韓国・全教組との交流ツアー 07/8/18

14日の前夜祭
8月14日〜16日「韓国・全教組と交流する教職員と市民の会」に参加させていただきました。名前のとおり「全教組との交流」と「8月15日の韓国民衆運動への参加を目的」とするものです。「予防訴訟」参加の都高教の方や、私の所属する東京都学校ユニオンと同じく全学労組に加盟している千葉・学校合同の方々と一緒でしたので、心強かったです。それにしても韓国の方々のパワー、また、権力(資本)の理不尽な攻撃に対し、文字通り体を張って抵抗している方々の、そのお話には深い感動を覚えました。緯度的には東北地方と同じとはいえ、東京と同じくらい暑いだろうと、暑さに弱い私は覚悟を決めていましたが、時々雨も降る天気で、予想ほどは暑くなくてよかったです。以下、ご報告!


8月14日(火)
 夕方、到着したので、まず、ホテルの隣の食堂で夕食をとりながら参加者の自己紹介。墨田教組を定年退職なさった女性や、部落解放同盟の方々、AWC(「日米のアジア支配に反対し、アジア民衆の連帯を推進する日本連絡会議」という長い名前の略とか)の幹事をしていらっしゃる方々など私が初めて出会う方が多かったです。でも、元墨田教組の方は、私のことをご存知で「何もできなくて申し訳なく思っています」とおっしゃったので、私が「もっと、申し訳なく思ってください」と言いましたら、皆さんに笑われました。

 9時からホテルの一室で、翻訳者のAWC日本連絡会議の男性が懇意にしていらっしゃる前電力労組委員長で現在は民主労総の全国解雇者復職闘争特別委員会委員長であるイ・ホドン(李東虎)氏との懇親会。自己紹介の中で、私は韓国MBCとKBSが私に取材して、韓国内で放映してくださったドキュメンタリーのビデオを見ていただきました。そして、以前、プサンの全教組の女性が集めてくださった韓国内での増田免職撤回署名をお見せし、署名をお願いしました。イ氏は快諾してくださいました!

 この方のお話は、とても感動的でした。40代前半に見える彼は、実は以前は、とても反日感情の強い方だったのだそうです。「どうして、そういう変化があったのですか」という問いに対して「それを話すには我が家の百年の歴史を話さなければならなくなりますが・・・」一同が「えっ?」でした。「でも、かいつまんで話しましょう」ということで話された大要は以下です。

 1907年、イ氏の曽祖父たちは反日義兵闘争に立ち上がり、徹底的に日本帝国軍の弾圧を受けました。そして一家で「満州」に逃げていかざるを得なくなりました。しかし、もちろん、ここも日本帝国の支配するところとなり、祖父たちは「パーロ(八路)軍」に入って日本帝国の侵略軍と戦いました。日本帝国は負けましたが、しかし、祖国に帰ることができたのは、祖父母とお母さんだけだったそうです。お母さんは5人(数字は、違ったかも)兄弟(たぶん姉妹もいたような気が)だったのに別れ別れとなり、「離散家族」の悲しさを負い続けてなくなりました。

 お母さんは、時々、別れ別れになった肉親を思って泣いていたそうです。そういう姿を見て育ったイ氏の家族の方々は「日本」という言葉を聞くだけで、イヤな気持ちになったそうです。その感情は労働運動をしていても消えることはなく、頭では「連帯」の大切さを分かっていても、「仲間たちはやればいいけど、俺には関係ない」と長らく思っていた、ということです。

 「それが、どうして変わったんですか?」という問いに、こう言われました。「電力労組の委員長として『民営化反対』ストを打ち抜き(ここ5年間阻止! しているそうです)、逮捕されて獄中にあった時、日本の全労協の方たちから激励の手紙をたくさんもらい、それを何度も読んでいるうちに私の心の硬く凍っていた反日感情が次第にとけていったのです。『労働者は国籍に関係無く連帯できる』と分かりました」と・・・

 こういうお話は本当に日本人にとっては貴重です。忘れっぽい日本人は韓国・朝鮮の方々の思いをあまりにも知ろうとしなさ過ぎます。私も、もちろん、そうでした。日々の忙しさもありますが、また、知る機会もほとんど無かった、ということが大きいです。イ氏に「ぜひ、そのお話も含めて、今度、私の闘いについてパンフを発行しますので、メッセージをいただけないでしょうか。」と、お願いしましたら、お忙しい方ですのに、これも快くお引き受けいただきました!

