厚生年金“99円”支給についての韓国での報道 09/12/26 |
皆様 件名については朝日新聞12月23日付朝刊社会面にも載っていましたので目にした方も多いと思いますが、韓国の報道について以下、ご紹介します。 いくら「脱退手当ては現価換算をしない」(朝日によれば「貨幣価値の変動などは考慮されない」)という規定があるからといって・・・当人でなくとも「そんな馬鹿な・・・」と感じるものを・・・こういうニュースを見ると、つくづく「情けない『国』に住んでいるなぁ」という気がします。 こういうことをする日本政府(社会保険庁)が、学校教育において「子どもたちに、わが国に対する誇りと愛国心を育てよ」と言うんですよねぇ・・・ 【中央日報 2009.12.25】 【社説】日本はガム程度の金で韓国人を辱めるのか 太平洋戦争当時、日本に連行され11カ月間、強制労役に苦しんだ韓国人勤労従軍慰安婦の女性7人に、日本政府が1人当たり99円(約1300ウォン)を厚生年金脱退手当として支給したという。女性たちが脱退手当支給を申請し、11年ぶりの今月中旬、主務機関である日本社会保険庁がこれらの厚生年金加入事実を認め、99円ずつを口座に振り込んだというのだ。「脱退手当は現価換算をしない」という規定のためだとしても、いずれにせよ解放当時、牛2頭を買うことができたお金が、ラーメン一杯の値段にも及ばない金になり、64年余りたってからようやく女性たちの手に握られたわけだ。 学校にも通わせる、金儲けできるようにしてやるという口車に乗せられて10代の少女たちを日本に連行し、軍需工場で1年近くこき使った対価として60余年たって99円を支給したというのは、人間に対する侮辱だ。それならむしろ与えないほうがよかっただろうに、99円を振り込んだというのか。2005年にも日本は類似の事例で脱退手当を申請したヨ・ウンテクさんに316円を支給した。原則ばかりを守り、他人に気配りすることができないという日本の否定的イメージを日本自らでまた確認させた格好になった。 日本は1994年、台湾出身軍人・軍属の不払い賃金と軍事郵便貯金など「確定債券」に対して以前、当時の額面価の120倍に換算して支給した前例がある。債券だけお金で、手当はお金ではないのか。誰が見ても誤った規定であれば直さなくてはならず、それも一歩遅れて支給しておいてこれはいったいどういう策略か。辱めるつもりでないならむしろやめてほしい。 ドイツは2次世界大戦以後、外国人強制労役被害者らに国家と個別企業レベルで賠償金と補償金の名目だけで約2000億マルクを支払った。同じことを日本に要求するわけではない。1965年「韓日協定」で、民間の対日請求権をあきらめた韓国政府の責任があるからだ。そうだとしても、それですべて終わったという態度で一貫するのは納得いかないことだ。来年なら韓日併合100年だ。今でも韓国・日本政府と関連企業が一緒になって、生存する被害者たちの痛みをなだめることのできる案を探さなければならないだろう。 ―――――――――――――――――――――――――― 【東亜日報 2009.12.25】 日本の名古屋にある三菱工場は、第2次世界大戦末期に戦闘機を製造していた。1944年、朝鮮の幼い少女たちは、この工場に「勤労挺身隊」という名で徴用された。戦争中に労働力が不足すると、遠く朝鮮にいる幼い少女まで作業に動員したのだ。当時、小学校6年生だった梁錦徳(ヤン・クムドク)さんは、「日本に行けば、学校に行け、お金も稼げる」という教師の話を信じて、この工場にやって来た。梁さんは、1年以上つらい労働に苦しめられたが、学校は見物もできず、給料を受け取ることもできなかった。会社側は、「給料は年金で納付される」という言葉を繰り返しただけだった。 ◆今では年老いた少女たちは、ここで働いていた事実を生涯隠して生きてきた。「挺身隊」という名前のため、慰安婦と誤解されることがあった。