夏の「都学校ユニオン」「平和教育を進める会」共同合宿報告 07/8/7 |
毎年・夏・冬に行っている恒例の合宿ですが、今夏は8月5日・6日と、会津方面に行ってきました。今回も、笑い転げながら、でも、しっかり充実した内容の合宿となりました。以下、その、ご報告。
まず、最初の目的地は猪苗代湖。ずいぶん、大きい! というのが、初めて猪苗代湖を見た感想です。水泳を楽しむ人たちが大勢いました。マリーナに、たくさん、ヨットや、水上ジェット(と言うのでしょうか)やらが、係留され、ピッカピカの新車やら高級な自動車などで駐車場は満配。んーーー・・・日本人は、やっぱり、リッチ?・・・ われわれの一行は、湖の見えるホテルの中華レストランでランチ。とっても美味しくてボリュームたっぷり(ご飯なんか「普通のお店の大盛り」!?)の酢豚定食が、なんと680円! でした。たいていが、この価格で、一同、大満足。ホテル前で湖を背景に記念撮影。 次は、五色沼へ。最初に、本当に綺麗に透き通ったブルーが印象的な秋元湖へ。足立区の自然教室施設が安達太良山のふもとにあるので、五色沼は何回か来たことがあるのですけど、最後に来たのはもう10何年前になります。ずいぶん、お店や大きなホテルが増えたなぁ、という印象です。他にも、同じような印象をもたれた方がいますから、当たっているのでしょう。秋元湖には貸しボートが浮かび、観光客が、たっぷり餌をやるせいか、おデブな錦鯉がたくさん泳いでいました。でも、水は透き通り、下界は猛暑ですが、心地よい風が吹き渡り、気持ちよかったです。ここのお土産物屋さんは、おおよう(?)で大きい薄皮饅頭や、ユベシ(会津だけのものだとか)をたっぷり試食させてくれました。私は試食だけですが、何人かの方は、ちゃんと買ってあげていました。 ここで、幹事のTHさんが、「一人キャンセルの連絡しなくちゃ」と何度も国民宿舎に電話しましたが、呼び出し音が鳴り続けているのに、誰も出てきません。Sさんがかけても同じ・・・しまいには、みんな、なんだか不安になってきました。「猪苗代町押立温泉、さぎの湯」という国民宿舎は、THさんがインターネットで検索して予約したのです。ということで桧原湖を見た後、宿舎に到着。 放し飼いのワンちゃんが二匹と宿のオバサンがお出迎え。「電話したんですけど誰も出なくて」というと、オバサン「はぁ、畑さ、出ていたもんだから」と、ごく当たり前の雰囲気でおっしゃるので・・・ムムムム・・・でした。そう、「フロント」と表示のあるところには、誰もいません!? 鍵をもらって部屋に行きました。入り口を除き、10畳で、2畳分ぐらいの棚があり(荷物置き用?)、3畳分くらいの板の間が南に。でも、急須はあるのにポットがありません。取りに行くと「沸いたら持って行きますから」とオバサン・・・「来るのは分かってんだから、お湯ぐらい沸かしといたら?」と口には出さなかったんですけど、われわれ女性陣は前途に多難なものを感じ・・・しかも、しかも、これが私には大問題!? なんと部屋にエアコンがない!? 暑がりの私にはエアコンのない夏の生活は考えられず、思わずホッペタがプーっと膨らんで「エアコンがないよ、エアコンがないよ、ヤダーッ」とモンクを言ってしまい、冷房が嫌いなTNさん、Aさんに笑われてしまいました。 しかし、しかし・・・なんと、この夏の繁忙期、部屋数はとってもたくさんあるのに、われわれの会で全館貸切!? です。男性陣も今までは、一部屋に全員押し込められて、Yさんなど、タタキに寝るような修学旅行状態だったんですけど、女性陣同様、広い部屋が二部屋取れました。4時からの学習会に備え、温泉に入って気持ちが安定。エアコンがなくても、涼しい風が吹き渡り、気持ちがいいのです。 学習会は、まずは私から。3悪都議側の右翼弁護士が一生懸命作文した控訴理由書を印刷してきたものを配布し・・・足立12中の生徒の意見を16中の生徒が書いたかのように並べるなど恣意的な勝手きわまる引用をするような、すぐ分かるトリックを使ったりしてグダグダ41ページもある・・・を読み上げました(でも、こちら側は51ページ! 勝ったぞ!?)。これだけで1時間近くかかり、それから、いろいろ参考になる皆さんのご意見を出してもらいました。 他に、先日の米下院の「元従軍慰安婦に日本政府として公式に謝罪し、この犯罪を教育の中に取り上げよ」という決議と、これに「抗議」したホンモノ国辱者たちの「地方議員の会」に都議会議員は4名のみ、もちろん3悪にプラス吉田康一郎という都議です。この男は前回の都議選で中野区から初当選の民主党で暦年齢は若いとのこと。去年の「日の君・10・23通達は違憲・違法」9・21難波判決に対して3悪主催の都議会議会棟での「抗議」集会に出るなど、常に3悪都議と行動をともにしているようです。しかし、この名簿と「慰安婦は売春婦である」とする「抗議文」は、3悪都議がいかに「偏向した思想・立場の持ち主であるか」を証明する私の側の良い証拠となるでしょう。 次に、2月に11日間かけて南米エクアドルに行ってこられたNさんの興味深い報告を聞きました。