9/13〜16、「アジアの平和と歴史教育連帯」会議報告 9/17 |
こんばんは。増田です。6月に韓国YMCAでありました「日韓繋がり直しキャンペーン2015」の大会で「アジアの平和と歴史教育連帯」の事務局の方にお会いし、「2015年日本の歴史歪曲対応のための日中韓市民円卓会議」に誘われ、参加してきました。超長文になってしまいましたが、なにしろ3日分ですので、ご寛恕を! 13日は移動日ですので、14日からの3日間は我が人生でも超密度の濃い(笑)、つまりは、すっごい強行軍でした。でも、本当に充実した内容で、準備してくださった韓国の「歴史教育連帯」の事務局の方たちには、ただもう、感謝!感謝! です。 以下、印象に残ったところをご紹介します。 ☆13日 *フィールドワーク 9:00〜17:00まで、百済の首都公州(コンジュ)の、主に武寧王陵を中心として、国立公州博物館を見学するフィールドワークでした。この古墳は1971年に6号墳の排水工事中、偶然に見つかったもので、全く盗掘されてなかったために、墓誌もあり、素晴らしい遺物の数々は感動的です。 この王は523年5月7日に62歳で亡くなったと墓誌にあるそうですから、6世紀の初めにつくられたもので、特に?(せん)というレンガで作った玄室は日本の古墳では見られない…確か、飛鳥時代の寺院にはあったような気も…もので、その高度な技術には驚きました。 王妃は唯一残っていた一本の奥歯から38歳だかで亡くなった、といいますから、かなりの「年の差」婚…カトちゃんチみたいな(笑)…王妃の銀のブレスレットやネックレスなどの宝飾品は、今でもそのまま使えそうでした! ブレスレットは銀なので、何しろ1500年も経ってますから、輝きを失っていましたが、制作時は燦然と…でも、銀ですから品よく…王妃の腕で煌めいていたことでしょう。6号墳も玄室は?で作ってあり、胡粉で青龍、白虎、朱雀、玄武の四神図が書いてあったようです。日本の高松塚四神図のように具象的ではなく、抽象化された大胆なデザインで、とても躍動感がありました。 その後、写真博物館を見学して昔の公州の写真を見ました。このレンガ作りの建物は日本統治時代のものだそうです。途中、市場(シジャン)で、ガイドをしてくださった女性お勧めの、日本で言えば和菓子にあたる手作り餅菓子を買いました。ほとんど安倍川餅でしたが、きな粉に少しニッキも混じっていたような気が…。 *それから、宿舎の韓屋村へ。 実は前にソウルで本物の…というのは変ですけど、つまり、昔ながらの韓国の伝統家屋、韓屋(ハノク)に泊まったことがありました。トイレは屋外、ま、隣接はしてましたが、部屋にはゴキブリも棲息していました(笑)。今回そうだったらどうしよう…と内心、ビクついていました。しかし、大丈夫! 公州韓屋村は「韓屋の伝統的な建築形式に現代社会の便利な生活を融合した新韓屋構造」なのです! 外観は昔ながらの韓屋ですが、とても清潔で部屋にトイレもシャワーもあり、自信を持ってお勧めできます! しかし、サービスのためか、昼間っからオンドルが入っているのです。夜はほのかに暖かくていいのですけど…ここは栗の名産地ということで(日本で言えば小布施?)いろいろ栗の面白い食品がありましたが、中でも栗マッコリが気に入り、値段も清涼飲料と同じなので、お土産用にとスーツケースに1リットル瓶を入れておきました。すると…昼間はまだまだ暑い上にオンドルの熱で爆発!? まではしなかったのでしょうけど、容器のペットボトルにヒビが入っていたのは確実で、スーツケースは栗マッコリでびしょびしょ… oh my God!? 状態でしたが、なんとか拭き取り、めげず、翌日、もう一本買い求め、今度は対策をしっかりして、今、それは我が家の冷蔵庫に鎮座中! スーツケースは、まだ、ほのかにマッコリの匂いが(笑)… *さて、それからが本番の夜の会議 「[第1部] 2015年日本教科書運動の争点の検証(1)-韓国を中心に」 フィールドワークだけでも来た甲斐があったというものですが、これは前座で19:00〜21:00からが本番。 