彼女たちは、韓国と日本の市民団体の助けで、99年に日本政府と三菱に対して損害賠償を請求した。しかし、訴訟は昨年、東京最高裁判所で最終棄却され、失敗に終わった。強制動員被害者の補償問題は、1965年の日韓交渉の時に終結したというのが理由だった。 ◆彼女たちは、日本の社会保険庁に最後の期待をかけた。工場で働いて払い込んだ年金の脱退手当金を支給するよう申請を出した。社会保険庁は、「過去の記録を探すのに時間がかかっている」として10年間時間を引っぱったが、今年9月、年給納入証明書を見つけたと明らかにし、補償が実現するかに見えた。しかし、社会保険庁が今月中旬、被害者7人に支給した金額は1人当たり99円(1276ウォン)だった。被害者の金ソンジュさんは24日、ソウル日本大使館の前で記者会見を行い、「会社に給料をくれと言ったら『韓国に戻れば送ってやる』と言われたが、64年経っても何の連絡もない。工場で眠らずに働いた代価が99円ということか」と激怒した。 ◆深い傷を受けて帰国した被害者に、日本政府は約60年前に受け取る金額と同じ金額を支給した。日本政府の安易な歴史認識に怒りを越え、絶望を禁じえない。金で被害者の痛みを癒すことはできないが、少しでも謝罪の心があるなら、このような呆れた結論にはならなかっただろう。被害者の感情に目をそむける限り、日本は過去の問題から先に進むことはできない。 ――――――――――――――――――――――――――― 【朝鮮日報 2009/12/25】 年金手当99円支給、原告らが日本大使館で抗議 太平洋戦争当時に日本に連れて行かれ、労働を強要されたヤン・グムドクさん(80)、キム・ソンジュさん(81)ら強制労働の被害者と市民団体「勤労挺身隊のおばあさんと共にある市民の集い」のメンバー約10人は24日、ソウル市鍾路区の日本大使館前に集まり、日本政府が「厚生年金脱退手当金」の支払い請求に対して一人当たり99円しか応じなかったことに抗議する記者会見を開いた。 被害者らは、「日本でボールペン1本の値段にも満たない99円など受け取れない。韓国政府が日本に対し合理的な補償を要求すべきだ」と主張した。 ヤンさんは「65年間待って、支払われた金額が99円だなんて、腹が立って仕方がない」と泣きながら訴えた。強制労働で負傷し、足が不自由になったキムさんは「月給もなく、毎晩爆撃に震えながら働いたのに、わずか99円とは納得できない」と述べた。また、被害者男性のヨ・ウンテクさんは、「05年に受け取った厚生年金脱退手当金の316円を返してやる」として、日本大使館に硬貨を投げ付けようとしたため、小競り合いが起きた。 一方、日本の愛知県社会保険事務局の関係者は、99円という計算根拠について、「法律に基づき、支給基準の最大値を適用した結果で、貨幣価値による換算は現行法では不可能だ」と主張した。 同関係者は、当時の「労働者年金保険法」に1年未満の加入者には、15日分の賃金を年金として支払うとする規定が算定基準になったと説明した。それによると、当時の制度では月給が10円から200円まで複数の段階に分かれていた。今回の請求者のケースでは、給与支払い記録が確認できなかったため、最高賃金水準の200円を基準に15日分の99円が支給されたというわけだ。1945年当時、大卒初任給は70−80円で、牛1頭は50円前後だった。 [http://file.chosunonline.com//article/2009/12/25/654630007214936048.jpg] ◆ソウル市鍾路区の日本大使館前で24日、ヤン・グムドクさんら勤労挺身隊被害者と市民団体「勤労挺身隊のおばあさんと共にある市民の集い」のメンバー約10人が、日本政府による厚生年金脱退手当金99円の支給決定に抗議する記者会見を開き、スローガンを叫んでいる。
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