文科省学習指導要領等改訂案にパブコメを! 3月15日、23:59締め切り


皆さま

 おはようございます。増田です。超長文、ご容赦を!

 件名ですが、幼稚園でも「国歌」を強制しようとする等、どこまでも落ちていく「学習指導要領」ですが、その「改定案」に対するパブコメの締め切りが迫っています。「聞く耳持たない」官僚サンたちのアリバイ作りではありましょうが、それでも、何もしないよりはいいかな…ですから、ご多忙と思いますが、ファックスでも、メールでも、まだ間に合いますので、以下URLの要領で文科省に意見を送っていただけないでしょうか。

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000878&Mode=0

    実は私も1週間、田舎に帰っていたものですから、昨日、以下をファックスで送ったばかりです。時間もないので、やっつけ仕事で、これはどうしても言っておかなくっちゃ、という部分のみのピンポイント作戦にしました。一部を参考までに、ご紹介します。


●「幼稚園教育要領案について」
 「第2章 ねらい及び内容」の「環境」の「3 内容の取扱い (4)」に「文化や伝統に親しむ際には,正月や節句など我が国の伝統的な行事,国歌,唱歌,わらべうたや我が国の伝統的な遊びに親しんだり,」とあるが、「国歌」については削除すべきである。
 以下、理由である。
 
 「文化や伝統」に、なぜ、いきなり「国歌」が唐突に挿入されているのか? 非常に異質であり、全くなじまない。
 
1947年5月3日から国民主権国家となった我が国において、1999年に「国歌」と法制化された「君が代」だが、我が国が「大日本帝国」と称していた時代に「天皇主権の世が永遠に続くように」という意味であると学校で教え込むことによって臣民教育の中核として使われた歌である、という厳然として消すことができない歴史事実がある。
 「民が代」である日本国憲法の下で「君が代」を国歌とすることはふさわしくない、という声は現在でもなくなってはおらず、これは日本国憲法の保障する「思想・信条の自由(内心の自由)」に抵触するという意見も根強く存在する。
 したがって、法制化にあたっては「歌うことを強制しない」と再三再四、政府が強調していた歴史事実があり、現在でも、この「国歌」については否定的な保護者も存在する。
 
 「子どもの発達段階」を非常に重要視している(はずの)文科省が4〜6歳の幼稚園児に「国歌」に「親しんだり」させることを、幼稚園に強制すること…幼稚園教育要領は国会で決められたものでもないのに、文科省は法的拘束力(強制力)を持つと言い張っている…は矛盾しているばかりか、子どもの成長にとって有害である。
 
 論より証拠は、毎日「国歌」を斉唱し、極度に「国歌」に「親しんだり」していた塚本幼稚園の園児たちの姿である。広く日本国中に流れたおぞましい動画には、「尖閣列島、竹島、北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国、韓国が心を改め、歴史教科書で嘘を教えないようお願いします」と声を張り上げている園児たちの姿があった。
 
 本項目では「国歌…に親しんだり…国際理解の意識の芽生えなどが養われるようにすること」とあるが、「君が代」という国歌に「に親しんだり」したからといって「国際理解の意識の芽生えなどが養われる」ことはない。それは上記、塚本幼稚園の動画が証明している。
 
 こういう有害な「国歌」の挿入は幼稚園児・幼稚園教育にとっては有害でしかない。削除すべし!

●「小学校学習指導要領案について」
* 社会科第6学年「3 内容の取扱い」「イ 天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること」について

 「敬愛の念」という文言を削除すること。「天皇についての理解」を「深め」れば「敬愛の念」持てない場合があるかもしれないし、何よりも、だれを「敬愛」するかは、日本国憲法で保障されている基本的人権である個人の「内心の自由」の範疇に属し、学校教育で特定の人物への「敬愛」を「強制」することは憲法違反である。


●「中学校学習指導要領」について
* 「第2節 社会」「第2 各分野の目標及び内容〔地理的分野〕」「3 内容の取扱い」「(3)ア(イ)」について

「竹島や北方領土が我が国の固有の領土であることなど,我が国の領域をめぐる問題も取り上げるようにすること。その際,尖閣諸島については我が国の固有の領土であり, 領土問題は存在しないことも扱うこと。」という記述のうち、「が我が国の固有の領土であること」「尖閣諸島については我が国の固有の領土であり,領土問題は存在しないことも扱うこと。」という文言を削除し、「その際」の後には「韓国(北朝鮮)、ロシア、中国も、自国領土と主張していることに触れること」という事実を付け加えること。これらが「我が国の固有の領土であること」は国際社会において確定していない、という厳然たる事実があり、これらの国々もまた「自国領土」と主張しているという厳然たる事実が存在するのであるから、その事実に触れることこそが重要である。

 「尖閣諸島については我が国の固有の領土であり,領土問題は存在しない」などと教員が教えれば、日々といっていいほど報道される「尖閣周辺に中国漁船が、公船が」云々(でんでん、ではない)という情報を得ている中学生には「先生はウソをついている」と不信感を持たれるだけである。「領土問題は存在しない」のであれば、このような事態が発生するはずがないことは中学生の発達段階にあれば、教えなくとも理解できるものだ。

 このままの記述が教科書に載り、そのままを教員が教えれば、「第1 目標」の「(3)」にいう「社会的事象について,よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に解決しようとする態度を養うとともに,多面的・多角的な考察や深い理解を通して…他国や他国の文化を尊重することの大切さについての自覚などを深める。」ことはできくなるだろう。

 塚本幼稚園の園児たちが「尖閣列島、竹島、北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国、韓国が心を改め、歴史教科書で嘘を教えないようお願いします」と声を張り上げていたことを文科省はよく考えてみよ!

文科省に言うように領土問題については「我が国」の言い分だけを正しいものとして一方的・一面的に学校教育で教師が中学生に教え込むならば領土問題について、中学生は「多面的・多角的な考察や深い理解」など不可能となり、文科省学習指導要領は矛盾の塊となる。