増田都子先生の近現代史 第7回 『民族独立運動と大正デモクラシー』報告 08/1/3 |
いつも近現代史に参加下さっている豊田さんの感想を転載させていただきます。(編集部) 皆様 2007年12月15日、あびこ平和ネット主催、全15回のシリーズ企画、増田都子先生の社会科授業「近現代史の真実を知ろう」第7回 『民族独立運動と大正デモクラシー』に参加しました。 ●今回の資料より一行 -「二大政党主義が人権自由の泉から流れて来たものでなければ効果の程は思ひやられる。(雑誌『第三帝国』)」松尾 尊兌著『大正デモクラシー』岩波書店、1994年。 ●今回の授業では、行政も広めたとされる関東大震災後の朝鮮人暴動の噂と、それによる民衆による朝鮮人虐殺を機に、社会主義者や労働組合員等が検挙、処刑され、大正デモクラシーの動きは地下に潜らざるを得なかったことを知り、驚きました。 これが、政府による活動の潰し方なのでしょうか。授業では警察がどのように処刑したかを具体的に知ることが出来ました。 我孫子市国民保護計画が策定され、ご近所の自警団活動が盛んになってきた今日この頃、今後このようなことが起こらないように目を見張ることが必要だと感じました。いかなる時も人を殺してはならない。 ●以下新しく知ったこと。 -同年12月27日、24歳の難波大輔による摂政裕仁への発砲事件。 「新聞とラジオはその一年を通して、...昼夜を問わず毎日のように儀式関係の報道を続けた。...国家の意図への服従、時代風潮へのあわれな迎合は、以降も続く日本の新聞の特性になった。...大正天皇の弱さが大正デモクラシーの台頭を促したのに対して、昭和天皇の即位はその終焉をもたらし、祭政一致の宗教的理想を再生させた。それは...ふたたび日本を閉ざし、君臨し、かつ統治する天皇の神格化の完成を宣言した。」「本書の主な関心は、国家の元首および軍の最高指揮官としての彼の名で、その積極的な指揮のもとで行われた戦争の道義的、政治的、法的な説明責任を、天皇が公的に認めずに済んだ点にある。」ハーバート ヴィックス著『昭和天皇』講談社、2002年。 ●今後の予定● 皆様ぜひ、いらして下さい。 沖縄の辺野古や高江、山口の岩国、千葉の習志野、茨城の百里や霞ヶ浦、神奈川の座間や横須賀など、各地で基地軍備強化に抵抗している人達のことを覚えて、 豊田義信 |