1、先ず、中国の金怜(JIN LING)さんという妙齢の美しい女性の特別報告がありました。本当は中国から「日本細菌戦被害者遺族の会」の方と弁護士さんが来韓の予定だったのですが、ビザの関係からダメになった、とのことで在韓の中国テレビ支局のキャスターの方が報告されたのです。 彼女は、先ず、自分の体験を話されました。「11年前に中国共産党に入党しました。」「子どもの頃、学校で20作品くらい白黒の抗日映画を見ましたが、731部隊の映画を見たことが一番目に焼き付いています。惨たらしくショッキングで、年齢レベルに問題があったのではないかと思います。」と、とても率直でした。なんとなく、中国では…特に共産党員の方は、自由に話ができないのではないか、と思っていたのですが、偏見だったかもしれません。 彼女の話の中心は以下です。 「今年、7月7日、習近平国家主席が盧溝橋まで行ったり、9月3日を『抗日戦争勝利記念日』と初めて決定して間をおかず盧溝橋まで行って抗日戦争記念館で行われた式典に参加するなど、今まではあり得なかったことで…今までは10年に一度、そういうイベントに最高指導部が参加していたので…これは、日本の過去への逆行に対する強い警告、火遊びの日本へのリアクションだと思います。 また、最近、日本人戦犯45名の自白書を档案局(国立公文書館?)がHP上に公開しています。自白文の全文公開は初めてで、中国当局は、日本政府の歴史認識に変化がなければ、今後も、現在整理中の1017人を公開予定です。この資料を教科書改善のために使って欲しいと考えているようです。 中国最高指導部は、今までは経済重視だったのですが、これからは経済だけでなく、政治も重視していくと思います。バランスよく、経済も政治もやっていくことと思います。」 最後の「中国政府は政治も重視」というのは、たぶん、今までは経済成長を第一にして日本の歴史歪曲にもそれほど強い対応をしてこなかったが、安倍内閣による右傾化の極大化の日本に対応して強い対応もとり続けるだろう、ということでしょうね… 2,3,4…韓国の忠南(チュンナム)、平沢(ピョンテク)、ソウル市のソチョン区(だったと思います)どなたが先だったか順番に自信がないので… 忠南の方は、熊本県の「教科書ネット熊本」の田中信幸さん…お父さんの従軍日記を公開され、慰安婦犯罪や侵略犯罪を証言されている方で、日本の新聞でも紹介されています…十数年にわたる長い交流があり、その中で、ともに日本の歴史歪曲と闘っていること、平沢の方は姉妹都市関係から「えひめ教科書裁判を支える会」とやはり、年月を重ね、青少年の交流活動などを通じて互いに足繁く活動をなさっていることを話されました。 最後のソチョンの方は、杉並の教科書市民団体と交流してこられたそうです。この地区はソウルの中でも上流階層が住む所で(日本の田園調布?)保守性が強く、韓国版扶桑社教科書が採択されそうになったが、活動をして採択させなかったこと、「森の学校」作り等、環境団体とも一緒に活動していること、6月の自治体選挙では「特権教育を廃止しよう」という進歩派の「教育監」…日本の教育長より強い権限があるようです…候補とし、当選させたこと、等を話されました。 忠南の方だったと思うのですが…何しろ、フィールドワークの疲れも出て、だいぶ、意識朦朧(笑)状態となり…「イ・ミョンバク、パク・クネと2代保守政権が続き、自分の国の教科書歪曲問題など、たいへんなのに、日本の教科書までやるのか、という思いもある」と言われたときは、胸がズキッ、でした。本来、扶桑社歴史偽造教科書に続く育鵬社・自由社の歴史偽造教科書問題は日本人の力だけで正すべきことなのですけど… 5、最後の締めくくりは、「アジア歴史連帯」常任共同運営委員長のヤン・ミガンさんから「2015年日本の教科書対応 今後の活動方向(案)」が出されました。 「再検討すべき点」の第一は「『日本の教科書の領土問題の記述の全般的強化』が、教科書問題をさらに複雑化している」ということです。この竹島/独島問題は両国のナショナリズムに超敏感に刺激する問題ですから、本当に厄介です…というか、だからこそ、「日本(帝国)を取り戻す」という基本スローガンを掲げる安倍晋三内閣は遮二無二、突き進むわけですが… ここから始まる5つの提案は省略します。 ☆14日 この日は9:00〜18:00まで、会議、会議、会議!? [第2部]のテーマは 「2015年日本教科書運動の争点の検証(2)-日本の各運動を中心に」です。 まず、午前中(9:00〜12:00)は以下の4人の方の報告、地域別補充発言、質疑応答、討論を行いました。 (1) 俵義文(子どもと教科書全国ネット21 事務局長) (2) 相可文代(子どもたちに渡すな!あぶない教科書大阪の会
