4/29船橋「.「河村、石原暴言について考える」つどい 4/27 |
皆様 4月19日の山田昭次先生講演会については、「遠くて行けないけれど、山田先生のお話の内容を知りたく、レジュメをいただけませんか」という声がいくつか寄せられました。本当に、山田先生の講演は、当日の参加者だけで独り占め!? するのは、もったいない内容でした。 そこで、山田先生にお願いしましたら、快諾され、直ぐフロッピー・・・先生はまだフロッピーデスクをご使用なので・・・を送ってくださいました。ところが、私がフロッピーデスクを入れる器具(笑)、何ていうんでしたっけ?・・・の捜索に手間取り、なにしろ、ここ数年使用していなかったので・・・やっと発見し、開くことができました。 以下の山田先生の所沢商業学校の2年生の時の御体験は、本当に「中国人には何をしたってかまわないのだ」という差別と偏見が、深く日本人・・・将校だけではなかったでしょう・・・の精神に巣くっていたことを実感させるものでした。 「1943年、私が埼玉県入間郡所沢町立所沢商業学校の2年生の時の軍事教練の際のことである。陸軍少尉だった軍事教練の教師は『支那事変では毒ガスを使っておる。しかし奴等には使ってかまわないのだ』と、私たち生徒たちの前で平然と言った。この言葉に示されているように、陸軍将校の彼には罪の意識は全くなかった。」 全文をこれに添付します。どうぞ、お時間のある時に開いてお読みください! 追伸 「共和国の『ミサイル』騒ぎに、私は、この雰囲気はアボジが渡日した翌年に起きた関東大震災・朝鮮人大虐殺当時の雰囲気ではないか、と連想しました。その時、助かったのは同郷4人のうちアボジだけです。その時の親切な日本人の親方に床下に一月程隠れさせてもらい、その後一年程、オシに成り済ましたそうです。しゃべると朝鮮人だと分かるから。 話す訛りで命に関わるので、この経験は、彼の人生観に決定的影響を与えたんです。徹底的日本人化をはかりました。両親とも無学文盲なので歴史の真実に触れることができず、親とは渡日後、ただ一度故郷にいって会ってきただけです。 私は、ちょっと前に生活の足しにとシルバーセンターに登録しました。その時に給料振込のため信金に口座を作らなくちゃならなくて、運転免許、通称名も記入したので、当然十分でしょう。それなのに、奥に事務員が行き外国人登録も見せるよう要求されました。『あんたら公安警察なのか』と怒鳴ってしまいました。今現在の話です。」 |