ある「右翼」青年から FW: 天皇発言とハンギョレ新聞記事 1/7

皆様
 おはようございます。犯罪都教委&1悪都議(2悪はすでに消滅)と断固、闘う増田です! これはBCCでお知らせしています。重複、長文、ご容赦を。

 あるMLで、以下のようなメールをもらいました。このやりとりは、たいへん面白いものでしたので、皆様にもお知らせます。
全部で6回のやりとりですから、メール数を増やして申し訳ありませんが、「在特会」の若者たちも、こういうレベルの精神構造の持ち主ではないか…複雑な事実を自分の頭で考えながら追うのでなく、簡単で分かりやすいウソ物語に飛びついてしまう…と思います。

 文部省教育の成果でしょうか? 


増田さまへ

私も世界平和とくに東アジアの平和を望む者です。
という前提にたって、お正月休みでゆっくりと時間がとれましたので、改めて韓国と日本の近代史について勉強をしています。

その中で文部科学省検定の教科書やマスコミが流布する近代史から受けるイメージと真逆な事実がいくつか浮き彫りになってきたので、少々面食らっております。以下に列挙致しますので、ご意見お聞かせ願えますか?

1.日本と韓国は、何と一度も交戦をしていない!
  → 韓国は、対戦国ではなかったので、サンフランシスコ講和条約での対象国ではなく、従って賠償問題も発生しなかった。

2.朝鮮半島は歴史上1000回以上も中国から侵略を受け、属国化され続けてきた。しかしながら、日清戦争で勝利した日本が、清に属国化されていた朝鮮(韓国含む)を独立させた。

3.日本が三国干渉を押し付けられたのを見た韓国は当初親露侮日外交に終始していた。しかしながら、ロシア軍に京城を制圧され自らこれを排除することが不可能と判断した韓国は、日露戦争で日本が有利になると突然「親日」に豹変し、日韓合邦への道を歩んだ。
  → 日本に軍事的圧力をかけられて強制されたというよりは、多数の民間人からの合邦要望書が日本に届けられ、1910年に英米含む列強10カ国の承認を得て、施行されたもの。

4.日本は、韓国を植民地ではなく、本国と同等の扱いとして、日本の資金を注ぎ込み、本国よりも立派な教育施設(学校、図書館、博物館、美術館、六番目の帝大)を設置し、道路・鉄道網の整備、港湾整備、医療機関の設置、司法制度・官僚制度・警察機関の整備、銀行、農業。工業・商業の振興策を行った。

5.主に、本国の山口県・九州北部の人達が韓国に移住し建国に尽力した。これらの地域は、7世紀の三韓時代に唐の侵略を受け、大量に朝鮮半島から移住者が入植した地域であり、その子孫達が日韓合邦により、韓国の近代化・自立化に尽力したという事になる。

6.日本からの移住者は人口比で20%程度。韓国の議会は中央議会も地方議会も、日本人比率は人口比と同等20%程度であり、80%が朝鮮人であった。また、朝鮮総督府の知事は、満州事変?日中開戦に至る時期には、歴代朝鮮人が努めていた。

7.日中戦争においては、1938年に志願兵制度が導入され応募者が殺到し、沢山の朝鮮人が日本軍として戦闘に参加した。徴兵制は1944年9月にようやく実施されたので、訓練を終えたのが翌年7月。従って、実戦経験のないまま終戦を迎えた。

8.日本がアメリカ合衆国との太平洋戦争に敗戦した後は、南北に分割され、それぞれソ連とアメリカ合衆国の属国となり、米ソ冷戦の代理戦争ともゆうべき、朝鮮戦争によって同朋同士血を流すこととなった。

9.朝鮮戦争は休戦状態のまま、米ソによって放置され、北朝鮮と韓国の軍事的な緊張が解けないまま現在に至る。

10.韓国がアメリカ合衆国より独立を許された後、日本と「日韓基本条約」を締結し、国交が正常化。その際、日本は韓国独立支援の目的で「政府無償贈与」として3億ドル(当時の為替レートで1915億円)を提供。その上、日韓合邦時に韓国国内に投資した資産は国際法上正当に請求できる資産が大半であったがこれを放棄(現在の物価指数で14兆円規模。朝鮮半島は第二次大戦中は戦渦を免れたので、無傷で残存)した。この時両国は、「完全かつ最終的に解決・・・締結国及びその国民に対するすべての請求権・・・いかなる主張もすることができない」と条約で規定(1965年)。

