ソウル第2回歴史NGO世界大会に参加して 08/10/12

こんにちは。犯罪都教委&3悪都議と断固、闘う増田です! 重複かつ超!? 長文ですが、ご容赦を。お時間がありましたら読んでいただきたいと思います。

 先月のハルビン「731部隊罪行研究国際セミナー」に引き続き、10月9・10日と、ソウルで行われた「第2回歴史NGO世界大会」に参加して貴重なご意見を聞きましたので、ぜひ、お知らせしたいと思います。また、ここで、アピールさせていただき、東京地裁に提出する「免職取り消し判決」要請署名も集めることができました。我孫子の近現代史講座に参加してくださっている古野恭代さんが同行してくださいましたので心強かったです。

 会場はソウル・オリンピックの時に作られたらしいオリンピック公園の真ん前にあるオリンピックパークホテルでした。会議場にはそれぞれ「アテネ」『ベルリン』『東京』などという名前が付けられていました。

 全体的に印象に残ったのは、「日本が二度と侵略戦争をしない」という国際公約の証としての第9条を放棄しようとしていることへの危惧の念を韓国の複数の方々が表明されたことです。天皇制を残しても侵略戦争をできないようにしてあった第9条の足かせを日本が外すことは、日本帝国主義に蹂躙された悪夢を被害国に思い起こさせるものであることを再確認しました。

 また「日本は国際社会で大国として認められようとしているが(たぶん、安保理事国になりたいと表明していることをおっしゃっているのでしょう)、過去を清算しないままでは、決して、真の大国として認められることはないだろう」と言われた方もいました。

以下、具体的に報告します。




9日(木)
 全体会の開会は午前中だったのですが、飛行機の関係で午後3時からのテーマ別シンポジウムに間に合いました。6つのシンポの内、私は、もちろん!? 「歴史的和解のための平和教育」に参加。ここは、民間の協力による日中韓の共通歴史教材(副教材)『未来を開く歴史』(高文研)を中心に論議されました。

●<印象的だった辛珠柏氏(ソウル大)教授の発言>

最初の辛珠柏氏(ソウル大)教授の次の発言が印象に残りました。「日中韓の3国は『国際化』を掲げているが、過去の歴史をめぐって毎年恒例行事のように問題が生まれています。歴史認識問題は東アジア外交関係における最大の障害物になっているのです。

 1982年、日本における高校教科書検定問題によって、歴史認識の問題が初めて提起されましたが、それ以後、日本における歴史教科書の記述内容と日本人政治家の『妄言』をめぐって時折、問題が出ていました。しかし、21世紀に入って、東アジアの歴史認識問題は、教科書問題以外にも独島・北方4島、尖閣諸島などの領土問題、東海表記などの海にかかわる名称問題、日本の政治家による靖国参拝問題、日本軍による韓国人の徴用・徴兵・『慰安婦』などの強制動員問題、とさまざまな形で噴出しています。

 しかし、これらは別途の独立した事案ではありません。歴史認識問題は、長期的な接近を通して変化を試みていく長期的・総合的な接近が必要で、歴史教科書は、これらの問題を修練することのできる知的空間ではないでしょうか。歴史教科書は学問的成果と教育的価値を土台に記述され、人類の普遍的価値を盛り込むことができる最も大衆的な媒体物だからです。

 ヨーロッパではドイツ・フランス・ポーランドが国際教科書対話を行い共同の教科書の発行もできています。しかし、東アジアにおいては未だに、歴史が外交と分離されていないばかりか、外交によって統制されています。ヨーロッパと比較し、もうひとつ不利な点はヨーロッパでは各国のユネスコ委員会が大きな役割を担いましたが、東アジア3国では、ユネスコはまともな役割を果たすことができないでいます。