実行委員) (3) 藤本泰成 (平和フォーラム平和・人権・環境) (4) 高嶋伸欣(琉球大学名誉教授) *俵さんのお話は「子どもと教科書全国ネット21常任運営委員会」による「2015年中学校教科書採択の活動方針案第1次案」を中心に、「他の課題の市民運動などと連携・協同・共同する必要があります」ということで、具体的な「取り組み」などが提示されました。「第2次安倍晋三改造内閣の超タカ派の大臣たち」の資料もありました。大臣19人中、16人が日本会議議連・靖国議連で84.2%、18人が神道議連94.7%等、今更ながら、「日本(帝国)を取り戻す」という極右どもに乗っ取られてしまった日本国ですね… *相可(おうか)さんのお話は「現在、各種の課題で各団体が活発に活動しているが、連携してひとつの運動を作ることが弱い。しかし、教科書問題は記述がほぼすべての課題と関連しており、『平和・人権・共生の精神に反する教科書採択を許さない』という一点で共闘できる」ということで、たいへん、具体的な進め方の提案がありました。 *「原水禁」事務局長でもある藤本さんは翌日の「2015年 日本の歴史歪曲対応のための日韓市民社会と国会議員懇談会」の資料を使いながら報告されました。「来年2015年8月15日は、敗戦から70年の節目の年」「日本政府が侵略戦争と植民地支配の反省に立って、戦争での加害の責任に対し真摯な謝罪と補償をすすめ、新しいアジアでの信頼を生み出さなくてはならないと考え、平和・人権のとりくみを進める団体とともに『戦後70年―新しい東アジアへの一歩へ!市民連帯』を立ち上げ」たこと、「民主党、社民党、生活の党の一部のリベラル派議員で組織する『立憲フォーラム』(35人)と連携し」、地方議員たちの「立憲ネット」もでき、そして、「戦後70に向けては韓国のリベラル派議員との交流を深め、現在の対立関係に終止符を打つよう努力を重ねなければならない。」 本当に、日本と韓国のリベラルな国会議員、地方議員たちが連携できれば、かなり、大きな力になりそうな気が… *高嶋先生は「安倍政権下における教科書検定と採択の状況と対応策について」報告されました。印象に残ったのは「安倍政権は(解釈改憲で集団的自衛権行使ができるとした閣議決定)7・1クーデターの時がピークだったんじゃないかと思います。改造内閣でも、本来なら『村山談話は閣議決定していない』などと二回も国会答弁し、もみ消そうとしたけどできなくて結局、委員会で取り消し謝罪するという無様なことをした人は大臣になんか留任させられないはずですが、人材がいなくて、下村博文を文科大臣にするしかなかったんです。 アベノミクスやTPPもうまくいってないので、経済界の支持も落ちているようです。文科省の若手官僚の中にも『教育勅語』の理念再現などあまりの時代錯誤に対する拒否反応がそれなりに存在している。」という発言です。 どうも、「日本(帝国)を取り戻す」ための安倍内閣の暴走を止められないかも…と悲観的になりがちなのですが、彼らにも弱みはあるわけですね! あと、「UNESUKOから、世界共通の教育上の留意点として『大人でさえ解決できずにいるような問題を学校教育に持ち込むのは相互に控える』というような内容の勧告・総会決議をしてもらって、それを各国政府に通告してもらう」という提案もなされました。 やってみる価値はあるかもしれませんが…たぶん実現はしないでしょうが…そうなったとして、どうも、「ヘイトスピーチ禁止立法を作れ」と勧告されたら「じゃあ、ついでにデモ禁止法令も作っちゃえ」というような安倍日本政府は逆用するような気が…「こりゃ、いいぞっ! 