実教出版教科書、都教委を訴える「原告団結成&応援」集会のご案内 1/30

皆様
 こんにちは。増田です。既報ですけど、明後日となりましたので、再度のご案内と佐藤昭夫共同代表(早稲田大学名誉教授・不戦兵士の会理事)のお話の内容をお知らせします!

 土日は、いろいろな集会が重なっていますが、ご都合のつく方は、どうぞ、ご参加ください。

☆集会名称: 実教出版教科書、都教委を訴える「原告団結成&応援」集会

☆日時  :2月1日(土)14:00〜16:00

☆場所  :中野勤労福祉会館大会議室(中野駅南口徒歩5分、新宿側へ線路沿いサンクスで右へ)

地図は以下
http://www.mmjp.or.jp/rmc-jyosai/map/nakakinro.htm

2/1実教出版教科書、都教委を訴える原告団結成に当たって 1/30

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都教委を訴える原告団結成に当たって(2014.2.1 佐藤昭夫)

          真実を知らせまいとする都教委――戦前の道への回帰

1、 「都教委の見解と違うので」という都教委の見解とは?

2、 私の戦時中の体験

@ 1941年戦争開始の翌年4月、13歳で仙台幼年陸軍学校入校、終戦時は陸軍予科士官学校終了、航空士官学校に進む直前。特攻要員になるのを知りながら航空志願。

Aなぜ、このような心理状態になったか。

 あらひとがみ(現人神)である天皇が徳もって治める国。教育勅語。自存自衛。欧米の植民地支配からアジアを解放。「東洋平和のためならば、何の命が惜しかろう。」(「露営の歌」1937年、薮内喜一郎作詞、小関裕而作曲)。

「大東亜政略指導大綱」(1943年5月)
 1943年5月29日大本営政府連絡会議決定・同5月31日御前会議決定の「大東亜政略指導大綱」では、6.として「(イ)『マライ』『スマトラ』『ジャワ』『ボルネオ』『セレベス』は帝国領土と決定し重要資源の供給地として極力これが開発並びに民心把握に努む」と定め、おまけに、この項は「当分発表せず」とされていたのである(外務省編纂『日本外交年表並主要文書』下巻、昭和41年<1966)年、原書房584頁)>」。

 B真実を知る道を塞がれていた。美しい言葉による「国策」を信じ込まされていた。

 例えば、昭和天皇の弟、三笠宮は、「支那派遣軍」の参謀として中国に行かれたが、「その著書の『帝王の墓と民衆』と『古代オリエント史と私』の二冊の本の中で、自分がなぜ歴史を学ぶことになったかという思い出を書いています。そこでは、中国に行ってみて初めて、いままで聞かされていたことと現実との違いに驚いた。日本軍が聖戦の名のもとにすごい残虐な行為を中国でしている。たとえばある参謀は真面目な顔をして、どうも八路軍の兵士は日本兵と男性としての機能が違うようだと言った。つまり八路軍は強姦しないということです。あるいはある部隊長が自慢げに、自分は後方から見ていても我が部隊がどこに進んでいっているのかすぐわかる。それは火の手が上がるからだ。つまり村を焼きながら進んでいくからだと語った。こうしたことに大きなショックを受けて、戦争に疑問をもった」ことが書かれています(藤原彰『天皇の軍隊と日中戦争』2006年、大月書店、72頁)。

 他方、日本軍の戦没者は約230万人であり、その半数以上は補給を無視した作戦による餓死者だと言われています(藤原彰『餓死した英霊たち』2001年、青木書店、3〜4頁)。また、特攻隊の若者の多くは、その死を愛する家族を守り国難に殉ずる死と無理に意味づけていたと言ってよいだろう。

3 歴史に学ぶとは。

 靖国参拝、戦犯が合祀されているからだけではない。「国のため命を落とした」のではなく、権力によって他国を侵略したあげく、飢え死に。その再現をさせるため、教科書による刷り込み、特定秘密保護法。

 だが、まだ声を挙げられる。連帯して挙げ続けたい。