韓国内外の従軍慰安婦の碑とソウル郊外の独立記念館 9/4

○○様
 こんにちは。増田です。ご無沙汰しています。2010年3月23日の我孫子市議会における「日本軍慰安婦問題に関する意見書』採択に当りましては、御協力ありがとうございました!

ただ、今回の御投稿は、いただけない点が多々ありますので、以下、指摘させていただきます。

ソウルの日本大使館前に反日団体によって「従軍慰安婦の碑」が建立され、抗議行動が激化の事態だが、碑の建立はソウルだけではなかった。アメリカでも同様の碑を建てていたとジャーナリストの水間政憲氏が報告があるのです。

 あのぉ〜・・・○○さんは、今、これに気がつかれて驚かれたようですけど、産経新聞では、もう、5月から、何回も何回も執拗に(笑)報道しておりますよ。5月15日の産経WEBによりますと、「『全米22カ所に慰安婦の碑』 米市議会議長が自民議員に宣言」という状況のようです。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120515/plc12051522070020-n1.htm

5月12日「米の慰安婦碑 政府も公式に撤去求めよ」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120512/plc12051203220007-n1.htm

5月11日「日本軍20万人拉致」慰安婦の碑建立 韓国系5割超の米自治体
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120511/amr12051108550002-n1.htm

韓国系が数の論理でごり押し 米の慰安婦の碑 根拠乏しい「20万人拉致」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120511/amr12051111250007-n1.htm

慰安婦問題は韓国にとって最大の反日テーマとなっており、彼女たちは独立のシンボル的扱いになっているといえます。もちろん、その以前から、反日運動の中核的な場所が、ソウル郊外・安南(独立運動に立ち上がって獄死した少女の出身地)にある独立記念館であり、日本の植民地支配の時代について展示している博物館として、ソウル周辺の学校の生徒たちが必須科目として見学授業に行く場所です。

 
 上記文言は「水間政憲氏が報告」されたものではなく、○○さん自身の文章ですよね? そこで、ぜひ、明確にしていただきたいのは、「反日」という言葉の定義です。

「反日」とか「反日団体」とか「反日運動」とか、全く何の批判的視点もなく使用されているようですけど・・・ま、産経新聞はそうです・・・日本政府のやり方を批判すると「反日」ですか?

 となると、「反原発」運動をする人々は、日本人でも「反日運動」をしていることになりますね? また、海津さんの「反日」の用法でいきますと、私のように「『従軍慰安婦』と呼ばれる日本軍性奴隷被害者に、日本政府はきちんと法的賠償をすべきだ」と主張する日本人は「反日」日本人ということになるんでしょうね?

Wikiによると・・・
日本ではこの問題の報道を『朝日新聞』が主導した。吉田の証言を紹介し、韓国の元慰安婦が名乗り出たこと、慰安所に対する旧日本軍の関与を示す資料が見つかったことなどと大々的に報じた。それらの報道は韓国でも伝えられ、反日感情が高まり、慰安婦問題は日韓の政治問題となっていった。

 この記述は、「時系列=歴史を考える場合の絶対的要件」・・・が滅茶苦茶です。

 ウヨクさんのブログで見ますとhttp://hazama.iza.ne.jp/blog/entry/1960559/
朝日が吉田証言を紹介したのは1983年と91年10月10日のようです。

金学順さんがソウルで名乗り出られたのは91年8月 14 日で、名乗り出の方が早いです。

 また、「慰安所に対する旧日本軍の関与を示す資料が見つかった」というのは、吉見義明先生が、防衛庁防衛図書館で日本政府が隠蔽していた日本軍による慰安所設置の史料を見つけたことの報道で92年1月11日です。

 いいですか? 朝日新聞の「それらの報道は韓国でも伝えられ、反日感情が高まり、慰安婦問題は日韓の政治問題となっていった。」というのは、真っ赤なウソです。国民基金HPにかなりの原史料=基礎資料があり、ぜひ、ご覧になるようにお勧めします。さしあたり、必要部分を添付します。

 最低限の史実をここで挙げますと
<1987年の民主化のあと・・・尹貞玉(ユン・ジョンオク)氏の取材記がハンギョレ新聞に発表されたのは、90年1月のことです。日韓の歴史問題、謝罪問題が注目を集めるようになった中で、この問題が浮上しました。