 そこで、この空白を埋めるために2002年から民間レベルの努力が始まりました」

 本当にその通りですね。「歴史認識問題は東アジア外交関係における最大の障害物」なのです。しかし、しかし・・・日本では、この『事実』がどれほど理解されているでしょうか? 「創氏改名は朝鮮人が望んだから、そうしてやったんだ」などと主張する人物を首相に選んで恥じない我が日本国の、どうにもしょうがない政治家たちをはじめとして、こういう政治家を選び続ける日本国民・・・そういう国民を育成してきた教育の悪循環・・・だからこそ、それを正そうとした教員である私を、都教委はなんとしてでもクビにするしかなかったんですけど。

●<過大評価のような・・・>
 さて、しかし、だからといって『未来を開く歴史』を、上海師範大学教授の蘇智良氏のように、あんまり過大に評価するのもどうかなぁ? と私は首を傾げました。彼は書評の紹介という形ですが「『未来・・・』は日本の右翼勢力に対する強力な反撃となった」!? と発言されたのです・・・んーーー・・・???

 「日本の右翼勢力による『歴史偽造』は誤っている」と理解できる人たちが、「事実」に立脚しないことを言っていいのでしょうか? それでは歴史偽造・右翼勢力との真の闘いの土台を作ることはできないのではないでしょうか?

 東大教授の松本武祝氏は、『未来・・・』を使った高校教科書として用いられた私立高校の事例一つ、中学校の教材として用いたのは一例のみで、それは東京の公立中学校の理解ある校長の下での選択教科の36人だったことを挙げられました。そして「中高校生にとっては内容が難解すぎたという難点があった。」という分析を披露されました。

 私は「内容が難解すぎ」というよりも、本質的問題として最後に発言された宮嶋氏の指摘のほうが当たっていると思います。私が中学校現場の社会科教師として、非常に使いにくいと思ったのは「内容が難解すぎ」るからではありません。値段が高すぎ(1600円)&厚すぎるという点は普通の公立中学校の副教材としてはもとから対象にはなりませんが、それはおきます。

●<宮嶋氏の非常に的確な指摘>
 討論者として参加された成均大学教授の宮嶋博史氏の『未来・・・』に対する問題点の指摘は、ズバリ明快でした。私が、中学生に対する副教材としては非常に使いにくいと感じていたことの本質は、これです。

「本書は『日本はなぜ韓国、中国をはじめとするアジア諸国に対する侵略を行ったのか、韓国、中国はなぜそれを防ぐことができなかったのか』この最大の問題に関して十分に答えていないのではないでしょうか?・・・日本が何をしたのかについては詳しく記述されていますが、なぜ、どのような判断に基づいて行動したのか、については言及がありません。

 たとえば韓国を保護国とするという重大な岐路が『余勢を駆って』という表現で処理されていることとか、『完全な植民地とした』という記述だけで、いつ、どういう判断に基づいて植民地化を決定したのか、それがいかに重大な決定であると認識されていたのか、等に関して全く記述がないのです。侵略行為の事実を知ることはもちろん重要ですが、それだけでなく、なぜ無謀な、結局は日本を破滅に追い込んだ侵略を始めたのか、に関して考えることが最も重要ではないでしょうか?

 また、日本人は関東大震災において朝鮮人大虐殺を行い、南京大虐殺を行いました。しかし、日本敗戦時、朝鮮や中国の人々による日本人大虐殺はなかったことなど、記述するべきではないでしょうか?」

●<増田の発言>
 会議が始まる前に司会の方に、自己紹介をし「ぜひ、アピールさせていただけないでしょうか」と頼みました。するとフロア発言の第一番に指名してくださいました。そこで、上の内容に加えて概略、以下のように発言しました。

 「私は明日の第7分科会の討論者となっております増田都子と申します。私は東京の中学校で33年間、社会科教員をしていました。しかし、2年前に扶桑社の歴史教科書と侵略否定の妄言議員を『国際的に恥をさらす歴史偽造の歴史認識ですよ』と批判して生徒に教えたために、東京都教育委員会によって免職されました。そこで、私の経験から申しまして、蘇智良先生が言われましたような『未来を開く歴史』の出版が『日本の右翼勢力に対する強力な反撃となった』という事実は存在しません、と断言します。

