「扶桑社教科書批判で免職」取り消し請求裁判傍聴お礼 09/11/19 |
皆様 次回は、来年1月19日(火)15:00〜822号法廷です。 1 本件分限免職の意味するもの 私・増田に対する都教委ほか被控訴人らによる、あまりにも不当な「分限免職」取り消し請求裁判控訴審の第1回口頭弁論において、本法廷の裁判官の方々の良心に訴えます。 私は、1973年4月、東京都教育公務員・中学校教員として採用されて以来約33年間にわたり、中学校教育現場に従事し、生徒達への教育に己の人生を捧げて参りました。 もちろん、教育者として、私に未だ至らぬ点は多々あろうかと思われますが、それでも、教育公務員として、憲法尊重擁護義務に従い、生徒達に真実と誠実を教えるべく、誠心誠意努力してきたつもりです。 しかるに、2006年3月31日付「分限免職処分通知」は、私の教育者・教育公務員としての生命に「死刑」を宣告するものであり、本年6月11日東京地方裁判所民事第36部判決は、私をまさに処刑台へ送ろうとするものでした。私は、本件分限免職処分を受けて以来、私が人生をかけた教育現場・教壇と生徒達を奪われ、職を失い、経済的にも苦しい状況に追い込まれています。 私は、33年間、都内の中学校で社会科教員をしてきました。この間、授業不成立など一度もなく、同僚たちとのトラブルも一度もなく、同僚たちと協力して行う学校の教育活動においては、いわゆる『足立十六中学事件』においてさえ「職務の円滑な遂行に支障」など全くありませんでした。この点は被控訴人らも認めておられます。 にもかかわらず、原判決は私の「素質,性格に起因して職務の円滑な遂行に支障があり」と断定しています。私の人格とこれまでの教育活動の全てを否定する判決文を読んで、私はわき上がる悲しみと怒りを抑えることができませんでした。 にもかかわらず、原判決は、千代田区立九段中校長の証言も陳述内容も全く一顧だにせず、判断根拠たる事実として採用していません。なぜでしょうか? また、原審では、私のかつての教え子が、教育者・教師としての私に対する評価を、彼女なりの言葉で証言してくれ、嬉しいことに、私から学んだことが彼女の良い思い出であるだけでなく、現在の仕事にも役立っているとも話してくれました。 それなのに、原判決は、私の元教え子の証言も全く採用していません。なぜでしょうか? 教員、つまり教育公務員の最大にして最重要な評価者は生徒ら教え子たちです。法廷で証言してくれた教え子だけでなく、実際に、本件で問題とされた教材で授業を受けた数々の生徒の意見や手紙も原審で証拠提出したのに、原判決は、全く一顧だにしていません。なぜでしょうか? 私は、これらの文言は「正当な批判である」と主張してきましたが、「批判と誹謗の相違」について、原判決はその定義・概念等明らかにすることなく、「誹謗である」と断じています。到底納得できません。 また、私の文言が「正当な批判であるか」「不当な誹謗であるか」の判断基準は、日本が過去に行った戦争は侵略戦争であるのか、それとも自衛の戦争・アジア解放の戦争であったか、にあります。 しかし、原判決は、この点については、前提事実・認定事実、判断内容においても、全く一言も触れていません。「日本国憲法を守るべき裁判所」が、このような、本件における重大な争点でもある重大な歴史認識・事実につき、何らの判断を示すことなく、「誹謗である」と断じ、数々の処分を正当化したことを私は本当に悲しく思いました。 原判決に対しては、オーストラリアで日豪戦を研究している方々や、この裁判に注目している韓国の方々から意見書をいただいております。原判決が国際的にどれほど批判的な目で見られているか、どうかお考えいただきたいのです。 生徒達の真摯な意見は生徒達の精神的成長の証であると共に、教育者としての私の誇りです。なにとぞ、裁判官の皆様には本件紙上討論授業教材を、よくお読みいただくようお願いいたします。 この中には、生徒と教員との持続的な人格的接触の中での教育の営みについて理解のない方には、私が生徒に対してあまりにもキツイ叱責をしているかのように受け取られる可能性のある部分もあります。被控訴人らはここぞとばかり、それを取り上げています。 確かに、私も自分自身の子どもを持つまでは、生徒達の言動を見てみぬふりをしたこともありました。それは簡単なことです。しかし、私は自分の子を育ててみて、学校の先生には、ウチの子が他人に迷惑をかける行為をした時には、その時はどんなにウチの子が傷つこうとハッキリ叱ってほしいと思いました。学校の先生がそれを見たときに、そうしてくれなければ、いつ、子どもはそれが「間違った言動だった」と気づくでしょうか? ですから、私は、それを私の受け持った子どもたちに対して実践しました。もし、その時に分かってくれなくても、いつか必ず分かってくれると信じて・・・そして、九段中の子どもたちも分かってくれたことは、私が被控訴人らによって不当に現場を外された7ヵ月後の卒業の時の手紙にもハッキリ書いてありました。これも証拠に提出していますが、「あのとき」、この子を叱責した時ですね、「あのときは、嫌な思いをしましたが、今ではいい思い出となっています。増田先生は時には厳しい先生でしたが、生徒思いの優しい先生だったです。」と・・・ 本法廷においては、戦前の過ちを繰り返すことなく、私の提出した証拠、尋問調書を、どうか、よくお調べいただき、私の失われた教育公務員としての生命、人生、仕事・収入、名誉を回復する判断をしていただきたいと思います。 本法廷の裁判官の方々にこそ、真実公正な判断をしていただけることを信じて、陳述を終わります。どうもありがとうございました。
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