「韓国併合百年」市民ネットワーク設立総会&集会に参加して 08/10/27

 以下、私も、いろいろな方に参加を呼びかけさせていただきました件名集会の報告です。私の記憶とメモを基にしていますので、ニュアンスに違いはあるかもしれませんが、たいへん、意義深く内容のある会でした。集会成功のために奮闘してくださった会の運営委員会の皆様、ありがとうございました。

 まだ、この「反省と和解の市民宣言運動」に参加されていらっしゃらない方は、ぜひ、ご入会ください。
http://ameblo.jp/100net/entry-10151722277.html


●10月25日(土)「韓国併合百年」市民ネットワーク設立総会&集会に参加して

<設立総会>
 2年後に「日韓併合条約」百年を迎えることを受けて、真の信頼関係構築のために日本と韓国で、お互いに「反省と和解の市民宣言を行おう!」という市民運動の設立総会が午後1時から龍谷大学深草キャンパス3号館201教室で開かれました。開会挨拶は発起人の中山武敏弁護士(共同代表の一人で東京大空襲訴訟や重慶空襲訴訟に携わっておられます)。

 経過報告は立命館大学講師の嚴敞俊(オム・チャンジュン)氏から・・・京都自由大学と交流のある韓国の市民団体との話し合いの中で真の日韓の和解のために両国でそれぞれ運動し連携していこうと始まった、ということです。ですから、一番最初のメンバーは5人! それが、瞬く間に発起人が217名と集まり、25日の設立総会となったのです。

 会の名前や共同代表の数をめぐって論議がありました。「日韓併合条約」と「条約を入れたらどうか」という提案があり、「しかし、『条約』だけにすると内容が狭まるので、『条約』を含んだ植民地の過程全部が問題なので」「そもそも『条約』として成立しているか、という問題もある」「名称は短いほうが良い」等々、総会で議論をし続けると長時間を要しそうなので、今後の運営委員会でよく検討することになりました。

 共同代表については「数が多すぎるのではないか? 普通は3〜4名ぐらいでは?」と疑問が出されましたが、「この会は、それぞれの方のネットワークをつなぐという意味があるので、多くてもよい」ということで、以下16名に決まりました。

 岩佐英夫(弁護士)、大久保史郎(立命館大学)、岡田卓己(啓明文化大学)、神谷雅子(京都シネマ)、宋富子(高麗博物館名誉館長)、竹内真澄(桃山学院大学)、田中宏(龍谷大学)、俵義文(子どもと教科書全国ネット)、鶴見俊輔(哲学者)、戸塚悦郎(龍谷大学)、中山武敏(弁護士)、波佐場清(元朝日新聞記者)、増田都子(東京都学校ユニオン)、三島倫八(龍谷大学)、安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)、李清一(在日韓国基督教会館)

 運営委員や会計監査の方が決まったあと、韓国の運動の中心となる京畿道市民フォーラム事務局長の尹玉慶(ユン・オッキュン)氏から挨拶がありました。韓国では仮称ですが、「韓日100年平和ネットワーク」として運動をするそうです。この方は、10月10日のソウル第2回歴史NGO世界大会で、私に激励の花束を下さった女性でした! 降壇なさった時、「こんにちは。増田です。カムサハムニダ(私が言える2つの韓国語のうちの一つ)」と、固く握手をしました。

<記念集会>
☆まず、元韓国赤十字社総裁の徐英勳氏(「韓日100年平和ネットワーク」顧問の予定)から、祝辞をいただきました。本当は設立総会での祝辞の予定でしたが、飛行機の到着時間の関係で集会の冒頭となったものです。でも、この順番で本当に良かったような!?

