日本の固有領土はどこ? 8/24

半月城様
 こんにちは。増田都子です。半月城さんのご投稿を無断でしたが・・・事後快諾(笑)してくださると信じて、私の属する他のMLに転送させていただきました。以下の文章を添えて。



皆様
 こんばんは。増田です。半月城さんの、たいへん、有意義な論考を転送します。日本政府は国民を騙しているのですけど、証拠は歴然です。特に(注4)にあります大坂町奉行所作成と思われる地図、幕府評定所あるいは傘下機関の作成地図は決定的でしょう。

 だから、明治政府は1977(M10)年3月29日には、「1877(明治10)年  磯竹島(鬱陵島)&竹島(当時・松島)、島根県作成地図」
https://skydrive.live.com/view.aspx?Bsrc=SkyMail&Bpub=SDX.SkyDrive&sc=Documents&resid=130ED3247397F0DD!176&cid=130ed3247397f0dd
を確認のうえ、「竹島(※鬱陵島)外一島(※竹島)本邦関係これなし」(太政官)と決定し、島根県には4月9日に伝達されたわけです。(※当時の名前)

 この「不都合な真実」を日本政府(島根県)は、当たり前と言えば言えますが、絶対に国民に知らせようとはしません。そして、ほとんどの国民は、あの第二次大戦中のウソばっかりの大本営発表を信じ込んでいた日本国民のように、「竹島は日本固有の領土なのに、韓国はけしからん」と憤っているわけです。これは尖閣にも言えることで・・・なんとも、情けない日本社会の現実・・・



Subject: [CML 019434] 日本の固有領土はどこ?

 半月城です。
 にわかに領土問題が騒がしくなりましたが、日本も韓国も「固有領土」というあいまいな用語を乱用し、いたずらに自国民の民族感情を刺激して領土問題を硬直化させているようです。

 外務省は竹島=独島を日本の固有領土と主張していますが、かつて島根県竹島問題研究会では竹島=独島を日本の固有領土とはいわなかったし、島根県のパンフレット『フォトしまね』161号「特集竹島」(2006年)も同様でした。

 その理由を同会の下條正男座長は「今日の竹島は(日露戦争以前は、筆者注)「無主の地」となっていたのである。従って、島根県の中間報告(2006年、筆者注)では「固有の領土」論を採っていない(注1)」と記しました。ただし、下條正男座長は、最近では変説してこう記しました。

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 竹島を固有の領土と言えるのは日本のみである。「固有の領土」は北方領土のように、これまでどこの国にも統治されたことのない領土を指し、「無主の地」であった竹島は、少なくとも1905年から戦前まで日本が実効支配をしていた実態がある。日本政府は、竹島を「日本の固有の領土」といえるが、日本の領土を侵略した韓国側には、独島を「固有の領土」とする資格はないのである(注2)。
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 下條座長の論法でいけば、韓国は戦前まで全領土が日本に支配されたので韓国には固有領土がまったくないということになります。これは韓国どころか多くのアジア諸国も同様です。あまりにも偏狭的な固有領土の定義で話になりません。

 ところが、島根県は下條座長の変説にしたがったのか、最近のパンフレットでは「竹島は、歴史的事実に照らしても、国際法上も明らかに我が国固有領土です」と主張するようになりました。そもそも、固有領土とは一体何でしょうか?

 固有領土の定義ですが、仮に固有領土を遠い昔からの自国の領土と定義すると、日本では時代によって固有領土の範囲が異なるという不都合が生じます。具体的にいうと、現在の外務省が考える固有領土と、明治時代のそれとが基本的に食い違っています。明治時代について山辺健太郎は次のように記しました。
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 私はこの『固有の領土』ということをしらべているうちに、伊藤巳代治文書のあることを発見した。これは『帝国憲法』制定のときに、憲法の施行される法域について調べたもので、この中に固有の領土の定義があった。

 これによると、帝国の『固有領土』は神話にあるとおり、本州、九州、四国、淡路島である、と明白に書いてある。私はこのことを日本史家に話したところ、「それこそ明白な定義だ」といっていた。これをみても、竹島『固有領土』説の根拠のないことがわかるだろう(注3)。
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 伊藤己代治は1882(明治15)年に欧州憲法調査に随行し、帰国後は伊藤博文の秘書官として井上毅・金子堅太郎と共に大日本帝国憲法起草に参画した人物です。ところで、ここでいう伊藤己代治文書とは具体的に何を指すのか、もしおわかりの方がおられたら教えてください。

 さて、伊藤は真剣に固有領土の定義を考えたようですが、彼が根拠にした神話とは『古事記』をさします。それによると、国生みの神であるイザナキとイザナミが天の御柱をまわってから合体して生んだ子が、淡路島、伊予(四国)、隠岐、筑紫島(九州)、壱岐、対馬、佐渡島、秋津島(本州)であり、天皇が統治した領域とされます。これらは総称して大八洲(おおやしま)と呼ばれますが、これが明治時代に多くの人が納得する日本の固有領土でした。

 そこには南千島・歯舞諸島はおろか、北海道すら含まれません。こうした神話と歴史が渾然一体となった皇国史観は少なくとも終戦時まで続いたので、その時点まで大八洲が日本の固有領土として受容されたと見られます。それが戦後になって固有領土の範囲を広げたのでは、またくのご都合主義といえます。

 ちなみに、北方の歯舞諸島を日本の固有領土として衆議院が「歯舞諸島返還懇請に関する決議」を可決したのが1951年3月31日でしたが、その決議に南千島は入っていませんでした。こうした認識が吉田茂首相の同年のサンフランシスコ条約受諾演説に取り入れられ、その後の日本を制約することになりました。

 一方、日本政府が竹島=独島を日本の固有領土といいだしたのは、1956年12月3日に重光葵外相が衆議院にて「竹島が日本の固有の領土であるということは、これはもう歴史上明らかなこと」と発言したのが最初のようです。

 これ以前に竹島=独島を国会で日本固有の領土と主張した国会議員はいなかったし、新聞記事もなかったようです。日本で竹島=独島の固有領土説は1956年に作られ、その後次第に浸透し、ここ数年で加速度的に勢いを増したようです。

 現在、外務省は竹島=独島が日本の固有領土である根拠として「日本は、鬱陵島に渡る船がかり及び漁採地として竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました」、「日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁止しませんでした」とパンフレット『竹島を理解するための十のポイント』に記しました。

 ところが最近の研究によれば、実は江戸時代に幕府は欝陵島と竹島=独島が朝鮮領であることを示す絵図「竹島方角図」などを天保竹島一件の時に作成していました(注4)。したがって、「17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました」などいう外務省の主張が成り立たないことは明白であり、固有領土の主張は根拠がなくなります。日本政府や島根県は「固有領土」なる用語を再検討し、江戸時代の歴史をきちんと検証すべきではないでしょうか。

(注1)下條正男「竹島問題の本質がわかっていない日本政府」『正論』2006.7、pp.276-7。

(注2)下條正男「実事求是 第22回」『竹島問題に関する調査研究報告書 平成21年度』2011、pp.42-43)

(注3)山辺健太郎「竹島問題の歴史的考察」『コリア評論』7巻2号、1965、p.4。リンクは下記です。
http://www.kr-jp.net/ronbun/msc_ron/yamabe1965.pdf

(注4)朴炳渉「江戸時代の竹島=独島での漁業と領有権問題」『北東アジア文化研究』35号、2012、pp.27-30。リンクは下記です。
http://www.kr-jp.net/ronbun/park/park-1203.pdf

(半月城通信) http://www.han.org/a/half-moon/