 「慰安婦」問題が一挙に韓国の国民の心を捉えるようになるきっかけは、この年6月6日に参議院予算委員会でなされた次のような日本政府委員の答弁でした。

 従軍慰安婦なるものについて、古い人の話等も総合して聞きますと、やはり民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いているとか、そういうふうな状況のようでございまして、こうした実態について私どもとして調査して結果を出すことは、率直に申しましてできかねると思っております。

 この答弁に対して、韓国では、軍と国家の関与を否定し、調査の可能性を否定したものとして、強い批判が起こりました。90年10月17日韓国の女性団体37団体が挺身隊研究会とともに声明を発表し、日本政府委員の答弁を批判し、「慰安婦」は強制的に連行された存在であることを認めるようにとの要求からはじまる6項目の「要求」を日本政府につきつけたのです。公式謝罪、真相の究明と発表、犠牲者のための慰霊碑の建設、生存者遺族への補償、歴史教育での取り上げが具体的な要求でした。これが年末に日本に伝わり、国会でも再質問がされました。

 決定的であったのは91年夏、犠牲者の一人、金学順さんがソウルで名乗り出て、日本の責任を告発するにいたったことです。金さんは、この年12月の太平洋戦争被害者の補償要求訴訟に、ただひとり実名を名乗って原告となりました。

 衝撃を受けた日本では、女性たちを中心に運動が急速に広まりました。1992年1月11日吉見義明中央大学教授が北支那派遣軍参謀長岡部直三郎の通牒などを、軍の関与を証明する資料として発表しました。これが強い印象を与えました。」

 「これが強い印象を与えました」なんて、いい加減なことを国民基金は書いていますが、実際は、「やはり民間の業者が」やったことだ、という政府答弁が真っ赤ウソだとばれてしまったわけです。
 
 要するに○○さんはWikiを鵜呑みにしてらっしゃるようですが、別に朝日報道の「吉田証言」によって「従軍慰安婦」問題が浮上したわけでは全くないのです。女性である○○さんにはよく御理解いただけるものと思いますが、性暴力被害者はその事実を明らかにするには、本当に長い歳月と決意が必要になります。一度のレイプでさえそうなのに、まして、性奴隷としての屈辱は・・・

 金学順さんが性奴隷被害者となってから、その事実を名乗り出るには50年近い「時」が必要であり・・・それは韓国の人々の、命をかけた「民主化」がなされなければならない歳月でもありました・・・また、日本政府の責任逃れに「このままでは死ぬに死ねない」という思いと「挺身隊対策協議会」の女性たちの支援が、彼女に勇気を奮い起させたのです。

 また、現在、吉田証言については、全く取り上げる研究者はいません。国連クマラスワミ報告は吉田さんのことも取り上げているようですけど、それは、全くの「九牛の一毛」で、吉田部分をカットしたところで、その他の事実証拠によって、この報告は成り立つのです。国民基金のサイトに全文がありますので、51ページありますけど、お時間のある時にお読みください。
http://www.awf.or.jp/pdf/0031.pdf

日本政府は1992年1月以降、過去の公文書を徹底的に調査したが、女子挺身隊制度と慰安婦は全く別物であり、慰安婦を権力によって連行したことを示す文書は1つも出てこなかった。以上のように、第1次論争で実は事実関係については決着がついていた。 ※SAPIO2012年8月22・29日号

「慰安婦を権力によって連行したことを示す文書は1つも出てこなかった」という、このSAPIOの記述が、ウヨクさんたちの目玉商品(笑)ですけども、そんな証拠を残さないように、日本政府は証拠隠滅の償却を敗戦後1週間近くもやっていたのです・・・でも、幸いといいますか、天網恢恢・・・といいますか、隠滅されず隠蔽されていた(笑)原史料を真面目な研究者たちはたくさん、探し出したのです。それは、添付の国民基金の原史料を見ても一目瞭然です。

 
 ここでは、国立公文書館 アジア歴史資料センターのものを一つだけ挙げておきます。
http://www.jacar.go.jp/
レファレンスコード C01000379100
「南方派遣渡航者に関する件」  昭和17年3月〜昭和17年6月