 さて、午後11時!? から韓国中央大学で『駐韓米軍の撤退、南北の平和自主統一を求める8・15集会前夜祭』がある、というのでホテルから30分くらいかかるところにタクシ−で出かけました。この大学創立時には関西の在日の方がたくさん寄付をされているそうですが、本当に広いキャンパスに大きな建物群を持つ立派な大学で、そこのグランドの観覧席が、もういっぱいです。若い学生たち、労働者たちがたくさん参加しているのには日本のこの種の集会を思い、羨ましくもありました。

 でも、小学生の子ども達も舞台発表で歌ったり、踊ったり、盛り上がっています。全体に韓国の集会は歌あり、踊りあり、それも、みんなで歌ったり、踊ったり、掛け合いありが特徴でスピーチと交互にあって、本当に会場参加者全体の一体感があります。しかし、屋台もたくさん出ているこの集会、いつ終わるのだろう? と聞きますと「午前3時くらいまでやります」「えーっ!?」「そして、広い駐車場で寝て、8・15集会に参加するんです」・・・去年11月の民主労総の大会もそうでしたが、暑くても寒くても、大集会は午後11時〜午前3時くらいまでやるのが韓国のやり方!? らしいと気づきました。キムチ・パワー!? でも、ヤワな日本人たる我々には、とても、そんなパワーはありませんので、午前0時30分には引き上げさせていただきました。


8月15日(水)
 午前8時集合で朝食。それから韓国AWC委員会事務所で交流。漢字で「自主統一」「米日帝国主義反対」と書いた大きな額が壁にかかっていました。
14日の前夜祭 世界同時水曜デモ集会

 正午から、1992年から毎週、水曜日に日本政府に対して謝罪・賠償などを求めて日本大使館前で行われている「正義に基づく元日本軍慰安婦問題の解決を求める水曜デモ」に参加。この日は「世界同時水曜デモ」ということでした。ここも若い女性たちがとても多く、集会も、また、歌あり、踊りあり、スピーチありで盛り上がっていました。全体で300人くらいの参加者でしょうか。米下院が、日本政府に公式謝罪を求める決議をあげるにあたって尽力されたアメリカ人女性や12月の大統領選の民主党の候補者3人(一人は女性)のスピーチがありました。

 でも、やはり、米下院で証言され、日本に来られたこともあるイ・ヨンスさんのスピーチには、考えさせられました。最後はこう言われたのです。「日本政府が謝罪するまで、2百年でも、私は生きる」と・・・外国のおばあさんに、ここまで言わせる「日本政府」・・・そういう政府を持つ日本国の一員としては切ないものがありました・・・民主党が参院で多数を取りましたが「戦後補償立法」を何とか早く作り「日本国の名誉」!? を回復したいものです。

 さて、昼食の後、8・15のデモに合流して、集会参加。6車線の道路を占拠しての大集会。やはり、スピーチ&歌&踊りで「韓国ではフツウ」の集会のようですけど、警察の警備が物々しかったです。帰国して朝日新聞を読んだら「すぐ近くで8月下旬に行われる南北首脳会談に反対する集会」もあったとかで、この2つの集会参加者が衝突するのを恐れていた、ということのようです。

 集会後の「まとめの小集会」(たぶん、AWC韓国委員会関係)で、私は「全教組と交流する会」として概要、次のように挨拶させていただきました。「私は、東京で33年間、歴史・地理・憲法を教えた教員でしたが、1997年に沖縄米軍基地の授業をしたところから、『反米偏向教育』と右翼から攻撃され、去年3月31日、『日本の侵略戦争』を『自衛の戦争、アジア解放の戦争』と嘘を書いている扶桑社の歴史教科書を『歴史偽造の教科書ですよ』と真実を生徒に教えたために、極右の石原慎太郎知事が支配する東京都教育委員会によって解雇され闘っています。アメリカ軍は日本や韓国を守るためにいるのではなく、侵略のための軍隊です。真にアジアに平和をもたらすためには、アメリカ軍にはアジアから出ていってもらわなければなりません。そのためには、日韓だけでなく世界中で連帯していきましょう!」

