教え子の陳述書 07/11/25

 本日の近現代史講座は、三連休の最後の日であり、教会の行事とも重なったようで、参加者が少なかったのですが、参加者の皆さんには相変わらずとても熱心で教え甲斐! がありました。

さて、先日の「免職取り消し」裁判弁護士打ち合わせで「九段中の教え子の陳述書があったらいいのでは」と渕田さんからアドバイスいただき、弁護士さんからも同意を得ましたので、メールで頼みました。現在、日比谷高校の1年生の男の子が、早速、下記のように書き送ってくれましたので、ご紹介します。


●私は九段中学校の2、3年生時に増田都子先生の社会科の授業を受けていました。先生のプリントによる授業は要点がしっかりまとめられており、また教科書では知ることのできない範囲まで必要に応じて解説を加えることで特に歴史の授業においては中学校で習う歴史の過程を一連の流れとしてしっかりと抑えることができたと思います。

しかし、何よりも私にとって一番印象的だったのは紙上討論の時間です。富国強兵、マハトマガンディー、731部隊とナチスのホロコースト、さらにはベトナム戦争に至るまで、今日の社会問題・国際問題に広く関わる深い教養を身につけることができ、さらに同級生と自由に意見を交わすことにより、はっきりとした答えのない、これから私達が真剣に考えて向き合っていかなければならない諸問題への関心を高めさせてくれるのがこの紙上討論だったと思います。

ただ問題に答えるだけの受験勉強とは違い、『暗記科目』と称される社会科において数学以上に頭を使わなければならない授業であったと思います。同級生から意見を聞くことによって自分の考えを見直す場面も多々ありました。もちろん先生自身も意見を持っていましたが、それが本当の答えだということでありません。どんなにおかしな意見であっても、それはその人の考えであって、間違っているとは誰も証明することはできず、誰もが当たり前だと思っている、それこそ文科省に認可された教科書に書いてあることであっても、異論は出てくるわけです。昨今、話題に上がっている従軍慰安婦問題や南京大虐殺などはその顕著な例だと思います。歴史的にはほんの60〜70年前の話であるにもかかわらず、日本と中国・韓国では全くその事実関係の認識すら食い違うところが多聞にあります。

公民の時間においても紙上討論は引き続き行われました。普天間基地問題、マータイさんのノーベル平和賞受賞、イラク戦争と集団安全保障についてなど、様々な時事問題がとりあげられ、高校生になった今でも世の中に通用する社会的な、国際的な知識のベースになる教養が身についたと思います。もちろん知識的なものが身についただけでなく、同級生、そして先生とプリントで議論を交わすことによって答えのない問題にみんなが手探りで必死に答えへと近づこうとし、様々なことを考えられたと思います。

ところが、2005年の9月から増田先生が突然現場から離れられることになって、正直非常に困りました。紙上討論が中途の状態で滞ってしまうこと、学校行事や部活動において増田先生が関わっていらっしゃったことに対する対応もさることながら、当時中学三年生だった私達にとってほとんどの生徒にとって受験に必要な科目の担当であった教員が突然変更となってしまったのは混乱を招き、非常に迷惑でした。

先生のプリントは非常によくまとめられており、基本的人権の部分などは最後まで受験勉強に利用しておりました。また、日本国憲法の前文の暗記は国立高校の入試でも役に立つ大変有意義な学習方法であり、当初は役に立つのかどうか疑問に思っていたのですが、いざ入試に挑む時には非常に強い教養となりました。

しかしながら、公民の経済分野を残して増田先生が事実上の休職となったことで、私達の社会科の担当教諭が突然変わるなど、本来学校において最も優先されなければならない受験生の勉強において、私達にとって全く問題なく、むしろ社会科に対する興味・関心をどの教諭よりも引き出してくれた増田先生が、理由もはっきりと提示されずに突如姿を消し、担当教諭が変わるという事態になって、非常に混乱させられたことについては大変憤りを覚える対応であったと思います。

増田先生の授業は社会科に興味を持たせる授業であって、現在の三無主義といわれる日本の若年層にとって非常に貴重な教育であり、日本の教育現場おけるすばらしい人材であると思います。ざんねんながら増田先生ももうすぐ定年となってしまう御年でございますが、だからこそ、一刻も早く先生には教員職に復帰してもらい、少しでも多くのこれからの日本を担っていく世代の人々へと、その教育を施せる環境を作っていただきたいと思います。私は増田先生の一日も早い現場復帰を心から願っています。

2007年11月24日