映画「私を生きる」私見 その3 ―神戸の岡林さんの感想に対し― 4/12

皆様

こんばんは。増田です。これはBCCでお知らせしています。重複・長文、ご容赦を。

田畑さんから転載許可を得ましたので、以下、彼女の意見を紹介します。

 「市民社会フォーラム」の岡林さん、田畑さんはあなたの返信を待っているそうです。



増田様 田畑です。
 増田さんの件名の映画についての意見を読み、私も岡林さんの感想について、少し意見を述べてみたくなりました。


 題名 【土井敏邦監督 映画「私を生きる」私見 その3 ―神戸の岡林さんの感想に対し―】

「ドキュメンタリー」と称する映画『"私"を生きる』(監督・撮影・編集/土井敏邦)の神戸シネマカフェチェリー上映後の岡林さんの感想が「市民フォーラム」に掲載されたので、それについて述べたいと思います。

 掲載された岡林さんの感想は以下の通りです。
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「MLでは、『“私”を生きる』と土肥信雄さんについて、いろいろと意見がありましたが、私も直接ご本人と忌憚ない意見交換をして、ネット上やこの映画だけでは分からなかった、教育現場での言論の自由を守るためにたたかっている真摯な思いを受け止めることができました。/私の印象では、映画で描かれた土肥さん以上に、校長として君が代斉唱不起立をした教師2人を報告せざるをえなかった葛藤が、今日の交流会で伝わりました。」

「土肥さんは卒業式の前に、組合と話し合いして、不起立を決意している教員のリストを知らせてもらって、その人たちは処分されないように式外の要員にまわすことを合意していたとのこと。でも、不起立をした一人は組合との話し合いの情報を知らず、組合が把握していなかった。もう一人は、担任として式に出て不起立することはわかっていたが、通報もなく、、報告しなくて済む。でも本人が認めているならば、法令順守して報告せざるを得ない。(起立したと言ってもらったよかったのかつ本人も不起立を否認したら、土肥さんは都教委に報告するつもりはなかったと。結局、不起立の報告があった。でも、本人が否認してもらえればにと)/本当に葛藤があったことを強調されていました。/都教委に報告する前にも、処分対象になること二人の教員と事前に話し合い、都教委の審議会でも二人の教員の処分は不当であると報告もした。その一人とは今でも話をする関係を保っている。」(市民社会フォーラムメーリングリスト 2012年4月1日付けより)
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■田畑の意見・感想

まず、岡林さんは「ネット上やこの映画だけでは分からなかった、教育現場での言論の自由を守るためにたたかっている真摯な思いを受け止めることができました。」と言っておられます。しかし、私は、《誰もが知りたい本当の事を伝えない映画を「ドキュメンタリー映画」と称して上映し、観客を欺いていいのか。》と疑問を呈してきたのであって、論点がずれています。

「誰もが知りたいこと」とは「日の君」や「言論統制」にどう対応したかで、これを抜きにした映画はごまかしである、と考えています。映画が完成する前に、テレビや新聞で盛んに報じられた土肥校長のイメージは、「都教委に反乱したたった一人の校長」ですから、反乱の中身は当時の情勢から見て、「『日の君』強制に抵抗して都教委に従わず職務命令は発出しなかった。」「校内の言論の自由を保障し職員会議で活発な議論を奨励し採決もおこなった。」と誰もが考えるのは当然でしょう。

 私自身、どうだったのかなあ、と、ボンヤリ考えていたのですが、「『君が代』不起立、解雇訴訟」の法廷を傍聴し、土肥元校長の証言で職務命令を発出し事故報告書を提出して優秀な教師を懲戒処分に至らしめたことを知りました。

 ショックでした。そしてこの事実を抜きにしての賛美報道、教育学者らの支援・賛同に疑問を持ちました。
人は、自分の成した行為には責任を持つべきです。口を拭って知らん顔をし、ばれれば、自分の責任を逃れる言い訳をする……こういう人がヒーローとは(?_?)  

