5月13日「『坂の上の雲』批判」(変革のアソシエ、現代史講座)にご参加を! 10/5/10

皆様
 こんばんは。犯罪都教委&1.5悪都議と断固、闘う増田です! これはBCCでお送りしています。重複・長文、ご容赦を。

 以前、お知らせしましたが「変革のアソシエ」市民講座の一環として「現代史講座」を開きます。その第1回「『坂の上の雲』批判」を5月13日(木)18:30〜20:30まで行います。ご都合のつく方は、どうぞ、ご参加ください!

●場所 
 協働センター・アソシエ 地図はhttp://homepage3.nifty.com/associe-for-change/map.html

東京都中野区中野2−23−1 ニューグリ−ンビル309号 中野駅南改札口1分  

●費用  1000円

●杉並近現代史講座で同内容の講座参加者の感想をご紹介!(ちょっと、褒め過ぎで面映いのですけど)

 昨日の杉並近現代史講座、お疲れ様でした。今回も、20ページに及ぶ資料を、2時間すごい勢いで説明なさる。頭がパンパンになりました。よく調べられました。その場で色々感想が飛び交いましたが、言い残した感想を少し書きます。

司馬遼太郎はベストセラー作家ですが、私は余り関心がなくほとんど読んでいません。「こんなテレビ番組見せられると腹が立つ」という声がありましたが、逆に私が感心して多くの人に見てもらいたいと思うような番組は、無関心派にとっては「見たくない番組」となるようで視聴率も上がらず、お互いすれ違いになっているのですね。 司馬遼太郎の「魅力」と「問題点」について考えました。

 Aさんの、「坂の上の雲」は彼の作品の中で「異質」であるとの指摘は、その通りなのでしょう。増田レジュメに引用されている司馬の文章は、「つくる会」史観そのもので、我田引水の非科学的自己正当化のオンパレードです。これだけで見れば、藤岡や西尾たちと何ら変わりません。 ではどこが「魅力」かと言えば、一般受けする「価値観」をベースとしているところにあるように思えました。

・義和団事件「ただし日本軍のみは一兵といえども略奪をしなかった」=規律正しさ、自己抑制。
・日露戦争「日本はこの戦争を通じ、前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵奉者として終始し」=国際法を守ることの気高さ。
・明治国家「立憲国家である日本」「国家運営の原理は当然理性が主要素になっている」=立憲国家であること、理性的であることの正しさ。

 彼が賛美している理念は、「軍律が厳しく戦争でも民間人に犠牲を強いないこと」「国際法を愚直なまでに守ること」「理性的な立憲国家が素晴らしいこと」で、これらは左右を問わず誰しもが賛同する、立派な理念ばかりです。むしろ、「規律正しさ」「国際法遵守」「立憲国家」「理性的」は、右翼と言うより民主主義的立場に立つ人たちの価値観でしょう。普通に、これらの価値基準に照らせば明治国家は負の遺産というのが、歴史家の通説になります。

 ところが、彼の手にかかると、手放しの明治国家礼讃になってしまう。そのトリックが、増田さんが詳しく検証した「事実」のすり替えや真っ赤な嘘のオンパレードにあるわけです。

 「善玉」「悪玉」の価値観を挿入するのは「科学」ではないと、彼自身言いますが、「坂の上の雲」というフィクションを「科学」のつもりで書いたのでしょうか。前提であっても結論であっても「価値観」をまぶしたら「科学」ではありません。そして彼のフィクションは、結論部分で一刀両断に独自の価値判断を行っています。

 彼の作品の中には、独自の「価値観」に照らして、俗説をくつがえす良いものもあるらしい。会津出身のAさんが上げていた「松平容保」のように。しかしそのパワーが悪い方に働いている典型が「坂の上の雲」なのだと思います。

 彼の「魅力」は諸刃の刃です。もし、彼の万人共感する「価値観」に、本当の「事実」を普通にあてはめていったらどうなるか。「略奪し放題」「国際法無視」「帝政国家」「狂信的」な明治国家は、愚劣な恥ずかしい国家と結論づけられてしまうでしょう。

 歴史小説家が、ある人物なり時代なりを取り上げる時には、必ず「書きたい」主観的動機があるはずです。学者が純然たる学問的関心で研究するのとは当然違います。彼は「明治」に、近代日本の「青春」や「血気」があると思い込んで、そのコンセプトから小説を書き始めたので、イメージを保持するために事実の方がどんどんねじ曲げられて行ってしまったのでしょう。

 これは「時代小説」の名に値しない愚作なのだと思います。 問題が複雑なのは、彼が寄って立つ「価値観」が、封建道徳・儒教思想などモロな「復古主義」ではなく、民主主義・理性的など一見「近代的なイデオロギー」であることです。「近代的イデオロギー」で、歴史を捏造しているところが、一般受けしやすいし、批判しにくい、非常に巧みなところだと思います。

 「つくる会」の路線と一脈通じるところもあります。でも、封建道徳を前面に出さずに復古主義を礼讃しようとするところに、彼の弱点があります。あちらからすれば、「近代的イデオロギー」を逆手にとって進歩的知識人を批判しているつもりなのでしょうが、不自然な論法はいずれ自己撞着に陥らずにはいられないでしょう。

 司馬遼太郎を全否定は出来ませんが、この小説に限っては、彼は歴史家として失格、小説家としての節度も踏み越えてしまっている、というべきでしょう。それが、増田さんによる歴史事実の丹念な分析から、よく分かりました。「坂の上の雲」を批判できて社会科教員として一人前でしょう。これほどまでに完璧に批判できる教員は希でしょうけど。

「歴史ドラマ」として放映されることになると、さすがに時代考証や史実の検証が入るので、小説通りのデタラメというわけにはいかず、制作者が悩む場面もこれからきっとたくさん出てくるでしょうね。