都教委糾弾裁判、傍聴記&報告記 08/12/4
 12月1日午後、東京地裁でありました私に対する都教委による超不当!?『分限免職』取り消し裁判に多くの方に傍聴参加いただき、たいへん、ありがとうございました。満席では入れなかった方もいらっしゃったようで、せっかくお越しいただいたのに、もうしわけありませんでした。

 報告記は長いため、添付します。お時間のある時に目をとしていただけたら嬉しいです。ここでは、傍聴参加者の方の傍聴記をご紹介しますね!




●「痛快な裁判でした!」

増田都子さま  
 昨日の裁判はすばらしかったです。教え子さんが証言者になってくださり、和久田弁護士やその他の弁護士の方々が話をうまく引き出し組み立ててくれ、そして増田先生が明快な適格な答弁をされたために、痛快な法廷となりましたね。

 紙上討論授業が、どんなに生徒に思考力をつけたか、そのため生徒から感謝され、父母からも感謝されたか、それが分かりましたね。聞いていて私は紙上討論による歴史授業こそ理想的な授業方法だと思いました。こんなにいい授業する先生を辞めさせたのはやっかみじゃなかったかとさえ思いました。

 被告らは授業の現場を知らず、生徒達の心のなかを知ろうとんもせずに「枚数が多くて生徒には理解不可能」とか「増田先生が一方的に自分の考えを押しつけている」などと紙上討論授業の悪口をいっていましたが、今回、都教委側の議論はみじんに砕かれましたね。 

 一体、増田先生を授業からはがして反省を強制する「研修」をさせ、最後は免職までするのは、何を怖れてなのでしょう? 私はそれは、先生が教育公務員に自己を限定せず、人間として正しいと思ったことを生徒に教えるからだと思いました。

 要綱や規則などに縛られず、世間の常識さえ時には脇に置いて、本当の教育を貫こうとされる・・・これは一種教育ルネッサンスですよね・・・だから、「迫害」にあってしまうのではないでしょうか? 先生はただ自分に忠実なだけだとおっしゃるでしょうが、体制依存的な人間には「反体制的」に見え、おびえてしまうのでしょう。  

 この裁判は日本の教育行政の行方を占うものですよね。個性的で創造的な先生たちを護って日本の教育を豊かにするか、逆らわないという一色しか思想を認めない、貧しい死に体のものにするか、分かれ道ですね。

 でも、田母神免職も追い風だし、増田先生復職もほぼ決り、という印象を持った裁判でした。 どんな「迫害」にあってもたじろがない東京のジャンヌダルクに対し、多田謡子反権力人権賞はピッタリですね。おめでとうございます。 


●「増田先生に教わっていたら!

 教え子の証人尋問では増田先生の分限免職処分の理由のひとつである「紙上討論」と呼ばれるB4サイズの紙を使ったプリント授業についてでした。

 「『紙上討論』プリント授業では最初は自分は2,3行しか自分の意見を述べることが出来なかった。しかし、生徒みんなで誌上討論に加わっていくに従って自分の意見が豊富化していった。B4のプリントも最初は2,3枚だったのがみんなの意見が膨れ上がって10枚にもなることがあった。

 10枚ほどのプリントを理解出来ないと言われるが、10枚にもなったのは生徒がみんな自分の頭で考えて意見を述べるようになったからであり、理解出来ていなければ10枚まで増えることはないと思う。 

 就職し、会社内でのミーティングでも他人の意見を真摯に聞き、そして自分の意見を整理して言えるようになった。 こんな増田先生のように自分はなりたいと思う。 欠格教員なんかじゃない。 」

 と明確に分限免職の無効を訴えました。

 対して東京都教委の代理人の弁護士の反対尋問のいやらしさには目に余るものがありました。反対尋問をして自分の求める回答が得られないと山羊さんのような優しそうな眼をしていたこの弁護士は突如怒りだし、裁判官からも「もう答えましたよ」とたしなめられる有様でした。沖縄の米軍基地の問題、従軍慰安婦問題など様々な資料を取り上げ平和教育をされてきた増田先生に敬意を表したい気持ちいっぱいになりました。  

 一緒に参加した仲間は  中学の時に増田先生のような教師に出会っていたら社会科が好きになっただろう。良い先生に出会わなかったので、私は自分で勉強したもの以外は学校での授業は嫌いだった。 と感想を述べていました。  

 中間達での勉強会でも元教員の二人は「増田先生の言う通りだった。都教委はとにかくいやらしかった。学校が教育の場ではなくなっていった。」と感想を述べていたそうです。

都教委糾弾裁判報告記