 岡林さんが、土肥さんの説明を聞いてどんな思いを受け止めようと、それはそのかたの自由ですが、私は、事実(真実)を問題にしています。私が土肥校長の職務命令発出を傍聴するまで知らなかったように、大抵の人は、土肥校長が職務命令を出さなかったと思い込んでいるし、職員会議の採決も行っていると信じ込んでいる‥‥これはこの映画が観客にそう思わせるように作られたからです。後から言い訳しても、それが妥当なものかどうか分からないし、勿論、映画そのものを訂正することはできません。

 この問題は、土肥元校長の生き方を「「『教育の統制』の巨大な流れに独り毅然と抗い、“教育現場の自由と民主主義”を守るため、弾圧と闘いながら“私”を貫く教師たちがいる」と讃えて映画作りを行った土井監督にも差し上げたいところです。

 この映画を「ドキュメンタリー映画」と称していいのか。これを指摘した上で岡林さんの文章に対し、感想を述べます。

@ 岡林さんの感想文によると、「本人(土肥校長の都教委への報告によって懲戒処分を受けた教師) も不起立を否認したら、土肥さんは都教委に報告するつもりはなかった。結局、不起立の報告があった。」から、と土肥さんが処分に至ったことを岡林さんは納得しています。「本人が不起立をみとめたから」と教員の所為にした説明は、自己弁護とはいえ、何と自分に都合のいい、相手の気持ちを考えない、馬鹿にした言い訳でしょうか。まるで小さな子どもが「ボクチャン悪くないよ。アイツのせいなんだ。」と親に言いつけているようです。

 岡林さんがこれで「土肥校長が葛藤を強調したことで」を理解が深まったようですが、私にはそれが信じられません。「強調」したことで土肥校長は自分には責任がないと言ってるんです。これが自分を正当化するために「校長」の考え出すことでしょうか。

 土肥校長に先入観を持たないで、冷静に客観的に見ることが必要ではないでしょうか。

A 提訴の折、土肥さんは「法令遵守したのになぜ再雇用拒否なんだ。」と不満を述べておられました。私はその時、「法令」って何を指すのか見当がつかなかったのですが、やっとそれは「都教委の言うとおり従った」ことらしい、と分かってきました。でも、それが「職務命令発出」や「職員会議採決禁止」だったと分かったのは、ずっと後のことです。東京にいる私だってこんな有様ですから、普通は分からないことが多いと思います。

 さて、そういう考え方ですから、報告は当然の行為だったのでしょう。報告せねば、再雇用拒否の理由になりますからね。校長の権限で報告を出さなければ、土肥さんは「たったひとりの反乱者」と言われもよかったかも知れません。

B「都教委の審議会でも二人の教員の処分は不当であると報告もした」とありますが、どんな構成の何という名称の審議会なのでしょうか。これまでこんなことを聞いたことはないし、校長の意見を都教委が公式に聞くというなら、ぜひそういうことも教えてはしいものです。

C土肥さんの言い訳の中には、何故職務命令を出したかという説明がありません。事故報告書よりその方が問題です。校長の権限として職務命令を出さなかったら、そしてそれで、もし処分されたら裁判で立派に闘えます。支援も多かったでしょう。

 土肥さんは職務命令発出をどう釈明されたのでしょうか。岡林さんは質問されましたか?

 D 「教育現場での言論の自由を守るためにたたかっている」と岡林さんは言っておられます。これは具体的に何をさすのでしょう。職員会議の採決のことなら、土肥さんは都教委の指示を守り、採決しませんでした。採決していたら「抵抗者」になれたんですけどね。採決は校長権限でできます。校内の言論の自由を土肥さんは踏みにじったわけでしょう?言行不一致です。

 こういうことも岡林さんは納得しているんでしょうか?

●【終わりに】
 私は、この映画があちこちで上映されて真実が伝わらないのを問題視しています。土肥さんは自分の行為の正当化に、今、励んでいるように思われますが、初めからそういうことも、包み隠さず映画に入れるべきでした。

 私たちは、「都教委に反対する校長」の出現を期待していました。そういう願望の中に土肥校長が登場し、喝采を浴びました。
でも、私たちは、願望でヒーローを作り上げてはいけないのです。「他にいないから」という理由で持ち上げるのも禁物です。

 「たった一人の反乱」と言うにはあまりにもお粗末なこの現状。「日の君」反対の講演会に、「日の君」弾圧に与した土肥元校長を招くという笑えぬ喜劇はもう終わりにしてもらいたい。何が真実か何が本物かを見極める力を、みんなが磨きたいと思います。以 上