Nさんは古田武彦先生の歴史学の会の会員で、エクアドルの古代遺跡から、日本の弥生時代の甕棺そっくりのものが出土しているのを見学にいらっしゃったのでした。古田先生のご考察によると、縄文時代・弥生時代に太平洋を横断して交流があったのではないか、ということだそうです。中国の史書に「倭から半年(1年)かかって行くところに、黒歯国、裸国がある」という記述はそれではないか、と・・・ さて、食事。到着直後の印象とは違い、さすがに、山海の珍味が・・・特にハヤのあげたものは、本当にカリカリして美味しかったです。ムツ損師と大野さんは会津の地酒「栄川(えいせん)」を召し上がりました。私は、このときはビールにしましたが、ソンシが「美味しかったよ」とおっしゃるので、翌日、鶴ケ城のお土産物屋さんで買いました。まだ飲んでませんけど、楽しみ。 食事の後は、カラオケ! ちょうど、偉大な作詞家、阿久悠さんが亡くなったこともあり、追悼のため阿久悠さんの歌をいっぱい歌いましょう! ということに・・・大広間を貸切(といって全館貸切ですから)、歌い放題。すると、そこへ、従業員の女性の方が顔を出して「マイクの持ち方はそんなじゃダメ、もっと横にしなきゃ」とか、なにくれとなく指導してくれました。どうも、慣れてらっしゃるようですので「一緒に歌いましょうよ。何がいいですか」と水を向けると「じゃあ、『ひばりの佐渡情話』を」ということで、歌っていただきましたが、そのお上手なこと! 「ついでに『川の流れのように』も歌って」とリクエスト。 ということで、要するに、この国民宿舎は家族経営で、従業員の方もみんな親戚のようで、この従業員の方も加わって、歌いたいだけ歌い、飲みたいだけ飲みました。「おなかが空いたでしょう」と、この従業員の方は大きな美味しいオニギリも持ってきてくださいました。さすがに私は食べられず、もう一度温泉に入りに行きました。そして、就寝。エアコンがなくとも涼しくて、ぐっすり眠れました!
ムツ損師のレポート。ここで「選挙にも限界がある。なぜなら『大』衆は愚かだから」という言葉があったので、「それは思い上がりだ」「いやいや、事実を指摘しただけだ」と、議論沸騰。私は、損師派ですが、分が悪かったみたいです。時間が迫ったので、続きはバスの中で、ということで、本日の第一の目的地、鶴ケ城へ。バスの中での議論の続きではSさんが「3(ソンシと私とYさん)対5ですよ」といわれるので、私が「大野さんはズルイから、何もおっしゃらないけど、きっと、私たちの味方ですよ」と、ソンシを励ましました。するとTNさんが「増田さん、大野さんを買収しようとしてない?」というのです。 大野さんは「買収される用意はあるよ」と涼しい顔でおっしゃるので、車内爆笑。その内、笑いすぎて苦しくなり、みんな沈黙。しばらくして運転していたYさんが「みんな、どうしたの? イヤに静かだけど『このヤロー』ってお互い首絞めあってるから静かなんじゃない?」などというものですから、またまた車内は爆笑。 さて、鶴ケ城。戊辰戦争のときは会津藩士に死守されて天守閣は残った(白虎隊は落城したと勘違いして自刃)のに、明治7年の廃城令で取り壊されたのを、1965年に再建したものです。城(館)内の展示は、とても充実していました。矢島さんは、戦国時代からの歴史に、とっても詳しいので、城の持ち主の変遷や親子関係などを解説していただき、たいへん、面白かったです。藩校の日新館の教育は、とても充実していたようです。「什(じゅう)」という誓いの言葉でしょうか。6歳の子に毎朝、となえさせた、ということですが『卑怯なまねをしてはなりませぬ。弱いものをいじめてはなりませぬ』とか、最後は『ならぬものはなりませぬ』でした。良い教えです。 ここで、Hさんに対して、私がついつい「ソンシぃ、ソンシぃ」と呼びかけるものですから、Aさんから「外では、『ソンシ』と言わないほうがいいんじゃない? なんか変な宗教団体じゃないか? と、私たち、思われちゃいそうよ」!? と注意され、笑ってしまいました。 最期の見学地は『大内宿』。会津藩主が、参勤交代の時には必ず立ち寄った宿場町、ということで、妻籠のような江戸時代そのまま昔の家が並んでいる・・・と期待して行ったのですが・・・これが、完全な期待はずれで・・・確かに萱葺き屋根の家が並んでいるのですけど、これが、みんなお土産物屋&食べ物や(おそば屋)さん!? 騙された気分。でも、せっかく来たんですから、おそばを食べ(おろし揚げ餅そば945円)、これは、まぁまぁかな。それから会津塗りの小物を買いました。駐車場は満配なくらい多くの観光客が来ていましたが、われわれ一向は、もう一度、行く気にはなりません。バスは、一路、白河インターから東北自動車道へ。 スイスイと帰れるはずが、途中で事故渋滞とかで動かなくなりました。「では、一度、一般道に下りて渋滞がなくなったところあたりから、また高速に入りましょう」と考えて降りようとしたら、みんな考えることは同じで、これまた渋滞・・・「まいったねぇ」ということでしたが、なんとか、また高速に入り、無事、浦和駅へ。
この事実を直視するしかないと、私は思うんですけどね・・・この事実の上に「では、どう働きかけていくか?」と考えて行動していくほかはないでしょう。 |