6月11日の判決は、読めば読むほど驚き呆れるばかりの内容ですので、以下のように批判をまとめました。お時間のある時に読んでいただけたら嬉しいです。
<「歴史偽造主義」正当化判決、批判>
増田都子
☆裁判官の「判断」の無い、驚き呆れるばかりの判決
本年(09年)6月11日、東京地裁民事36部において、私の「分限免職」取り消し請求裁判の判決が出た。提訴以来、2年9ヶ月という訴訟だったが、全面棄却という驚き呆れるしかない反動判決だった。判決文を書いた裁判官は渡邊弘、三浦隆志、秋武幾代の3人である。
ごくごく簡単に、この闘いの概要を書くと次のようになる。私は1973年東京都の社会科教員として採用され、33年間、教壇に立ってきた。そして、憲法尊重擁護義務を持つ公務員の端くれとして、当然、日本国憲法と1947年教育基本法に基づく平和教育・民主教育を実践した。当然、あの明白なる侵略戦争を「自衛の戦争」などと主張するものに対しては批判して生徒に教える職責を持つ。そこで、05年受け持っていた千代田区立九段中学校3年の公民の授業で、その年の「ノ・ムヒョン大統領3・1演説」を教材に授業したとき、扶桑社の「侵略を正当化した歴史偽造主義」教科書を都教委が『生徒に愛国心を持たせる一番いい教科書』と主張していること、右翼都議の古賀俊昭が都議会でシャーシャーと「日本は侵略したことがない」と発言していることについて「歴史偽造主義である」という事実を、紙上討論プリントに書いて生徒に教えた。
これを、都教委は「公人及び特定の出版社を誹謗した」と断定し、05年9月1日から06年3月まで、私に現場外しの長期研修を強制し「反省と改善」を強要した。しかし、『反省と改善』が必要なのは「都教委であって私ではない」と、当然の事実を主張し続けたら、06年3月31日、都教委によって「公務員不適格」として「分限免職」となったのである。そこで、同年9月に、この超!? 不当免職の取り消し請求裁判を起こしていた。
侵略否定妄言都議や扶桑社歴史教科書は、「日本の侵略戦争」というれっきとした歴史事実・・・それは日本政府も内外に公式に認めている見解であり、日本国憲法の前提である・・・を否定するものであって、歴史を「偽り造る」ものである。通常は『歴史修正主義』というところだが、『修正』とは普通、「正しく修める」ものであるのだから、私は敢えて文字の意味通りに歴史を偽り造る『歴史偽造主義』ということにしている。日本の侵略否定の主張を『歴史偽造主義』と評価することは、客観的な歴史事実に基づく「正当な批判」であって「誹謗=不当な悪口」などでは全く無い。私は、これを元中学校教諭で映画「侵略」の監督である森正孝さんの意見書や大辞林などの大きな国語辞典からのコピーなども提出して、法廷で常に主張した。
ところが、渡邊弘、三浦隆志、秋武幾代という3人の裁判官が書いた判決文には、「当裁判所の判断」という出だしから、いきなり、以下の驚き呆れる結論が作文してあったのだ。
「『国際的に恥を晒すことでしかない歴史認識を得々として嬉々として披露している。』『歴史偽造主義者達』『侵略の正当化教科書として歴史偽造で有名な扶桑社歴史教科書』との記載が含まれている。これらの表現はことさらに特定の個人及び法人を取り上げて、客観性なく決め付けて、稚拙な表現で揶揄するものであり、特定のものを誹謗するものであることは明らかである」と、全く「稚拙な表現で」何一つ「客観性なく決め付けて」いた!?
