皆様
こんばんは。犯罪都教委&3悪都議と断固、闘う増田です! これはBCCでお送りしています。重複・長文、ご容赦を。
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本日、四谷・岐部ホールで行われた「日韓100年ネット」関東主催の件名講演会には、80名の方の参加があり、講演内容も充実したものでした。3連休の最後の日ですから、実は、どのくらいの参加者があるか心配で、少なめに用意していたレジュメは足りなくなってしまい、慌ててコピーする事態となり、主催者には嬉しい悲鳴でした。
内容の詳細については、後日、また報告されると思いますので、ここでは、最初の部分のみ報告し・・・これは私のメモに基づくものですので、言葉やニュアンスなど違っているかもしれませんが・・・そのあと、アンケート記載にあったものをご紹介します。
「日本が曲がる時、カーブする時・・・良い方向には曲がらないが、常に朝鮮問題がありました。これは法則といっていいぐらいのものです。
日韓関係史について、私は在日として見る、韓国人の一人として見る、という立場ですから、皆さんとは別の立場です。皆さんの常識となっている日韓関係史から見ると、ちょっと不愉快にさせてしまうかもしれません。『なぜ、そこまで(いうのか)?』と思われるかもしれませんが、どうぞ、ご寛容にお願いします」と姜先生は切り出された後、つい最近の経験を話されました。
「最近、知人に会って、『やあ、しばらく』と声をかけたら、『いい加減にしろ、このヤロー』という言葉が返ってきて、なぜ、こんなことを言われるのか分からず、呆然としました。鳩が豆鉄砲を食らったようでした。また、私の家の近所にコピー屋さんがあり、道が狭いのでオートバイの止め方を注意したら、『黙れ、この朝鮮ヤロー』と罵声を浴びました。
最近の調査では大学生の70%以上が敵基地攻撃論に賛成していました。テレビや、いい加減なコメンテーターが言っているだけではないんですね。そうしたものが普通の日本人にまで入ってきて、私が何十年ぶりかに経験する、そういう態度になって出てきているのでしょう。日本人の対朝鮮認識の底の深さを感じました。
これは、本当の事実を知らないところから来るのではないかと思います。これに対しては歴史事実をキチッと実証することが大事です。それが政治介入を抑制することにもつながるでしょう。
江戸時代二百数十年の朝鮮通信史の対等互恵の関係が、幕末の尊王討幕運動のよりどころとなったのは国学でした。それは天皇の権威を高めるために、『古事記・日本書紀』の史料批判・イデオロギー批判無しに『朝鮮三国は日本の朝貢国だった』としました。
『尊王』と『征韓』を結びつけたのは吉田松陰です。1854年の『幽囚録』に『朝鮮のごときは、古事我に臣屈せしも今は則ち、やや倨(おご)る・・・朝鮮を責めて質を納れ、貢を奉ること古の盛事の如くならしめ』とあります。尊王倒幕=『尊王倒韓』だったのです。」
「尊王倒幕=『尊王倒韓』」というご指摘には「目からウロコ」状態になりました・・・そう、確かに・・・「日本の勃興は、朝鮮の没落を意味した」と、インドのネル−も1932年12月30日の「父が子に語る世界歴史」(みすず書房)で書いていましたが・・・
「本日のアンケート結果」()内は、この学習会を知った理由
●朝鮮半島との関係は戦前・戦後の切れ目なく、差別に基づいていると感じていました。その源流がどこにあるのか、よく分かりました。(友人・知人の誘いで)
●姜教授の論文は在日の私にとって、否定するところのない同感の文章であり、いつか直接お話を聞きたいとの思いが、かないました。ありがとうございます。
韓国のことより日本の歴史のほうが詳しい私ですので、先生のお話を聞いて、もう一度、日韓問題を勉強しなおしてみようと思います。(日韓百年ネットからのメー ルで)
●興味深いお話ですが、歴史的位置関係を把握するため、スライドなどを入れていただくと理解しやすいかと思いました。日本史でいう「東学党の乱」は「農民戦争=日韓戦争」ということを認識しました。(友人・知人の誘いで)
●新聞論調の今昔、大衆レベルの対朝鮮認識の今昔における類似性について、改めて「やはり」という感じを持ちました。70%の学生が敵基地攻撃容認とは、学生が・・・という点に唖然とし、「国権の発動たる戦争」を容認するとは極めて恐ろしい、という印象です。研究者、学者による日常の教育の少なさ、あるいは学者の無力さを感じています。ご高齢の姜先生には本日はたいへんお疲れ様でした。ありがとうございました。(案内はがきで)
●「朝鮮における『戦争』は、宣戦布告なき植民地戦争である」というお言葉に、何かモヤモヤしていた歴史がスッキリ頭に入った。(友人・知人の誘いで)
●知らなかったことを知ることができて良かった。(集会案内チラシを見て)
●ぜひ、3回連続講座として続けてください。(インターネットで知って)
●これまで、触れることに少なかった視点からのお話を伺えて、たいへん、有意義でした。日清戦争を肯定した内村鑑三は、その後、異なる意見を表明していると思います。(インターネットで知って)
●韓国人として、もう知っていた事実ですが、日本人の反応が知りたくて参加しました。両方の平和のために、もっと、がんばってください。(友人・知人の誘いで)
●最近、出席したイベントの中で一番おもしろかったです。このごろ、ひどい情勢になってきてますが、今に始まったことではないと改めて思わされました。続きが聞きたいので、次のイベントも来たいです。よろしく、お願いします。ありがとうございました。(集会案内チラシを見て)
●味わい深く、印象に残りました。姜先生のお話で、朝鮮への侵略と日本の中の変化の結びつきがよく分かり、数々のエピソードも記憶に残りました。この日韓100年ネットは有意義な取り組みだと思います。(インターネットで知って)
●日韓の歴史について、まだまだ知らされていないことが多いことが分かりました。甲午農民戦争の中の日韓の戦いについて、今日、初めて知りました。(集会案内チラシを見て)
●次回もぜひ聴講を希望します。史実、事実のアジア史を学び、子々孫々、共有していくことをライフワークにしてゆきたいと思っています。(日本聖公会平和ネットワークのお知らせで)
姜徳相先生との相談の結果、とても1回の講演で日韓関係史の150年は語りきれないため、「あと2回ぐらいは学習会を持ちたい」ということになりました。また、ご案内しますので、どうぞ、ご参加ください。
また、9月26日(土)か、27日(日)のどちらか(会場確保の都合)には、「コリアン・ジェノサイド」というテーマでシンポジウムを行うことを決定しています。こちらも、ぜひ、ご参加ください。
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