 参加した皆さんから、心のこもった大きな拍手をいただきました。『交流する会』の小さな旗(裏にハングルを書いてある)を持っていたものですから、挨拶が終わると、そこに参加していらっしゃった全教組の先生が3人来てくださって、握手を求められました。そして「残念ながら、これで帰らなければなりませんが、ナイス・スピーチでした」と言ってくださいました。
小集会にて 交流会

 さて、それから、メインの全教組ソウル支部での交流会です。全教組前副委員長のチョウ・ヒジュ(曹喜柱)先生を中心にいろいろなお話をうかがいました。現在、9万人の組合員で、組織率は25%だということです。御用組合として校長・教頭・大学教授たちが組織する韓国教育団体総連合会(だったと思う!?)や、全教組に対立することだけを目的に結成されたニューライトの組合もあるそうですが名前だけのようです。
 
 でも、「現在の闘いの課題」を聞いて、なんとも言えない気持ちになりました。「新自由主義政策の下、政府は教員どうしを競争させる評価制度(ABCD!?)と成果主義賃金を導入する法律を9月に提出するといっているので、その阻止闘争に全力を挙げています」これって・・・東京都教育委員会が真っ先にやり始めて全国に波及!? していったそれ!? です。でも、東京(日本)と違い、「政府は、私たち教員を『豚肉のように等級付け』するつもりか?」ということで、阻止闘争は大きく発展しています」ということです。

 その他、年金法改悪やら労働崩壊悪やら・・・日本で、支配層の成功したやり方を韓国政府が輸入しようとしている!? かのようです。確かに、「新自由主義」というやり方ですから、「万国共通」と言えるのでしょうけれど・・・この全教組ソウル支部では、「進歩教育研究所」を作り、「(生徒たちに考えさせるための)契機教育」の現場実践を大切にしているそうです。韓国ではまだ、教育内容への校長(行政)の介入は無い、と言われていました。

 私は自己紹介の中でチョウ先生に、在日の方にハングルに訳していただいていた生徒たちの「紙上討論、ノ・ムヒョン大統領への手紙」とビデオを渡し、署名とメッセージをお願いしました。お忙しいのに、ここでも快く引き受けてくださいました!
 

 韓国の教育に持ち込まれようとしているものが、東京(日本)の悪教育行政と酷似しているため、私たちの質問が非常に多く、チョウ先生たちが丁寧に答えてくださるため、この会は、かなり長時間になりました。それから、美味しい韓国料理の夕食・懇談会。しかし、キムチ・チゲの本場の辛さには参りました。舌がヒリヒリ涙ポロポロ・・・これは、私一人だけではありません。でも、味噌汁は美味しかったです! あとで聞きますと「日本人が泣きながら食べているので、お店の人がサービスとして持ってきてくれた」ものだったとか。 

 さてさて、ホテルに帰ったのが、9時くらいでしたか。「イ・ホドン先生が二次会を用意してくださっています」と言われ・・・迷ったのですが、明日は帰るのだし、まぁ、いいか、と思い、参加。奥さんや現電力労組の委員長(たぶん)の方やAWC韓国委員長(たぶん)の方も来られていて、彼らが日本に来たときの日本食の話「納豆定食というものを頼んだら、本当に納豆とご飯だけみたいな感じで、韓国は料理には必ず4種類から5種類の野菜の皿が出るということに慣れているので、一体、何をおかずにご飯を食べたらいいのだろう? と思いました」という話には爆笑です。また、「日本統治時代に日本語として『カッパ』(レンコート)という言葉が韓国語になっているけど、WTO反対の世界集会がブラジルのポートアレグレに行って、この言葉が使われていて、初めて『ポルトガル語から来たのだ』と知りました。」など、本当に興味深く、楽しく、話が盛り上がりました。ふと、時間を見ると11時です。

 「あのー、そろそろ帰りませんと・・・」と言いましたら、イ氏「韓国では午前0時以前に帰ると、招待側の接待が気に入らなかったと思われます」とおっしゃるのです。「えー・・・・っ!? 昨日の前夜祭は午前3時まで、とか、韓国の方は、いったい、いつ寝ていらっしゃるのですか?」思わず私は聞いてしまいました。イ氏、澄ましておっしゃいます「会議中に寝るんですよ。腕組みして、さも、深刻そうに考えている様子をして」「イビキとか、かきませんか?」イ氏、澄ましておっしゃいます。「訓練で、居眠りしてもイビキをかかない技術を習得できます」・・・こういう調子で爆笑の連続です。でも、11時半には帰していただけました!?

