「大野さんと私」、偲ぶ会、報告 09/4/2

 大野さんをご存じない方もいらっしゃるかと思いますが、このように「正しき道を強く踏」み切った人生を歩まれた方について、お時間がありましたら、知っていただきたいと思います。

 大野昭之さん(元都教組役員、元都内公立中校長)は私の闘いに対して心から支援を惜しまず、この10年ずっと支援の代表を引き受けてくださっていましたが、去年11月9日、肝臓癌により、ご逝去されました(享年81歳)。病名が分かってから亡くなるまであまりにも早かったので、とてもショックでした。しかし、悲しみで闘えなくなるようでは大野さんに叱られます。

 そこで、去る3月28日に豊島勤労福祉会館で「偲ぶ会」をもち、大野さんの数々のエピソードを語り合い、追悼と更なる闘いの前進を誓い合いました。出席連絡のあった方は15・6名でしたので、出席者は飛び入りも含め25・6人ぐらいかと予想していました。ところが、大野さんのご人徳でしょう、その2倍近い方にご参集いただき、嬉しい悲鳴でした。

 高校の音楽教員の方のバイオリン演奏による心に染み入るレクイエムや、大野さんが私に歌ってくれると約束してくださっていたのに、実現できなかった「満州国国歌」を歌ってくださった方、大野さんの教え子の方の話、大野さんの共産党員時代の話(その後「除名」という名誉!?)、都教組時代の武勇伝等々、「あら玉の年の初めに誓いたり 正しき道を強く踏まんと」(1986年の年賀状にあった歌)を実践された人生であったことが本当に良く分かりました。

 このような方に「同志(トモ)」と呼んでいただき・・・2007年の年賀状「花冷えの請願終えて家に着く 我を待ちしは同志(トモ)の免職」・・・共に闘えてきたことを心から光栄に、また幸せなことと思い、更なる闘いへの勇気が沸いてきました。

 この会で書いていただいたり、「参加したいが、会議などでどうしても出席できない」ということでいただいたメッセージを添付ファイルにしました。お時間のある時に読んでいただければ幸いです。

大野さんを偲ぶ会