30日「扶桑社教科書批判で免職」取り消し請求裁判の傍聴を! 10/3/28

皆様 
 おはようございます。犯罪都教委&1・5悪都議と断固、闘う増田です! これはBCCでお送りしています。重複、ご容赦を。

件名裁判が
 30日(火)15:00〜東京高裁822号法廷であります。ご都合のつく方は、どうぞ、傍聴参加をお願いします! 同日14:30〜は「杉並・和田中、夜スペ」裁判判決があるようです。良い判決を得て、その後、822号法廷に来ていただけたら嬉しいですが・・・

 以下、今回の準備書面の一部をご紹介します。

◎原判決の公正原則違反
 分限免職処分への公正原則の適用に関しては、苛酷性及び他処分との均衡が問題となるが、それらについては、「任命権者が処分の原因となった事実の軽重を基礎として、これまでの勤務実績の評価を含む本人の情状、さらに他の職員に及ぼす影響や公正な世論の批判などに対する対外的な影響等を考慮して適切に判断する」こととされている(「新版・地方公務員法逐条解説」橋本勇著、学陽書房)。

 韓国などにおける被控訴人都教委に対する批判も、控訴人による古賀都議や扶桑社に対する「歴史偽造主義」批判は国際的な歴史常識から当然とする立場からの批判であり、国際世論であって、なんら不公正なものではない。よって、これは考慮されるべきであり、分限制度の目的と「関係のない目的や動機」に基づいて処分の当否を判断することにはならないのである。

 にもかかわらず、その考慮を「到底許されざるものである」とする被控訴人都教委の発想には、韓国を蔑視する差別的思考があるものと考えざるを得ない。

◎原判決の判断内容とその誤り
(ア)被控訴人は「原告には、中立、公正に教育を行う教育公務員としての自覚と責任感が欠如して」いるとの原判決を引用する。
 
 しかし、憲法尊重擁護義務を課される公務員たる教員に求められる「中立」とは、憲法と教育基本法の観点に立ち、国際協調、平和と真実の立場に立って教育する  こととであって、それと反対の立場との間に立つことではない。「中立」と「中間」は異なるのである。

(イ)歴史学者の中塚明氏などが用いてきた学術用語である「歴史偽造」や、「歴史偽造を是とする考え方の持ち主」であることを意味する「歴史偽造主義者」という表現は、前述した国際協調、平和と真実の立場に立った表現である。
 
 また、学問研究の成果に基づく「歴史偽造主義者」という言葉を用いてならなとすれば、「デカルトは合理主義者だ」とか「ニーチェは実存義者だ」という表現も用いてはならないことになる。それらも、本人が自称していた表現ではないが、そのように解されているものである。

(ウ)控訴人は、教育公務員としての適格性を十分に有している
  控訴人は、憲法、教育基本法と真実の立場に立って、「歴史偽造」という学術用語を用いて都議会議員を批判したのであり、誹謗ではない。
  
  それを「教壇に立たせるわけには絶対に行かない」と強調する被控訴人都教委の主張は、政治的圧力を背景とした控訴人に対する異常な憎悪を窺わせるものである。
 
(エ)控訴人について分限免職処分より緩やかな処分が十分ありうる
 被控訴人は、県費負担教員の「他の職への異動はそもそも不可能」であると主張する。しかし、教員であっても教壇に立たない司書教員への転任はあり得たことは、控訴人が従来主張してきたとおりである。

 また、地方教育行政法47条の2第1項の免職・再任用の措置もあり得たのであり、この点を慎重に検討、考慮した事実はないことは、被控訴人が自白したに等しい。