 扶桑社教科書と侵略否定妄言都議を批判して免職された私に対して韓国のマス・メディアは『日本の良心的女教師、扶桑社教科書批判で免職される』と報道してくれましたが、日本のマス・メディアは報道を拒否し、右翼勢力は勢いに乗っています。松本先生も私の闘いには無関心でいらっしゃったようですが、松本先生の発表のように、『未来を開く歴史』を教材として使用している子どもたちは、日本では、ほとんど『例外的』で数えるほどです。『未来を開く歴史』よりも扶桑社教科書を使っている子どもたちのほうが、よっぽど多いでしょう。

 とても『日本の右翼勢力に対する強力な反撃となった』といえるほどではありません。私は、東アジア共通の歴史教科書を作る、という運動はとても大切だと思いますが、事実を無視してはならないと思います。

 私は現場の教師として、宮嶋先生が指摘なさった本質的な問題が、『未来を開く歴史』にはあるので、とても使いにくいと考えていました。もちろん、東アジア共通の歴史教科書を作る、という試みはとても大切だと思いますので、これからこの点を踏まえて、もっと良いものに改善していってほしいと思います」

●<俵義文氏の発言>
 ここに参加しておられた俵氏は、宮嶋氏や私の発言を意識なさったのか・・・といって、他の発言者の中からも「この本(『未来・・・』)は三国史だ、つまり、内容がバラバラだ、という批判もある」と認める声が出てました・・・以下のように発言されました。

 「この本は、扶桑社教科書が採択される、という状況で、それに対抗するために急いで作ったものでした。『違い』よりも『共通点』を大切にしよう、ということを中心においたのです。

 『出版社は採算が取れない』と二の足を踏んだのを『絶対に大丈夫だから』と私が請合って出版できたんです。結果的に8万部も売れ私もホッとしました。地域でこの『未来・・・』を使った学習会も活発に行われています。」

  でも、さすがに「『未来・・・』が日本の右翼勢力に対する強力な反撃となった」事実がある、とはおっしゃいませんでしたが。

●<盛大な晩餐会で素敵な出会い>
 夜の食事場所は、大きな池(川か? と最初は思いました)に面したとても素敵な雰囲気の野外でした。200人ぐらいの大晩餐会・・・これでもか!? という感じのたくさんの美味しいお料理のバイキング。司会の方は「ミーティングはイーティングのあとに」と言われましたが、ミーティングはなかったような・・・

 会議は分科会もすべて、日本語・英語・中国語の同時通訳があり、この費用は莫大なものでしょう。この主催は韓国の「東北アジア歴史財団」ということでしたがNGOに対して、なんらかの公的資金の支援があるような感じです。ハルビンの国際セミナーも、ハルビン市や国立の研究機関である社会科学院が莫大な費用を出してくれていたようでした。わが国で、こういう「日本の右翼勢力による誤った歴史認識を正すための話し合いをする国際会議」に公的機関が財政支援をしてくれる日が来る時があるでしょうか?

 会場には大きなステージが作られ若い人たちのエネルギッシュな歌と踊りが次々と披露されました。この大会の裏方は大勢の若い学生さんたちのボランティアだったようです。受付やら進行やらどこでも若い人たちの熱心な姿があり、我が日本国の現状を思い、羨ましく・・・そして、また、この若者たちの歌と踊りの上手なこと。てっきりプロに違いないと思ったんですけど、「アマチュア」と司会者に言われてびっくり。

 ここで、偶然、有名な宋富子(ソン・プジャ)さんが同じテーブル席についていらっしゃいました。在日二世として受けた差別の中で絶望した時もあったけれど、多くの愛する人々に出会い民族意識に目覚めて救われ、その半生を一人芝居にして演じて大勢の人を魅了されている方です。