 「私は1923年の生まれです」とおっしゃいましたから、今年85歳になられます。少し足元が不安そうでしたが、病気を克服され「明日からの大阪で開かれるワンコリア・フェスティバルにも出席します」とお元気でした。「23歳まで国籍は日本でした」と日本語での祝辞です。途中、西條八十の作詞、古賀政男作曲の「誰か故郷を思わざる」を上手に歌われたので驚きました。「東北アジアの平和と連帯のために、真の日韓の信頼関係を築くことが大切で、この運動がその基礎となることを期待します」

☆次に金 昌禄(キム・チャンロク)氏(慶北大学校教授)「韓日過去精算と訴訟運動」について日本語での講演です。韓国の方々の「過去清算訴訟の背景」として、以下の指摘がありました。

「1910年から1945年まで続いた日本による韓半島支配は、特に日本が侵略戦争を拡大していった1930年代後半からの徴用・徴兵・勤労挺身隊、日本軍『慰安婦』などの被害、敗戦後のBC級戦犯・サハリン抑留者・在日韓人(朝鮮人)などの被害、創氏改名や皇民化政策による被害など、数多くの被害をもたらした。

 1952年の『対日講和条約』の発効に際しては、日本国籍を喪失したこととして処理して、『日本人』のための各種援護法の適用から排除。被爆関連法に関しては、国籍条項はなかったにもかかわらず、『国内居住』が要件であるとして、韓国に帰還した被爆者たちはその適用から排除」

 「日本における訴訟」は「2007年現在40件のうち、国籍条項のない被爆関連訴訟は多くの原告勝訴判決。しかし、国籍条項のある援護関連法においては原告勝訴判決は、いまだにない」

 しかし、「韓国人被害者たちが、その深刻性にもかかわらず、半世紀近く心の中に埋めておくしかなかった被害を、日本の裁判所という公的な空間で主張でき、多数の日本の裁判所が判決文という公的な文書で、その被害を詳細に記述して被害の存在を認めたという成果を生んだ。訴訟を通じた持続的な問題提起は、韓日両国の市民団体の積極的な活動や国際社会の圧力ともあいまって、95年の村山首相談話など、日本政府からの一定の『お詫びと反省』も引き出した。2000年6月7日には『平和条約国籍離脱者等である戦没者遺族等に対する弔慰金の支給に関する法律』制定」

 しかし「『弔慰金法』には被害者への謝罪はなく、性格も『人道的精神に基づく』とされ、加害責任が不明確で、しかも『恩給法』に基づく日本人への支援金と比べ顕著な差がある。そもそも加害者処罰は訴訟から排除された。日本の裁判所は『韓国併合条約に基づいて日本臣民になり』『日本国籍を持つ日本国民であったことは確か』だから『日本国民が等しく受任すべき戦争犠牲ないし戦争損害と同一視しなければならない』とした」

 結びは「過去清算訴訟の限界を克服し、真の過去清算を成し遂げ、韓日間の『歴史戦争』を終わらせるため、『韓国併合』が何であり、何をもたらしたかを見つめ、正しく位置づける必要がある。その意味を韓国と日本の間で共有することによって、両国の真の友好関係を築き上げることこそ、『韓国併合100年』の課題なのである」

☆続いては、蓮池透(拉致被害者の蓮池薫さんのお兄さん)氏の「2つの国の狭間で翻弄され続ける家族」という講演です。
 私たちの耳目に入る日本のマスコミ報道によれば、拉致被害者の『家族会』の方々や、いわゆる『救う会』の方々の主張は「金正日、憎し。もっともっと経済制裁を強化して、北朝鮮に圧力を強めるべし」というものばかりです。しかし、被害者の家族の方から、 そうではなく落ち着いた冷静な対話が必要と考え、日本の過去の歴史問題と密接に関係する普遍的な人権問題として解決方法を探ろうとなさっていることに、とても感動しました。

 「24年間も家族を拉致されたままだったことは、北朝鮮と日本政府の両方の国家に責任があると思います。弟もそうですが帰って来られた人たちの『自分たちは日朝間の不幸な過去の犠牲になった』という意見には、過去の歴史のせいだけにしていいのか? と思います。また、弟たちは北朝鮮で『日本人が拉致した朝鮮人は何万人、日本人拉致は20人だ』と言われたと言いますが、それには納得できません。

 しかし、日本政府は過去(の清算)を先送りしウヤムヤにし歴史の闇に葬っていて、これは行政府としての怠慢だと思います。清算すべきはする、日本政府がそうしていたら、拉致事件は防げていたかもしれないとも思います。『日本は正義、北朝鮮は悪』、これは実態とかけ離れています。偏狭なナショナリズムを煽って首相になった人もいますが、日本政府は本当の拉致問題の解決には次々と失敗していると思います。『憎たらしいから北朝鮮はつぶせ』では被害者は帰って来れません。経済制裁もテロ国家指定も被害者を救うために何もなっていません。(自分たちの怠慢の)エキュスキューズ(言い訳)のアリバイつくりに思えます。