通常、「当裁判所の判断」というからには、「当裁判所」は「日本の侵略は事実である」と判断したのか「日本の侵略という事実は無い」と「判断」したのか、扶桑社の教科書や都議の侵略否定妄言についての検討、あるいは「批判」と「誹謗」の定義について「当裁判所の判断」はこうだ、とか書くものだろう。その上で、「当裁判所の判断」としては「侵略の事実は無いから、扶桑社教科書及び都議の侵略否定発言に対して『歴史偽造主義』と評価することは誹謗である」と結論を書くなら、まだ『判決文』らしい、というものだ。
読者の方には、もう「なぜ、この『判決文』という作文が驚き呆れるものであるか」という理由がお分かりいただけたものと思う。この作文には合理的な「当裁判所の判断」など皆無なのである。クスリにしたくとも、どこにも見当たらない・・・渡邊弘、三浦隆志、秋武幾代という3人の裁判官による「当裁判所」は、何一つ「客観性なく」、侵略否定の教科書及び妄言都議を『歴史偽造主義』と評価することは「誹謗であることは明らかである」と決め付けて平然としている。いったい、どこが、どう、「誹謗であることは明らか」なのだ? しかも、私が書いた「歴史偽造主義」とは「稚拙な表現」ときた!? どこまでも「稚拙な表現」しか見当たらない、自分たちが書いたこの「判決文」という作文を棚に上げて・・・こういうのを本当の「誹謗=不当な悪口」というのである。
☆裁判官が歴史偽造主義者たちだった!?
一目瞭然に「明らか」なことは、裁判官の渡邊弘、三浦隆志、秋武幾代らは、侵略正当化の扶桑社歴史教科書及び侵略否定妄言都議と全く同じ立場、全く同じ精神レベルにある「歴史偽造主義たち」だったのだ、ということだろう。だから、なんら「客観性」が無かろうと何が何でも、日本の侵略を否定する主張を「歴史偽造主義」と評価することは、「誹謗なんだ、誹謗なんだ、誹謗なんだよ」と「決め付け」なければならないのである。この裁判は裁判官=日本の司法の歴史認識を問うものでもあった。
以下の作文も紹介しよう。
『原告が教育する対象である中学校の生徒らは、未発達の段階にあり、批判能力を十分に備えていない』『原告は歴史を歪曲、偽造しようとする公人や教科書出版社の存在を生徒に知らせることは、社会科教師の責務であり、正当な行為であると主張する。しかし、本件資料の上記表現は、原告の見解を客観的に教えるというものではなく、自分と反対の見解を持つものを教師の立場において誹謗するものであり、上記判断の通り、そのことに対して信用失墜と評価されているのであるから(筆者注:都教委が、なんら客観性なく「信用失墜と評価」したことを、なんら「当裁判所」の「判断」無く、そっくりそのまま「客観的」事実と決め付けているらしいもの)誹謗の対象者を論じる上記原告の主張を採用する余地はない』
この最後の日本語の文章の意味は理解不能では? なにしろ、裁判官席に座っていた渡邊弘、三浦隆志、秋武幾代らは日本語の「批判」と「誹謗」の相違すら理解できないのだから、しかたないのだが・・・こんな簡単な日本語さえ理解できないものたちには裁判官席に座ってもらいたくないものだ。
「当裁判所」に、私は1972年のアメリカの有名なラッソー事件(国旗敬礼拒否の教師を免職にしたのは違憲としたもの)の判決も証拠として出していた。それには、教師が「教育する対象である中学校の生徒ら」について、以下のように書いてあった。
「彼女の生徒達は揺りかごから出たばかりの子供ではない点に我々は十分に留意している。すなわち、彼女は14才から16才までの生徒から構成される10年生のクラスを担任していた。この発達段階にある若い男性及び女性は、自分自身の判断力を形成する年齢に近づいている。彼らは自分たちを取り巻く世界に意見の対立が存在することを容易に認識している。実際、大人が彼らをあらゆる新聞やテレビから遮断しない限り、この国に現在存在し、これまでも存在してきた政治的立場の違いを理解していない10代の子供は、単に、かなり社会から隔絶した若者でしかない。また、このような知識は何らおそれるべきことではない。ジェイムズ事件で我々が述べたように、学校は生徒に対して、考え、分析し、デマを見分ける力をつけさせるための中心的な役割を果たさなければならない。」
紙上討論の九段中の中学生の意見(これも証拠として提出)を読んでいたら、私の「教育する対象である中学校の生徒ら」が、このアメリカの中学生たちに全く引けをとらないものであることを見てとることは容易だったはずだ。あの紙上討論の束に載っている九段中の中学生の意見を読んで、なお「中学校の生徒らは未発達の段階にあり、批判能力を十分に備えていない」と「決め付け」るとは、これこそ中学生を「誹謗」するもの、というべきである。こんな「客観性な」い「決め付け」の「誹謗」をして平然としていられるのは、裁判官席に座っていた渡邊弘、三浦隆志、秋武幾代らの「中学生」時代がそうだったからだろうか?