 高麗博物館を作られた初代館長さんでもあります。「高麗博物館を作りたいと言った時、みんなから『気が狂ったか?』って言われたのよ」と笑顔で語られます。本当に「綺麗」という言葉の漢字がピッタリな方でした。私の闘いをお話しましたら、「そんなことが本当にあるのぉ?」と目を丸くして驚かれ、そして励ましてくださいました! 翌日、ハングルで一人芝居を演じられると聞き、ぜひ、見たい! と思ったんですが、あいにく、私の発言時間と重なり、残念でした。


10日(金)
 第7分科会の基本テーマは「独島=竹島問題」です。2部に分かれており、私は後のほうの討論者としてアピールさせていただくことになりました。

●<独島=竹島の教科書記述が呼び起こす日本への不信>
 第1部で聞いていて、いろいろなことを考えさせられたのですが特にキム・ポンウ独島運動本部代表議長の方の発言には考え込まされました。「私は学者ではないので」という前置きで話されたのは「今の時期に独島を子どもたちの教科書に書いて日本のものだと教えることは、日本がまた膨張主義になっているのではないか、領土を膨張させようとしているのではないかと、強い危惧を持っている」と・・・

 なにか「戦前の日本帝国主義の再現があるのではないか」と強い不安を感じていらっしゃるような感じを受けました。んーーーー・・・日本に住んで日々、生活しているものとしては「そこまでは杞憂です」と言いたい気がしたのですが・・・戦犯の後裔で戦犯を尊敬していることを公言している右翼勢力が乗っ取っているのが我が日本政府です。悪政に対する批判を独島=竹島問題という偏狭な領土ナショナリズムにそらして乗り切ろうとする国民の心理操作が竹島問題ではないかと私は考えるんですけど。確かに資源問題もあるでしょうが・・・でも、今の日本政府にとっての主要な関心は、自衛隊を「日本国防」軍という名前の「米軍防衛」軍にして、アメリカ軍の手先として局地紛争に使うことではないでしょうか? そのための憲法第九条改悪なのではないでしょうか? 自衛隊を使って独島=竹島を軍事力で取り返そうなんてことまでは考えてないだろうと思うのですが。

 でも、理不尽な暴力に痛め続けられた被害者は冷静には考えられないのでしょう。ハッキリとした真の謝罪も真の反省の実を示す補償もしないうちに、加害者が強奪した最初の地を「オレの家のものだからね、将来は取り返すべき地だよ」と子どもに教えることは、「日本はまた・・・」という不信感を強く呼び起こしてしまったようです。しかし、日本で、これを問題にする人はとても少ない現状があります。日本人の歴史に対するあまりの鈍感さを思います。こんな不信感を隣国の人々に与え続ける現在の日本政府を構成している人々は、真に日本国に対する愛国心がある、といえるのでしょうか?

●<私の発言>
 休憩後では若手研究者(30歳代かな?)であるソン・ヨンテク韓国大学中央研究院教授の発表が印象に残りました。彼は160数冊の日本の小中の歴史・地理・公民の教科書を詳細に分析していました。「韓国では歴史問題、歴史認識の問題として独島は、歴史で学習しますが、日本では、歴史教科書にはまったく独島=竹島は出てきません。地理の教科書と公民の教科書に少し、出ています。地理の教科書は、現在は記述しているのは4冊です。ただ、学習指導要領の中で独島=竹島は日本の領土と書くように変えられるので、来年度は増えるかもしれません。歴史教科書に書かないのは、日本政府も独島=竹島領有権の主張は歴史的には正しくないことを知っているからではないでしょうか」

 んーーーー・・・そんな受け止め方もあったんですね・・・でも、違うような・・・日本政府にとっては「固有領土なんだから歴史で教える必要はない」というところなんじゃないかと・・・会議でも韓国の研究者が発表され、日本でも内藤正中先生が詳細に論証なさったように1905年に「無主地先占」の論理で領有権を主張したことからして、固有領土でないことは明白なんですよね。

 さて、次は私の発言の番だ・・・と少々、胸がドキドキしてきた時、司会者の方が「増田先生の闘いに敬意を表して花束を贈呈しますので、前に出てください」と言われるのです。実はテグ市の啓明文化大学日本語教師で神奈川県の元高校教員だった岡田卓己さんのご尽力により、この分科会での討論者としてアピールさせていただいたのです。