 北朝鮮の日本に対する怒りと憎しみの原因を日本政府は考えるべきでしょう。政府は家族会の顔色を伺い、家族会の言う通りやっているというのですが、もっと、真の解決につながる本質的なことはできないのか、と思います。内閣官房が、本当に救出しようとしているとは思えないのは『世論喚起』だけしかしていないからです。家族会を利用して北バッシングを続けているように思います。

  被害者家族は、戦争以外なら、どんな手段ででも家族を取り戻してほしいと思っています。20万トンの重油を出したり、段階的に経済制裁を解き、『行動対行動』を北朝鮮に迫ればどうでしょうか。

(救う会の議員が青い)バッジを付けているのは票稼ぎです。いわゆる『右』の人が多くて、強制連行はなかった、とかいう人が多いです。こういう人たちに普遍的人権を語る資格はないでしょう。被害があれば救済するのが法です。拉致事件は社会問題で、核兵器問題の六者協議の政治問題と結びつけたりするようなイデオロギーの問題にしてはいけないと思います。

 もう感情をぶつけるだけではだめで、どうしたら家族を取り戻せるか理性を持って考える時期です。政府は『(日朝平壌宣言に盛り込まれた)過去の清算』をしてでも、対話の糸口をつかんでほしいと思っています」

 質問として「お話に、とても感動しました。でも、こういう主張をすると、旧日本軍の戦争犯罪を告白してひどいバッシングを受ける元日本兵の方もいらっしゃるように、蓮池さんも『裏切り者』とか、バッシングがあるんじゃないか心配です」という人がありました。

 お答えは「確かにあります。私は今は『家族会』とも『救う会』とも距離を置いています。マスコミにも(家族会の言うとおり報道しなければいけない、という)タブーがありますから、この件では『言論の自由』はありません。だいたい、学校では近代日本の歴史を教わりませんでした。明治で終わりでした。日本の近代史をきちんと(子どもたちに)教える必要があるでしょう。」

 「弟の蓮池薫さんは、どのようにお考えでしょうか」という質問には、「『日本政府を相手取って裁判をしよう』と誘ったけれど『いやだ』と言われました。拉致されて、幸か不幸か朝鮮語を身につけなければ生きていけなかったために朝鮮語をものにしました。今は、身につけた語学を生かして、韓国の文学の翻訳をしています。そして『日韓文化の架け橋になりたい』とプラス思考でいます」

☆休憩に入る前に、私にアピールする時間を3分与えていただきましたので、さっそく、蓮池さんのお言葉をマクラにさせていただきました。

「私は東京の社会科教員として、蓮池さんの言われた日本の近代史をきちんと教えてきました。そして、そのために首にされました!?

私は共同代表に入れていただきました増田都子と申します。お手持ちの封筒の中に「たたかう! 社会科教師」という私のビラが入っています。私は石原慎太郎お気に入りの右翼に乗っ取られている東京都教育委員会によって最も弾圧されている社会科教員です。私は2年前「公務員不適格」として「分限免職」つまり「クビ」になりました。

 私は33年間、教え子を再び戦場に繰らないために、きちんと憲法教育を行い、侵略戦争の真実を教えてきました。では、なぜ、首になったのでしょうか? それは05年のノムヒョン大統領3・1演説を教材にしたことが原因です。あの演説は格調高い、すばらしいものでした。韓国国民に対してだけでなく、日本国民にも『真の和解のために、どうしたらいいか考えてほしい』という内容でした。そこで私は、この全文を教材にして大統領宛に手紙を書かせる、という授業を行いました。

 そして、その生徒の手紙をプリントし、増田先生もこんな手紙を書きましたよ、と紹介したのです。私はその中で、東京では古賀俊昭という自民党の都議が文教委員会で『日本はどこも侵略したことがない』という妄言を吐き、それが何も問題にならないこと、扶桑社の歴史教科書を一番良い教科書といっている事実を教え、『これは国際的に恥をさらす歴史偽造ですよ』と生徒に教えました。みなさん、このどこが、そんな超不当処分に値すると思われますか?

