都教委糾弾裁判傍聴記 08/9/13

 以下、許可を得ましたので、8日の裁判に対する古野さんの傍聴記をご紹介します。


<増田都子さん「都教委糾弾・不当免職撤回裁判」傍聴記>    古野恭代

 9月8日東京地裁で行なわれた、増田都子さんの「都教委糾弾・不当免職撤回裁判」を傍聴した。尋問を受けたのは、当時、教育庁指導部義務教育心身障害教育指導課長だった大江氏と、同じ教育庁人事部職員課係長の樋川氏だった。弁護士とのやりとりは、「糾弾」にふさわしく、時に傍聴席から笑いや批難のつぶやきが聞こえたが、その都度裁判官が飛び上がらんばかりにして声を荒げ、叱責する場面があって面白かった。

 傍聴して感じたのは、こんな人が教育者の上に立って「指導」し、「人事担当」をしていたのか、あきれたものだということだった。「侵略戦争はなかった」などという都議(あるいはその背後団体?)にへつらって、扶桑社教科書批判をする教師を辞めさせ、w?権力の驕りに浸っている今話題の問題教育委員会の一例か、と思わざるをえなかった。かれらの「教育思想」は、問いつめられれば、結局、「生徒に批判心を起こさせてはならぬ」、「お上に従順な教師たれ」という以外何もない空疎なものだった。

 傍聴して気がついたことの一つは、教員に処分を言い渡すまでに踏まれた手続きのいい加減さだ。証言によれば、今回のことに大きく関わっている「指導部」と「人事部」は、事実確認以外に「連絡はない」そうだ。ひとりの先生の進退問題をそれに関わる部局が密な連絡なしに行なっているとは。

 また、担当者の態度のいい加減さにもあきれた。大江氏は、保護者が「授業に問題あり」と都議に訴え、増田先生の授業が問題になったとき、PTA副会長・校長・増田先生の三人で話し合いが行なわれようとしたが、それを止めさせたという。しかし、「止めさせたのですか」、の問いに、「多分」(そのあとよく聞き取れなかった)と応えるのみ。

 また、「増田さんが研修センターで書いたレポート―(研修とは授業ハガシの懲罰であり、社会科教員に対する不当な行政干渉だとした主張)―w?を読んだか」の問いに対しても、「多分・・・読んだ・・・教材不適切の反省がない」と、始末書をとる以外何も念頭にない。

 人事問題軽視の態度は、樋川氏も同様だ。校長の事情聴取書を読んだかという問いにたいして「読んでいない、しかし区教委はそれを入れて判断した、自分は区教委を信頼している」と答え人事担当者が本来関心を示すべきことを怠っているとも思っていない。

 また、「子供からの苦情が増えた、保護者が不安を持った、他教員への悪影響があったと(樋川氏は)言っているが、それがどの程度だったか調べたのか」の問いに、「調べていない」といって平然としている。

 結局、目的は増田さんの歴史観をつぶしたいのだ、過去の加害について教えるのが気に入らないのだ。増田さんは生徒に配る教材の中で「侵略はなかった」とする歴史教科書は「歴史偽造だ」と言い、元中学校教諭が作ったビデオ「侵略」を生徒に見せた。

 それについて、大江氏は、「特定の団体の悪口を書いた教材は許せない」、(元中学校の先生が生徒に見せることを考えて作られたのに)「ビデオは残酷過ぎて中学生にkヘきびしい内容だ」を繰り返すのみ。樋川氏も「批判は悪くないがマナーが大事」という言い方をする。

 弁護士が「太平洋戦争が侵略戦争だったというのは既に定説であり、それをなかったなどという扶桑社教科書あるいは都議を批判することは悪くないのではないか」の質問に、「批判はよいが悪口はよくない」という。弁護士が「批判と悪口の違いは何か」と問うと、「(政権を投げ出した)福田首相は無責任だというのはよくない、これは悪口だ、福田首相は無責任だという人が居る、というのならよい」と答える。

 最終段階で、増田さんが大江氏に「あの戦争は侵略戦争ではないと考えるのか」の問いを発すると、「判断しない」と答える。「判断しないのに、誹謗・中傷だと言うのか」とたたみかけるが、絶句したところに裁判官が割って入ったためか明確な答えはなかった。

 一方樋川氏は、「侵略はなかったという都議をどう思うか」という弁護士の問いに対し、「公の場で言って好いのかどうか・・・」と言葉を詰まらせるので(傍聴席どよめき)、弁護士が「サンフランシスコ条約でも侵略と言っている」というと、「そうでkっても個別の名前を出して誹謗するのはよくない」と扶桑社と都議をかばうことに終始した。

 増田都子さんが『たたかう!社会科教師』のなかで言っていられた「不適格・都教育委員会」の実態を見た一日だった。