都教委よ、「関東大震災時の朝鮮人虐殺」は、何を誤解させる、というのか? 1/21

皆様
 おはようございます。犯罪都教委&1・5悪都議と、断固、闘う増田です! これはBCCでお送りしています。重複・超長文!? ご容赦を!

 21日(月)は中野アソシエ近現代史講座の日でしたが、早朝、島根の実家の父が急死したため急きょ中止とし、ご迷惑をおかけしました。19日に帰宅したばかりでしたので、喪服を取りに帰ったようなものでした。

 でも、91歳で、大嫌いだった病院にも行かず、慣れ親しんだ自宅の畳の上で、寝ているうちに、御坊様によれば「お浄土に往生された」ようですので、これで良かったのかなと思います。私にできる限りの面倒は見ましたので悔いはありません・・・と書きつつ「もっと優しくしてやればよかったかな」という思いもチラッと心をよぎりますけど・・・

 さて、初七日を終えて帰宅しますと、都教委に所属する「全体の奉仕者」のはずの公務員たちの底なし沼の劣化を証明する報道があり、月末恒例「都教委糾弾」ビラまきの材料には事欠かずに済んだことが、何とも残念です。

 31日(木)、都庁第二庁舎前で8:00〜9:00、以下の内容で件名ビラまきを行います。厳寒のみぎり、恐縮ですが、ご協力いただける方はご参加ください!



<都教委よ、「関東大震災時の朝鮮人虐殺」は、何を誤解させる、というのか?>

★都教委は、判断力も道徳心もコンプライアンス精神も、欠落していないか?

 新聞報道によれば、都教委は、問題の多い現行副読本(当組合ビラで、マッカーサー証言の誤用など、何度も指摘)「江戸から東京へ」を、さらに改悪するそうです。

 「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」に関する記述を、2012年度版「数多くの朝鮮人が虐殺された」から、13年度版は「『朝鮮人の尊い命が奪われました』と記されている」に。
  

「都教委高等学校教育指導課が、副読本の『誤解を招く表現』を再検討。朝鮮人虐殺の記述変更について、担当者は『いろいろな説があり、殺害方法がすべて虐殺と我々には判断できない。(虐殺の)言葉から残虐なイメージも喚起する』としている。副読本を監修した専門家には相談しなかったという。」(朝日 1月25日付)

 「都教委高等学校教育指導課の担当者」には、判断力・道徳心が欠落していませんか? 「我々には判断できない」のであれば、まず、「副読本を監修した専門家に」「相談し」たらどうでしょう? 『朝鮮人の尊い命』を奪った、虐殺ではない「殺害方法」とは何でしょう? 朝鮮人であることを理由に、罪のない老若男女無差別に殺すことを「虐殺」と表現すると、どう「誤解を招く」というのでしょう?

 埼玉県本庄警察署の巡査だった新井さんの証言を聞きましょう!(「日朝協会埼玉連合会『埼玉県内における関東大震災朝鮮人虐殺事件資料』1963年」)

「惨劇の模様はとても口では云いあらわせない。日本人の残虐さを思い知らされたような気がした。子供も沢山いたが、子供達は並べられ、親の見ている前で首をはねられ、その後、親達をはりつけにしていた。生きている朝鮮人の腕をのこぎりでひいている奴もいた。それも途中までやっちゃあ、今度は他の朝鮮人をやるという状態で、その残酷さは見るに耐えなかった。」(この証言は長いのですが、字数の関係でごく少々の紹介です)



 都教委は、当組合の増田都子委員長の個人情報を右翼都議に漏えいして「違法行為」と裁判所に断罪されながら・・・他にも「日の丸・君が代」処分等で数々の違法行為が確定)・・・なお、一切の謝罪を拒否するなど、コンプライアンス精神も欠落しています。

☆都教委は、「歴史偽造」扶桑社教科書批判を教えたことを「公務員不適格」とする、増田都子教諭(当時・千代田区立九段中教諭)に対する不当免職を撤回せよ!

  「公務員不適格」は判断力・道徳心・コンプライアンス精神の欠落した都教委の方だ!?



都教委の「修正」と称する「改悪」詳細は以下にあります。

「教科書『江戸から東京へ』の内容の一部修正について  平成25年1月24日  教育庁」
 
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2013/01/20n1o400.htm
PDFデータ
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2013/01/DATA/20n1o400.pdf

なお、都教委が「朝鮮人が尊い生命を奪われました。」という部分だけを抽出した、この碑の全文は以下です。

「1923年9月発生した関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました。

 私たちは、震災50周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。

 この事件の真実を識ることは不幸な歴史をくりかえさず、民族差別を無くし、人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。
思想、信条の相違を越えて、この碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。
                                                    1973年9月

関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」 

せめて、「あやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました。」と記載すべきでしょう。