●研修センター所長の違法行為
(原告の免職を正当とする原判決が原告の行為が公務員不適格である理由として挙げるのは以下の部分である)
研修初日である平成17年9月20日,原告は,「研修の実施について」と題する書面を配布された。それには,研修期間,研修場所等の他,遵守事項として,研修受講にあたっては研修に専念する,研修担当職員の指示に従う,録音,録画を行わない等と記載ざれていた。
原告は,同日,職員の制止にもかかわらず,持参した抗議文を約2分問読み続けた。同抗議文は,「近藤精一、東京都教職員研修センター所長に告ぐ」と題し,「あなたは私の個人情報を都議に漏洩するという非違行為を犯しました,もし,あなたが真に公務員たるの資質を持つものであれば、懲罰を本質とする本研修の強制は,まさしく日勤教育に等しいもので,許されざる人権侵害であることが理解できるはずです。
この人権侵害懲罰研修については,教育基本法10条が巌禁する教育に対する不当な支配干渉に当たるものとして,市民,保護者,生徒,マスコミはもとより,真っ当な都議会議員や国会議員も重大な関心を持っていることを付言しておきます等と記載されている。
この原告の抗議がなぜ問題視されるのであろうか。原告の個人情報を都議に漏洩した違法行為の張本人が、原告に対して「研修指導」をするということは、あまりにも悪い冗談である。原告の方はせいぜい「揶揄」したという程度のことであるのに対し、原告を指導する方は、違法行為を犯しているのである。
近藤には原告を指導する資格はなく、原告はその指導に服する理由がない。原告の抗議は全く正当であり、都は、この抗議を受けて、直ちにこの研修をやめ、近藤に対して研修すべきであった。それにしても、原告が免職になり、近藤は出世しているのは、天地が逆さまになっているとの感を免れない。
●研修の人権侵害の実態
原判決では
原告は,同月22日,研修センターにおいて,研修時間中に,研修センター所長あての抗議文を作成し,担当者に手渡した。同抗議文には,「研修センターにおける人権侵害の実態」として,指導主事から,「部屋を出るときは行き先を告げてください」と言われたこと等が人権侵害に当たる等と記載され,「これでは人権侵害常習センターであり,あまりに気持ち悪くて研修に専念できない」等と記載されている。
原告は,同月27日,上記指導主事らの対応が人権侵害行為に当たるとして,同主事らに対し,原告に謝罪させるよう要求する旨の近藤所長にあてた抗議文を研修担当者に手渡した。
原告は,同年11月7日,別の指導主事から,部屋を出るときは必ず行き先を告げることになっていると言われたことが人権侵害に当たるとし,「もともとが都教委による嫌がらせ人権侵害研修として強制されている本研修」と記載した抗議文を作成し,研修担当者に手渡した。』と記載されている。
この抗議文にどんな問題があるのであろうか。課題に対して解答文を書くなどという研修がまともであれば、疲れたからラジオ体操をする、トイレに行くといったことについていちいち許可が要るのか。センター長である近藤も監督をしている職員も、執務時間中誰にも断ることなく多少は離席することがあるのではないか。「いじめ」でなく、まともに資質向上を図るためであれば、この程度の自由は認めるべきであろう。実態がいやがらせ人権侵害研修であるからこそ、このように細かい拘束をするのではないか。
●歴史認識を変えさせようとの思想改造研修
原判決はさらに、次のように述べている。
原告は,平成18年2月,本件資料の作成,配布に関連して,「あなたの主張を書いた資料を生徒に配布したが、今後もこのような認識のもと授業中に同様の資料を配布するつもりか」との課題に対し,私の主張は公の歴史認識に基づいた主張であり,処分は論外,本研修のような嫌がらせの懲罰研修など狂気の沙汰である,私は正しい主張を行ったわけであるから,本課題作成者には私に謝罪の上,直ぐ現場復帰させるべきである等と解答した。
これは単なる表現の問題ではなく、原告の歴史認識を変えさせようとする「研修」であるから、そもそも、思想改造工場であり、人権侵害であり、教育内容への「不当な支配」である。ここで、教育委員会は馬脚を現した、尻尾を出したと言うべきである。しかも、原告の思想の方が政府見解にも憲法にも多くの歴史学者の見解にも合致している。したがって、原告が、教育委員会からの激しい圧力にも拘わらず、信念を曲げずに頑張っていることは、称賛に値することであって、非難に値しない。
●録音禁止は違法な研修の自認
原判決は、「原告は,研修担当者から止めるよう再三,指示されたが,裁判資料にするとして12回にわたり録音行為を行ったこと」が指摘されている。
しかし、録音は、研修自体を妨げるものではないのに、なぜ許されないのか。禁止するには、きちんとした理由を付けて説得すべきであって、それをせずに、録音禁止に従わなかったことを処分理由とすることは許されない。裁判資料にされると困ることをしているとすれば、それは教育委員会の方に非があるのであり、困らないのであればなおさら、録音を認めるべきである。
このように、録音禁止自体が、違法な研修をしていることを自認していると言うべきである。
●「自己と異なる主張への攻撃」?
原判決によれば、
近藤所長は,平成18年3月17日付けの都教委教育長にあてた研修実施状況報告書の中で,原告の平成17年9月20日〜平成18年2月28日の間の研修の総合的所見として,
原告は,研修課題に対する論文の中で,自己と異なる主張に対しては極めて攻撃的な言葉で反論したり,課題に正対していない内容を記述する等,自己の基本的な主張を変えることはなかった,研修センター運営担当者や研修の講師に対して,高圧的な態度を取り,嫌がらせ研修である,人権侵害研修である,教育に対する不当な支配,干渉でしかない等と不適切な発言を繰り返した,研修期間中の態度は,抗議文の作成,抗議文の読み上げ,禁止を無視した録音,研修場所からの無断離席等,不適切なものであった,このよぅな研修謀題に対する論述姿勢,研修受訴態度は,研修開始時より何ら変わることはなかった旨報告している。
しかし、原告に対して「自己と異なる主張に対して極めて攻撃的な言葉で反論した」と評価することは正しくない。原告が攻撃的な言葉で反論したのは、「日本は侵略戦争をしていない」などと、一般には認められていない右翼の見解に対してであり、「自己と異なる主張」に対してなんでもかんでも攻撃したわけではない。むしろ、都教委が、このように、「自己の基本的な主張を変えなかった」と評価しているのは、研修と称して、原告の思想を改造しようとしていることを、これまた露呈したものである。
そのようなことは憲法上許されないのであるから、この研修は人権侵害研修であり、その他録音や離席の点も前記のように原告が非難されるべきではない。むしろ、このような研修を行った都教委こそが非難されるべきである。
以上のように、「研修命令を裁量濫用ではない」とする原判決の考え方には到底納得できない。
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