河村名古屋市長への抗議文 3/3 |
皆様 昨日、やっと、当組合の執行委員会を開くことができましたので、以下の抗議文を採択し、名古屋市役所に送りました。こんな妄言に同調する石原都知事・・・予想されたことですが・・・にも同様の抗議文を送る予定です。 河村たかし名古屋市長殿
名古屋市の河村市長は、2月20日、南京からの訪問団の前で、「虐殺事件があったとしたら、終戦時、日本兵であった父親が中国人からやさしくされるはずがない。30万虐殺、とんでもない、目撃者がいないことが決定的な根拠だ」、「子どもたちのために歴史を正すのは、63歳のじいさまの社会的使命だ」と発言しました。朝日新聞2月28日の朝刊によると、27日の定例記者会見でも、この発言を「撤回する意志はない」と表明しているとのこと。河村氏のこうした発言は、06年(国会議員時代)、09年(名古屋市議会で)に次いで、3回目とのことです。 私たちは、この河村氏の発言に、心からの怒りと抗議の意思を表明するものです。 「南京虐殺は存在しなかった」などというのは、歴史の事実・真実を歪曲する、れっきとした歴史偽造であり、暴言、妄言のたぐいです。南京大虐殺は、日本の侵略戦争の象徴ともいえる事件で、一般民衆、捕虜の虐殺に加えて、女性に対する強姦や強姦殺人が多かったことでも有名です。それゆえに「大虐殺」の名称がふさわしい、アウシュヴィツに匹敵する重大犯罪です。 南京大虐殺が歴史的な事実であることは、被害者である中国の人々だけでなく、全世界の人々が認めるところです。河村氏は、「目撃者がいないことが決定的な根拠」と言っていますが、そんなことはありません。日本軍による南京攻撃が行われていたときに、難民区(安全区)の国際委員会の委員長をしていたドイツ人ラーベ氏(ジーメンス支社支配人で、熱心なナチス党員)が、数々の日本軍による蛮行を目撃して、母国に報告しています。また、アメリカ人神父マギー氏がひそかに撮影したフィルムさえもあります。虐殺や強姦の事実については、中国人の被害者の証言だけでなく、作戦に参加した当の日本軍の将官や兵士たちも、たくさんの証言や日誌、報告などを残しています。 また、よく問題にされる人数についても、日本軍が南京攻撃を開始した1937年12月初めから日本軍が「治安を回復した」と称した3月まででの犠牲者について、当時、埋葬活動に参加していた宗教団体・世界紅卍会南京分会と慈善団体崇善堂の統計表や埋葬活動一覧表によると、合計15万5996体とされ、これに南京紅十字会と南京市衛生局の分を足すと埋葬遺体数は19万0461体となります。東京裁判の判決も、上記の二つの団体の数字に他の資料も加え、日本軍による一般市民と捕虜「20万人以上の殺害」と断定したのです。しかも、この数字は、1951年のサンフランシスコ平和条約第11条で、この裁判(判決)を「受諾し」と記しているように、日本政府自身が公的に認めたものなのです。 さらに河村氏のいう中国人の「やさしい態度」についていえば、それは、国民政府の蒋介石が中国軍兵士に対して、「怨みに報いるに、徳で以ってせよ」、「日本兵に報復をするな」との布告を出していたことによるもので、虐殺のなかったことを証明するものでは断じてありません。 要するに、河村氏の発言は、これまで石原慎太郎東京都知事や藤岡信勝ら自由主義史観研究会、「新しい歴史教科書をつくる会」などの右翼的な「学者」、政治家連中が繰り返してきた歴史偽造のたわごとの受け売り以外の何ものでもありません。 名古屋市のような大きな都市の市長がこのような事実を否定した暴言をすることは、中国の人々の名誉を著しく傷つけ、また両国民が長い間の努力によって築いてきた両国民の友好・信頼の関係をも、いちじるしく傷つけるものです。さらに、「歴史を正す」と称して、このような見方を教育現場に押し付けようとすることは、最近とみに強まっている排外主義や好戦的軍国主義の勢力を勇気づけるものであり、扶桑社系教科書の教育現場への押し付けや「日の丸」、「君が代」の強制、平和教育抑圧の動き等々を、ますます強めるものとならざるをえません。 石原都政による平和教育弾圧の犠牲者であり、「扶桑社版の歴史教科書は歴史偽造だ」と教えたことで分限免職という不当処分を受けた千代田区立九段中学教諭増田都子さんの処分撤回を目指して闘う私たち東京都学校ユニオンは、河村氏の発言を断じて許すことはできません。私たちは、河村市長が、ただちに自分の発言を謝罪し撤回すること、また、公務員法違反、国際法違反の責任をとって市長職を辞任するように求めるものです。 |