「実教出版教科書裁判」佐藤陳述書 6/5 |
皆様 こんにちは。増田です。これはBCCでお知らせしています。重複・長文、ご容赦を! 先日、お知らせしましたが、5月29日、件名裁判の第1回口頭弁論がありました。ご多忙な中をたくさんの方に傍聴いただき、たいへん、ありがとうございました! 当日は共同代表おふたりが意見陳述をしてくださいました。 お二人いっぺんにご紹介すると長くなり過ぎますので、メール数を増やしてしまい、申し訳ありませんが、2回に分けて送信させていただきます。 まず、仙台陸軍幼年学校を出られた佐藤昭夫先生(弁護士 早稲田大学名誉教授 不戦兵士・市民の会理事)のものです。
2014年5月29日 陳 述 書 原告 佐藤 昭夫 都教委による実教出版の日本史教科書排除は、真実を隠し、教育を破壊するもの 「日の丸、君が代」の記述に関し、実教出版の日本史教科書を排除した都教委の行為が、いかに真実の教育を破壊し、危険な結果をもたらすものであるか、私の受けた当時の教育の体験に基づいて、陳述いたします。 1. 私の経歴と受けた教育 (1)私の経歴、その時代 私は1928年生まれで、その後まもなく「満洲事変」(1931年)があり、物心のついた小学生のときには2・26事件(1936年)や日中戦争(1937年・蘆橋溝事件)、中学1年のときアジア・太平洋戦争が起こされるという時代に育ちました。そして、その開戦の翌1942年、13歳で親元を離れ、仙台陸軍幼年学校(陸軍将校の養成機関)に入校、敗戦の45年8月には、陸軍予科士官学校を終え、航空士官学校に進学の直前でした。 (2)当時の教育 当時、教育の基本とされたのは、教育勅語(1890年「教育に関する勅語」)です。そこには、次のように述べられていました。「我が皇祖皇宗国を肇むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。我が臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世々その美を済せるは此れ我が国体の精華にして、教育の淵源亦実に此に存す」と。つまり、日本は神の御裔(みすえ)、現人神(あらひとがみ)である天皇陛下のお治めになる世界で一つのありがたい国である。その天皇陛下に心身を捧げることが、日本人として最も正しい、名誉ある生き方である、といった教えです。そして、それは天照大神の神勅によるとする神話を歴史として教え、それに疑いを持たせるな、という指導要綱があったといいます。 2. その悪影響――侵略戦争への動員 こうした「教育」を子供心に刷り込んだ結果は、どうなったでしょうか。自分で物事を考えることができず、ただただ「お上」のいうことに無条件に従うという習性が作り出されたのです。 それだから、あの戦争についても「自存自衛」の戦いであり、欧米の植民地支配からアジアを解放する「聖戦」だと信じ込まされていました。当時、航空科に進むことは特攻要員として死ぬことだったのに、私らは、それを進んで志願しました。だが、掲げられた戦争目的と、事実は違いました。1943年5月29日大本営政府連絡会議決定・同5月31日御前会議決定の「大東亜政略指導大綱」では、「『マライ』『スマトラ』『ジャワ』『ボルネオ』『セレベス』は帝国領土と決定し重要資源の供給地として極力これが開発並びに民心把握に努む」と定め、おまけに、この項は「当分発表せず」とされていたのです(外務省編纂『日本外交年表並主要文書』下巻、昭和41年<1966)年、原書房584頁)>」。そしてこうした決定をしながら、昭和天皇の終戦の詔勅では、臆面もなく、「他国の主権を排し領土を侵すがごときは固より朕が志にあらず」と述べていました。 要するに、権力は美しい「言葉」で子供を騙し、真実を知らせず、進んで侵略戦争に駆り立てられる人間になる「国策教育」を行なったということです。その結果が、国内外に言い知れぬ犠牲をもたらしたあの戦争の惨禍でした。 3. 真実隠し、教育破壊は許されない (1) 都教委が、問題の教科書を不適切だとするのはなぜか 生徒が、今回「不適切」とされた教科書の記述を見れば、なぜ一部の自治体が「日の丸・君が代」を強制しようとするのか、それに抵抗する教師がいるのはなぜか、「国旗・国歌」とは、どういう意味を持つものか、などなどについて、事実を知り、自分で考えるきっかけとなります。この教科書を適切でないとする都教委は、真実を恐れ、生徒に自ら考えさせる教育を嫌うものといわなければなりません。 (2)侵略戦争に突き進んだ道への回帰 かつて日本政府は、無謀な侵略戦争への異論を封じ、教育を権力的に支配し、国民にその戦争を東洋平和のための「聖戦」だと信じ込ませようとしました。そして、そのシンボルとされたものが「日の丸・君が代」だったのです。 たとえば当時作られ、広く歌われた歌につぎのようなものがあります。 「母の背中に小さい手で 振ったあの日の日の丸の 遠いほのかな思い出が 胸に燃えたつ愛国の 血潮の中にまだ残る」 (『日の丸行進曲』昭和12年、有本憲治作詞、細川武夫作曲)。 「土も草木も火と燃ゆる 果て無き広野踏み分けて 進む日の丸鉄兜 馬のたてがみ (『露営の歌』昭和12年、薮内喜一郎作詞、古関裕而作曲)。 また、戦時中従軍慰安婦(実態は日本軍の性奴隷)とされた韓国女性の、「日の丸が私の人生をめちゃめちゃにした」という 叫びに、耳をふさぐわけにはいきません。 こうした「日の丸・君が代」につき事実を記載した日本史教科書を排除するのは、次の世代の生徒が過去の事実を知り、自ら問題を考える機会を奪うことです。それは、歴史の教訓、犠牲を無にし、かつての「国策教育」を復活させる一歩であり、主権者を育てる教育の破壊です。その反省の上に作られた戦後の日本国憲法に照らし、決して許されることではありません。
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