☆映画『侵略』の監督、森正孝さんの意見書
しかし、この3裁判官は森正孝さんの意見書も全く読んではいないことが「明らか」である。読む気はなかったのかもしれない。読んでしまって、侵略否定の妄言都議及び扶桑社歴史教科書を「歴史偽造主義」と評価することが「正当な批判」であって、「不当な誹謗」ではない、ということを理解してしまえば、こんな厚顔無恥な「判決文」作文は、さすがに書けなくなっていただろう。私は森さんにぜひ法廷に出て証言してもらいたいと証人申請していた。しかし、森さんを証人とすることを頑として、この3裁判官は拒否した。森さんの意見書のほんの一部を以下に紹介する。
『東京都教育委員会は、今回の増田教諭の「処分」に際して「新しい歴史教科書をつくる会」や古賀、田代、土屋ら東京都議らと軌を一つにする主張を行っている。「増田教諭は、異なる歴史観(「新しい歴史教科書をつくる会」や古賀らの歴史観)を歴史偽造主義であると批判し、特定の歴史観を生徒に押しつけた。その態度は独善的だ」としている。
果たして、都教委の言う「増田教諭とは異なる歴史観」である「我が国は侵略戦争はしていない。自存自衛の戦争、アジア解放の戦争であった」との主張が、歴史の偽造でなくして何であろうか。アジアの人々に対し筆舌に尽くし難い悲惨と塗炭の苦しみを強制してきた侵略戦争の事実を認めず、それを美化・合理化する姿勢を批判しその誤りを指摘することが、どうして「独善的」なのか。日本のアジア侵略の歴史事実を教えることが、どうして「特定の歴史観」を教えることになるのか。
日本のアジアへの戦争が侵略戦争であったことは、内外の歴史学の常識であり、それ故、前記のように日本国の公式の認識として内外に表明してきているのであって、増田教諭はそれに忠実な教育活動をしてきたにすぎない。かりに増田教諭の活動が「独善的」「特定の歴史観の押し付け」とすれば、日本政府の認識こそ「独善的」「特定の歴史観の押し付け」ということになる。
実は、「新しい歴史教科書をつくる会」の発行社の扶桑社自身が、昨年5月、「各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎていた」と認め、この教科書は今後発行しない、絶版にすると公表し自らその非を認めている。したがってこの“右寄り過ぎていた”教科書を採用し、前記三都議らの主張を援用する東京都教育委員会の姿勢こそ「独善的」「特定の歴史観」の持ち主として非難されるべきであって、この誤った歴史観を批判しその独善性を正す努力を行った増田教諭は、社会科教師としての責任感ある実践を行ったと言うべきである。』
以上の文言は、まさに、裁判官席に座っていた渡邊弘、三浦隆志、秋武幾代らが書いたこの恥知らずな『判決』作文そのものへの、極めて適切な全面的批判となっている! 渡邊弘、三浦隆志、秋武幾代よ、森さんに証人として出廷してもらうのは、絶対に避けなければならないことだったようだね!?