8・15集会


8月16日(木)
 朝、7時45分集合で朝食後、鉄道労組の方との交流に出発。KTX(韓国新幹線)ヨンサン(龍山)駅に近いところに本部があります。日本の国労1047名の首切り反対闘争とは強い連帯の下にあるそうです。ここでKTXの女性乗務員首切り反対闘争を闘っている、KTXソウル支部長の、とてもチャーミングで、かつ、しっかりした若い女性ミン・セウォンさんの話を聞きました。大韓航空の客室乗務員を5年間やっていたそうですが、国策としてのKTXの乗務員は誇りある職業だと思い、非正規2年間を経過すれば正規職員になれるという契約を信じて就職したのに、契約が守られずに下請けに転籍される、というので反対したら「350人全員解雇」とのこと。こんな不当なことは絶対許せない、しかもこれは私たちだけの問題ではなく、「非正規職全体の問題」ということで、闘い続け、530日を越える闘争になっている、ということでした。

 若い女性たちが、決して不当な免職を許さず、闘い続けているのです。それも本当に体を張って・・・彼女らが髪を切って丸坊主姿で闘争決意表明をした時は、みなさん、深く心を揺り動かされたそうです。なぜなら、儒教の影響の強い韓国では、親からもらった大切な体の一部である髪を切る、ということは本当に「決死の覚悟」を表すからだそうです。大事な会議がある、ということで(にもかかわらず、私たちのために時間を割いてくださったのです)、話し終えて少し質問を受けたあと退室されましたが、その所作の優雅さには感心しました。意識してそうしているのではなく、本当の育ちの良さから自然に身に付いた優雅さ、と見ました。
 
 さて、最後は、民主労総の本部です。ここで、イーランド闘争の委員長の方で逮捕状の出ている方(韓国では組合本部の建物の中にいる人は逮捕できない、とか・・・が、これについては、ちょっと不確か・・・)から話を聞きました。アウトレット関係の会社らしいですけど、非正規職の労働者に「白紙の契約書にサインを強制する」などというやり方で、拒否したらいきなり解雇という「法治国家」なら信じられないようなことが行われたそうです。

 この闘いで感心したのは正規職の方々も一緒になって闘っている、ということです。「正規職であろうと明日は我が身」ということで、座り込み、売り場占拠、不買運動などで闘い、そこに警察権力が導入されて、女性たちも多く、けが人が多数出ているそうです。これも文字通り「体を張る」という言葉そのものの闘いです。事務所には「血書」の旗がありました。イ・ホドン氏によると、これまでの民主労総関係組合の逮捕・拘束者は60名にのぼり、未だ獄中にある方も多いそうです。韓国労働運動の「本当の、体を張った闘い」から見ると、日本の私たちの運動は「ヤワ過ぎる」かもしれません。サッカーもそうだっけど・・・(これは無関係?)

 さて、私は今回の韓国ツアー最後の昼食懇談会・・・千葉学校合同の方たちや都高教の方は、これから、まだ独立記念館での合宿3日間にいらっしゃるとか(私は、とても体力が持ちませんので、これで帰国)・・・最後にイ・ホドン氏が挨拶されました。昨夜のジョーク連発の姿とは違い、温容な容姿ながら「さすが闘士!」という内容で、しっかり締めてくださいました。「私たちは、単なる物見遊山の方たちでは相手にしません。しっかり日本の方たちに私たちの闘いを伝えてください!」

 あーーーー・・・しっかし、異常に!? 中身の濃い「訪韓ツアー」でした! 本来なら4日分の内容を2日に凝縮していたような・・・でも、とても充実していて、大きな精神の満足感があります!