11.この時点で、竹島問題も靖国問題も従軍慰安婦問題も、両国の外交上も国民の意識上も、微塵も話題に上がった事はなかった。

12.日本では、戦後、毎年当たり前のように総理大臣が靖国参拝を行って来た。この事は宗主国であるアメリカ合衆国は勿論の事、韓国も中国も1980年代になるまでは、一切異議申し立てをしてきたことはなかった。

13.1980年代にはいって、韓国が日本の歴史教科書に異議申し立てをしたところ、日本政府がこれに謝罪を行い、それから中国・韓国ともに、日本が戦争の反省が足らないと様々なクレイムをつけてくるようになった。靖国参拝に異議申し立てを中国が始めたのが、1985年。韓国もそれに同調。

14.アメリカ合衆国からも日本国民からも絶大な支持を集めた小泉総理が靖国参拝を行った際、中国はクレイムを出したが、韓国は大使館付武官の柳海軍大佐と徐陸軍大佐が揃って靖国を参拝(2002年)。日韓ワールドカップ共催もあり、両国に和平ムードが急速に高まる。

15.オバマ大統領になってから、アジア外交の優先順位一番国が日本から中国にシフトしたのを見て、中国の反日バッシングに韓国も追随。急速に領土問題と従軍慰安婦問題をクローズアップし、アメリカ合衆国での反日ロビー活動に全力を上げる。

というものです。

どこの国の政府も、自らの失態や不人気を隠蔽する為に、他国をバッシングし、国民の目をそむけるというのが、常套手段です。
(1985年頃は、アメリカ合衆国が大不況で、日本が世界一の経済大国になるのではないかと盛んに持ち上げられ、ジャパンバッシング
が起きていた頃です。日米財政赤字解消という名目でプラザ合意が強行され、1ドル235円→150円に一年で切り上げられ、シカゴで日本株式の先物市場が操作されてバブル経済へと突入していきました。)

私は、日本国において戦没者をどのように祀るべきなのか、戦争犯罪人とは何なのか?、東京裁判とはどのようなものだったのか?など、事実をひとつひとつ検証した上で、主権者たる日本国民が自ら考え意見を交わしていく事が、まずやるべき事なのではないかと思います。

他国の意見に耳を傾ける事も必要ではありますが、そこには当然ながら少なからず、政治外交上の意図が含まれるので、これらを咀嚼出来るだけの見識を持って聞くことが出来るレベルに日本国民がなっていなければならないと思うのです。

自律した国民による民主的な国家を建国する事なしには、軍事大国が牛耳って来た国際社会において、恒久平和をリードする存在にはなり得ません。

どうか宜しくご教授いただければと思います。


On 2014/01/02, at 20:21, masuda miyako wrote:

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皆様
 こんばんは。増田です。これはBCCでお送りしています。重複・長文、ご容赦を!

 新しい年を迎えましたが、今年も、安倍晋三首相の「右翼の 右翼による 右翼のための政治」が続くかと思うと、希望が湧いてくる時があるだろうかと心配です。

 さて、以下に、去年12月23日の天皇記者会見(の一部)と韓国ハンギョレ新聞日本語版の社説「やはり安倍総理は北東アジア不安の‘禍根’だ」をご紹介します。

 私は明仁天皇の「12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。」という「お言葉」に、かなり違和感を覚えていました。

 そりゃ、庶民にとっては「戦争が始まりました。」以外の何者でもなかったでしょう。でも、明仁天皇の父「昭和天皇が戦争を始めさせました。」という歴史事実について、明仁天皇が無知であるわけはないと思うのです。なぜ、そこから「始ま」らないのでしょう?

 そして「この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。」って?

