都教委の「実教出版教科書」選定禁止、ホントの理由は? 7/15 |
皆様 こんにちは。増田です。これは「都教委を訴える会」事務局としてお知らせします。BCC送信のため、重複、長文、ご容赦を! さて、「都教委を訴える会」の裁判において、都教委は問題となっている「実教出版教科書」のみ選定禁止の理由について、ビックリするような答弁書を出してきました。 少し長くなりますが、お読みいただけると嬉しいです。 ★「実教出版教科書」選定禁止2013・6・27(2014・6・26) 都教委見解 実教出版歴史教科書には「『国旗・国歌法をめぐっては、日の丸・君が代がアジアに対する侵略戦争ではたした役割とともに、思想・良心の自由、とりわけ内心の自由をどう保障するかが議論となった。政府は、この法律によって国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。しかし一部の自治体で公務員への強制の動きがある。』という記述がある。」 「上記教科書の記述のうち、『一部の自治体で公務員への強制の動きがある。』は、『入学式、卒業式等においては、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導することが、学習指導要領に示されており、このことを適正に実施することは、児童・生徒の模範となるべき教員の責務である。』とする都教育委員会の考え方と異なるものである。 都教育委員会は、今後とも、学習指導要領に基づき、各学校の入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱が適正に実施されるよう、万全を期していくこととしており、こうした中にあって、実教出版株式会社の教科書を都立高等学校において使用することは適切ではないと考える。」 ☆「実教出版教科書問題に関し、違法不当な東京都教育委員会を訴える会」の訴状(2014年3月10日付) ? 都教委による最高裁判例の殊更な誤用について @ 本件決定・通知、及びそこで言及されている2012・1・24都教委見解はいずれも、2012・1・16の最高裁判決(平成23年(行コ)第151号を援用し、「国歌斉唱時の起立斉唱等を教員に求めた校長の職務命令が合憲と認められた」ことを強調している。 すなわち、東京都教育委員会が強調し、援用する最高裁判決は、「君が代斉唱時の起立斉唱を校長が教員に、一定の不利益を示して要求し、違反行為に対して相当範囲の懲戒処分をなすこと、つまり一定の強制をなすことそれ自体は憲法違反ではない」と言っているものである。最高裁は「強制」性を認めた上で判決しているのであって、「君が代斉唱時に起立斉唱を求める校長の職務命令は強制ではない」などとは一言も言っていないのである。 (A〜D略) E これらに徴すれば、「一部の自治体で公務員に対する強制の動きがある」という本件教科書の記載それ自体は、客観的事実のみが端的に記述されている以上のものではないことが明白である。 F 実は文科省も、本件が問題になった以降に、この問題について、「権限のある者が職務命令をもって命ずるということを『強制』と表現することは、誤りと言えない」と指摘して、「この記述は正しい」との見解を明らかにしている。当然のことが表明されたのであるが、これによっても都教委の見解の誤謬性が明白である。 ★東京地裁に提出された都教委の反論(2014年5月29日付) 本件教科書においては…教育公務員については、職務としては行うべき国旗・国歌の指導は当然との当時の内閣総理大臣の国会答弁(平成11年6月29日)、…平成11年7月21日の衆議院内閣委員会においての内閣総理大臣の「・・・学習指導要領に基づいて、校長、教員は、児童・生徒に対し国旗・国歌の指導をするものであります。児童・生徒の内心にまで立ち至って強制しようとする趣旨に立ったものではなく、あくまでも教育指導上の課題として指導を進めていくことを意味するものでございます。」という発言 及び平成11年8月2日の参議院国旗及び国歌に関する特別委員会の政府委員による答弁、すなわち「…国旗・国歌の指導を教員に求めることが困難な場合、そういう場合におきましては、校長は、学校運営の責任者として、学習指導要領の趣旨を実現するために、必要に応じ教員に対して職務命令を出すこともありうることでございます。」との発言があるにも関わらず、このことを捨象し、…都教委の学校教育における国旗・国歌の指導が、あたかも、政府見解に反するかのような表現になっていることから、都立高等学校の授業で使用するのは、ふさわしくないとしたのであって、都教委の見解に誤謬性はない。 <考察> 「実教出版教科書選定禁止」都教委見解は、疚しさから生まれた被害妄想的言い掛かり? 都教委の上記文章を分かりやすく書くと、以下のようになるでしょう。 実教出版歴史教科書の脚注は「政府は、この法律によって国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。」