3/13『サンフランシスコ条約と安保条約』変革のアソシエ・近現代史講座のご案内 3/11 |
皆様 今回もたくさんの資料をもとに考えていきたいと思いますので、ご都合のつく方は、ぜひ、ご参加ください! 東京都中野区中野2−23−1 ニューグリ−ンビル301号 *内容 育鵬社教科書は「1951年9月、サンフランシスコで講和会議が開かれ、わが国は自由主義諸国など48か国とのあいだにサンフランシスコ条約を締結し、翌年4月28日に主権を回復しました。」と、安倍晋三さんが「主権回復の日」を寿ぐ(笑)式典を開くのは当然であるかのような記述をしています。脚注には「沖縄などは引き続きアメリカの施政下に置かれた。」とありますけど、これって、さりげなく、小さな字で書くような内容でしょうか? 「同時に日米安全保障条約が結ばれ、アメリカが日本及び東アジアの平和と安全を保障するとともに、占領終了後も日本国内に米軍基地が置かれることになりました。」とし、両条約に関する記述はこれだけで「以上(終わり)」!? です。 さて、本当にサンフランシスコ条約によって「日本は主権を回復した。」と断言できるのでしょうか? 旧日米安保条約は、本当に「アメリカが日本及び東アジアの平和と安全を保障する」ものだったのでしょうか? 「象徴」となって「国政に関する権能を有しない」はずの昭和天皇は、これに、どのような政治的関与をしていたのでしょうか? また、日本国憲法第九条と「占領終了後も日本国内に米軍基地が置かれること」とは、矛盾しないのでしょうか? 実は、この両条約は、2014年も現在進行形の戦後補償問題や領土問題、日本国憲法第九条問題の起源となったものです。条約原文等、史資料を読みながら、考えていきましょう! |