「台電 第九三五號
本年三月台電第六〇二號 申請 陸亜密電 第一八八號認可ニ依ル「ボルネオ」ニ派遣セル特種慰安婦五十名ニ関スル現地著後ノ實況 人員不足シ稼業ニ堪エザル者等ヲ生スル爲 尚二十名増加ノ要アリトシ 左記引率岡部隊發給ノ呼寄認可證ヲ携行歸台セリ 事實止ムヲ得ザルモノト認メラルルニ付 慰安婦二十名増派 諒承相成度」

 
 これは、ボルネオに50人の「特種慰安婦」を送ったが足りないから、あと20人送れと、陸軍が秘密電報を送ったものです。露骨な「慰安婦を権力によって連行したことを示す文書は1つも出てこなかった」かもしれませんが、「慰安婦を権力によって連行したことを示す文書」はたくさんあるのですよ・・・掃いて捨てるぐらい。

 「50名」も「20名」も軍隊の指示により集められ・・・集めたのは民間の業者が多かったようですけど、主犯と従犯の関係であって、日本軍性奴隷制度のシステムがそうなっていたのですから・・・「岡部隊發給ノ呼寄認可證」=「権力によって連行」され、性奴隷の辱めを日々、受けなければならなかったのです。

 私が添付しました国民基金の原史料は、ほんのほんの一部です。○○さん、ぜひ、その他の者も目を通してください。

 また、添付松原勝さん(我孫子にお住まいですから、いつでもお話を伺えますよ!)の軍属としての「慰安婦所は海軍直営だった」その他証言は、「慰安所出入許可証」というまぎれもない物的証拠があり、彼は、これを本年5月5日に開館しました「女性と人権博物館」に寄付され、展示されているとのことです・・・私はまだ、行って、その展示を見てはいませんけど・・・

 ○○さん、従軍慰安婦問題=日本軍性奴隷問題は「戦争と女性への暴力」という人権問題であり、現在も世界各地でこの人権侵害は横行しているのです。Wikiのバカげた記述を本気にすべきではありません。

 最後に「Wikipediaが、歴史的な正当性がある説というのではないが、まず概要把握の参考の一つに、世界中の人々が参考にしているのは間違いないです。」というのは、間違いです。英語がお得意の○○さんですから、英語版Wikiの「comfort woman」・・・たぶん(笑)・・・をご覧ください。○○さんが御紹介されたような出鱈目な日本版Wikiを「世界中の人々が参考にしてい」なくて幸いです。

 あと、もう一つ、蛇足ですけど、産経WEB記事を、どうぞ、御参考に!

「慰安婦」と「性的奴隷」の使用を継続 米国務省

2012.8.17 14:57 [米国]

 【ワシントン=犬塚陽介】米国務省のヌランド報道官は16日の記者会見で、いわゆる「慰安婦」の呼び方について、国務省は「慰安婦」や「性的奴隷」などの言葉を「互換が可能な用語として使っており、(今後も)継続していく」と述べた。

 国務省は2007年に公表した国別の人権報告書で「慰安婦」と「強制された性奴隷」の文言を併記したことがあり、状況に応じて用語を使い分ける方針を改めて確認した。「慰安婦」の用語をめぐっては、韓国の一部メディアが、より実態を反映する「強制された性奴隷」を使うようクリントン国務長官が国務省高官に指示したなどと報じていた。

 ヌランド報道官は日韓などの関係国に対し、国務省が複数の呼び方を使っていることを明確にしており、「特段のミステリーは存在しない」と語った。
 外交筋によると、米政府は状況に応じて「慰安婦」に関する用語を使い分けており、統一された呼び方は確認されていないという。

 ただ、ヌランド報道官はクリントン長官が米韓外相会談の席で「性的奴隷」の言葉を使っているかとの質問には、非公開の場での発言には「言及しない」として確認を避けた。
 玄葉光一郎外相は7月10日の参院予算委員会で、クリントン長官が「性的奴隷」と表現するよう指示したとの報道が事実なら「最も効果的な方法で『違いますよ』と申し上げる」と述べていた。


 アメリカ政府は「慰安婦」や「性的奴隷」などの言葉を「互換が可能な用語として使っており、(今後も)継続していく」と述べたのです。つまりアメリカ政府は、日本軍「慰安」婦を、人権侵害の極致とも言うべき「性的奴隷」と認識している、ということです。そして、この認識は「日本政府は法的賠償をすべきだ」という決議を挙げたヨーロッパ諸国の共通認識=国際社会における共通認識です。

 日本版Wikiを鵜呑みにしますと、世界の笑者になるのではないでしょうか?