南京大虐殺、慰安婦問題だって、『大人でさえ解決できずにいるような問題』だからね、教科書には絶対に載せさせないぞ」と言いそうな… *午後1:30〜18:00まで、休憩を入れながらですが、各地の報告・提案などを挟み、「共同決議文」について喧々諤々の議論。 そして、ヤン・ミガンさんによる力技(笑)によるまとめ、つまりは国際連帯活動のためのカナダ、アメリカ、マレーシア、シンガポールの市民団体等との連携のための各国別の役割分担者が決まりました! *そして、待ってました! 野外での楽しい美味しい晩餐交流会! 栗マッコリ、美味しかった(笑)! プルコギも海鮮チジミも美味しかった! 異常に賑やかな方(笑)の司会による…翌日、「全く何も覚えていない」とノタマワレました…各地の皆様の楽しい自己紹介、活動紹介も、とても内容がありました! ☆16日 最終日は6:30朝食で…5時起きは辛かったなぁ(笑)…高速バスに2時間揺られソウルの国会議員会館へ。 10:30〜12:00まで、国会議員の方が与党セヌリ党の方も含め6人ぐらい…日本も同じですが入れ替わり立ち替わりだったので…御挨拶がありました。中心の議員さんはヤン・ミガンさんと一緒に活動していた方でした。 印象に残ったのは「日韓議員連盟」の韓国側幹事長さんが、確か10月に韓国で会議があるので「『教科書問題』『慰安婦問題』などを議題に入れよう」と提案しても「日本側が受け入れない」と言われたことです。 いいじゃないですかっ! 日韓の国会議員同士、喧嘩になっても…乱闘はまずいでしょうけど、その一歩手前ぐらいまでは…率直に意見を出し合えばいいじゃないですかっ! でも、Wikiで顔ぶれを見れば、無理ですね(笑)。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9F%93%E8%AD%B0%E5%93%A1%E9%80%A3%E7%9B%9F 会長 :額賀福志郎(2013年1月29日選出) 副会長 :高村正彦、志位和夫 幹事長 :河村建夫 副幹事長:安倍晋三、河村建夫、船田元、麻生太郎、野田毅、鈴木俊一、木義明 平沼赳夫、中曽根弘文 *昼食後、14:00〜15:00は、さらに国会議員と懇談するグループと、東北アジア歴史財団を訪問するグループに分かれました。私は後者です。この財団は「東北アジア地域の歴史をめぐる対立を乗り越え和解を模索するために2006年9月に設立された公共法人です。」ということですが、政府の外郭団体のようです。理事長さんは元外交官の方で、財政は豊からしく、とっても立派なビルの中にありました。 「国際NGO交流協力」も活動の一つとしてあり、毎年、歴史NGO大会を世界各国からの参加者で行っています。私も一度参加したことがありますが、アフリカからの参加者もいてその幅広さに驚きました。この活動の中に「日本・欧米等海外NGO活動支援」という項目もありますので、理事長さんが私たちに会って、話を聞いてくださったのも、この一環だったのでしょう。 *帰国の飛行機の時間まで少し、余裕があったので、このビルの地階にある独島博物館に行ってみました。2年前に開館したばかり、ということです。日本人はほとんど行かないようで「日本語のパフレットをください」と受付の方に言いましたら、受付には無く、倉庫のようなところ(笑)から出してきてくれました。館長さん自らご案内いただきました。展示は古文献が中心で、とても客観的に陳列してありました。 「体験館」までは時間がなかったのですが、特に「反日を煽る」というようなものとも思えなかったですが…この「体験館」が日本にとっては「反日を煽る」としか見えないようなものなのでしょうか? *これで、超密度の濃い、すっごく強行軍の…乗り物に弱い私は睡眠不足だったせいか、ソウルまでバス酔いしてしまい、かなり辛い思いもしましたが…、とっても充実した3日間を終えました。 *来年の2月くらいに日本でこの会議の続きを開く予定になっています。 (終わり) |