銃剣道の目的は「一旦緩急の際は、全国民挙げて直ちに銃剣をもって義勇公に奉ぜしめよう」!?


皆さま
 こんばんは。増田です。昨日の佐藤正久(ヒゲの隊長)参議院議員による「『銃剣道』を学習指導要領に入れて体育の授業に取り入れよ」という主張を紹介したメールに対して作家の彦坂 諦(たい)さん…代表作『ある無能兵士の軌跡』全9巻(罌粟書房、柘植書房)…から体験に基づいた興味深い返信をいただきました。
 
 そこで、私もさらに興味をもちまして、調べて見ましたらNHKアーカイブズに歴史的証拠がありました! 
 
 「一旦緩急の際は、全国民挙げて直ちに銃剣をもって義勇公に奉ぜしめよう」!?…これが、「銃剣『道』」とした目的だったのです。 
 
 他人の喉をつくような訓練を学校の体育の授業でおこなうなんて、ゾッとします…文科省も国民を「茹で蛙」のように徐々に国家主義教育に慣れさせたいのでしょうから、佐藤議員のような要求を入れれば、さすがに「寝た子を起こす」事態になってマズイ、ということでしょうね…
 
 超長くなりますがご関心のある方にはお読みいただければ嬉しいです。
 
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みやこさん、
 
この「髭のおじさん」は、やっぱし、本気で言ってるんでしょうね、こういうこと。
このひともまた錯覚しているようですが、あの戦時中にこのわたしにも強制されていた「銃剣術」は、
けっして銃剣「道」ではなく、あくまで「術」にすぎなかった。
いつのまに「道」に昇格させたのでしょう。
たぶん、戦後のことだとおもいます。
 
わたしは「剣道」はすきでした。
国民学校5年生のときは毎朝早起きして「寒稽古」にかよっていたほどです。
しかし、「銃剣術」には違和感があった。なぜって、あの「銃剣」ってやつは、
日本古来のものとは縁もゆかりもないそれこそ「鬼畜米英」由来のものでしか
なかったし、それをあつかう術には「魂」などこもってなかったからです。
 
じっさい、わたしをいくども つっころがした上級生たちのやりかたは、およそ、
武道とはことなる「術」そのものでした。
なりふりかまわず、ただ、敵をたおせばいいという「術」。
 
剣道と柔道にはそれなりに「武道」と呼ばれるにあたいする「道」への修業が
歴史的にあったし、すぐれた哲学もあった。
「銃剣術」にはそのかけらもなかった。
あれは、たんに人を殺す道具をあつかう術であり、
しかも、もっとわるいことに、当時の軍隊で「愛用」されていた「気合」という
妙手コリンなものの象徴でしたね。
 
いま、スポーツとして「フェンシング」と同等にあつかわれている「ジュードー」には
違和を感じています。
宮本武蔵の「道」とは縁のないしろものって感じですよね。
 
佐藤なにがしというおっさんは、若造です。
ほんとうの武道のなんたるかを知りません。
 
わたしは、剣道も柔道も、「武道」としてやることに異議はないけれど、
学校教育で強制することのは反対です。
ま、わたしのばあいは国民学校4年から「必修」だったから
柔道にはなじめなかったけど、剣道には身を入れ、
中学に入ってすぐ剣道部に入部したほどでしたがね。
しかし、「強制」されたとは微塵も感じてはいなかった。
 
これにひきかえ、「銃剣術」は中学に入ってはじめて出あった。
それも、「教科」としてではなく、上級生の「いじめ」の道具としてだった。
 
だって、そうでしょう。「銃剣」ってのがむかしからあったはずはない。
小銃が入ってきた戦国時代でも「銃剣」はうまれてなかった。
鉄砲と槍とはあいいれないもんだった。
そういえば、「槍」も「槍術」といって「槍道」とは言わなかったな。
「術」と「道」とは、やはり、区別されてたんでしょうね。
 
よけいなごたくを、つい、ならべてしまった。
こんなとこにも戦時中の少年が顔を出すんでしょうね。
 
ひこ
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ひこさん
 増田です。返信、ありがとうございました。ひこさんの示唆で…教唆扇動!?(笑)…いろいろ調べてみて、とても興味深いことが分かりました!
 
>けっして銃剣「道」ではなく、あくまで「術」にすぎなかった。
いつのまに「道」に昇格させたのでしょう。

 現在の「公益社団法人 全日本銃剣道連盟」のHPでは、以下のように歴史が紹介されています。
http://www.jukendo.info/jukendo-tankendo/jukendo

 「銃剣術」から「銃剣道」への昇格については「銃剣道の名称は、1940 年(昭和 15 年)月の橿原神宮武道大会から」とか(このHPの「由来」のPDF)…
 
そしてアジア太平洋戦争開戦の1941(昭和16)年の3月…約9か月前に…
「大日本銃剣道振興会が設立されたとき、『銃剣道』と改められたものである。 当時は、銃剣道も他の武道と同様、実戦武技としての域を脱することは甚だ困難な状態であった。従って、その普及対策も一応競技会が実施されていたも のの、それにも増して戦闘のための訓練に重点が置かれていた。」
 
 ここには、NHKアーカイブズの映像にある「銃剣道」の一番大切な本質が、見事に書かれていないように思いました。
 
NHKアーカイブ(日本ニュース 第42号)「1941年(昭和16年)3月20日の大日本銃剣道振興会設立、発会式」のニュース映画です。
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300427_00000

「一戦(いっせん)における皇軍の成果。白兵戦の最も重要な戦技である銃剣術は、剛健な気力、胆力を養成するに最適の武道で、これを国民武道として全国に普及するため、このほど、大日本柔剣道振興会が設立され、その発会式が20日、陸軍戸山学校で行われました。一旦緩急の際は、全国民挙げて直ちに銃剣をもって義勇公に奉ぜしめようと、国防武道の発揚に意義ある肉弾発会式でありました。」
 
 稲田朋美さんのような非常に記憶力の弱い防衛大臣をはじめとして、教育勅語礼賛者がその勅語の肝である「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」はカットするように、このHPも敗戦前の学校における「銃剣道」訓練の肝は「白兵戦の最も重要な戦技」であり、「一旦緩急の際は、全国民挙げて直ちに銃剣をもって義勇公に奉ぜしめよう」と国民に叩き込むところにあった、という点をカットしています。
 
 「佐藤なにがしというおっさん」(笑)は、NHKアーカイブズなどは視聴なさらないんでしょうね…
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みやこさん、
 
調べ魔がいてくれて、たすかります。
1940年からとはおそれいりました。
まことに国家総動員・国民精神総動員の年にふさわしい。
 
なのに、1945年の4月、わたしが宮城県立仙台第一中学校に入学したとき
この学校では銃剣術はおしえられていなかった。
この年の5月に転校してかようようになった旅順中学ではじめてこれに出会ったのですが、
このときもけっして「道」とは言わずに「術」でしたね。
旗を振っても動かなかったのかな。
 
だって、白兵戦で重要だからなんてのは「武道」の風上にもおけない
邪道ですから、普及しないのもあたりまえです。
ただ、強兵たれとの号令一下、なによりも一番しごかれたことはたしかです。
でも、さすがの「愛国少年」も、いや、純粋な「愛国少年」であったればこそ、
銃剣術をふりかざす上級生たちに あるうろんくささを感じさせられていたのですね。
 
じっさいに、銃剣術の「訓練」は、およそ、剣道の「修行」とは似ても似つかぬものでした。
あんな、ひとを ただ つきころすだけの技術なんて、およそ精神修養とは縁もゆかりもない。