日韓共同WSのご報告 09/8/28 |
皆様 日本側は10名で、まだまだイベントが目白押し!? のために他の方々はまだ韓国ですが、私は本日からの学習合宿が以前から予定されてため、少々心残りでしたが、一足早く帰ったわけです。 全体的な報告は皆様が帰国されたら、どなたかなさるでしょうから、私は、ほんの一部だけ報告します。 (4)増田都子ケースの支援 最後に、増田都子教師の免職取消訴訟に関わる支援の提案を述べさせて頂きます。ご存知の通り、増田先生は、日本の<日韓100年市民ネットワーク>の共同代表です。増田先生は、以前現職の折、中学校で生徒達に日本の侵略歴史を教えたという理由で、教師の職責から解雇され、現在、法廷闘争を続けている。 増田先生は、盧武鉉前大統領の2005年の3・1節記念辞を社会授業時間を活用し、「真の和解を目指すため、日本人は、何をなすべきか」という題目で、生徒達と紙上討論を済ませ、同年8月、東京都教育委員会から警告処分されて、9ナには、長期研修処分ェヌ授業の機会を奪われた。そして、2006年3月、「教育公務員の不適格」という名目で免職処分を受け、33年間間の教職生活を止めた。同年9月、増田先生は、自分を支持する市民団体の力を借り、免職処分取消の要請のため訴訟を提起した。 しかし、2009年6月11日、東京地方裁判所民事部は、原告の敗訴判決を下りた。提訴以来、2年9ヶ月の結果であった。増田先生は、東京都議会議員や新しい歴史教科書を指摘し「国際的に恥ずかしい歴史認識」「 歴史偽造主義者」「侵略を正当化した教科書に依る、歴史偽造で、有名な歴史教科書」などとの非難をしながら、中学生を指導した事は、客観的に特定人の誹謗に当たる行爲」ということで, 原告の免職処分の判決になった。 この判決直後、増田先生は声明を出し、このような不当な判決により、平和教育・民主教育において、もっと強い圧力を恐れるが、日本国憲法にも記してある理想の実現のため、良心的な有志と力を合わせて、最後まで闘うつもりだと固く決心している。 <増田先生の闘争>の側面支援は、<韓日100年平和市民ネットワーク>のキャンペーン・プロジェクトの中でも最優先たる課題であろうと思う。現在、韓日間の最大な問題になっている両国間の「歴史認識の差」の克服を目指す運動として、日本の歪曲された「歴史観」の建て直しのためにも、必ず、最優先事業として支援すべきであろう。 私は柳先生の後だったので「本当に本当に感動しました。ぜひ、日本人の皆様にもこのご指摘『増田先生の闘争>の側面支援は、<韓日100年平和市民ネットワーク>のキャンペーン・プロジェクトの中でも最優先たる課題』を受け止めてほしいものです」と、意識的な!? イヤミを言わせていただいた後、報告させていただきました! この会議には元日本軍性奴隷被害者として日本政府を告発し続けていらっしゃる勇気あるイ・ヨンスさん(80歳)も参加されていました。「私は本当は、もう、水曜デモなどしたくはないのです」とおっしゃられるのを聞くのは辛いものがあります。彼女に「もう水曜デモなどしなくてもいい」ようにしてあげる責任が日本人にはあるのに力弱くて・・・私は彼女に心から「ごめんなさい」と言うしかありませんでした。 でも、彼女は「あなたが悪いんじゃないよ。増田先生は立派だよ。がんばって!」と、私の手を強く強く握り締めて逆に励ましてくれるのです。11月には来日されるとのことで再会できそうです! 民主党鳩山政権になって戦後賠償が前進することを心から祈らずにはいられません。 もう一人、印象に残った方は金聖淳さん(80歳)です。韓国のテレビ報道で私の顔を覚えてくださっていたらしく、会議が始まる前に流暢な日本語で「増田先生ですか?」と話しかけてくれました。そして、現在は葡萄園を経営なさっているそうですが、詩人でもいらっしゃるようで、私のことも読み込んだ詩を披露してくれました。 大京師範学校3年の時に日本からの解放を向かえた方です。会議中の発言で「8月15日、私は何語で考えたと思いますか?」と問われました。そして答えは・・・「私は、日本語で考えていたのです。母国語である韓国語で、先ず考えられるようになるのに3年かかりました」・・・心が痛いことでした。 彼は「坂の上の雲」の司馬遼太郎を厳しく批判され、NHKが、これを3年間放送するということを憂えておられました。全く同感でした。司馬遼太郎の「坂の上の雲」の朝鮮蔑視、歴史偽造は甚大!? です。架空の○○戦争なら、いざ知らず、歴史事実としての日清・日露戦争を、勝手に創作!? してもらっては困るのです。 交流会終了後、夜の水原華城の城壁の上をホテルまで散歩がてら歩いたとき、彼は国民学校6年生「国語読本」!? に載っていた「晴れ間」という、実に美しい詩を暗唱してくれました。 五月雨の 晴れ間 うれしく 行く水は 少し 濁れど 田園の 続く 限りは ふと 見れば 道のほとりに 「作者を忘れたので、探してくれますか?」と頼まれたのですが、さて・・・皆様、ご存知でしたら、教えてください! 金氏の同級生の方は今でもポケットに常に「草枕」を入れてらっしゃるそうです・・・いまどき、日本人でもそういう人はいないのでは? 金氏はおっしゃいました。「美しいもの、すばらしいものは、時代も、国境もないのですよ」と・・・日帝の植民地支配の大きな負の遺産の中の、少しだけホッとするポジティブな遺産と言っていいのでしょうか? そういえば、日本語でコミュニケートできる!(イ・ヨンスさんも)というのは、外国語のできない私には、とてもとても、ありがたいことです。 |