 その岡田さんの韓国での市民運動仲間の京畿社会フォーラムの方が、私の超不当免職とその撤回裁判闘争に強く共鳴してくださり、署名用紙も何も全部印刷してくださっていたのでした。その上に、この会の女性のユン・オッキュンさんが花束を持ってテグ市から激励に駆けつけてくれていたのでした。

 本当に嬉しく感動し、席に戻って発言しなければならなかった時、数秒、声が出ませんでした。花束には「感射」という漢字とハングルが書かれているのですから・・・感謝しなければならないのは私ですのに・・・でも、がんばって発言しました。そして、最後に東京地裁に提出する「免職取り消し判決」要請署名へのサインを訴えました。ハルビンで訴えた時と同様、ここでも、大きな反響があり、たくさんの方の署名と激励をいただきました!

 岡田さんは、私の発言の後、私の闘いの補足として日本の、特に一番ひどい東京の「日の丸・君が代」強制に抗する教員たちの闘いを紹介しました。彼は神奈川の教員たちの『日の丸・君が代』強制は違憲だという予防訴訟裁判の原告になっています。そして、最後に、今、日韓の市民運動として両国で取り組みが始まったばかりですが、2年後の韓国併合百周年を見据えての「反省と謝罪の市民宣言運動」を紹介されました。

●<「靖国合祀取り消し」裁判運動の分科会で>
 第7分科会は午前9時から始まり、記念撮影もして終わったのは午後2時くらいでした。それからお昼ご飯です。ホテル1階の大きなホール(普段は結婚式の披露宴会場のような)で、これも前夜同様、豪華なバイキングでした。

 昼食後の3時に「靖国合祀反対」分科会に行きました。こちらは午後2時から始まり7時まで!? この分科会はシンポジウム形式でした。ちょうど沖縄大学の石原昌家先生の発言の時に入ったのですが、なんと「沖縄の2歳の子どもが靖国神社の祭神として合祀されている」!? という事実があるそうで、そんなことは初めて聞いたのでビックリしました。この赤ちゃんだった「戦死者」!? のお兄さんが今、合祀取り消し訴訟の原告になっていらっしゃいます。

 でもなぜ、赤ちゃんが「戦死」したことになるのか? ということですが、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の制定により、適用に当たっては死亡者が「国との雇用関係」(軍人および軍属)または「国と雇用類似の関係」(準軍属)にあることが必要だったから・・・だそうです。「壕から追い出されたために米軍の砲撃で死亡した場合は『壕の提供』による『国との雇用類似関係』があったから」「年少者であっても、保護者が戦闘参加者(壕から追い出されたために戦闘に参加する気もないのに参加させられてしまった戦闘参加者!?)である場合は、保護者とともに行動することが運命共同体的な関係にあることから戦闘参加者になりうると解釈」ということだそうです。

 石原先生は言われました。「1952年に制定された『援護法』は日本遺族会でさえ『援護』ではなく『補償法にすべき』と強く主張していたのに吉田茂首相率いる自由党の数の力で押し切られた結果、成立したものです。そのために、日本国民・沖縄住民は、政府の戦争責任・日本軍の犯罪を糾弾できずに『援護』という名前のお金に絡めとられてしまいました。沖縄靖国合祀取り消し訴訟は、沖縄戦の真実を明らかにして、日本政府の戦争責任・日本軍の犯罪を糾弾し、新たな戦争への道に立ちはだかる行動です」と。

 その他、台湾のチワス・アリ(高金素梅)さんや、『あんにょん・サヨナラ』のイ・ヒジャさんの発言がありました。すでにいろいろなところで報道されているお話でしたが、ご本人の口から聞いた言葉は感銘深かったです。こんな、人間としての心がありさえすれば、当たり前の要求・・・「他人、特に私の父や同じ民族の仲間を戦争に駆り出して殺し、その生死さえ知らせなかった加害者と同じところに、加害者が勝手に神様などとして祭るのはやめてほしい」という要求は当たり前だと認められるハズ・・・

  しかし、日本から参加された弁護士Uさんの「この裁判は必ず勝ちます」と断言されたのは、ちと無責任な感じがしました。日本国憲法を基準にすれば勝って当然で、勝ってほしい裁判ですし、原告たちを励まして奮起を促すことは必要でしょうけど、今の日本の裁判官システムを少しでも知る者なら、こんなに簡単には断言できないのではないでしょうか?