☆図星だった、判決以前に作成の『抗議声明』
さて、私は、こんな恥知らずな判決作文にお目にかかる一週間前に、もしも私の全面敗訴ならば、それは、裁判官の「判断」は都教委の主張をそのままコピーしたものになるに違いない、と正確に「判断」していた。そこで、以下の抗議声明を用意していた。果たして!? 判決後のこの抗議声明の読み上げに、訂正は一言一句も必要なかった・・・
2009年6月11日
東京地裁不当判決に抗議する(声明)
「都教委による分限免職取り消し」訴訟原告・増田都子
東京都学校ユニオン、西部全労協、東京全労協
「都教委による増田さんの不当免職を撤回させる会」
本日、東京地裁民事36部においては、私・増田に対する都教委による不当な分限免職処分を正当とした、極めて不公正な判決が下されたことに、心から抗議します。
処分理由は私が授業で、故ノ・ムヒョン大統領の05年3・1演説を教材にして、扶桑社歴史教科書と侵略否定の妄言都議・古賀俊昭を「歴史偽造主義」と教えたことが「誹謗」であり、戒告処分の上、長期研修処分をさせたのに、私が「反省しないから公務員不適格である」という、驚くべきものでした。
この点、東京地裁民事36部では被告の言い分のみを丸呑みにし、私が教えたことは「植民地支配と侵略への反省とお詫び」を表明している政府見解や国会における戦後50年決議・60年決議にてらして、ごく当然であるにもかかわらず、「不当」などと認定しました。
先日は東京地裁における七生養護学校事件裁判で、都議会3悪といわれている土屋たかゆき・古賀俊昭・田代ひろしによる教員への恫喝・干渉が「違法」と正当に認定されましたが、そもそも本件についても、自分が批判されていることを知った都議・古賀俊昭が都教育庁大江指導課長らを呼び出して、私・増田を処分するよう圧力をかけたことに始まっています。また、都議・土屋たかゆきの名前も千代田区教委酒井指導課長から出ていたように、本件は扶桑社教科書を推進し、平和教育・民主教育・性教育弾圧をこととしてきた右翼都議会議員たちの干渉に拠っていました。
そのため、被告・都教委は地方公務員法28条1項3号の分限免職の該当要件「その職に必要な適格性を欠く場合」を極めて恣意的に解釈し、私・増田が本当に「公務員不適格」かについて、全く調査しようとしなかったばかりか、私・増田の公務員適格性を最もよく知る直接の上司である当時の九段中校長の意見の聴取など全く行っていませんでした。それ自体が不当であるのに、東京地裁民事36部はこれも問題にしませんでした。
また、本件の比例原則違反もひどいものでした。ある小学校の副校長の場合「一般教員時代の2002年6月頃から2003年10月頃までの間、繰り返し女子児童の身体を自己の身体に引き寄せるというセクハラ行為を行っていた上、副校長になった2007年6月から同年9月までの間、複数の女子児童に対して腰付近をさわるという行為を繰り返し行っていた。」にもかかわらず、停職6ヶ月に過ぎず、「公務員不適格」と判断しなかったことなど、ほんの一例です。にもかかわらず、東京地裁民事36部はこれらの事例との比較を全く省みませんでした。「行政を勝たせねばならない」という初めに結論ありき、だったからでしょう。
このような不当判決により平和教育,民主教育が今後さらに圧迫されることを深く憂慮するとともに,日本国憲法の理想実現のために,良心ある人々とともに最後まで闘い続けることを表明します。
☆「歴史偽造主義」は戦争への足音
要するに、渡邊弘、三浦隆志、秋武幾代という東京地裁のれっきとした裁判官(ニセ裁判官というわけではないらしい!?)が、ここまで恥知らずな判決文を作文しなければならない、という使命感に燃えたのは、戦争に向かい九条改憲まっしぐらという時代だから、日本国憲法が侵略戦争への反省から作られていることを拒否するものに対する「歴史偽造主義」批判を封印することは絶対に必要だ、と考えたからだろう。立法官だろうと行政官だろうと司法官だろうと日本の権力は、この動きを妨害する人間は許さない、まして、そんなことを中学生に教える教員は絶対に許さない、ということなのだろう。
「歴史偽造主義」は、戦争への足音である。だからこそ、私の闘いは刀折れ矢尽きるまで、断固として続けなければならない。でなければ、あの、日本の侵略戦争と植民地支配におけるアジアと日本の数千万に上る犠牲者たちに申し訳が立たない。
皆さま、今後とも、ご支援ご協力、どうぞよろしく!
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