 『公人と特定の教科書会社を誹謗中傷した』というのです。もちろん、すぐに首になったわけではありません。まず戒告処分の上、教員強制収容所送り、つまり研修センターというところに入れられ、常に背面を監視される中で『反省』を強要されたのです。でも、私は『反省すべきは扶桑社教科書を押し付けている都教委であって、私ではない』と主張し続けました。そこで『公務員不適格だ、クビだ』となったのです。

 今、私は『免職処分』取り消し裁判で闘っています。皆さん、ぜひ、裁判所に対して『免職』取り消し判決を出すように署名していただけないでしょうか?」

 韓国の方で「(韓国の)テレビで見ました」と声をかけてくださる方がいましたが、何しろ日本のマス・ゴミ!? は、私の闘いを全く報道してくれませんので、「初めて知りました。ショックです」「がんばってください」と言われる方が多かったです。多額のカンパを下さった方もありました。ありがとうございます。お気持ちが、とても嬉しかったです。

☆休憩後、李玉善(イ・オクソン)氏(日本軍「慰安婦」被害者)の証言とドキュメンタリー映画「アンニョン・さよなら」の李 熙子(イ・ヒジャ)(靖国合祀中止訴訟の原告)の証言を聞きました。

 李玉善さんは、1927年の生まれですから、今年、81歳になられます。ナヌムの家から来られました。加害者の国の人間として被害者の証言を聞くのはとても辛いものがあります。

 彼女は16歳の時に道を歩いていて見知らぬ男性二人(朝鮮人と日本人だったといいます)に拉致され、中国・延吉市内の日本軍の飛行場作りに強制労働をさせられました。

 その扱いは、本当にひどいもので奴隷労働としか言えず、人間としての尊厳を求めて抵抗したために、後に「慰安所」に入れられ、とても口ではいえない性的被害を受け続けたのです。一般の兵士よりも将校がひどい扱いをしたそうです。

 「日本では『慰安婦はお金をもらっていて、いい思いをしていた』とか『強制連行はなかった』とか言う人がいるそうです。そんなことは全くのウソであるという証拠を日本政府は持っているはずです。では、聞きますが、『私の、この刀傷は、いったい、どうして残っていると言うのですか?』・・・日本では、私たちが死に絶えるのを待っているのですか? 

 私は日本が敗戦後も国に帰ることができず、中国で58年間も暮らしました。2000年にやっと韓国に帰れました。でも、私は死んだことになっていました。戸籍もありませんでした」

 日本政府が本気で日本人拉致被害者の救出を目指し、「北朝鮮国家犯罪による人権侵害」を糾弾するなら、先ず、できること、大日本帝国国家犯罪による日本軍性奴隷に対する謝罪・真相究明・加害者処罰・正当な補償をすべきでしょう。それは日本人拉致被害者および家族の(北)朝鮮政府に対する要求と同じです。そうすれば蓮池透さんのおっしゃるように「行動対行動」を明快に要求できるでしょう。

☆李熙子さんは日本の厚生省などから入手したお父さんの軍歴や死亡にいたる証拠資料をスクリーンに映し出しながら説明され、「なぜ、家族には強制連行した父の戦死を知らせもせずに、勝手に靖国神社に合祀したのですか? そもそも、軍属として徴用された父がなぜ、戦傷死しなければならなかったのですか? 父の魂を取り戻すまでは用意したお墓に名前を刻めません」と、とても明快でした。

 彼女が、お父さんの死について日本政府から連絡を受けたのは1992年のことで、靖国神社への合祀は1959年のことだったのです。1歳の時にお父さんは徴用され、二度と彼女はお父さんに会えませんでした。

 これだけの罪を重ねながら、わが日本国は「1965年の日韓条約ですべて解決済み」とは、とても言えないでしょう。

 2年後の大日本帝国による「韓国暴力併合100年」を迎えるに当たり、真に朝鮮半島の人々と和解し、東アジアの平和を確固たるものとするために、この「韓国併合100年」市民ネットワークの「反省と和解の市民宣言運動」は、とても重要になると思います!