 最後に私からアピールさせていただきました。「私を免職したのは靖国勢力です。東京都の教育委員会は極右の政治家・石原知事に支配されています。石原昌家先生ではなく石原慎太郎です。私は千代田区立九段中学校で社会科を教えていました。靖国神社のすぐ近くの学校です。保護者の一人でPTAの副会長だった人が靖国神社奉賛会の一員の右翼でした。彼が、私の侵略否定妄言議員と扶桑社教科書批判の教材プリントを東京都教育委員会に密告し『免職せよ』とそそのかしたのです。

 免職される前6ヶ月間、私は教員強制収用所である研修センターで、常時背面監視される中で、反省を強要されました。テーマは『ノ・ムヒョン大統領演説を教材にして公人や特定の出版社を誹謗中傷したことをどう思うか。これからも、こういう授業をするつもりか』というものです。『私は正当な批判を行ったのであって、誹謗中傷したのではない。反省すべきは扶桑社の教科書を子どもたちに押し付ける東京都教育委員会のほうである』と私はレポートに書きました。

 また、もう一つのテーマは『侵略』というビデオを使って、731部隊や南京虐殺の残虐行為を子どもたちに見せたことを反省せよ、というものです。『なぜ、こんな残酷なものを見せたのだ? けしからん』『中学生の発達段階に合ってない教材を使った』というのです。確かに、レイプされ腹を割かれた女性の写真などもあり、見るには、とても辛いものがあります。しかし、子どもたちは、たとえ自国には都合の悪いことでも、自分の親には都合の悪いことでも(これはUさんにだけは理解できるハズの皮肉!?)知る権利があります。真実を直視することによって、もう二度と同じ過ちを繰り返さない、という決意ができるのです。実際、健康な心を持つ子どもたちは、そういう感想を書いています。子どもたちの発達段階には合っているのです。東京都教育委員会の連中の発達段階に合っていないだけなのです。

 だから、私は屈服を拒否し、そのために『反省しないから、改善の見込みがない』と免職されたのです。どうか、みなさん、右翼勢力・靖国勢力に打撃を与えるためにも私の不当免職を撤回させる署名用紙にどうか、サインをお願いします」

  おかげで、この分科会でもたくさん署名が集まりました。そして感激することに、イ・ヒジャさんが署名を集めるとおっしゃってくれました。そして『あんにょん・サヨナラ』の監督さんのキム・テイルさんも、署名を集めて送ると約束をしてくださり、一緒に記念撮影も! しました。


11日(土)
 本日もフィールドワークなどの多彩なワークショップが組まれていたようですが、私と古野さんは午後1時45分の飛行機で帰らなければならないので、午前中は安重根記念館と、そのすぐそばの階段を下りたところにある白凡(ぺク・ポム)公園に行きました。独立運動家で日本からの解放後に祖国統一意運動にまい進し暗殺された金九は知っていましたが、「白凡」という号を持っていたことは全く知りませんでした。古野さんに教えていただいて、初めて白凡と金九が、同一人物であることを知りました!

 この旅は天気にも恵まれ、宿も思ったより良かったです。なにしろHISで急遽予約した、たいへん低価格(飛行機代&ホテル2泊でハルビン往復飛行機代の6割未満!?)でした。だからホテルはプールのシャワーのようなのが付いているだけのところを覚悟していたのですが、東横インなどより部屋もバスルーム(ちゃんとバスタブもあり、バスローブもあり)も広かったです。

 ということで、今回の旅も、チョウ!? 充実していました!