、「(日本の)侵略戦争云々というのは、私は、全く当たらないと思います。じゃ、日本は一体どこを、いつ侵略したのかという、どこを、いつ、どの国を侵略したかということを具体的に一度聞いてみたいというふうに思います。(括弧内は代理人)・・」という、日本が過去に行った侵略戦争の存在自体を否定するという、きわめて偏向かつ誤った歴史認識を披瀝したものである。
 
 また、扶桑社の歴史教科書についても、日本のアジア侵略の歴史を隠蔽し、過去の侵略戦争を正当かつ美化するものとして、内外の厳しい批判を浴びていることも公知の事実である(同社の歴史教科書には、「太平洋戦争」について、「日本は米英に宣戦し、この戦争は『自存自衛』のために戦争であると宣言した。」などの記述があり、侵略戦争であったことの事実を隠蔽しようとする意図が明白である。)。

 そもそも、我が国の根本法規である日本国憲法が、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないやうにすることを決意し」(憲法前文)て、「戦争放棄」を宣言した「平和主義」をその根本に据えていることは言うまでもないことである。これは、我が国が過去において、「政府の行為」によって引き越された日清戦争、日韓併合はもとより満州事変に始まる「十五年戦争」等は、いずれも朝鮮、中国、東南アジア諸国に対する武力を背景にした侵略行為であったことは明白な歴史的事実であり、常識の部類に属することである。憲法前文が、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないやうに決意し」と述べているのは、まさに十五年戦争を中心とするアジア諸国に対する侵略戦争に対する痛苦な反省に基づくものであることは明らかである。

 付言すれば、現在の政府見解も、「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、・・・今後とも世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意であることを改めて表明します。・・」(2005年4月22日「アジアアフリカ首脳会議」における小泉首相演説)、「・・・世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する。・・・」(「戦後50年・歴史を教訓に平和への決意を新たにする国会決議」)、「・・・我々は、ここの十年前の『歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議』を想起し、わが国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、改めて全ての犠牲者に追悼の誠を捧げるものである。・・・」(戦後60年国会決議)というものであり、我が国の侵略の歴史を事実として正面から受け止め、これを反省克服していくという趣旨のものである。

 上記古賀都議発言や扶桑社の教科書が、日本国憲法や上記政府見解と真っ向から反していることは明らかであり、原告が、公立中学の社会科教師として、誤った歴史認識をもって日本国憲法のありようを否定しようとする「公人」及び「教科書製作会社」があることを生徒達に教えることは、憲法及び教育基本法の趣旨からして、何ら「不適切」なものでないことは余りにも明らかである。