の後に「校長は、必要に応じ教員に対して(国旗・国歌への起立斉唱の強制)職務命令を出すこともありうる」という政府委員の発言を記述せず、 「しかし、一部の自治体で公務員に対する(国旗・国歌)強制の動きがある」と記述しているから、「都教委の学校教育における国旗・国歌の指導が、あたかも、(『国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではない』という)政府見解に反するかのような表現になっている。」 だから、「都立高等学校の授業で使用するのは不適切とした、都教委の見解は正しい。」 つまり、「2013・6・27(2014・6・26)見解」に挙げてある「上記教科書の記述のうち、『一部の自治体で公務員への強制の動きがある。』は、『入学式、卒業式等においては、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導することが、学習指導要領に示されており、このことを適正に実施することは、児童・生徒の模範となるべき教員の責務である。』とする都教育委員会の考え方と異なるものである。』という理由は本当の理由ではなかった!? ということです。 本当の理由は、この記述が「都教委の学校教育における国旗・国歌の指導が、あたかも、(『国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではない』という)政府見解に反するかのような表現になっている。」のが気に入らない、というものだったのです。 でも、それならそれで、どうして「実教出版教科書」だけは学校(教員)が選定することを禁止するという2013・6・27(2014・6・26)都教委「見解」に、この本当の理由を正直に書き込まなかったんでしょうか? さアて…??? 皆様は、どう思われますか? 「都教委の学校教育における国旗・国歌の指導」、すなわち、教職員に対して「国旗・国歌への起立・斉唱」を強制するという「動き」が事実として存在することを記述すること、すなわち「一部の自治体で公務員に対する(国旗・国歌)強制の動きがある」と記述することは、都教委の教職員への強制が「あたかも、(『国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではない』という)政府見解に反するかのような表現になっている。」んでしょうか? この教科書は「国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではない」という政府の国会審議における発言(公約)を紹介し、次に「国民」ではなく「公務員」への「強制の動きがある」という客観的事実を記述しています。それを、「あたかも、(都教委の教職員への『国旗・国歌』強制が、『国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではない』という)政府見解に反するかのような表現になっている。」と考えることは、都教委の非常に主観的・恣意的な「考え方」ではありませんか? 「職務命令=処分を振りかざしての強制」という暴力を教職員に振るいまくっている、という都教委の疚しさが、こんな姑息な被害妄想的言い掛かりを生み出し、「何が何でも、都立高校生には、この事実を書いてある教科書は渡してはならんからねッ」!? ということになった原因でしょうか? この教科書の記述は「国民」と「公務員」を区別して客観的な事実を「表現」しています。この客観的記述「表現」から、生徒たちは「国民には強制されないが、公務員(教職員)には強制して良いとする国旗・国歌問題」について、自分なりに考えを深めていけるでしょう。学校教育法は高等学校の教育目標の一つとして「社会について,広く深い理解と健全な批判力を養い」(第五十一条 三)ということを掲げています。 「国旗・国歌」の「公務員」への強制問題という日本「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養」うのに良い機会を、この教科書のこの記述は与えてくれるものですが、都教委は、それがイヤでイヤでしょうないのでしょうか… 教育委員会が、学校(教員)の教科書選定作業の前に、しかも真の理由は公には示さずに「普通は『全国どこの学校でも教科書として適切だから使用して良い』というお墨付きを与えられた文科省検定済教科書だけど、この教科書だけは選んではダメだぞっ」と、あらかじめ排除する、なんてことが、どうして許されるのでしょうか? オマケ! ★現在の東京都教育委員報酬(通常は月2回×2時間程度の会議だけ、欠席でも全額支払) 委員長は月額52万2千円 委員は 月額42万8千円 (都の専用車で送迎、大阪在住の竹花委員には新幹線往復グリーン車代も支払い) 教育長は都の職員なので報酬は出ません。 ・木村 孟(委員長)…元東工大学長 ・比留間英人(教育長)…都の官僚 ・竹花 豊…元警察官僚 ・乙武洋匡…『五体不満足』著者 ・山口 香…柔道指導者・筑波大学体育系准教授 ・遠藤勝裕…元日銀マン・日本学生支援機構理事長 |