 戦争は自然現象ではないのです。地震などの自然現象によって「若くして命を失った」のではありません。「310万人の犠牲者」は明仁天皇の父である昭和天皇の「戦争をせよ」(正確には「億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ」)という命令によって戦争するしかなかったのです。その結果「前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失」わされた、のが歴史事実でした。

 ハンギョレ社説は言います。「安倍総理は参拝後、報道陣に『日本のために貴重な生命を犠牲にした英霊に尊崇を表示した。中国や韓国の人々の気持ちを傷つける気持ちは毛頭ない』と話した。日本のために生命を犠牲にした人々が、我々にとっては生命を奪って苦痛を与えた侵略者という事実を努めて無視する‘我田引水'式の歴史認識の極限状態だ。」

 明仁天皇には自国民しか見えないのでしょうか? 侵略戦争の反省に立って作られたはずの日本国憲法の大切さを知るならば、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である人は、隣国の「日本のために生命を犠牲にした人々が、我々にとっては生命を奪って苦痛を与えた侵略者という事実を努めて無視」してはならないのではないでしょうか?

 310万人のうち、70万人は直接「侵略」に参加したのではない非戦闘員ですけど、昭和天皇の「征戦」命令=「侵略戦争」命令の結果の「犠牲者」でした。

 21世紀になっても隣国の人たちの意見に耳を傾けることがなければ、日本は「北東アジア不安の‘禍根’」になるだけでなく世界の「禍根」になるのではないでしょうか?(今現在もフクイチで世界中に迷惑をかけ続けているのですけど…)

 新年そうそう、愚痴っぽくなりましたが・・・いえ、愚痴そのものですけど(笑)…でも、今まで同様、今年も自分にできる限りの努力は続けていこう! と我と我が身に言い聞かせています。

 今年も、どうぞ、よろしく!


<明仁天皇記者会見>2013.12.23
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131223/imp13122310000005-n2.htm

 −−80年を振り返って特に印象に残っている出来事や、傘寿を迎えられたご感想、これからの人生をどのように歩もうとされているのかお聞かせ下さい

 「80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。

 戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人との絆(きずな)を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています。」(後略)



【ハンギョレ 2013.12.27】
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/16353.html

[社説] やはり安倍総理は北東アジア不安の‘禍根’だ
 安倍晋三日本総理が26日、日帝侵略戦争の象徴である靖国神社を電撃的に参拝した。日本の現職総理がヤスクニを参拝したのは2006年小泉純一郎総理以後7年ぶりだ。それほど珍しい‘事件’である。過去の植民地支配と侵略戦争を美化する行為として、我が国と中国が強く反発したために、小泉総理以後の歴代総理は参拝しなかった。このような点で今回の安倍総理の参拝は、隣国との間に壁を作るという挑発として受けとめざるをえない。当然、韓-日、中-日関係を含む北東アジア情勢に悪影響を及ぼすことは明らかだ。

 安倍総理は参拝後、報道陣に「日本のために貴重な生命を犠牲にした英霊に尊崇を表示した。中国や韓国の人々の気持ちを傷つける気持ちは毛頭ない」と話した。日本のために生命を犠牲にした人々が、我々にとっては生命を奪って苦痛を与えた侵略者という事実を努めて無視する‘我田引水'式の歴史認識の極限状態だ。彼はまた、韓国、中国の首脳に 「直接説明する機会があればありがたい」とも話した。頬をたたいておきながら、会ってその理由を説明するという次第で、人を怒らせようとする言動以外に解釈するすべがない。

 安倍総理の靖国参拝がいかに国際的支持を受けられないかは、日本の集団的自衛権を容認した10月初めの米-日安全保障協議委員会に参加するために訪日した米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官が取った行動からもよく分かる。彼らは当時ヤスクニでなく無名勇士の墓である千鳥ケ淵戦没者墓苑を参拝した。ヤスクニを米国のアーリントン墓地に比喩した安倍総理に対し、恣意的解釈を止めて歴史を直視しろとのメッセージを伝えようとしたものだった。

 安倍総理の参拝は直ちに北東アジアの平和に濃い暗雲を漂わせた。我が国は政府スポークスマンであるユ・ジンリョン文化体育観光部長官名の声明を通じて 「慨嘆と怒りを禁じえない」 と強く批判した。発言者の役職や内容の強度からみて、韓-日首脳会談は安倍総理が反省して改善したとしても、新しい総理の登場なしには不可能に見える。中国も "歴史の正義と人類の良識に公然と挑戦する行為であり強い憤りを表す" と糾弾した。

 安倍総理の靖国参拝は、北韓内部の急激な権力変動、中-日領土紛争、韓-日歴史問題などで不安定な東北アジア情勢に不安定要素を一つを加えるものだ。彼が口を開けば言う‘積極的平和主義’が、実は‘積極的略奪主義’であることも今回明確になった。